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第17話

「えっ! 話したことがあるんですか?!」驚いた栗原が前のめりになって訊ねると、

「ああそうだよ、子供の頃にね…。内容はすっかり忘れちまったけど、夢なんかじゃない…。それだけは良く覚えているんだよ」おばあさんはそう話すと肩をすくめて少女のように微笑んだ。


 カラス天狗伝説の元は宇宙人だと想像している栗原は、おばあさんと話をした天狗がウェットスーツ姿だったかどうか訊ねようとして、

「カラス天狗はウェ…」とまで言って危うく思い止まった。


 もし栗原が訊いた通りウェットスーツを着ていたら、何故それを知っているのだと訊かれてしまい、カラス天狗を目撃したことがバレてしまうところだった。

 毎日何人も人がやって来る売店でそんなことになれば島中に知れ渡るのは時間の問題で、カラス天狗を見ようと多くの人が山へ押し掛ければ、姿を見られてはいけないあの3人はもう栗原の家に来られなくなってしまうのだ。


 言い掛けたことをどう誤魔化(ごまか)すか考えていると、店の外で「プッ」っと短いクラクションが鳴った。

 振り返ると2トン車のタンクローリーが停まっている。


 やって来たタンクローリーに気をとられて栗原の言葉を聞いてなかったのか、

「ほら、お待ちかねのガソリンが来ましたよ…」おばあさんはそう言って微笑み、「ヨシ坊、よろしく頼みますよ!」と運転席の男性に大きな声を掛けた。


 その声が聞こえたらしく、男性は小さく頭を下げながら返事の代わりに手を上げる。


「お世話になりました。では、失礼します」栗原はおばあさんに礼を言うと急いで外に出た。


 キャップのつばに手をやりながら頭を下げるその若い男性に、

「栗原と申します。急にお()()てして済みません」お辞儀をしながらそう言うと若い男性は

「全然大丈夫っすよ。じゃ、行きますか?」と反対側のドアを手の平で示した。


 助手席に乗った栗原が自宅の場所を教えてから、

「車があるのにガソリンを届けてもらうことになるとは…」と苦笑いして言ったが、

「いえ、船に入れる軽油やボイラー用の灯油をあちこちへ運んでるので全然問題ないっす」少し照れたように応えて、「僕は佐竹義之(さたけよしゆき)です。でも、『ヨシ(ぼう)』って呼んでください。『佐竹』と言っても僕のことだとは思ってもらえないっすから…」と横の栗原をみて親しみのある笑顔を見せた。


「ヨシ坊さんはこの島で見た初めての若い人ですよ」栗原が言うと佐竹が声を出して笑い、

「もう30歳だから若いって言う程でもないっすよ。この島には若いのがいないので、いまだに小学校時代のあだ名で皆が呼ぶんですよ…」と照れ臭そうに言った後、「栗原さんって東京から…でしたっけ?」少し遠慮がちに訊いてきた。


「ええ、陶芸をやるつもりでここへ越して来ました。軽トラは先日、横井さんから(ゆず)ってもらったばかりなんです」そう言うとすぐに、

「息子さんがワンボックスを置いてったから、乗る人が2人なのに車は3台あるんだと言って困っていたんっすよ。栗原さんが買ってくれたんでホッとしてるんじゃないっすか」ヨシ坊はその事をよく知っているらしく、すぐにそう応えた。


 5分程で自宅のスロープに到着し、置き去りの軽トラにガソリンを入れて貰った栗原は、

「この先もオイル交換や整備が必要な時はお願いします。ヨシ坊(・・・)さん!」代金を渡しながらわざとあだ名にアクセントを置いて言う。


 すると、佐竹はもう照れる事もなく、

「了解いーっす! ありがとうございやしたー!」とキャップのつばに手をやり、素早い動きでトラックに乗り込むと青白い排気ガスを残して帰っていった。


 宇宙人に用済みとされて落ち込んでいた栗原だったが、この島で初めて若い人と知り合えたことで少し元気になった。


   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 久しぶりの休暇を過ごした由紀子が代々木の設計事務所へ出社すると、朝一番(あさいちばん)にも関わらず同僚(どうりょう)達が疲れ切った表情でそこにいた。

「おはよう…、ございます…」由紀子が(いぶか)しがりながら声を掛けると

「ぉはよざいやーす」と隣のパソコンに向って図面を書いていた白井という男性が寝ぼけ(まなこ)で返した。


「どうしたの? みんな今日まで休みじゃなかったの?」同じように寝ぼけ眼でパソコンに向かっている人達を見回しながら由紀子が訊ねると、

「いやー、仕様変更があったと突然、部長から呼び出されて…。休み無しですよ…」白井が頭を()きながら(うら)めしそうに言い、他の同僚も責めるような表情を浮かべている。


 プロジェクトの責任者である由紀子は

「私は変更なんて何も聞いていないわよ!」と大きな声で言い、自分の(かばん)を投げるようにデスクに置くと足早(あしばや)に何処かへ向かった。


 部長室の前まで行くと、

「おはようございます。栗原です」由紀子はドアをノックしながらそう言い、返事も待たずにドアを開いて部屋に入る。


 デスクの前まで行くと部長の岡本が

「おはようございます、栗原さん」とその顔をパソコンの画面から由紀子へ移し、怪訝(けげん)そうな目をしながら眼鏡(めがね)を上げた。


「部長、仕様変更があったのにどうして私に知らせてくれなかったんですか?!」由紀子がデスクに両手をついて迫ると、

「変更がある度に、あなたが声高(こわだか)に反対の意見を(とな)えるからよ。上層部(じょうそうぶ)の人達は論理やデータを武器にしていちいち()って掛かる栗原さんに困っているの。そんな事に時間を取られると提出期限に間に合わなくなるから、あなた抜きで対応したというだけのことです」岡本は冷たい口調で告げ、その顔をパソコンの画面へ戻した。


「私を責任者にしたのは理想を追求したコンセプトが良かったからではないんですか?!」さらに声のボリュームを上げて由紀子が言うと開いているドアから本部長の渡辺が入って来た。


 渡辺は部長の岡本に無言で(うなず)くと由紀子の前に立ち、

「栗原さん、あなたが知らない所で色々な政治力が(はたら)いているのですよ。公共性のあるプロジェクトは様々なしがらみによってオリジナルプランからかけ離れたものになるのが当たり前だし、それを受け入れないと進みません。あなたが柔軟(じゅうなん)に対応出来る人だと思ったから責任者に選んだのです…」と静かに話し出した。


 由紀子はその渡辺の言葉を(さえぎ)り、

「本部長。私は『最高のものは1つ』という考え(もと)に常により良いものを追求してきました。このプロジェクトのコンセプトもその考え方を踏襲(とうしゅう)していて、だからコンペを勝ち抜いて選ばれたのだと自負しています。性能や質の劣る、より高額なものへの仕様変更はコンセプトに反するので私が反対しても当然じゃないですか!」と自分が心底(しんそこ)から思っていることを正直にぶつける。


 それは由紀子が設計を始めた時から持ち続けたもので理想を追求する事が建築の質を高めることに(つな)がり、質の高い建築が人々の暮らしや自然環境を守るのだという考えに基づいた信念のようなものだった。

 だから、上司と衝突(しょうとつ)することがあっても単に良い物を追求する為のせめぎ合いだと思えたし、由紀子はそれが悪い事だとは少しも思わなかったのだ。


「栗原さん、しばらく休暇を取った方が良いわね。これまで休みなく働いてきたから大分お疲れに見えるし、精神的にもうギリギリな感じだわ」部長の岡本がパソコンの画面を見たまま、突き放すような口調で言う。


「そうですね。栗原さんがゆっくりしたいと希望すれば1ヶ月でも2ヶ月でも、なんなら今日からでも許可しますよ」本部長の渡辺もそう言って(うなず)いた。


 2人の言葉を聞いた由紀子は唖然(あぜん)とした表情を浮かべた後、何も言わずに頭を下げて部長室を後にし、そのまま自分のデスクへ戻ると放り投げていた鞄を持って事務所を出た。



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