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第1話

 栗原が広島港から乗ることにした海上タクシーは全長が7メートル程と小さく、船縁(ふなべり)舳先(へさき)に向かって(わず)かにせり上がっているだけの平べったい形だった。

 実用的な形の高速船(こうそくせん)は空気抵抗を減らす為なのか高さが低い箱型のキャビンが乗っているだけで余分なものは何もない。

 鉄板で造られ、白くペンキが塗られただけの飾り気のないキャビンは船首側(せんしゅがわ)に乗客のスペースと区切られた操舵室(そうだしつ)がある。


 初めて見る船に興味(きょうみ)()かれながら近づいていくと、

「頭をぶつけないように気を付けてねー」と船長らしき人がキャビンの低い入り口を指差して言うので、

「じゃあ、島までよろしくお願いします」栗原は小さく頭を下げて船に乗り込んだ。


 40センチ程低くなったキャビンの内部は入口のところが玄関の三和土(たたき)のようになっていて、あとは畳が()かれいた。

 左手の壁に『履物(はきもの)は袋に入れてお持ちください』という貼り紙とレジ袋の束が吊るされているのを見てスニーカーを袋に入れた栗原は、あまり高くない天井に頭をぶつけないよう、少し背中を丸めながら窓の脇まで行くとそこへ座った。


 6畳程のキャビンを見回すと、中央に半分消えかかった『荷物置き場』の文字がある鉄板で出来た大きな箱が鎮座(ちんざ)してかなりのスペースを占領しているが、他に乗客がいないので狭くは感じない。

 そこからエンジンのアイドリング音が聞こえてくるので、海上タクシーが初めての栗原にも鉄の箱はエンジンフードだとすぐに理解したが、それがある事で何が起こるかまでは判らずにいた。


 しかし高速船が走り出すと、すぐにそれが判明する。


 エンジンフードからは頭の中が混乱(こんらん)する程の(そうぞう)々しいエンジン音が響いてきてすべてのものをビリビリと(ふる)わせ、どこからか()れてくる排気ガスがキャビンの中に充満し始める。

 栗原はそこでようやく、速さだけを追求して造られた船がどんなものかを理解し、フェリーの半分の時間で島に行けるという理由だけで海上タクシーを選んだ事を後悔した。

 急いで近くの窓を開けてみるが、風向きによって船の後部から吹き出す濃い排気ガスが入ってきて、息苦しさを増すだけの結果となってしまう。


 騒々しいエンジン音と排気ガスの臭いがまるで拷問(ごうもん)のように思えてきた頃、操舵室の窓越しに見えていた小さな島影がかなり大きくなったことに気付き、栗原は胸を()で下ろした。

 船長が操舵室の中で振り返って島を指差しながら何か言ったが、その声はエンジン音にかき消されて届かず、ただ笑顔を返すしかなかった。

 やがて、その島が操舵室の窓に入りきらない大きさになると高速船が接岸する赤い桟橋がハッキリ見えるようになる。


 その後しばらくして船がスピードを落とし、エンジンはようやく(うな)るのを止めた。

「さあ、もうすぐ到着だ!」と今度は船長の大きな声がハッキリ聞こえる。


 3分後、高速船は桟橋に取り付けられた古タイヤに船体を(こす)りつけるようにして着岸し、(きし)む音と共にキャビンの引戸が開いた。


「お世話になりました」揺れる船から軽くジャンプして桟橋へ移った栗原が笑顔で頭を下げると、

「この船に乗りたい時は連絡をくれりゃ迎えに来っからね…。あそこの売店で高速船に乗りてぇって言えば、すぐ手配してくれっから」船長は50メートル程先にある民家のような建物を指差して告げ、辺りに乗客がいないのを確認してキャビンの引戸を勢いよく閉めた。


 高速船はアイドリングでゆっくり向きを変えた後、ブオンッ!と真っ黒い排気ガスの(かたまり)を吐き出して桟橋を離れていく。

 再び(うな)り出した騒々しいエンジン音が都会の喧騒(けんそう)を思わせ、高速船を見送る栗原に暮らし慣れた東京が遠くに行ってしまうような(さび)しさを感じさせた。


 船の黒いシルエットが夕日の中で小さくなるとその船着き場はすっかり静まり、桟橋が波で揺れる度に(きし)むギィーっという音だけが騒々しいエンジンのせいで少し遠くなった耳に届いてくる。

 午後4時を過ぎたばかりで辺りは明るいが売店の脇に1台の軽トラックが停まっているだけで人の姿はなく、絶海(ぜっかい)孤島(ことう)に来てしまったかのように感じさせた。


 やがて1人でいる事に耐えられなくなった栗原は高速船の船長が示した売店に行くことにして歩き出した。

 頭上でピーヒョロローと鳴く声がして思わず見上げると、(いそ)の濃い香りがベタつく潮風に乗って海藻(かいそう)の匂いと共に届き、視線の先では数羽のトンビがゆっくり山の上を回っている。


 平家の民家のような売店は西日が殆ど入らないせいか中は薄暗く、天井の蛍光灯が店内を明るく照らしていた。


「こんにちは…」


入り口の()いたままになっているガラス戸から遠慮がちに声を掛けると、立ち話をしていた高齢の男性が振り返り、

「あぁ、今の船に乗っていたのは栗原さんでしたか…」と親しげに応える。


 その人は栗原が島で暮らすための家を探しに来た時に不動産屋と共にあちこち案内してくれた、この地区の代表を務める高橋だった。


「高橋さん、その(せつ)は色々とお世話になりました」その時の礼を言うと、

「いやー、おあつらえ向きの物件がすぐに見つかって良かったですわ」少し照れながら(かぶ)っていたキャップを取り、小さく頭を下げる。


 栗原はそのやりとりを微笑みながら見ているおばあさんの方へ向き直ると姿勢を正し、

「たった今、東京から越してきた栗原辰則(くりはらたつのり)と申します」と自己紹介をしてから、「今日から島の住人となりますのでよろしくお願いします」深々とお辞儀(じぎ)をした。


 おばあさんは栗原のあまりの丁寧(ていねい)挨拶(あいさつ)に驚きながら、

「ありゃまあ、ご丁寧に…。わたしゃ、店主の田口博美(たぐちひろみ)です。80歳のばあさんじゃ古い事しか知らんけど、分からないことがあったら何でも訊いてください」小さく頭を下げた後、「ここにいる高橋さんは長いこと区長をやってて、島の事は誰よりも詳しいんだ。おまけにとっても面倒見がいい人だから、困った時は何でも相談したらいいよ」と日に焼けて10歳は若く見える顔で笑った。


 それを聞いていた高橋は少し照れながら、

「まあ、住んでれば徐々に分かってくるでしょう。ちょうどいい、私の車でお宅まで送りますよ」そう言うと栗原の返事も聞かずに、「じゃ、また来っからぁ!」と、おばあさんに右手を()げて店を出ていった。


 栗原がどこかに向かって歩く高橋を横目で追いながら、

「改めてご挨拶に伺いますので…」田口というおばあさんに告げると、

「挨拶なんていいよ。それより早く行ってやりな、あの人せっかちなんだから…」と困った顔で笑いながら応えた。


「では、失礼します」栗原も笑顔を返して頭を下げ、急いで店を出ると高橋の姿を探す。


 船着場(ふなつきば)の広場に停めた軽トラの脇でタバコに火をつけているのを見つけ、小走りでそこまで行くと高橋は、

「小さい島だから歩いたって30分で着くけど、車なら5分も掛からんからね」そう言って自分と反対側のドアを指差し、吸い始めたばかりタバコの火を親指で()み消した。


 栗原は小さく頭を下げて反対のドアへ回り込み、背負っていたデイパックを手に持つと

「お願いします」と再びお辞儀をして軽トラックに乗り込む。


 2人が乗った車は島の一番外側にある海沿(うみぞ)いの道路を走った。


 海に沈む夕日に照らされながら行くと5分程で、

「借りた家はここでしたよね?」高橋が道路から少し高くなった所にある一軒家を上目遣いに見ながらブレーキを踏んだ。


 キラキラ光る海に沈む夕日の美しさに魅せられていた栗原はその声で我に返り、

「あっ、すみません。綺麗(きれい)な夕日にすっかり見とれていました…」恥ずかしそうに笑うと、

「車で動き回る者にとっちゃ、(まぶ)しくて運転しづらいだけですわ」高橋はそう言い、まんざらでもない表情を見せた。


 栗原が車から降りて助手席のドアを閉めると、高橋はせっかちなのか少し乱暴に軽トラックをUターンさせ、

「じゃ、私はこれで帰らせて貰いますわ」と顔の横に小さく手を挙げてアクセルを踏む。


 そのあまりの気の短さ呆気(あっけ)にとられていた栗原はすでに後姿になった軽トラに

「ありがとうございましたー!」と大声で言いながら頭を下げた後、家の玄関へ続く10段程の石の階段をゆっくり上がり始めた。


 西日でオレンジ色に染まった玄関の鍵を()いて大きくドアを開くと、そこから古い畳の匂いが一気に流れ出て(なつ)かしさのようなものを感じさせる。


 栗原が借りた家は平屋ながら風呂と台所以外に5つも部屋があり、敷地内には大きく張り出した(のき)を持つ作業小屋まで建っていた。

 20畳程の作業小屋とほぼ同じ大きさの軒下には手作りされた『穴窯(あながま)』と呼ばれる陶芸用(とうげい)の焼き(がま)がある。

 以前ここに暮らしていた人は陶芸を生業(なりわい)としていたらしくその穴窯(あながま)は小型だが焼成室(しょうせいしつ)の後ろに『()()』と呼ばれる空間を持つ本格的な造りで、あちこち(いた)んではいるが手を入れればまだ使える状態だった。


 陶芸家として新たな人生をスタートする予定の栗原は窯が作れるような広い敷地の物件を探していたが、すでに窯があるこの家を不動産屋に紹介されてすぐに借りる事を決めたのだった。


 家を見に来た時、不動産屋と共に島のあちこちを案内してくれたのが区長の高橋で、ここに陶芸家が住んでいた事や山のどこかで陶芸に使える粘土が採れるということを教えてくれたのも彼だった。


 粘土は敷地の裏手から登って行ける山の何処(どこ)かで採れるらしく、陶芸家はその土で作品を《つく》創っていたようだが秘密にしていたのか島の人は誰もその場所を知らないようだ。

 栗原も地元の土を活かした陶芸をやりたかったから、どんなに時間が掛かってもその粘土を探し出すつもりでいた。



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