時を超えた結婚
***ランス伯爵
カラスティアから戻って半年後、夕陽の美しい海辺へクリビアを散歩に誘った。
そのロマンチックな光景を見入っている彼女の隣で私は心臓がドキドキしている。
断られるとは思っていないが実際その場になると気弱になるのはどうしたものか。
だめだ。
夕陽が沈んでしまう前に言わなくては!
息を整えて、前世で彼女に渡せなかった指輪と同じダイヤモンドの指輪を手にプロポーズした。
「クリビア、どうか私と結婚して欲しい。君を必ず幸せにすると誓う」
「これは……」
「婚約指輪だ。前世でも君にダイヤモンドの指輪を渡そうと思っていたんだ。受け取ってくれるか?」
「もちろんよランス! ありがとう、嬉しいわ!」
「じゃあ……」
「一緒に幸せになりましょう、この世界で」
「クリビア!」
嬉しくて衝動的に彼女を抱きしめた。
前世では得られなかった幸せな瞬間が、今ここにある。
「ありがとう! 必ず君を幸せにする!」
しかしそのあともし私が伯爵のままプロポーズしていたら断っていたと言われて肝を冷やした。
実はプロポーズする前に、私は伯爵の爵位を親戚に譲って貴族社会から退き、伯爵邸を売ったお金で海の近くの大きな邸を買っていた。
そこに医院を併設して、これから医師の仕事一本で生きていくことを決めたのだ。
その時は平民として穏やかに暮らすのが彼女の望みだと知らなかった。
こういう決断をした理由は、今後年を取るにつれ領地運営をしつつ医師の仕事をするのは大変になるだろうと思った事と、何よりクリビアとの結婚を考えていたから彼女に貴族社会のストレスを与えたくなかったためだ。
彼女の悪い噂はまだ消えていない。
人の口に上らなくなっても、何かを切っ掛けにまた言い出す人が出てくるかもしれない。
あのカラスティアの処刑場で、私は民衆のクリビアに対する見方をまざまざと知って恐ろしくなった。
そのままにしていたら最悪殺されていたのではないかと思うほどだ。
噂だから放って置いてもいいというレベルではない。
だからこそ、彼女は決してカラスティアの王妃になどなれるはずがなかった。
ロータス国王が彼女を諦めてくれたことは誰にとっても良かったことなのだ。
貴族ならまた違った方法で彼女を追い詰めるだろう。
丁寧な言葉と優しい口調でねちっこく残酷につるし上げるのだ。
せっかくサントリノにいるのに、わざわざ困難な状況の中に入って行く必要はない。
プロポーズから三か月後、私たちは小さな教会で結婚式を挙げた。
そしてテネカウ司教の前で誓いの言葉をあげた今、互いの薬指にシンプルなプラチナの結婚指輪をはめる。
それを見たマリウスが、「ねえ、あれ何しているの?」と隣に座るカトリに聞いたのが聞こえた。
この世界には婚約指輪や結婚指輪の交換というものが無いから彼女も答えられず困っている。
私たちは目を合わせて微笑んだ。
「クリビア、前世の分も幸せになろう」
「ええ、もうあなたを置いて死んだりしないわ」
教会の外に出ると青空が澄み渡り、鐘の音が響き渡っている。
「クリビアさん、今度こそ多くの祝福があなたに降り注ぎますように」
「ありがとうございます、テネカウ司教」
空いた枢機卿の穴埋めのため役職が一人ずつ繰り上がったことで教皇から司教に任命された彼は、彼女の為にサントリナまで来て特別に司式を執り行ってくれた。
ロータス国王との結婚式の時も彼だったらしく、感慨深そうに目を潤ませている。
式に参列してくれたのはアスター王子、ラミア、マリウス、タンスクの宿屋のおかみさん、乳母のカトリはクリーヴを連れて、そしてアナスタシア。
ロータスはクリビアの必死の願いを聞き入れて、アナスタシアを子どもを亡くしておかしくなっていたという建前上の理由から処刑を撤回し、奴隷の身分に落としてカラスティアから永久追放とした。
彼女はクリビアの誘いでサントリナで暮らすことになったのだ。
宿屋のおかみさんはクリビアが置いていったという荷物を持って来てくれた。
クリビアは全て貰って欲しいと言ったが、彼女は貰うわけにはいかない、でも飴玉だけは子どもたちにあげちゃったけどね、と舌を出した。
気持ちのいい人だ。
王子は終始目の周りを赤くさせていた。
悲しんでいるのか感動しているのか、多分悲しんでいるのだろうけど、こればかりは仕方がない。
彼にはこの国の立派な国王になってもらうのだ。
一平民として、彼を支持していこうではないか。
式後、私たちはサントリナの港へ向かった。
このままシナバスへ新婚旅行に行く。
タンスクへ渡ってそこから陸路でも行けるが、船で直接行くことにした。
クリビアが船酔いしないように王族所有の船をアスター王子が手配してくれている。
「揺れの少ない船だ。日和も良さそうだし酔う心配は少ないだろう。いい旅を」
「アスター王子殿下……ありがとうございます。こんなことまでお世話になって……」
「いいんだよ」
「私がいるんだから心配する必要はありません」
「医師ができるのはせいぜい看病くらじゃないか?」
「そうですが、梅干だって船酔いにいいんですよ」
「梅干? 君が父に献上したしょっぱいあれか?」
「そうです。殿下も食されたのですね」
「うーん、私は苦手だ……」
クリビアがくすくすと笑った。
「カトリ、クリーヴの世話を頼んで申し訳ないけど、よろしくね」
「心配ご無用です奥様。このカトリにお任せください」
「クリーヴには私もいるんだから大丈夫よ!」
「頼もしいことだ」
「ラミア、またお父様と離れることになってしまってごめんなさいね」
「全然! パパが私を置いていくのはいつものことよ。慣れっこだもん。カトリがいるし、今はクリーヴもいるでしょ。あ、マリウスもね。それよりお土産いーっぱい買ってきてね!」
「ふふ。そうするわ。ありがとう。じゃあマリウスも、行ってくるわね」
「いってらっしゃい、お姉ちゃん」
そうして私たちはみんなに見送られて二週間の新婚旅行へと出発した。




