ジュリアナ
***クリビア
「君が亡くなった後もずっと忘れられなくてね。死ぬまで独身だったんだよ」
「そうなの!? あんなにモテていたのに」
「君を失っておかしくなってしまったんだろうね。手術台の君を前にして、手足が震えて手術ができなかったんだ。別の医師が呼ばれたけどもう手遅れで。そのあと病院は辞めて予備校講師として暮らしたよ」
そうだったんだ。
私の不注意で彼の医師としての人生まで駄目にしてしまった。
横断歩道を渡るときに左右をちゃんと見ていれば……。
その時の記憶はおぼろげだけど、浮かれていたのだろう。
「私がもっと車に注意していたら良かった」
「君は何も悪くなかった」
「え?」
「あの事故は単なる事故じゃなかったんだよ」
「どういうこと?」
「運転していたの誰だと思う?」
「?」
「君の前夫の浮気相手の女だよ。捕まったけどね」
「えええっ」
離婚した後で浮気相手に殺された?
なんて理不尽な。
というか、どうして? 離婚させることができたんだから、ばんばんざいじゃなかったの?
「ははは。そんな苦虫を噛み潰したような顔をしなくても。せっかくの美しい顔が。でもこうやってまた君と会えたのは本当に奇跡だし運命としか思えない」
「そうね」
「君と私は十歳違いだろう? 私が前世の記憶を思い出したのは十歳の頃なんだ。もしかしたら君がこの世に生まれたから思い出したのかもしれないね。私の想いが報われるようにと。今回だけは神の取り計らいに感謝するしかないな」
***ジュリアナ
苦しい……息ができない……ロータス様……。
時間の感覚はもうない。この暗闇の中で苦しみながらあてどもなく彷徨っている。
私はロータス様が出て行った後、絶望の中で何度も首を吊って死のうとした。
でもその度に思いとどまった。
何故なのかは覚えていない。
そして眠っている時に急に途轍もない苦しみに襲われ、その後、気付いたらこの暗闇にいた。
今でも考える。
どうして私では駄目だったのか。なぜクリビア王女をそこまで愛することができるのか。
わからない。
仇の娘ではないか!
彼とクリビア王女の事を考えると私の体はメラメラと炎に覆われる。
熱い! 熱い!
その炎の隙間から、どこかの煌びやかな会場で、ロータス様が深紅のドレスを着た金髪の美しい女を情熱的な眼差しで見つめているのが見えた。
まさかあれがクリビア王女?
その場面はやがて消え、彼とその女がベッドの上にいる場面に変わった。
心臓は粉々に打ち砕かれ、瞳から滂沱の涙が流れ落ちる。
そして私を覆う炎は増々激しく燃え盛る。
焼けただれていく体。
肉片がボトボト剥がれ落ちる。
悪いようにはしないと言ったのにあなたは私を捨てた。
ああ、憎い。
ロータス様が、クリビア王女が。
しばらくすると、見知らぬ黒髪の男が現れた。
異国の人間のようだ。
とてもシンプルで装飾品を取り払った上下灰色の服を着ている。
その横ではとても短いスカートを履いた女がしなだれかかるように腕を組んで歩いている。
娼婦?
でも次の場面でその女が泣きながら部屋から出て行こうとする男に縋っていた。
まるで私とロータス様を見ているみたいだ。
また場面が変わり、表面が真っ平らな灰色の広い道に見たこともない奇妙な乗り物が止まっていた。
その中にはさっきの女が鬼のような形相で座っていて……。
私にはその女の気持ちがとても良くわかる。
なぜなら私は……。
女は車を急発進させた。
ドンッという鈍い音がして、眼前に血だらけの女が映る。
アハハハハッ。
やってやった。いい気味だ。
恒太はもう私のものよ! 恒太!
……恒太?
私が轢き殺した女の墓前で、恒太が愛を宣言している。
どうして、どうして、どうして。
違う。あなたは私を愛しているのよ!
真っ逆さまに落ちて行くような感覚に陥った。
気付くと私の体の半分は骨だけになって、もう半分は焼けただれた肉の中にウジが湧いていた。
とても苦しい……誰か助けて!
誰か!!
もがき苦しむ先に小さな光が見えた。
体は自然と吸い寄せられていき、近づくにつれ誰かの声が聞こえてきた。
『……ちゃん』
誰?
『お……ちゃん』
聞いたことがあるような……。懐かしくて愛おしい……。
『お姉ちゃん!』
マリウス!!!
突然マリウスと過ごした幸せで優しい日常が走馬灯のように駆け巡る。
父親はマリウスが生まれる前に病気で亡くなり、母親はマリウスを産んで二年後に亡くなった。
厳しい毎日だったけど母親代わりになって、年の離れた弟の面倒を見るのは楽しかった。
ヴァルコフに目をつけられるまでは……。
そしてどうしても死ぬことができなかった理由を思い出した。
ロータス様を好きになってしまい、本当に大切なものを見失っていた。
マリウスを残して死のうとするなんて、なんて愚かだったのだろう。
そう思った瞬間、苦しみがスーッと消えていき、骨とウジだらけの体が元に戻って行く。
これまで襲われた時の苦しみが延々と続いていたが、肉体と心の苦しみからようやく解放されたような気がした。
一緒にいてあげられなくてごめんね……。
目の前の小さな光が大きく温かい光に変わって私を優しく包みこんでいった。