決別と梅の実
***クリビア
メイドも伯爵も何があったのか詳しい事を聞こうとしない。
ロータスと別れた後の馬車の中は静かでクリーヴの寝息だけがスースー聞こえる。
前に座っているランス伯爵は、なぜだかわからないけどさっきからため息ともいえないような小さなため息を何度も吐いている。
馬車がガタンと大きく揺れて伯爵のずだ袋の中身が落ちて足元にコロコロ散らばった。
拾うのを手伝おうとすると、さすがにクリーヴを抱っこしているメイドは無理なので伯爵に止められたが、私が拾い上げようと手を下に伸ばした時、思いがけず一滴の涙が足元にポタッと落ちた。
それを機に立て続けにポタポタと落ちる。
わかっている。
私は彼に取った態度に自分でもびっくりしていた。
これまでも拒絶したことはあったけど、今日のように厳しく、冷たい態度を取ったことはない。
クリーヴの頭を愛おしそうに撫でる場面を見せられたことも私の心を揺さぶり、胸が締め付けられた。
後悔はしていない。
彼との別れはずっと前から決めていた。
ただ、それは自分本位であったこともわかっている。
もしかしたら彼とジュリアナさんのことを知らなければ私は彼の情熱に負けていたかもしれない。
涙よ止まれ。
泣いている私をランス伯爵とメイドに見られたくない。
上体を上げないでいる私のおかしい姿に何も言わないでくれる二人の優しい気遣いがありがたい。
一生懸命何度も瞬きを繰り返して涙を消そうと努力した。
そして涙も乾いて心も落ち着いたので、上体を起こして手にした物を伯爵に渡した。
「……はい、どうぞ」
「ああ、拾ってくれてありがとう」
伯爵の包み込むような静かな微笑みが不思議と心の奥深くにしみ込んだ。
「あの、これって……」
「これはシルエラって言ってね、大陸の東の国にだけ生っている果実だよ」
ずだ袋から落ちたのは、薄緑色の丸い果実だった。
今更だけど、私はこれを見たことがある。
梅だ。
前世の祖母が梅干を作っていた。
メイドは興味深げにしげしげと眺めて、「どんな味がするんですか?」と聞いた。
「このままでは食べられないんだ。追熟させて黄色くなったら食べられるんだよ」
「青いのはまだ毒素があるんですよね」
つい知っていることを話してしまったけど、まあいいか。
「クリビア様は食べたことがあるのですか?」
「ええ、遠い昔ね」
前世で。
伯爵は不思議そうなびっくりした顔で私を見ている。
元王女だった私が食べたことがあるとしてもおかしくはないのに。
「クリビアさん、お話があるのですが」
「話し? マリウスの事ですか?」
「違います……ここではちょっと。都合のいい時で構わないので時間を作っていただけないでしょうか」
「でしたら明日でも構わないですよ」
そうして翌日、彼は公爵邸にやってきた。
心なしか身なりに気合が入って、メイドに頼んで髪をハーフアップにセットしてもらった。
ドレスは叔母が選んでくれた水色のオーガンジーのワンピースにして、何度も鏡を見てやっと客間に下りて行った。
途中、なんでこんなに気にする必要があるのかしらと笑いが込み上げてくる。
客間に入ると、昨日はよれたシャツ一枚の上からベストだけという、いかにも旅人のような格好だった彼が、今日は伯爵然とした立派な黒いフロックコートを着てソファに座っていた。
船で会った時もラフな服装だったから、こんな姿は初めて見た。
私の診察に来るたびにメイドたちから熱い視線を送られていたことに彼は気付いていただろうか。
無精ひげを生やすような人だから鈍感ぽいし気付いてないかもしれない。
「今日はお時間をとっていただきありがとうございます」
「いいえ、どうぞお座りください」
立ち上がって挨拶する姿は上品で、まさに紳士という言葉がぴったりだと思った。
そういえば何の話だろう。さっぱり見当がつかない。
「話とはなんでしょうか」
「ああ、はい……」
伯爵は、自分から言い出しておいて、なかなか話そうとしない。
だから私も何を言っていいか分からない。
二人で紅茶をすするだけの時間が一分程続いたのち、ようやく彼が口を開いた。
「クリビアさんは前世というものを信じていますか」