不穏
***クリビア
サントリナに着いてから私は海辺の閑静なリゾート地にあるアスター王子の別荘に滞在させてもらうことになった。
日中は足を延ばせばすぐのプライベートビーチで過ごすのがお気に入りだ。
海岸沿いに沿って並ぶ椰子の木のふもとに置いてあるデッキチェアに腰かけた。
静かで秘密の楽園のようなここは、海の青さとは対照的な純白の砂浜が太陽の光にキラキラ輝き、風にそよぐ椰子の木の影が砂に揺らめく様子はまるでここだけ時間がゆっくりと流れているみたい。
この贅沢な環境に埋没しそうになるけど、このままずるずる甘えていては駄目だ。
今後どうするか、身の振り方を考えながら美しい海を日が暮れるまで眺めていた。
夜になってベッドに入ると静まり返った部屋の中に寄せては返す波の音が聞こえてくる。
そのリズミカルな音に心は落ち着き、すぐにうとうとしてきた。
その時ガシャーン! と、夜の静けさを裂く固く冷たい音が響いた。
「何!?」
びっくりして辺りを見回すと、窓ガラスが粉々に割れている。
ベッドから下りて飛び散ったガラス片に注意しながら転がっているこぶし大の石を拾うと、それにはペンキで“出て行け”と書かれていた。
翌日の午後、ノースポール公爵が来たという事で、メイドが海辺にいる私を呼びに来た。
サントリナに着いてから叔母には会ったけど、公爵が一体何の用だろうか。
客室に行くと、公爵は親睦パーティーで会った時よりいささか難しい顔つきでソファに座っていた。
「お久し振りです、ノースポール公爵」
「お久し振りです。突然の訪問、お許しください」
「いいえ、お気になさらずに」
「バハルマでは大変な思いをされましたね。妻も私も心を痛めておりました」
「ご心配をおかけしました。おかげさまで、このように無事にここまで来ることができました。離婚も成立して、今はもう自由です」
「ああ、本当に良かったですね」
「ありがとうございます。ところで、今日はどういったご用件で?」
「ふむ……」
公爵は紅茶を一口飲んで少し間を置いて話し始めた。
「まず、妻も私もあなたの悪い噂など全く信じていないし、あなたの味方であるということを先にお伝えしておきます。ヴァルコフ国王の子どもでないのなら、今は平民となってしまったあなたのお腹の子どものことも深くは追及しません。その上でですが、アスター王子のプロポーズを断って頂きたいのです」
「え、公爵はそのことをご存知なのですか?」
「はい。つい最近、王子にある貴族令嬢との婚約話が持ち上がったのですが、それを彼は結婚したい女性がいると言って断ったのです。それはすぐに宮廷中に広まりました。妻からあなたがここに居ることは聞いていたので、私は結婚したい女性とはあなたではないかと思ったのです」
「そうですか……」
「ですからアスター王子に確認したんですよ。そしたらもうプロポーズはしていると言うじゃないですか。本当にびっくりしました」
「……陛下はそれが私だと知っておられるのですか?」
「ご存知です」
「猛烈に反対なさっておられるでしょうね」
「……。彼は王太子の座を退いてでもあなたと結婚すると言って聞きません。ですから、あなたの方から――」
「ちょっと待ってください。王太子の座を退く?」
「はい。弟に譲ると仰っています。ですが弟君は側室の子どもなので王妃が彼を王太子にするなど承知するはずがありません。脅すつもりはありませんが、このままではあなたの命が危ないかもしれないと私どもは案じておるのです」
アスター王子がそこまで考えていたとは知らなかった。
そんなことなら、もっと早く返事をすべきだった。
遮られても言えば良かったのだ。
「安心してください。私は彼と結婚するつもりはありません。明日にでもここから出て行きます」
「本当ですか! それは安心しました。実はダイアナに言われているのですが、あなたさえよければ我が家に来ませんか。急に住む所を探すと言っても難しいでしょう」
「いいのですか! そうさせて頂けたら本当に助かります。ありがとうございます!」
話がまとまると、公爵は準備があるから明日迎えに来ると言って帰って行った。
昨晩の投石のことといい、本当にもうここにいては駄目だということがまざまざと分かった。
今日で最後なので、お別れを言うためプライベートビーチへ歩いた。
空はまだ青く澄み渡っているけどもうすぐ昼から夕へ切り替わる、なんとなく寂しい空気を感じる。
裸足になって砂の上を歩くと、太陽のエネルギーを足裏から吸収するようでとても気持ちが良い。
このエネルギーが子どもに伝わり良い影響を与えますように。
「短い間だったけどありがとう」
この楽園にそう呟いて、何とはなしにそのままふらっと波打ち際の方へ歩いて行った。
まだくるぶしにも満たない深さで昨日より波の強い海面を見ると、めまいのようにクラッとして、もう少しで倒れそうになった。