プロポーズ(二)
***クリビア
アスター王子の茶色の瞳は徐々に驚きの様相を示し、あちこち動き出した。
さっきまでの熱いまなざしが嘘のようだ。
「ヴァルコフ国王の子ども、ですよね」
そうでなければいけないとでも言うかのように彼は恐る恐る問いかけ、私が首を横に振ると、息を呑んだ。
「じゃ、じゃあ誰の?」
「それは……」
言ったらとんでもなく軽蔑されそうな気がするから言えない。
彼の目線が私のお腹に移る。
私が何も言わないでいると、なぜか彼は唐突に青ざめた。
私のバハルマでの評判を思い出して、あれは本当だったのかと幻滅したのかもしれない。
チクリと胸が痛んだことに苦笑する。
振るくせに良く思われていたいなど、虫のいい人間だ。
でも違った。彼は私の被害妄想を遥に超えたいい人だった。
「なんて不躾なことを聞いてしまったんだ! 私としたことが! 今の質問は撤回する!」
「え」
「言わなくていい、まだ」
そう言ったあと彼は更に青ざめ、急いで自分の手で口を覆い、そして頭を抱え込んだ。
「あの……」
「図々しくてごめん。まるで私に聞く権利があるみたいな言い方をしてしまった。そんなつもりじゃないんだ。ただ……」
「そんなこと気にしていません」
アスター王子の性格や人間性を理解するほど私は彼のことを知らない。
でも王太子とは思えないくらい謙虚で思いやりがある人だとこれまでのことや言葉の端々から分かる。
ちょっとした発言にも謝るほど繊細で、私のことを気付かってくれる優しい人。
彼はそのあと沈黙してしまったので、私もそれに合わせて沈黙した。
太陽は沈んですっかり暗くなった。
展望台も閉まる時間になったので私たちは馬車に乗って帰途についた。
アスター王子はずっと外を見て難しい顔をしている。
会話も無くて少し居た堪れない気持ちになるけど私から話しかけるのも勇気がいる。
何を考えているのだろう。
まだ自分の言ったことを気にしているとか?
それとも、やっぱり噂通りの軽い女みたいに思っているのだろうか……。
でも私は言うべきことを言った。
これでいいのだ。
帰りは行きよりも道のりが長く感じられた。
やっと到着して今日のお礼を言って別れ、中に入ろうとしたら呼び止められた。
「クリビア」
「はい?」
「君はその人を愛しているのか?」
「愛……していたけど、今はもう愛していません」
「じゃ、じゃあ、その人はその……知っているのか?」
「いいえ。その人に言うつもりはないし、知られたくない。私は一人で育てるって決めているから」
「……そうか。話してくれてありがとう。それじゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
彼は最後に微笑んでくれて、私も自然と笑みが零れる。
おかみさんに帰ったことを告げたあと、てんやわんやの厨房を手伝いに向かった。
翌日の午後、昨日のこともあるし今日は来ないだろうと思っていたら、彼は手に大きなバラの花束を持ってやって来た。
「昨日君は話の途中で私に告白させないようにしたよね、クリビア」
「それは……」
「正直びっくりしたよ。でも、私が大事なのは今だ。昨日の続きを私に言わせるチャンスをくれないか」
彼は返事を待たずに私の前で跪いた。
「私の恋人になってください」
妊娠したことを話せば諦めて告白されることは無いと思っていたけど、彼はそんな人ではなかった。
差し出されている真っ赤なバラの花束が微かに震えている。
普通王太子にこんなことを言われたら世の女性は舞い上がってしまうだろう。
でもそんな幸せな感情を私は持つことが出来ない。
諦めてもらわなければ困る。
真剣に告白してくれた彼の為にもはっきり言うのだ。
「ごめんなさい。それはできません。あなたは次期サントリナの国王になるお方です。私のような者と恋人など、そんなこと許されませんし私にも負担です」
「なんの覚悟も無しに言っているんじゃない。言っただろう、誰にも何も言わせないと」
「いいえ、周りは黙ってはいません」
「もう後悔したくないんだ。君を愛している。子どもも一緒に育てよう。つまり……アスター・サダルティア・ド・サントリナから、クリビア・ナイジェル・ド・シタールへのプロポーズと受け取ってもらって構わない。私は本気だ!」
バハルマの悪夢が頭を過る。
「はい」と言えるわけがない。
こんないい人の足かせにはなりたくない。
「ごめんなさい、私は静かな生活を送りたいんです。もう、王族に嫁ぐことは――」
「――クリビア、静かな生活を望むなら私が全面的にサポートする」
「……」
「返事は今すぐでなくても構わない。よく考えて、君の気持ちが固まった時でいい」
ああ、またあの瞳。私を見つめる真っ直ぐな熱いまなざし……。
「だからそれまでは今まで通り、どうか私を避けないでいて欲しい」