一人西へ
***クリビア
「ねえおじさん、ガルシアに行くの?」
「そうだよ。患者がね、待っているんだ」
マリウスはランス医師の服の先を摘まみながら気にする様に私の方をちらちら見ている。
ガルシアに行けば姉に会えるかもしれないと思っているのだったらどうしよう。
「君も行きたいのか?」
「う……ん……」
「あの、私たちは旧シタールの港町に行くんです。マリウス、そうでしょう? ガルシアにはまた今度連れて行ってあげるわ」
残念そうに目を伏せるマリウスが可哀想だとは思うけど、行くだけ無駄だしもしネベラウ枢機卿に見つかればヴァルコフ国王の耳に入って刺客がまた来るかもしれない。
今回のようにマリウスまで巻き添えを食らう可能性だってある。
そんな危ない橋を渡る気は無い。
「マリアンヌさん、お急ぎでないのなら、遠回りですが観光がてらガルシアに寄るのもいいのではないでしょうか。それなら道中私があなたの体調を見ることができますし安心です。帰りは私もシタールの港町から船でサントリナまで帰るので、行きも帰りもご一緒できます。女性と子ども二人旅より何かと心強いと思いますが……」
いい案だと言わんばかりの笑顔で呑気なことを言うランス医師に苛立って、きつい口調になってしまった。
「私はガルシアには行けません! マリウス、どうしても行きたいのならあなただけ連れて行ってもらえばいいわ。気になるんでしょう?」
「そんなの駄目だよ、一緒に行こうよ」
「私は駄目なの」
「……じゃあ僕も行かないよ」
マリウスとランス医師は同時に肩を落とした。
二人は悪くない。
普段よりもなぜか自分の感情をコントロールすることができなくて、きつい言い方をしたことを反省した。
マリウスが行かないと言ったので、私はトランクを開けてランス医師へのお礼をしようとお財布を取り出した。
早くお礼をしてこの医師と離れなければという気持ちだった。
いつマリウスの気が変わるか分からないから。
でもランス医師は頑なに受け取ろうとせず、なぜか真面目な顔をして自己紹介をしだした。
「申し遅れましたが実は私はサントリナ王国のランス・クライブ伯爵と申します」
「あ……貴族だったのですか」
「隠していたわけではないのですが、サントリナでもし何かお困りの事があったら是非うちを頼ってください」
あの国は貴族でも医者や薬師、宝石職人など、手に職をつけて仕事をしている人がいると聞いたことがある。
そんなに驚くことではない。
「おじさん、サントリナの貴族なのにどうしてわざわざガルシアに診察に行くの?」
「これから見に行く患者さんの所へは診察に行くんじゃないんだ。たまに様子を見に行っているだけなんだよ。数年前にガルシアの医師に頼まれてね。その患者さんはマリウス君と同じピンク色の髪をした若い女性で……そういえば、ふわふわの柔らかそうな髪質が似ているな……」
マリウスが大きな目を更に見開いた。
「ねえ! その人の名前は何て言うの!」
「えーと、ジュリアナだっけな」
「それ、僕のお姉ちゃんだよ!」
「え?」
ランス医師が私の方を見たのでマリウスと私が本当の姉弟ではないと言うことにした。
それくらいは別にいい。
彼はそうなった詳しい経緯は聞かないですぐに納得してくれた。
でもジュリアナは亡くなったと聞いたのに、どういうことだろう。
「ただ、彼女はもう何年も眠り続けているんだ」
「何年も? おじさん、それほんと?」
午後、私たちは宿を出て港町へ続く西へ向かう道と、ガルシアへ続く北へ向かう道の分岐点に立った。
「お姉ちゃんごめんね……」
マリウスの目から流れ落ちる涙を私はハンカチでそっと拭いてあげた。
本当の姉弟の絆には適わないと思うと一抹の寂しさを覚える。
「いいのよ。意識が無くても聞こえているって聞いたことがあるもの、きっとマリウスが来たのを知って意識が戻るかもしれないわ」
「……マリアンヌさん……」
「はい?」
「……いえ。一緒に行けなくて本当に残念です。無理をせず、体には十分気を付けて下さいね。一人じゃないのですから。何かあったら是非我が伯爵家までご連絡ください」
「色々とお世話になりありがとうございました。御恩は忘れません。マリウスをよろしくお願いします」
ランス医師が手を差し出したので握手をすると、戸惑ってしまうほど長く握りしめられた。
そして彼は大きなため息を吐いて名残惜しそうにゆっくりと手を離して言った。
「じゃあ、出発するか」
どんどん遠ざかっていく二人の背中に何度も足を踏み出しそうになる。
今なら間に合う。
ガルシアに行ったって必ずしも見つかるわけではない。
今なら……。
でもその度に踏みとどまる。
突然自分の環境が変わる事には慣れている。
一度だけ振り返って大きく手を振ったマリウスに元気でねと呟いて、西へ向かって歩きだした。