ロータス(一)ガルシア宗教国での出会い
***ロータス
牢を抜け出してガルシア宗教国へ無事辿り着くことが出来た。
ここは面積は小さいが、この世界を創ったガルシア神を祀る総本山のある国だ。
ゆえにこの国を他国が攻め込むことは許されず、許可なく軍が立ち入ることも許されない。
先端がクリスタルで装飾された尖塔が立ち並ぶ巨大な神殿の中に入ると、教皇の次に権力を持っていると噂されるネベラウ枢機卿が笑顔で出迎えてくれた。
この枢機卿にクリビアが助けを求めたから彼は司祭と宗教騎士団に命じて俺の脱獄を手伝ってくれたのだ。
「身体の傷が治るまでしばらくは神殿に部屋を用意させますのでそこで養生していただければと思っております」
「有難うございます。ですがすぐにここから出て行く身ですのであまりお気遣いなく」
「殿下はお好きなだけこの国に滞在して構いません。神聖な場を汚され悲しんでいる神も喜ぶでしょう」
ガルシア宗教国は中立国だからといって全ての出来事に傍観を貫いているのではなく、争いにならない程度には宗教の教えに従った行動を取ることがある。
俺を助けたのもその一環だ。
神殿を血で汚されるなどあってはならず、その被害者を助けることは教えに適う。
ふくよかで優しそうな中年のネベラウ枢機卿はにっこり笑い、医師を呼んでくれた。
質素で清潔そうな部屋に案内されて少しすると、怪我の治療をしに医師と看護師の女性がやってきた。
三十代くらいに見える医師はアルマと名乗り、彼に言われて傷だらけの上半身をさらけ出した。
「うーむ。それほど傷は深くないですが化膿している所もありますね。きちんと治療していきましょう」
「どれくらいで治りそうだ?」
「そうですねぇ。熱は出ていませんし安静にして順調に回復すればこの様子だと一、二週間てところですかね」
医師の処置の後、看護師が包帯を巻いた。
看護師はジュリアナといい、二十歳くらいで、童顔で可愛らしい顔とそれに似つかわしくない女性らしい体つきをしている。
どこかの貴族に見初められそうな容姿で、どうして看護師などしているのか不思議だ。
手が微かに震えていて無表情の顔には頬に薄っすらと赤味が差している。
ふいにからかってみたくなった。
「そんな緊張しなくても取って食いはしないよ」
「! 緊張なんかしてませんっ」
「ははは、ロータス様、この子をからかわないでくださいよ。最近うちに入ったばかりでやめられたんじゃ困りますからね。これからはこのジュリアナが包帯を変えに来ますから」
「そうか、よろしく頼む」
「はい」
数週間も経つと、彼女は俺に大分気を許す様になった。
ピンク色の柔らかそうな髪に色白の彼女は綿菓子のようでとても愛らしい。
性格も懐っこく、俺としては気を遣わなくていいから一緒にいてとても楽だ。
そうした中、いつの間にか彼女がやってくるのを心待ちにしている自分がいることに気付いた。
馬鹿らしい。
親しくできる人間がいないから、暇つぶしの相手にちょうどいいというだけだ。
それ以上の感情などない。
あってはいけない。
包帯を巻いてくれている彼女が嬉しそうに言った。
「傷口も順調に綺麗になってきていますし、回復が早いですね」
「君たちのお陰だ」
「ロータス様の治癒力が高いのでしょう」
「早く治して行かなければならない所があるからな」
「行かなければいけない所? どこですか?」
「ちょっとね」
「女性の所とか」
「ははは。違うよ」
包帯を交換し終えたジュリアナはなぜか悲しそうに目を伏せている。
そして徐に俺の手の甲に自分の手を重ねた。
温かく小さな手。
その手はゆっくりと俺の腕を撫で上がっていく。
誘惑しようとしているのか。
俺はもう片方の手で彼女の手を掴んで自分の腕からゆっくりと離した。
「俺には愛する女性がいる。妻同然だ」
「つ、妻? 確か結婚式はシタール軍のせいでなくなったと聞き及んでおりますが」
彼女に詳しいことを言う必要は無い。
「愛しているのですか?」
「当たり前だ。死ぬほど愛している」
「で、でも、王女様はロータス様のご両親を亡き者にし、国を乗っ取ったシタール王国の王女ですよ」
「彼女は何も知らなかったんだ」
「無理に愛そうとしているだけではないのですか?」
「勝手なことを言うな! 全く違う! 俺は彼女を愛しているし彼女も俺を愛している。牢屋から逃がしてくれたのも彼女だ」
「でも! 王女様はロータス様と一緒にお逃げにならなかったのでしょう?」
「ガルシアは恋人の逃避行を手伝うようなことはしない。命に係わることだから俺を逃がし匿うことに協力したんだ。それに今、俺と一緒に逃げて何になる? 俺は自分に力をつけてから彼女を迎えに行くと誓った」
「それでも私だったら愛する人の側を離れません」
ジュリアナは大きな目を潤ませて俺の顔を覗き込んだ。
彼女と距離を取らなければと顔を背けて椅子から立ち上がり、窓際へ行った。
何も知らないくせに分かった風なことを言う。しかもクリビアの俺に対する愛を否定する彼女に腹が立つ。
部屋はいっきに静かになり、長い沈黙が訪れた。
午後の十二時を知らせる大聖堂の鐘が鳴り張りつめている空気が少しだけ動くと、それから少ししてジュリアナが口を開いた。
「ごめんなさい。言い過ぎました」
「もう終わったのなら戻りたまえ」
言われたままジュリアナは薬箱を片づけドアの方に向かった。
これでやっと落ち着けると思ったが、彼女はドアの前で振り返り大きく息を吸って――
「私、ロータス様の事をお慕いしております!」
――大声でそう言うと、抱き着いて来た。
「よせ、離れろ!」
「嫌です! 初めてお目にかかった時からずっと好きでした! 大好きです!」
積極的で情熱的なジュリアナに、腹が立っていたことなどどこかに行ってしまいそうだ。
駄目だと思いつつも、包帯だけの上半身に感じられる彼女の柔らかい身体に、内側から熱いものが突きあがってくる。
やばい。
その瞬間、抑え込んでいた気持ちが爆発した。




