浮気調査をしたら、思ってもみない“答え”が待っていた
展開が早めでサクッと読める短編にしてます!
ゆるふわ設定なので、ご了承ください。
「リーゼ、髪に花びらがついてる」
「……あら。いつの間に……」
「ふふ。春の花びらとリーゼはよく似合う」
そう言って、彼――エルヴィン・ヴァルストは、わたしの髪からそっと桜花を摘んだ。指先が頬に触れて、少しくすぐったい。
「そんなに見つめられると、顔が熱くなりますわ」
「いいではないか。もっと熱くなってくれても」
「もう……馬鹿」
声にするときには、頬がすっかり薔薇色に染まっていた。わたしたちは結婚して三年になるが、手を繋ぐだけで心が浮き立つのは、今も変わらない。
彼は少し不器用だけれど、いつだってわたしを大切にしてくれた。微笑んでくれるそのたびに、「この人となら大丈夫」と思わせてくれた。
だからこそ、たぶん――
「今日は、遅いのね」
ぬるくなった紅茶に口をつけながら、ため息を落とした。
帰りが遅くなることはこれまでもあった。けれど、ここ数日は……何かが違う。
たとえば。
「ごめん、少し疲れてるんだ。今日は先に休むね」
そう言って、わたしの顔をまともに見ずに寝室へ向かった夜。
「この週末は急に会議が入って……一緒に過ごせなくなってしまった」
そう告げられた日もあった。けれど、机の上には会議資料もなく、なぜか着替えた外套が香水の匂いを強く含んでいた。
それに、昨日。
「……ごめん、仕事で手が離せなくて。手紙の返事、また今度必ず書くよ」
と微笑んだはずなのに、その手元には知らない封筒があって、わたしの筆跡ではなかった。
どれも些細なこと。言いがかりだと言われれば、それまで。
だけど、彼は、もっと真っ直ぐわたしを見てくれる人だった。小さな変化にも気づいて、真っ先に気づかってくれる人だった。
だから、余計に。
「……どうして、こんなに胸がざわめくのかしら」
風が冷めた紅茶の表面を揺らした。
―・―・―
「リーゼ、ちょっと、いい?」
光の陽に包まれた庭園。ティーセットを並べていたら、麗しい声が背後からかかった。
振り向くと、長年の友であるリヴィア・ルーシュが、少し意味ありげな顔をしていた。
「なにか、あったの?」
「その……あまり気にしないでね。わたし、たまたま見ただけだから」
「なにを?」
「貴方の旦那さま。南の市街で、女の人と一緒にいたの。肩を寄せ合ってるように見えたわ」
「……え?」
「笑ってたの。すごく親しげに」
風が吹いて、リヴィアの綺麗な金色の髪が揺れた。
「ま、間違いじゃなくて?」
「ううん、間違いじゃないと思う…」
「リヴィア……もう少し詳しく教えてくれる?」
喉からやっと出たわたしの声は、思っていたより掠れていた。
「もちろん。でも、本当にたまたま見かけただけよ。南区の花市、覚えてる? あそこの小路の先で」
「花市……」
「ええ。旦那さまはグレイの外套を着ていたわ。隣にいたのは……そうね、栗色の髪の、華奢な感じの女性だった」
「……手とか、繋いでいた?」
「それは……見えなかった。でも、距離は近かった。肩が触れるくらい。……ごめんね、こんな話。友人としてリーゼのことを思うと黙っていられなくて…」
「いいの。ありがとう、教えてくれて」
リヴィアはそっと手を重ねてきた。話している時に彼女の指先が微かに震えていたのを、わたしは知っている。
その日の夜、私は隣の屋敷にいる母を訪れた。
「……お母様、お時間をいただけますか」
母は、書斎で古い書簡を整理していた。わたしの声を聞くと、ぱたりと手を止め、顔を上げる。
「なにか、あったの?」
「いいえ……いえ、少し、気がかりなことが……」
「エルヴィンのことね」
核心を突かれ、言葉が詰まる。
「最近、帰りが遅くて……会話も減って。南区で、知らない女性と歩いていたところを、友人が……」
「それは事実?」
「信頼している子です。たぶん、間違いは……」
「なら、調べなさい」
「……調べる、とは?」
母は迷いのない動きで、机の引き出しを開けた。そこから取り出されたのは、刻印入りの小さな銀のカード。
「王都で最も腕の立つ調査屋よ。名前はジーク・メレヴィス。使いなさい、リーゼ」
「お母様……わたしは、エルヴィンを……疑いたくないのです」
「疑うのではなく、確かめるの。名門に嫁いだ以上、感情で全てを見てはだめ。愛しているからこそ、冷静であるべきよ」
「……はい」
受け取った銀のカードは、思いのほか重かった。
―・―・―
それから数日後、灰色の外套を羽織った男が、屋敷の裏門に現れた。
「奥方。ジーク・メレヴィスと申します。ご依頼を受けてまいりました」
「……どうぞ。応接室へ」
「浮気調査、ということで?」
「……違います。ただ、真実を……知りたいだけです」
「了解です。では、真実を。できるだけ証拠を集めてお渡ししましょう」
男の瞳は深い琥珀色していた。その中に映る自分の顔が、少しだけ強く見えたような気がした。
―・―・―
「……というわけで、調査はこの三日間で行いました。正確には、月の七日から九日までの記録です」
「お願いします……教えてください、ジークさん」
「本当にいいですね…?聞くと後悔するかもしれませんよ?」
「…ええ、覚悟は出来ています」
「分かりました。まず、七日。旦那さまは城館を出たあと、北門通りを経由して、『ルルシュの花舗』へ」
「花屋……?」
「ええ。季節外れの白花ライナリスを三束。ついでに、花言葉まで確認していた様子」
「花言葉……?」
「“誓いをもう一度”。ご存知でしたか?」
「……いいえ」
「それを受け取った旦那さま、顔がにやけておりました。恋人への贈り物を考える男の顔ですね」
「…………」
「さて、そのあとです。問題の南区へ向かいました」
わたしの喉が、ごくりと鳴った。
「同じ女性と……?」
「ええ。栗色の髪、年の頃は二十前後。けれど、距離は近いようで遠い。手も繋がず、話しているときの目線も……どこか、対等」
「対等……?」
「主従関係に近い空気。ええ、少なくとも、恋人ではありません」
「じゃあ……いったい誰なのです?」
「調べました。女性の名は“ミルナ”。王都大劇団《月光の輪》の衣装係。旦那さまとはどうやら、秘密の計画で関わっているようです」
「……秘密?」
ジークは、懐から一冊の手帳を取り出した。ページに貼られた細やかな記録と、数枚のスケッチ。
「八日、旦那さまは宝飾師ミラーレに会い、特注のペンダントを注文」
「ペンダント……?」
「三年前の結婚式と同じ、銀の三つ星をモチーフに。裏には、“To my first and only spring.”」
「……!」
「九日。再び“ミルナ”と合流。今度は劇団の小屋で何やら練習を。――これは、演技のようでしたね。旦那さま、詩のような台詞を何度も読み上げていました」
「詩……?」
ジークはほんのりと笑みを浮かべ、低い声で朗読を始めた。
『月の君よ、時を越えてなお、汝を選ぶ。三度目の春、我が誓いを再び汝に捧げん。』
わたしの目元が熱くなるのを感じた。
「……もしかして、全部、サプライズだったの……?」
「すべては、奥方のために。三周年記念の“月下の誓い”――劇と音楽と贈り物、そして花言葉を添えた演出」
「……わたし、最悪ですわ。浮気を疑って、調査までして……」
「信じるというのは、真実から目を背けることではありません。奥方が恐れたのは失うこと。それは、愛している証です」
ジークの声は、まるで遠くから吹く風のようだった。静かで、心の奥に触れてくる。
「これにて、ご報告は以上です」
彼は一礼し、そっと最後の封筒を差し出した。中には――舞踏会の招待状と、一通の手紙が入っていた。
―・―・―
月が満ちる夜、王都の西に位置する“星降りの庭園”では、静かに宴が始まろうとしていた。
「――奥方。ご準備は、よろしいですか?」
案内役の声が静かに響いた。
「……はい」
黒の外套を翻して、彼が扉を開けた先には、光があった。星の舞う庭園。水晶燭台が浮かぶように輝き、夜空に合わせた深藍の天幕が風に揺れている。
一歩、また一歩。
わたしの足元を導くように、花の香りが漂っていた。
その先に――彼がいた。
エルヴィン・ヴァルスト。
わたしの夫。そして、世界で1番大切な存在。
「ようこそ、リーゼ。ここは君のための舞台だ」
彼の声を聞いた瞬間、全ての不安が溶けていった。
「あなた……これは、いったい……?」
「君に言わずに準備したこと、許してほしい。でも、これは“再誓の夜”――婚姻三年目に、心を結び直す、古い祝祭のかたちだ」
「再誓……?」
「エルヴェル家ではもう廃れて久しい。でも、君が子どものころに語ってくれただろ? “本当に愛し合っている夫婦は、三年目の春にもう一度、誓いを交わすのだ”って」
「……覚えてたの?」
「忘れるわけない。君が夢中で語る横顔を、俺は一生分刻みつけたからな」
涙が込み上げそうになって、うつむいた。
でも次の瞬間、彼の手が、そっとわたしの頬に触れた。
「リーゼ。俺は君と一緒の未来が欲しい。三年前からもこの気持ちは変わらない。十年後も、その先も決して」
彼の手の中にあった小箱が、静かに開かれる。
中には、銀の三つ星が連なった首飾り。
その裏には、あの言葉が刻まれていた。
――To my first and only spring.
(私にとって初めての、そして唯一の春)
「……ああ、もう……」
言葉にならなくて、ただ彼に飛び込んだ。
「エルヴィン、わたしも……あなたとの未来が欲しいの。三度目の春も、何度目の春も……全部、あなたと」
彼の腕が、わたしの背を強く抱きしめた。
胸の奥がきゅう、と熱くなる。
そのとき――
「……リーゼ?」
舞台の脇から、聞き覚えのある声。
「リヴィア……とお母様……?」
わたしの名を呼んで、リヴィアが驚いた顔で立っていた。その隣に、口元を引き結んだままの母も。
「ねえ……これって……どういうことなの?」
「わたし……全部知らなかったの。エルヴィンが、わたしのために……三年目の春の、誓いを用意してくれていたの」
「えっ……」
一瞬、リヴィアの瞳が揺れて、それからふっと息をついた。
「……そっか。良かったぁ……心配して損しちゃった」
そして、少し肩をすくめて、苦笑い。
「ごめんね、リーゼ。浮気なんて言ってしまって……でも、本当に驚いた。まさかこんな……素敵なサプライズだったなんて」
「いいのよ。わたしの方こそ、心がぐらついて……リヴィアは私のことを思って話してくれたのだし」
「ありがと。それにしても、もう……ほんと、仲良すぎて呆れるんだから」
ふたりで笑い合ったあと、母がゆっくりと近づいてきた。彼女はわたしとエルヴィンをじっと見つめ、やがて、静かに口を開いた。
「……素晴らしい旦那様ね、リーゼ」
その声は、いつになく柔らかい。
「この演出といい、準備といい……なにより、貴女への気持ちが、全てに現れているわ」
「お母様……」
「貴女の見る目を、少し甘く見ていたようね。調べなさいなんて言ってごめんなさいね……本当に、立派なお相手だわ」
「……ありがとうございます」
隣でエルヴィンが、わたしの手をそっと握り直した。
夜風が花びらを運び、音楽が再び舞台に満ちる。
「リーゼ、踊ろう。この舞台は君のためだけに用意した」
彼の手が、しっかりとわたしの手を包み込んだ。
静かな音楽が庭園に流れ、まるで星たちも祝福しているかのようだった。
「幼い頃、君と出会った時のこと、覚えているか?」
エルヴィンの低くて柔らかな声が耳元に響く。
「ええ……あのときから、あなたの笑顔に胸が高鳴って……」
「その時から、ずっと君だけを想っていた」
ゆっくりと舞踏のリズムに合わせて踊るうち、彼はわたしの瞳を見つめ、静かに距離を縮めた。
そして、わたしの頬に優しく手を触れ、
「君が隣にいてくれることが、何よりの幸せだ」
そう囁きながら、唇がそっと重なった。
そのキスは甘く、深く、言葉よりも強い愛を伝えてくれた。
わたしも彼の胸に顔を埋め、心からの想いを返した。
「わたしも、あなただけを愛しています……永遠に」
―・―・―
翌朝、陽光の中で紅茶を淹れていたわたしに、エルヴィンがからかうように言った。
「なあ、ジークって探偵、なかなか癖あるな」
「……えっ、なんでジークさんのこと知ってるの……?」
「会ったんだよ。彼が君に報告に行く前に、庭でな。その時に色々と話してね。そこで招待状も預けたってわけ。そういえば、『まったく、愛が強い夫婦ってのは、調べ甲斐がある』って笑ってたよ」
「…………っ、そうだったのね。ごめんなさい。あなたを一度でも疑ってしまって…」
「気にしないで。それだけ、大事に想われてるんだなと思えたからね。でもまあ――サプライズで驚かせようと思ったらジークにほとんどバレてしまったのはびっくりしたけど。結果的に、もっと好きになってもらえた気がするからね」
エルヴィンの言葉に、リーゼはしばらく黙っていた。カップの中の紅茶が揺れ、陽の光がその表面にきらめく。
「……ほんとうに、驚かされたわ」
そう呟いた声は、とても静かで、どこか震えていた。
「わたし、少しだけ怖かったの。あなたの心が、遠くに行ってしまうような気がして。でも違った……あなたは、ずっとここにいてくれた」
彼女はそっとエルヴィンの手に自分の指を重ねる。
「わたしも、あなたのそばにい続けたい。これからも、何度春が巡っても、変わらずに」
エルヴィンは何も言わず、ただその手を包むように握り返した。
窓の外では、花びらがまた一枚、風に舞っていた。
まるで――
誓いが、ふたたび花開いたかのように。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
その人のことが大好きだからこそ、些細なことでも心配してしまう、というところをテーマに書いてみました!最近は、リアルな世界で浮気のニュースとかが多かったので、この作品を読んで少しでも気持ちが明るくなれたら嬉しいです…!
あと、補足ですがジークが調査内容の結果を詳細にリーゼに伝えていますが、それは直前に会って事情を聞いたエルヴィンがリーゼに心配をかけないように調査内容は詳細に伝えて良いと言った経緯があります!