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夏のある日。人を愛するということ。

作者: 神永 玲

「……で、結局どうしたいの」


目の前でうなだれる男に、私は本日三回目の言葉を言った。


「付き合いたいです……」


蚊の鳴くような声とはこのこと。男はとうとうテーブルに乗せた腕に顔をうずめた。毎回のことだ。

私は半分になったハイボールを飲み込んだ。この状況だってもう何回目だろうか。

端から見れば、酔った勢いで告白する男に白い目を向ける女、という図なのだが、実際には進展のない男の恋愛話を聞かされるだけなのである。こんなのもう、小説のネタにさえならない。

人を好きになること。

私が最も苦手とすることだ。


私たちは世間でいうところの華の大学生。

教室や飲み会に行けば、そこらで花が咲くのは恋の話。

だが私はまったくついていけなかった。

ついていけなさすぎて、悩みに悩んだ挙句にとりあえず経験値を上げてみようと、気になる人を作ってみたり(もはやこの時点でいろいろ間違っている)、幸運にも私に好意を抱いてくれた人と付き合ってみたりした。

でも結局そこで感じられたのは、私は孤独が好きだということだった。

死ぬために人間は生きている。全ては自分が満足して死ねるかにかかっているのだ。

だったら私は、私が満足して死ねるように私だけの世界で生きていこう。


夢や希望やロマンス?

そんなもん、小説(おはなし)の中で十分だ。


「なんで告白しないの?」

「なんでって、それは……」

「相手の子、同性で付き合うことに偏見ないんでしょ?」


目の前で項垂れるこの男――雨音くんは、サークルにいる同性の先輩に片思いをしている。友達も少なく、人見知りの雨音くんに積極的に声をかけてくれたのが彼で、次第に惹かれていったらしい。就職活動の忙しい最中も飲みに誘ってくれるのが嬉しいと、雨音くんは先輩の話になるといつも柔らかな表情になる。

そしてとにかく、顔がドストライクだそうだ。

……顔が好きって理由で始めた恋愛に、いい話聞かないけど。


「告って成就してもしなくても、私の小説のネタにさせてくれ」

「またそれかよ~」


口をへの字に曲げた雨音くんは、酔っぱらっていることもあって子どもみたいで可愛い。

雨音くんが弟なら、甘やかして毎日頭を撫でてあげたい。あ、それじゃペットと変わりないか。


「俺のことネタにして楽しいかよぉ……」

「相談に乗ってんの。ネタにするかはこれからの進展次第」


私は子どもの頃から小説を書くのが趣味だ。同じゼミ生である雨音くんと仲良くなったのも、私の趣味に興味を持ってくれたことがきっかけだった。こっそりネットに上げている作品をいくつか読んでもらったこともある。そのたびに雨音くんは「星井さんは小説家になれるよ!」と大袈裟に私を褒めた。

そんな雨音くんの言葉に、まんざらでもない自分もいる。


「明後日、会うんでしょ。その先輩と」

「うん……」

「なんか進展あるといいね」

「……うん」


先輩の顔を思い出しているのか、ふわりと顔が緩む。本気で恋してるんだな、その人に。

私たちはお店を出ると、八月の夜の蒸し暑い空気に身をさらしてそれぞれの家路についた。



 

 窓を開けると、まだ午前中だというのに照りつく日差しと熱風が室内に舞い込んだ。

マンションの下の公園を覗くと、小学生たちがこんな暑さの中でも元気に走り回っている。

あの子たちと同じ年くらいの頃、私はどんなことを考えて生きていたっけ?

クラスの誰かを好きになったり、友達と喧嘩しては仲直りして、普通の子どもだったはずだ。

そういえば、当時推していた芸能人が結婚発表したときはかなり動揺したな。なんの兆候もなく、私の超一方的な他人への愛は終焉を迎えたのだ。そして叫んだ。


『正月に結婚発表すな!』


現実なんていつもこんなもんだ。

他人に対して愛情を注ぐことに冷めてしまった私は、二度と推しなど作るもんかと心に誓ったのだ。

誰のためにも生きたくない。

ただ、自分のために生きていたい。

今が最高だという瞬間に、人生を終えたい。

愛した彼が誰かと幸せになったのなら、私も私だけの幸せを見つけてもいいのではないか。私だけの世界で。


そしていつの間にか、私は人に興味を持てなくなった。

自分だけの世界に浸っている時間を愛するようになった。友達の誘いを断るようになって、気づけばいつも一人だった。

それでも私は平気だった。小説を読んでいるときのように、自分の世界に浸っていればほかはどうでもよかった。

きっと明日世界が滅亡するとしても、なんの興味も持てないまま滅亡する瞬間をぼんやりと眺めているのだろう。

……なんて、絶賛恋愛街道まっしぐらの雨音くんが聞いたら「そんな人生もったいないよぉ!」って叫ばれるんだろうな。





二日後の深夜、雨音くんからメッセージが来た。


『進展なしです。でもやっぱ顔がいい』


結局顔かよ。

ほっとして返信する。


『また作戦会議――』


……ん?

なんで私いま、ほっとしたんだ?

雨音くんが恋愛成就してしまったら、作戦会議と称したサシ飲みができないから……。

可愛い弟が、どこの馬の骨とも知れない男に取られるような気持ちになるから……。


雨音くんは可愛い。

黒髪に白い肌。瞳が黒くてちょっとつり目だから、黒猫みたいだといつも思う。

センスのいい古着屋さんをたくさん知ってて、本人も柄シャツを着こなすおしゃれさんなのに、人見知りで恋愛には超奥手。

好きなタイプは「性別問わず、好きになった人」

学生生活を見ていたら、勉強もスポーツもなんでもそつなくこなす器用なタイプなのが分かる。でも本人は自分のことを不器用だと評価している。

そんな彼の口ぐせは「俺なんて……」

どう考えても二次元から出てきただろ、雨音くん。


そうだ。私が現実(リアル)の人間に興味を持つはずがない。

この異様な感情は、雨音くんがあまりにも現実離れしたキャラクターだから、つい引き込まれてしまっただけだ。

私は呼吸を整えると、メッセージの続きを打つ。


『また作戦会議しよう』


次の作戦会議の日程候補を送り、私はベッドに大の字になる。

いつか作戦が大成功したら、そのとき私はどんな感情が湧いているのだろうか。

人を好きになること。愛すること。

そんなものは創作の話だと思っている。

でもなぜだろう。雨音くんを見ていると、私もその創作のいちキャラクターに加わってしまったような気持ちになる。

私は作者であり読者。

私は私だけの世界で生きていくと決めた。

誰のことも好きにはならない。





「……で、結局またなにも伝えられなかったと」

「さようでございます……」


 五日後、私と雨音くんはお気に入りの居酒屋さんで顔を突き合わせていた。

恒例の「雨音くん恋愛成就作戦会議」だ。元々は雨音くんの恋愛相談会だったが、あまりにも奥手すぎて話が進まないため、「会議」と称して目標設定と喝を入れる飲み会になっている。

今回の作戦議題は、先週のデート(仮)の反省点と今後のアプローチについてだ。


「好きな人いるんですか~とか聞けた?」

「ん~……後輩の俺としょっちゅう飲んでるくらいだから、いないとは思うんだけど」

「いや聞けよ」

「だって好きな人いたらもう終わりじゃん……」

「聞かねーとわからんだろうが! なんでいつも君は……」


だめだ。雨音くんのこの奥手ぶりを前にすると、私の中の説教垂れるうざい上司がログインしてしまう。

私は手元のハイボールを一口飲んで、心を落ち着かせた。


「はっきりさせないと、こっちもどうアプローチすればいいかわかんないでしょ」

「そうなんだけど……」

「誰かほかに、先輩の近況知ってる人いないの?」

「俺が知り合い多いやつに見える?」

「……見えませんねぇ」


はぁ……と二人してため息を吐いて、静かにジョッキをあおる。


「……ほんと言うと、飲みに誘ってくれるだけで十分幸せなんだよな」

「雨音くん、それを言っちゃあおしまいよ……」


黒い瞳いっぱいに哀愁を漂わせて、雨音くんは黙ってしまった。完全にこの恋の進展を諦めかけている。

無理やり喝を入れるわけにもいかず、私も黙った。

重い沈黙が流れる。

ふと、雨音くんの後ろの壁に貼られてあるポスターが目に入った。


「花火大会……」


私の声に雨音くんが顔を上げる。ほら、とポスターを指さすと、くるりと壁を向いた。

地元で一番大きな花火大会の告知だ。私が幼い頃から毎年開催されていて、そこそこ知名度のあるものだ。開催日は一週間後だった。

途端に私の中でログインする、おせっかいなおばちゃん。


「誘ったら? 先輩」

「えっ、俺が?」

「あんた以外に誰が誘うの」

「いやでも……えぇ……」

「好きな人と花火大会……うん、いいね。ベタな青春って感じ」

「中学生じゃあるまいし……」

「次の作戦は『花火大会で告白!』に決定ね。ほら、今すぐ先輩に連絡!」

「ハードル高いってぇ……」


雨音くんはそう言いつつもスマホを取り出して、あーでもないこーでもないとメッセージの文言を散々悩んだ末、想い人を花火大会へ誘った。


「どうせ就活で忙しいから断られるよ」

「ま、断られたら私が一緒に行ってあげてもいいよ」


と言って我に返る。

私、いま……変なこと言ったな。

慌てて撤回しようと口を開いたら、雨音くんが「そのときはよろしく」と真面目な顔をして言う。

……あれ? なんか嬉しいぞ。

そして心の奥底で、断られたらいいのにとか思ってしまっている。


「会場の近く、いつも屋台出るよね。俺、好きなんだよな~」


ダメ元で誘ったからか、雨音くんはどこか余裕の表情だ。

私は氷で薄くなったハイボールを流し込む。

人の不幸を望むなんて、私はいつからそんな人間になってしまったのだろう。





それから数日はお互いに連絡しあうこともなく、各々の夏休みを過ごしていた。

私は朝から晩までバイトに明け暮れた。雨音くん以外に飲みに行く相手なんていないし、今後の作戦会議代(飲み代)のために少しでも稼ごうとシフトを増やした。

まだ雨音くんからなんの連絡も来ていないのに、カレンダーの日付けばかりを気にして過ごしていた。当日、いっそ浴衣を着て行こうかと考えている自分に気がついたとき、私は自分の中にある答えに直面せざるを得なかった。





花火大会前日、雨音くんからメッセージが来た。


『明日、一緒に行ってくれない?』

『花火大会』


胸が高鳴った。

が、はっとしてすぐに心を落ち着かせる。

私と一緒に行くということは、それはつまり、先輩に誘いを断られたということだ。喜んではいけない。

きっと例の先輩は雨音くんの予想通り、就活か実家に帰省する予定でもあったのだろう。

明日は励ましてあげよう。

私は『いいよ』と返事をして、あれこれ迷った結果、普段着ることのないワンピースをクローゼットから引っ張り出した。





屋台を回りたいという雨音くんの希望に合わせ、会場付近で待ち合わせた。

落ち合って早々に、雨音くんは私の姿に少し驚いていた。


「珍しいね、ワンピース」

「まぁ~たまにはね」

「似合ってるよ」


雨音くんにそう言ってもらえるのは嬉しいのだが、声が少し疲れている様子だった。

先輩となにかあったのだろうか。


「今週、忙しかった?」

「まあ、そうだね」


それとなくいろいろ聞いてみようかと思ったが、なんとなくやめておいた方がよさそうだったのでなにも聞かずに屋台を見て回ることにした。

焼きそばやたこ焼き、かき氷にりんご飴。いくつになってもお祭りの風景は心が躍る。

きつねのお面を顔の真横に被った雨音くんは、スーパーボールすくいで子どもたちと張り合ってボロ負けしていた。

しばらくすると、人波が同じ方向へ動き出した。そろそろ花火が上がる時間だ。

流れに沿ってゆっくり歩いていると、雨音くんが小さな声でつぶやいた。


「彼女と行くんだって」


言葉の意図が掴めなくて思わず雨音くんを見ると、困ったような表情を向けられた。


「先輩。花火大会誘ったけど、彼女と行くからって断られちゃった」


雨音くんの声は、騒がしいお祭りの中でもかき消されることなく私の耳に届いた。

はしゃぐ子どもの声。屋台の呼び込み。なにもかもを置き去りにして、雨音くんの声しか聞こえない。


「あの日、メッセージ送ったあとに『彼女できた』って返信が来て」


ドン、という大きな音とともに、花火が上がる。

それと同時に歓声を上げた人々は、立ち止まった私たちをどんどん追い抜いていく。

雨音くんは真っ直ぐ夜空を見上げた。


「先週、ずっと好きだった人にダメもとで告ったら、オッケーしてくれたんだって。それ、俺がやる予定だったんですけどーって、思わずつっこんじゃったよ」


花火は間髪入れずに観客を沸かせる。

でも私たち二人だけは、時が止まったように静かなままだった。


「星井さんの言う通り、もっと早くに好きな人がいるか聞いていればよかった」


また花火が上がる。

私は花火なんてどうでもよくなって、雨音くんの横顔を見つめていた。


「先輩のこと、好きになんかならなきゃよかったって思ってる。こんな日に振られたら、余計ショックだわ」

「それは……」


ようやく言葉が出たが、その続きをなんて言えばいいのかわからず、私はまた黙ってしまった。

雨音くんは瞳に花火を映しながら、ふふっと笑った。


「星井さんは優しいね。俺が傷つかないように、言葉を考えてくれる」

「……本気で恋をしている人を、ずっと見てきたからね」

「俺、先輩に『おめでとうございます』ってちゃんと言えたよ。えらいでしょ」


えらいよ、と言おうとしたけど、雨音くんの瞳に映る打ち上げ花火は小さな雫になって、やがて燃え尽きる前の線香花火みたいに頬に落ちた。

雨音くんは泣いているのを見られたくないのか、お面を少しずらしてずっと夜空を見上げている。

美しいと思った。

愛する人を想い涙を流す人って、本当にいるんだな。


「雨音くん」


きつねのお面が半分こちらを向く。


「かっこいいよ」

「……なに、急に」

「愛する人の幸せを願える君は、かっこいい」


雨音くんは私を見ると、眉毛を下げて困った顔をした。


「なんで星井さんも泣いてんの」


言われてようやく気がついた。私の頬にも涙が伝っていた。


「うるせぇやい。目にゴミが入っただけ」

「じゃあ俺も。そういうことにしといてよ」


二人して夜空の大輪を眺める。

私のこの恋に似た感情は、薄っぺらいものだったのだと突き付けられる。

私はやっぱり、本気で人を好きにはなれないようだ。

雨音くんの涙は、人を想う気持ちが溢れた涙。私の涙は、そんな美しさに敗北を感じた涙。

私はどこまでも、自分のことしか考えられないんだな。

でも、せめてそんな美しさと寄り添うことはできるかもしれない。

最後の大輪が打ちあがると、観客たちの拍手で花火大会は幕を閉じた。

それぞれの帰路を歩き始める人波に身を委ね、私たちもゆっくり歩き出す。


「俺の失恋、小説のネタにしていいよ」

「書いたら読んでくれる?」

「黒歴史えぐるみたいで嫌なんだけど……」

「雨音くんが最初の読者であって欲しいんだけどなぁ」

「読めるメンタルになったら読ませていただきますよ」


私たちは並んで歩く。

頭の中では、雨音くんをモデルにした主人公が失恋をきっかけに運命の相手と出会う話が浮かんでいた。もちろん、ハッピーエンドだ。


「私の新作小説、予言の書になったらおもしろいね」

「なんだそれ」



夏のある日。人を愛するということ。

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