9.護衛
先の前線パトロールから二週間が経過していた。
アニョウは、今日明日とは休暇を与えられた。そして、アニョウの住居として支給された集落の外縁にある粗末な小屋に居た。
新人の割に好待遇であった。平屋の小屋に一人暮らし。スパイ疑惑があるのであれば、誰かと同居させ監視させるべきであろう。
今まで参加してきた戦闘での戦績が、好条件での待遇となったのかもしれない。だが、それをアニョウに知る手立ては無かった。
上層部がどの様に考えているかは、下っ端の一人にすぎないアニョウに伺い知ることはできないのだ。
一部屋と倉庫だけの小屋。トイレと台所などの水回りは集落の共同施設を使う。逆に言えば、水回りを個人で所有している者は集落にはいなかった。
その部屋には、ベッドと窓際に設置された簡素な机とベッド、衣服を片付ける木箱が一つ。それだけがこの部屋の全てだった。
倉庫には何も入っていない。空っぽのままだ。身一つで集落に来たアニョウには使い道がなかった。
アニョウは、机の上でAK-47の分解整備を行っていた。
手元のAKは最初に手にしたコピー品でなかった。政府軍から鹵獲した正規品だった。
それも正規品の中から部品精度が高く、集弾性の高い物を選別した。その内の二丁をルウィンの許可を得て、アニョウの専用品として支給されていた。
二丁のうち一丁は常時使用として、もう一丁は整備用の部品取りにしていた。
ついでに護身用のハンドガンとしてマカロフが支給されていた。当初はトカレフTT-33を渡されたが、セーフティーが無く常に携行する時は、薬室から弾薬を抜いておかなければならなかった。そうしなければ、ハンマーをポケットに引っ掛けて、はじくだけで暴発する。そんなことで大けが、または死亡することは絶対に避けたかった。
それにシングルアクションであった。シングルアクションとは、撃鉄をあらかじめ自力で起こし、引き金を引くことで撃鉄が落ち、弾丸が発射される。
対してマカロフはセーフティーが有り、ダブルアクションである。シングルアクションと同じ動作も可能だが、引き金を引くだけで自動的に撃鉄が起き、そのまま落ちて弾丸が発射される。
つまり、撃鉄を起こす手順が減る。その分、引き金が重くなるが、突発的な遭遇戦でその一手順があるかどうかで生死を分ける。
さらにトカレフであれば、弾倉から薬室に弾薬を装填する手間が増える。これは咄嗟に撃てない。致命的弱点である。これは看過できない。
ゆえにルウィンに無理を言って、トカレフではなくマカロフを要望したのだった。
要望が通らなくとも良い、通れば幸運にしか考えていなかったが、アニョウの要望はすべて叶えられた。
ただ、その時のルウィンの目は恐ろしく鋭い眼光であった。
「ふむ、アニョウ。お前の要望はもっともであり理に叶っている。だが、その知識はどこで手に入れた?記憶が戻ったのか?」
ルウィンの声が低い。疑心に塗れた声だ。
「いや、戻っていない。だが、何故か知っていた。説明はできない。記憶にあった。」
「お前の立場は危ういことを理解しているのか?そんな提案を平気で俺のところにもってくるとは正気か?」
「俺は死にたくないだけだ。生存率を上げるためならば、どんな提案でもする。それがスパイ疑惑を生もうがどうでもよい。」
「俺の装備として、本部には申請しておいてやる。記憶がほんの少しでも戻れば正直に話せ。悪い様にはしない。
俺はな、戦力として純粋に期待している。お前がどこのスパイであろうが、俺の戦術を成功させ、部隊に被害を出さないのであれば見逃してやる。」
「理解した。背後から撃たれぬよう約束する。」
そんなやり取りがあったことを銃身のライフリングを磨きながらアニョウは思い出していた。
どうやら、ルウィン隊の戦績はレジスタンスの中で飛び抜けて優秀なようだった。それもアニョウが加入してから、急激に戦績が良くなったらしい。
その褒美がこれら銃器の優遇らしい。
ルウィンは、アニョウを更にこき使うつもりなのだろう。
だが、それでも良い。生存性が高まる武器を装備することはアニョウにとっても良いことなのだ。
―それにしても分からない。なぜ、俺がそんなことを知っている?俺は民間人ではないということか、やはり、ルウィンが言うように軍人だったのだろうか?
ならば、このあたりの軍人といえば政府軍。そんな人間を使い続けるとは…。解せぬ。―
現在のところ、新たな記憶は戻っていない。
新装備が支給されてからも通常軍務の一環としてルウィン隊は前線パトロールを行い、政府軍の斥候を排除し、情報と武器の収集を進めていた。
あれからのティハの口数は少なかった。笑顔も減った。逆に訓練では声を荒げ、訓練を受ける兵士への当たりが強かった。
なぜ、狂乱したのか。なぜ、あの一兵士だけを集中的に狙ったのか。何もわからない。ティハは何も話さない。ルウィン隊の皆は、誰もそのことに触れない。
―それでいい。俺の過去も誰も知らない。なら、ティハの過去を知らなくても問題ない。戦場でバディとしての連携は取れている。それ以上を求める必要は無いのだ。―
アニョウはそう自分に言い聞かせ、ティハの過去を知ろうとはしなかった。
アニョウが知るべき時がくれば、ティハが話す。そう信じて…。
「ねえねえ、アニョウ。知ってる?」
ティハが前触れもなく、小屋の窓から家の中を覗き込む。久しぶりの笑顔を見せていた。どうやら、心の整理が済んだのだろう。
「何をだ?」
アニョウは、それに触れず普段と同じ対応を心掛けた。
「バザーだよ。明日ね、商隊が来るの。三か月ぶりかな。今回は何があるかな?今から楽しみ!」
「バザーでは何が買えるんだ?」
「服にアクセサリーに化粧品。あ、アニョウはそんなの興味ないよね。アニョウなら、ナイフ、ホルスター、弾倉ベルトかな。あとは嗜好品かな。」
「嗜好品はどんな種類があるんだ?」
「うんとね、飴、チョコ、ガム、たばこ、酒だったかな。」
「何か欲しい物があるのか?」
「支給品で生活はできるけど、バザーを見るだけでも楽しいよね。」
「そうだな。ここは娯楽が無いからな。」
「で、先輩として命令します。明日は私を護衛しなさい。」
「護衛ねえ…。」
「何よ、その目は。そりゃ、私に護衛は必要ないかもしれないけどさ、一人でバザー回るのって寂しいよね。分かるよね。」
「仕方ない。命令だから、護衛してやるよ。だが、俺は金を持ってないぞ。誇張抜きでだ。」
「大丈夫。ルウィン隊長から私とアニョウの分をさっき貰ってきた。」
「そうか。ならば、俺の分をくれるか。」
「駄目。私が預かるね。護衛終了後に渡すよ。」
「俺の金だろ。バザーで使えないだろ。寄越せ。」
「却下です。必要になれば、都度申請するように。」
「俺の金だろ。自由に使わせろ。」
「護衛が最優先です。」
「お前の護衛をする必要性が無い。」
「俺は酒が買えればいい。金を寄越せ。」
「却下です。私を護衛しなさい。」
「いったい何から護衛をするんだ?誰に命を狙われているんだ?」
「美少女さんは不良に絡まれるのが定番なんだよ。」
「細マッチョ少女ならば、俺の目の前にいるが。」
「私の体を見たの?変態。覗き魔。変質者。」
ティハは両腕を胸元で交差させ、身体をくねらせる。
「見たことも覗いたこともない。あと、先に言っておくが、その予定もない。」
「いいから付いてきなさい。
「ふむ、そういうことか。」
「え、なに?」
「バザーの間、ティハから一時も離れるなということだな。デートをしたいと。」
「ち、違うもん。そうじゃないもん。明日、迎えに行くからね。護衛命令だからね。」
ティハはそう叫ぶと走り出した。その耳が赤く見えたような気がした。