7.怒鬼
戦場の空気が急激に下がる。アニョウの肌を冷たい風が包む。
ジャングルの動物たちの鳴き声が消え去り、その中に藪を払いのける音が混じる。
さらに泥を踏みしめる音と銃器の金具が鳴る音が加わる。
非常に小さな音だが、ジャングルの気配が一変するには充分だった。
罠にかかり、重傷を負った兵士の呻き声を頼りに政府軍の本隊が近づいている様だ。
「ミョー、人数は分かるか?」
部隊長のルウィンが部隊で最も耳が良いミョーに声をかける。
「恐らく十人前後。一塊になってますね。真っ直ぐこっちに向かってます。」
「戦場で密集陣形とは舐めたことを。生きているトラップはあるか。」
「左百メートル地点と前方二百メートル地点にあります。」
ミョーの報告を聞くとルウィンは顎に手をやり、考え込む。
―戦術を考えているのだろう。敵はこちらの倍。逃げるのか、迎撃をするのか。さあ、どちらだ。―
アニョウにはルウィンの答えが分かっていた。逃げるのであれば、罠の位置を聞く必要は無い。このまま静かに戦場を去れば良いのだ。
罠の位置を確認するということか、迎撃をする気であるということを示していた。
「告げる。この場にて一斉射し、前方の罠に誘導。
その後、左方へと移動しつつ一斉射。更に左方へ移動し敵部隊の後方へ回る。
さあ、敵部隊を罠にかけるぞ。
斉射後は速やかに移動だ。足を止めるな。敵の銃弾が飛んでくるからな。いいな。」
『了解。』
ルウィン隊の五人が敵部隊へAK-47の銃口を向ける。被弾面積を下げる為、膝撃ちの姿勢だ。
「撃て。」
ルウィンの号令と同時に斉射し、前屈みのまま走る。
繁みの向こうから乾いた発砲音が数秒続き、枝、葉、蔓を吹き飛ばしていく。先程までアニョウが居た位置を通過していく。
「よし、撃て。」
ルウィンが命令を下す。
アニョウ達は走りながら、敵の発砲地点へ一斉射を繰り出す。
すぐに反撃の銃撃が加えられるが、すでに走り過ぎ、そこにはアニョウ達はいない。
敵の発砲音が確実に近づいてくる。次の瞬間、悲鳴がジャングルに轟いた。
「ギャー!」
「いてえ~!」
丁度、トラップゾーンのある辺りだった。敵はこちらの誘導にかかり、トラップゾーンへと足を踏み入れた様だった。
今頃、先程見た惨状が繰り広げられていることだろう。
敵の銃撃が止む。救出作業に入ったのだろうか。この場所からは植生が濃く見通すことはできない。
アニョウ達は、次の目的地点へ到着し静かに藪に潜伏した。
ルウィンが小さな望遠鏡を取り出し、敵情を見る。
「よし、三人が罠にかかった。残り七人。一斉射してこちらに誘き出し、罠にはめる。上手くいけば、更に敵勢力を半減できるだろう。そうなれば、戦力比は逆転する。この戦闘、勝つぞ。」
ルウィンの目が血走っていた。
敵の血に酔ったのか、暴力に酔ったのか。
それとも過去に何かあり、政府軍への怒りが込み上げているのだろうか。
その全てだろうか。レジスタンスに参加する者は、何かしら重たい理由があるものだ。
アニョウが簡単に足を踏み入れてはならない領域なのだろう。
「敵は救助を中断した。こちらを探している。一斉射用意。こっちの罠に引き込むぞ。」
『了解。』
アニョウ達は再び遮蔽物からAK-47の銃口を突き出し、敵を狙う。
「撃て。」
銃口から火を噴き、無数の銃弾が敵へと飛ぶ。効果は確認しない。
反撃が来る前にすぐに走り出す。
遅れて反撃の銃弾がアニョウ達の背後を通り過ぎる。だが、弾幕は先程より薄い。
「撃て。」
さらに走りながら一斉射を加える。これで弾倉は空になった。走りながら、弾倉を入れ替える。無論、空になった弾倉を捨てる様なことはしない。これは何度も再利用する重要な部品だ。弾薬は補給されても弾倉が補給されることはまずない。自分達の手で一発一発、弾倉に手作業で込めるのだ。それが当たり前なのだ。
空弾倉を弾倉ポーチの一つに仕舞い、満弾倉をAK-47に叩き込み、コッキングレバーを引き、弾丸を薬室内に送り込む。これで発射準備は完了した。
アニョウは手元を見ることなく、走りながら数秒で流れる様に弾倉の交換を終えた。
次の目的地へ滑り込む様に静かに隠れる。
他の者達も滑り込み、弾倉交換を始め、敵へと銃口を向ける。やはり、アニョウの弾倉交換の手際の良さは際立っていた。
「待機だ。奴らが近づくのを待つ。」
ルウィンの命令通り待機に入り、アニョウ以外は全力疾走による息の乱れを深呼吸で整える。
アニョウ一人だけが涼しい顔でAK-47を構えたまま、敵を凝視していた。
七人の敵は、罠に警戒しつつアニョウ達の方へと慎重に歩みを進める。足元へ注意力が集中し、周囲の警戒が散漫になっていた。
「撃つな。まだだ。距離二百になるまで撃つな。」
ルウィンは囁くように皆に指示を出す。囁きのような小さい声は敵に気づかれないためだ。
敵の姿は距離三百メートルだった。あと百メートル待つ必要がある。AK-47の交戦距離は二百から三百メートルが適正だと言われている。命中率を考えなければ、もっと遠くまで銃弾は届く。
だが、戦争は経済活動に似ている。金と同じで、銃弾は無限ではない。持ち運べる量は限られている。一弾倉の重さが約七百グラムと重たいのだ。
それを一交戦の基準とされる装填している弾倉と予備の四弾倉を持てば、三キロ以上の重量となり意外に多くの弾薬を持ち運べないのだ。
特にAK-47の銃弾は、M-16の弾と比べると大き目だ。その分、運動エネルギーは高い為、敵に重傷を負わせ、レベルの低いボディアーマーならば貫通する。だが、携行できる弾数は減る。
つまり、弾数を計算して使わねばならない。むやみにばら撒けるものではない。
最大限の効果を発揮する様にしなければならない。
それが優れた指揮官であり、兵士でもある。
ルウィンの命令するところを皆が理解していた。
「引きつけて、確実に当てろ。この場で一弾倉打ち切っても構わん。敵の意識からトラップゾーンを消すぞ。」
『了解。』
近距離で確実に至近弾である濃密な弾幕を浴びせることで、敵が動揺し、トラップゾーンに突入することを期待しているのだ。
敵がトラップにかかれば、弾薬を節約しつつ、七人を全滅させることも可能だろう。
敵が予定の二百メートルへと近づく。
「射撃用意。撃て。」
ルウィンが命令を下す。
アニョウ達は一瞬の遅れも無く引き金を引く。
敵の集団へと無数の弾頭が襲い掛かる。空薬莢が右前方へ目まぐるしく排出されていく。
アニョウは指切りではなく、引き金を引き続ける。目の前まで密集隊形にて迫った敵であれば、フルオート射撃でも命中率は下がらない。
中央にいた兵士を中心に着弾する。AK-47の集弾率の悪さを表すように、四方八方に弾が散る。そのあおりを受け、周囲の四人の兵士の胴や手足に潜り込む。
潜り込んだ弾は、そのまま貫通するのではなく、絶妙に計算された回転力が体内で斜行し、体組織を運動エネルギーで破壊していく。
銃撃から逃れた敵はその場に伏せ、反撃を試みるも数発の銃弾が発射音のあと、続いたのは悲鳴だった。
「ギャフ!」
「グモッ」
言葉にならぬ悲鳴を兵士達が上げる。
トラップゾーンに自分から全身で飛び込んだのだ。
乱杭が敵の体を貫く。
長い乱杭、短い乱杭が入り交じり、敵の臓器を貫く物もあれば、表層の筋肉で止まる物があった。その痛みにより引き金を引いたのであろう。ゆえに発射音の後に悲鳴が続いたのだろう。
効果は絶大だった。敵は全滅だ。そして、こちらには被害が無かった。
「射撃終了。」
ルウィンが効果ありと判断し、射撃を止めさせる。
「各自、反撃に注意し、近づくぞ。士官は殺すな。情報源だ。」
『了解。』
射撃を中断し、警戒しつつ地面に倒れ、苦痛に呻いたり、四肢を痙攣させたり、ピクリとも動かぬ敵兵達へと慎重に近づく。
無論、レジスタンスが仕掛けた罠にかからぬよう、安全地帯を通る。安全地帯は、蛇が進む時の様に曲がりくねっており、真っ直ぐには近づけなかった。
アニョウ達は徐々に近づき、敵兵の顔がはっきりと判別できる距離まで前進した。
突如、アニョウの隣から殺気が急激に膨れ上がる。
殺気は熱く、激しく、重く、そして昏い。
「死ね。」
ティハがそう一言だけ発する。アニョウが止める暇もなかった。
密林に銃声が響いた。三十発で銃声が途切れ、すぐに銃声が続く。それが三度続いた。
敵兵は百二十発の銃弾を一身に受け、肉と脂と血を周囲に撒き散らし、骨すらも砕かれ、一瞬で挽き肉と成り果てた。
ティハが全ての弾倉を撃ち切ったにも関わらず、未だに引き金を引き、銃口を挽き肉へと向けていた。
ティハの眦は吊り上がり、眼球は血走り、食いしばった歯からギリギリと擦れる音が聞こえる。
肩を激しく上下に揺らし、鼻息が荒い。それは十代の可愛い乙女ではなく、怒りの権化である鬼だった。