6.相棒
ルウィン隊は、銃声を聞きつけ、駆けつける敵を藪の中で待ち続けていた。
そろそろ三十分が経過しようとするが、増援が現れる気配は未だに無い。
ジャングルの鳥獣達は、いつもの様に鳴き、人間の気配を察知した様には見えなかった。
そんな中、アニョウは気が弛んだのか、先の戦闘を反芻していた。
―俺は迷わず人を殺した。隊長格に銃弾が吸い込まれる手ごたえを感じた。
なぜ、引き金を引くのに躊躇いが無かった。
手ごたえを感じるとは何だ?
触れもしないものに手ごたえがある訳が無い。何、馬鹿なことを言っている。いや、熟練者なのか。だから、手応えなどと言えるのか?
なぜ、今もこんなに落ち着いている。人殺しだぞ。動悸、発汗などあって当たり前だろう。
なのに、心臓は一定のリズムを刻み、呼吸も浅く、ゆっくりだ。ジャングル特有の熱気で汗を掻いているが、冷や汗や興奮の汗は無い。
俺はいったい何者なのだ?
俺はジャングルに全てを落としたのか…。
善性も、良心も、倫理も。そして、過去も…。―
アニョウは、ルウィンが言った通りに迷いなく引き金を引いた。紛れも無い事実だ。
その事に何も後悔をしていない。また、殺人に対してショックを受けていない。
戦場で引き金を引いて、弾をバラ撒いただけでは無い。たまたま、当たった訳でもない。
敵を肉眼で捉え、照準を合わせ、迷うことなく、引き金を引いた。
弾丸が兵士の心臓周辺に吸い込まれ、血が噴き出す処も見ている。
新兵ならば、照準を合わせるのに震え、引き金を引くのに指が固まり、射殺した後に罪悪感に襲われ、胃の中の物を撒き散らすだろう。
だが、アニョウは違った。機械的に反射的に仕事として引き金を引いた。
まるで職業軍人か機械の様だ。それとも殺人鬼なのだろうか。
背後で人が近づく気配がした。思考が止まり、警戒体制へと自然と移行した。
味方である事と殺意が無い為、そのまま近づけさせる。
その人物は足音や装備の雑音を鳴らすことなく、アニョウの背後をとった。いや、正確には取らせた。
―ここで変に防御姿勢でもとれば、余計な勘繰りをされそうだ。―
そんな面倒事から逃れる為だった。
背後を取ったのは、部隊長のルウィンだった。
そのまま、アニョウの肩を抱く様に背中から覆い被さり、周囲には聞こえない小さな声で耳元に囁いた。
「アニョウ、俺の言った通りだろ。お前は人殺しだってな。
その証拠にお前は何も罪を感じていない。引き金を引くのに、躊躇いすら無かったな。
命令、即射殺。見事な条件反射だ。お前は立派な職業軍人だ。諜報員とは違う様だな。
さて、どこの所属だろうな。政府軍、アメリカ、中国。あと考えられるのはロシアか。
いや、傭兵や軍事会社の可能性も有るか。さて、人を殺して何か思い出したか。」
ルウィンに記憶のトリガーが発動していないか聞かれるも、何も新しい記憶は蘇らない。
ただただ、冷静沈着である自分自身を第三者視点で俯瞰しているかの様だ。
「いや、何も思い出してない。それに何でこんなことができるのか、面くらっている。」
「そうか、記憶のトリガーにならなかったか。つまり、戦争はアニョウの日常ということか。」
「戦争が日常って、そんな人間がいる筈が…。」
「何を言っている。俺達の日常は戦争だ。
それにウクライナ、アフガニスタン、イスラエル、南スーダン、ソマリアは日々戦争中だぞ。まだまだ、国名は挙げられるが切りが無いな。
戦争は地球上のそこらにある。
ただ、戦争を直接していない国が平和だと勘違いしているにすぎない。
いや、国ではなく国民なのか…。国は戦争を意識しているが、国民は意識外にある。
平和ボケと言えば良いのか。そうだな、日本がそうかもな。
隣国のロシアと北朝鮮が、ウクライナやアフガニスタンと戦争をしている。
中国は、内部の少数民族と紛争を続けているが、表に出ないだけだ。それにインドやパキスタンとも小競り合いをしている。
そのインドとパキスタンも敵対関係にあり国境争いを定期的に起こしている。
でも、遠い場所での出来事。戦火が日本に及ぶことは無い。自分達には関係ない。
と、日本人は思っているのだろうな。
日本周辺の独裁者の気分次第で、いつでも攻められる状況に置かれていると気付いていない。
突然、対地ミサイルが軍のレーダーサイトと飛行場を襲い、間髪入れず戦闘機が飛来し軍事基地を爆撃する。対抗手段を失ったところで、艦砲射撃と魚雷攻撃が軍港を破壊する。
攻撃国に占領する意志がなければ、核兵器を主要都市に撃ち込んでしまえばいい。敵を滅亡させるだけなら一番単純な方法だ。
日本は資源が無い技術と経済だけの国だろ。俺なら占領の必要性を感じないね。後者が簡単だな。
俺が中国の独裁者ならば、日本を核の炎で灰燼にし、不沈空母として活用する。これで太平洋に何の遠慮も無く自由に出られるし、太平洋の開発もできる。
西側諸国が文句は言うだろうが、滅んだ国に軍を派遣することは無い。旨みが無く、軍事費だけを垂れ流し、回収見込みが無いのだからな。
そんな危険な状況であると何人が想像しているのかな?
それに韓国へ観光に行く日本人も多い様だが、韓国は戦争継続中だぞ。
北朝鮮と停戦をしているだけで、いつ、国境近くのソウルが蹂躙されてもおかしくない。そんな危険地帯に自ら乗り込んでいる。
日本人は、想像力もないお気楽な人種だよな。完全に平和ボケしている。うらやましいよ。
俺だって、そんな世界に生きたかった。
だがよ。この国だって軍事クーデターが起きなくとも、隣国との軍事圧力と国境の小競り合い。麻薬マフィアによる自治区。キナ臭い話は前からあったんだ。
男ですら夜は一人で出歩けねえ。
平和なんて遠い世界の話だ。」
ルウィンが珍しく饒舌だ。心の重しが外れたかの様だ。
「すまん。世界情勢も知らず、きれいごとを…。しかし、ルウィンは物知りなんだな。」
「いや、俺も言い過ぎた。内戦を五年もやっていると心が荒むのだろうな。
俺は高校で政治学を教えていたんだ。だから、世界の状況を知っているし、今も情報を集める様にしている。もしかすると俺達に味方する国が現れるかもしれない。まあ、五年たっても国連ですら何もしてくれん。期待はしてないさ。
自分達の国は、自分の力で正す。どこかに頼れば、付け入る隙を与え、侵略の口実となる。
時間はかかるかもしれないが、必ず自由をこの手に取り戻す!
アニョウ。情報と知識は武器になる。これだけは覚えておけよ。
こんなところで愚痴を聞いてもらって悪かったな。」
「いや、勉強になった。」
「まあ、せいぜい色々経験して、記憶のトリガーを探してくれや。」
「ああ、わかった。」
ルウィンは言いたいことを吐き出すとアニョウの元を離れた。
まだ敵の援軍は来ない様であった。
また新たな気配がアニョウの背後に表れる。今度はティハだった。ティハが垂れ流す熱く鋭い殺気がアニョウの肌をひりつかせる。ゆえに振り向かずとも気づいた。
アニョウの隣にうずくまり、肩を触れ合いさせながら耳元に囁く。
「ねえねえ、あの隊長がすごくすごく長話をしていたけど、何の話だったの?」
ティハは好奇心を顔面から溢れさせながら、アニョウへと訊ねた。
アニョウは返答に困ったが、一言で済ませる言葉を思い出したのだ。
「世界情勢について。」
ティハはキョトンとし、目をパチパチする。予想外の回答だったのだろう。
「え、そんなのを長々と。嘘?」
「本当だ。記憶が無い俺の状況認識を正してくれた。どうやら、俺は本気でこの戦争に取組む必要がある様だ。」
「本気なの?アニョウには関係ない戦争かも知れないよ。」
「そうなのかもしれない。だが、俺には行く当てがない。居場所はここしかない。ならば、全力で居場所を守るしかないだろう。」
「それって、レジスタンスとして戦うことだよね。」
「ああ、人を殺すということだ。正義と言う名の妄想の元にな。」
「ああ、ちゃんと理解しているんだ。ふ~ん。じゃあ、私とバディを組んで。」
「相棒、ツーマンセルの事か?」
「そうだよ。私は男がすごくすごく嫌いなんだよ。だから、隊長が勧めてくる人たちを片っ端から断ってた。
でも、アニョウからは下心とか下劣な視線を感じないんだよね。それなら、アニョウとバディを組めば、隊長から嫌な奴を勧めてこなくなるよね。」
アニョウはこの数ヶ月を思い返す。
―男であれば性欲が発生してもおかしくない筈だ。指摘通り、俺は何も性欲を発しなかった。
治療による生命力の温存、日中の軍事訓練のシゴキによる発散など理由は幾らでもつけられる。
それにティハや集落の女を、やましい目で見つめたことは一度たりともないな。
頭を強打したせいなのか?それにより脳の性欲を司る部分が破壊されたのだろうか?
確かにおかしい…。何故だ。それとも、女ではなく…。いや、違うな。男にもその様な気持ちが起きたことが無い。
ティハに指摘されなければ、気付かないことだったな。いったい、俺に何が起きているんだ…。―
ティハの指摘で新たな自分を発見したアニョウであった。
「男と組みたくない理由はわかったが、なぜバディに選んだかを聞いておこうか。」
「そうだね~。まず、射撃が上手い。集弾率の悪いAKを指切りで敵の背中に着弾を集めてた。」
「俺が指切りをしていたのか。無意識だな。」
指切りとは、銃の引き金を数発発射する度に元に戻し、集弾率を上げ、弾薬の消費を抑える技である。小まめに引き金のON・OFFをすることになる。
それを無意識にアニョウがしていたとティハは言う。
「次に足運び。ジャングルの移動って泥や根や蔓で障害物一杯でしょ。なのに体幹が揺れず、静かに移動するなんてすごい運動神経だよ。」
「ジャングルで数ヶ月暮らしていれば、そうなるだろう。別に不思議じゃない。」
「いやいや、すごくすごくズバ抜けてるよ。お姉さんの目は誤魔化せないよ。
で、そんな悪路を数時間歩いてもスタミナ切れを起こさない体力。化け物でしょ。」
「お前が散々軍事訓練で苛め抜いたからだろう。俺だけ他の兵士より数倍、動かしやがって。体力が付いて当り前だろう。」
「それを当たり前と思っちゃうところが凄いんだな。一般兵ではできないことをしてきたんだよ。十分、すごいよ。
でね、一番気に入ったのは、目だね。」
「目?視力はそんなに皆と変わらんぞ。」
「違う違う。周囲をよく見ているというか、背後にも目が付いているというか…。何だろ?何て言えばいいのかな?まあ、私の忍び寄りに気づいてたでしょ?」
「無論だ。あれだけ気配を垂れ流していれば、寝ていても気付く。」
「その気配って何?普通、感じないよね。私は忍び寄りって言ったよね。つまり、私の中では息を押し殺して、音を一切立てずに近づいたつもりなんだけど。
それなのに何。アニョウは声も出さない。肩もビクッとならない。私の質問に当たり前の様に受け答えしてるし、有り得ないよ。」
「ああ、あれで隠密行動だったのか。すまん、普通に近づいてきたと思っていた。
隠密行動をとるならば、殺気は心に押しとどめて置け。俺の肌がひりつく。」
「う~ん。その感覚がわっかんないんだよね。目に見えないし、匂いも無い。そんなもののせいで肌がひりつく?訳、分かんないよ。」
「言われてみれば、確かにそうだな。俺は何故、そんな芸当ができるんだ?真っ当な二元ではないのか?」
「多分、堅気じゃないよね。軍人やってたんじゃないかな。で、記憶が無くとも身体覚えている訳。今まで生き残ってきた軍人なら経験豊富だからバディに頼もしいよね。
そこに私への色目を使わないのは高得点だよ。
ね、バディを組もう?」
「正体不明の俺で良いのか?政府軍の人間かも知れないぞ。」
「いいよ。その時は9ミリパラの弱装弾を四肢の先から撃ち込んで、じっくりといたぶり殺すから。それまで仲良くしよう。」
アニョウは溜息を一つつき、ティハの顔を覗き込んだ。冗談ではなく、本気でバディを望む眼であった。
アニョウは黙って右手を差し出した。すかさず、ティハは右手を握りしめた。固い握手が結ばれる。ティハの掌は、年相応の少女に似合わず、皮膚は硬く、ゴツゴツとしていた。
それだけ訓練と戦闘を多数経験してきたのだろう。
「私の背中は任せたよ。」
「俺の背中も頼む。」
アニョウがレジスタンスに加わり、戦友が初めてできた瞬間であった。