5.接敵
ルウィン隊は、パトロールを開始し、集落から徒歩三時間の距離にある緑深い繁みに潜んでいた。密集した樹木には蔦が絡まり、地面からは鬱蒼とした草々が生えている。
頭上は葉が生い茂り日光を遮る。周囲は薄暗く、視界はやや悪い。
「一時方向から足音を確認。」
密林に獣や鳥の声が響く中、耳の良いミョーが報告を上げたのが発端だった。
敵と邂逅したのだ。
「全隊停止。隠密行動。敵の数と進行方向はどうだ。」
ルウィン隊の全員が近くの繁みに散開し、息を殺し、微動だにしない。
ジャングルに住む鳥や獣の鳴き声が、余計に耳につくようになる。
アニョウも耳を澄ませるが、ミョーが報告する敵の音は聞こえなかった。
どうやら、ミョーの耳の良さは特別製の様だった。
じめじめした熱気がアニョウ達を包み、じっとりとした嫌な汗を掻かせる。その汗は、湿気だけだろうか。接敵による緊張も含んでいるのかもしれない。
「一時方向から十一時方向へ平行に移動中。数は…五。一個分隊。」
耳を澄ましていたミョーが報告を小さな声で報告を上げる。
「ふむ。その先にトラップゾーンがあったな。そこに追い込む。」
「隊長、まだ敵か味方かの判別がついてないよ。」
ティハが重要なことを指摘する。別勢力を発見しただけなのだ。
敵味方の識別の必要性があった。
「トラップゾーンに到着するまでに見極める。ただ、この地区に友軍が展開するとは聞いていない。恐らく敵だ。気を緩めるな。」
「そういうことね。了解。」
ティハが深呼吸をし、AK-47の銃把を握り直す。心を哨戒モードから戦闘モードへと移行させた様だ。それはアニョウ以外の隊員全員が同じだった。
アニョウは、まだリラックスをしており、戦闘に入る実感が湧かなかった。初陣なのだ。
―これから人殺しをするのか。人に向けて銃を撃つ。俺にできるのか?本当に?―
そんな疑問が脳裏を占めていた。だが、そんな悩みも時間と共に霧散していった。
「隊長、敵を誘導する必要ありません。まっすぐにトラップゾーンに向かっています。」
「よし、追いかける。」
『了解。』
部隊は静かに敵を追いかけ、トラップゾーンへと移動を開始した。
敵に追随している内に姿が樹々の隙間から見え始めた。敵の分隊は、獣道に沿って進軍をしていた。
兵士達は統一された綺麗な迷彩服、ヘルメット、整備された正規品のAK-47を持ち、装備は整えられていた。履いている長靴も行軍により泥に塗れているが、手入れが行き届いている。
さすがに熱帯の暑さの為か、ボディアーマーまでは着用していない。ボディアーマーは、防弾チョッキとも呼ばれるが、現状の防護性能には似つかわしない名だ。
銃弾だけでなく、手榴弾の爆発による破片、砲弾の欠片から身を守る物へと大きく進化している。防弾レベルも大まかに分けて、ⅠからⅣまである。Ⅲ-Aまでは拳銃弾を受け止め、Ⅲからアサルトライフルの銃弾を受け止められる。Ⅳになると徹甲弾をも止める。
防弾レベルが上がる程、大きく重くなり、動きを阻害するため、着用を嫌がる兵士も増えてくる。政府軍に支給されているボディアーマーは、レジスタンスが使用するAK-47を受け止められるレベルⅢだが、十キログラムもあり、通気性も悪く、着用している兵士を見ないとのことだ。密林の樹々の隙間や藪を突き抜け、泥濘の道を踏破するには荷物にしかならないからだ。
今、目の前に居る兵士達もボディアーマーを装備していなかった。
ルウィンが小型の望遠鏡で敵を覗く。
「軍服に縫い付けられた軍章は、間違いなくカウンジー連邦の正規軍のものだ。」
つまり、これにより敵であることが確定した。
一方、レジタンスである剛毅解放団の装備は、様々な迷彩模様のシャツと深緑系のパンツ。よれよれの革ブーツか布製のブーツ。
ヘルメットも無く、武装はコピー品のAK-47のみ。
弾薬以外の装備に共通性も無く、明らかに貧弱な装備だ。敵の数も五人。こちらも五人。
相対的に見て、装備面では剛毅解放団の負けであった。
だが、戦闘経験は剛毅解放団の方が上回っている様であった。
足音の消し方、身体の動き、その点に関しては、間違いなく剛毅解放団が優れている。
となれば、勝敗を決するのは戦術となるだろう。
―どちらの指揮官の頭脳が優れているかが勝負どころか…。―
戦術は隊長の指揮にかかっていると言える。
―お手並み拝見。―
そこでアニョウは、己に精神的・肉体的変化が全く無いことに気が付いた。
―緊張をしていないだと…。これから殺し合いをするんだぞ。動悸や発汗があってもおかしくないだろう。いや、あるべきだ。だが、俺は落ち着き払っている。
俺は人殺しなのか…。隊長が言った様に…。
駄目だ、何も思い出せない。俺は何者だ…。だれか、教えてくれ…。―
アニョウが葛藤をしている間に敵はこちらが誘導することも無く、トラップゾーンへと侵入していく。敵が沿って歩いている獣道は、自然の物では無かった。剛毅解放団が作ったものだったのだ。
獣道ならば、罠は無いという心理を逆手に取った作戦だった。
アサルトライフルの交戦距離である二百メートルにお互いが近づきつつあった。
アニョウは、無意識にAK-47のセーフティーを外した。カチリという音が手元で起こる。やや大きいその音がアニョウの意識を脳内から現実に引き戻す。
セーフティーを外す音は、ジャングルの動物達の鳴き声に掻き消され、敵まで届くことはないだろう。
アニョウの行動を皮切りにティハ達もセーフティーを順番に外していった。
部隊内に緊張感が走る。敵の動きを見逃すまいと固唾を飲む。
敵がトラップゾーンに侵入したのだ。
敵は慎重に歩みを進めている。
ミョーがアニョウの耳元で囁く。
「あそこのトラップは俺が仕掛けたんだ。見てろよ。連鎖反応で一網打尽にしてやるからよ。ああ、結果を想像するだけでいっちまいそうだぜ。ハアハア。」
ミョーの呼吸が荒くなり、アニョウの耳をくすぐる。
―男に耳に熱い息を吹き掛けるのは止めてくれ。鳥肌が立ちそうだ。―
殺し合いが始まるというのにアニョウはそんなことを考えていた。
「ほら始まるぜ。」
ミョーの宣言通り、敵が悲鳴を上げた。
「ギャー!痛~!熱い!」
男の悲鳴が上がる。左足を地面に埋め込ませ、悲鳴を上げている。
脚一本分の小さな落とし穴に敵は左足を膝まで落とした。
中には先端を尖らせた細い木の杭が無数に埋め込まれている。
底辺には真上に尖った杭が足裏を貫く。側面にはやや下方へと斜めに向けて埋め込まれ、足を抜こうとすればするほど、杭が喰い込んでいく。無論、その杭には糞尿が塗りたくられている。
破傷風を代表とする感染症に罹患させるためだ。
「動くな。今助ける。左右から引き起こせ!」
大声で叫ぶ敵の指揮官。だが、それもこちら側の計算の内だ。初歩的な蔓を結んだ足を引っかける罠がいくつもあった。それに二名の兵士がかかり、繁みへと仰向けと俯けに倒れた。
「いでー。」
「あががが。」
男の悲鳴が更に二つ上がる。
繁みのある地面には乱杭が無数に埋め込まれていた。兵士達の全身に幾つもの乱杭がめり込む。
二人の兵士は、運が良いのか悪いのか、乱杭は急所を逸れ、即死には至らなかった様だ。
無論、乱杭にも糞尿が塗りたくられている。感染症を引き起こすことは間違いない。
「動くな。今助けてやる。俺は周囲を警戒するから、お前が助けろ。」
「了解。」
敵の分隊長が部下に対し命令を下す。部下は鉈を取り出すと繁みを払い、地面を慎重に突く。ゆっくりと仰向け倒れた兵士へと向かっていく。
一番軽傷の様に見えたのだが、腹部や四肢を乱杭が貫通していた。恐らく、基地へ帰還するまでもたないだろう。俯けの者は前から乱杭に刺し貫かれている。固い肩甲骨や丈夫な背筋がない。恐らく、失血死をするだろう。
兵士が鉈を振り払った瞬間、一本の蔦を切断した。
それは一瞬だった。蔦が兵士の全身に絡み直上へと一気に引き上げられ、太い枝に頭部を叩きつけられる。ヘルメットを被っていようが、強い衝撃に首が耐えられることは無く、あらぬ方向に折れ曲がり、口から泡と血を零しながら絶命した。
敵は芋虫の様に木に吊られ、ゆらゆらと揺れていた。
「うわわ~。」
敵隊長は悲鳴を上げ、来た道を引き返そうとする。部下を見捨て、保身に走ったのだ。
「一斉射用意。撃て。」
ルウィンの命令に皆が従う。アニョウもそれが当然の様に照準を敵の隊長に合わせ、トリガーを軽く絞った。数発の弾丸が発射され敵の胴体へと吸い込まれていく。
ティハ達が放った弾丸も同じ様に敵へと吸い込まれた。
敵は銃弾のエネルギーに翻弄され、死の舞を披露し、地面へと倒れた。
「西へ一キロ移動。敵の増援に警戒。」
ルウィンは、その場に留まる危険を理解していた。
部隊は、即座に指定ポイントへ身を潜め、盛大に鳴らした銃声に敵が集まるか、警戒を続けていた。