45.路地
アニョウは改札を抜け、駅前ロータリーへ出た。
真南から傾いた太陽は、まだまだ街をジリジリと焼く。列車の走行風で涼んでいた肌から一気に滝の様に汗が流れだす。
暑い。焼ける。
ジャングルと違いまとわりつく不快な湿気は無いが、日光を遮るものは一切なく、容赦なくロータリーの人々を、いや、街全体を焼いていく。
―くそ、ジャングルの方がマシだな。暑い。汗が止まらん。―
乱暴に手の甲で額の汗を拭う。同時に視線を腕で隠し、周囲を探る。
出発駅から付いてきた人間は居ない様だった。だが、気になるのは路地の陰から見つめる暴力性をまとう少年たちの姿だった。
あちらこちらから、獲物を狙う視線が飛んでくる。
―力のない弱者を狙うストリートチルドレン共か。小金を狙ってやがる。それほど、治安は良くないのか?
路地に入ると囲まれて身ぐるみを剥がされるのだろう。まあ、俺には関係ない話か。
俺の様に体格の良い男に絡む馬鹿でもあるまい。
いや、待てよ。ふむ。試してみるか。―
アニョウは、何か思いついた様だ。背を丸め、右足を引きずり、気力を押え、弱々しさを演出する。
そのまま、ロータリーを通り抜け、近くの路地へと入っていった。
無論、それを見逃す様なストリートチルドレンはいなかった。アニョウの後を追っていく。
アニョウは路地の中の袋小路でストリートチルドレンが来るのを待っていた。
―両足を肩幅に開き、腰を落とす。そして、背筋を伸ばす。よし、身体が大地に根付いたように安定した。
仮説は正しかった様だな。視界も広い。背後は行き止まり。敵は正面から来ない。
それにこの道幅は狭く、一人ずつしか入ってこられない。絶好のポジションだ。
さて、どこまでいけるか。全員を伸すことができるか、逆に伸されるか。さて、お試しだ。―
ストリートチルドレン四人が路地をゆっくりとアニョウへと詰め寄ってくる。
皆、やせ細り、不衛生でシャワーや行水などしたことが無さそうだ。それぞれの手には、ナイフ、パイプ、木の棒、鉄骨を持っている。
皆、下品な笑顔をはりつけ弱い獲物を追いつめたつもりでいる。
「おいおい、兄ちゃん。金目の物、全部置いていけ。今なら怪我せずに済むかもな。ギャハハ。」
「そうそう、兄貴の機嫌を損ねるんじゃねえぞ。」
「機嫌がいいうちに財布を置いていきな。」
「俺達も疲れることはしたくねえんだよ。楽させてくれよな。」
行き止まりの入口を塞ぎ、四人はアニョウへ凄む。だが、アニョウにはそんな凄みは通じない。
殺気の籠っていない気迫などそよ風にも及ばない。
アニョウは耳に手を当て、聞こえないというジェスチャーをする。
そして、掌をクイクイと曲げ、あっちへ行けという態度を示す。
「ふ、ふざっけんな!死んでも構わねえ!行け!」
ナイフを持った少年が叫ぶ。
手下の三人が路地に入ろうとして、ぶつかり合い、お互いが侵入を妨げる。
木の棒を持った少年が先鋒として入ってくる。
「おら~金出せや。」
木の棒を大きく振りかぶり周囲の壁にぶつけ、攻撃が止まる。前面が無防備になる。アニョウはすかさず、顎先を右フックで撃ち抜く。
少年は勢いで首を傾げ、そのまま白目をむくと地面へと崩れ落ちた。
―よし、打撃力が上がっている。ステップを刻むよりも大地に腰を据えた方が威力は上がるのか。なるほど、いける。次。―
次に鉄パイプを握った少年がにじり寄る。
少年は鉄パイプを上に振りかぶり、力一杯振り下ろす。アニョウは右足を一歩踏み出し、半身となってパイプを目の前で避ける。
その動作を踏み込みとし、ストレートを喉仏に叩き込む。
少年は舌を突き出し、目を見開いたまま気絶し、すでに倒れ伏している少年に折り重なる。
―そうか。振り下ろしの様な動作は、攻撃範囲が明確に判るのか。つまり、俺のパンチはリトルにとって軌道が丸見えだったのか。
ストレート、いやジャブだ。ストレートの腰の捻りは、ワンテンポ攻撃が遅れる。最速のジャブがいい。―
鉄骨の少年が真っ直ぐに突っ込んでくる。鉄骨を小脇に抱え、そのまま体当たりするようだ。
鉄骨の側面を流れる様に回転しながら、アニョウは左回し蹴りを放つ。
少年のこめかみにクリーンヒットし、少年は足元から力が抜け落ち、更に少年たちの上に覆い被さる。
―無意識だったが、回避と攻撃をワンモーションか!なるほど、これがリトルの攻撃の速さ!そういうことだったのか。いいぞ。次来い。―
ナイフを持ったリーダー格の少年は、顔を真っ赤にしていた。
猫背で足を引きずる男は、ただの餌のはずのだった。いつもよりも簡単に狩れる獲物の筈だった。
ところがどうだろう。手下の三人は一撃で伸され、目の前にいる男は背筋を伸ばし、素早い足運びを見せている。
「俺を騙したな!ぶっ殺す!」
リーダーはナイフを目の前で不規則に振り回す。規則性が無い為、却って質が悪い。攻撃の筋が読めない。
ゆえにアニョウは見極める。攻撃の起こりと終わりを。つまり、動きが止まる瞬間を。
攻撃の間合いに入らぬ様にじりじりと下がる。
徐々に癖を掴み始める。攻撃の起こりは最もナイフを引いた瞬間。そして終わりは腕が伸びきった瞬間。
アニョウは、その事実に気づき思わず、鼻で笑ってしまう。
「何がおかしい!!」
リーダーは自分が笑われたと思い激昂する。
だが、今の笑いは己の失敗に対してだ。
―これがリトルの視界なのか。なるほど。これならば、攻撃を避けるのは容易いことだ。俺の攻撃もここまでわかりやすいものだったのか。
変則攻撃というものではないな。俺はこんなにも未熟だったのか。―
腕が伸びきった瞬間、アニョウはジャブをリーダーの鼻に叩き込む。
ボクシングで最も早いパンチだ。これならば、ナイフが戻る前にパンチを撃ち終えることができる。
リーダーは鼻から血を噴き出しながら、たたらを踏む。だが、ダメージは軽い。リーダーは、こめかみに血管を浮き上がらせ、鼻息荒く、アニョウへとナイフを振り回す。
―ジャブでは無力化は無理か。ストレートであり、ジャブである。早くて威力のあるパンチが欲しい。リトルはどうしていた…。思い出せ。思い出せ。―
アニョウは、リトルとの格闘戦を思い出す。その間もジリジリと後退し、壁に追いつめられつつあった。
―始点と作用点を一直線に結ぶのがジャブ。ここに威力を足すにはどうすればいい?リトルはどうしていた?―
壁に追いつめられ、アニョウの構えがコンパクトになる。脇に拳を密着させ、ナイフを避ける。
隙を見て、パンチを放つ。だが、パンチの出が密着の為、刹那遅れ、リーダーの鳩尾へとそのまま入る。
「うげっ。」
リーダーが悲鳴を上げるが、速度が遅く威力が低いのは目に見えてわかる。だが、なぜか威力は上昇している様だ。
―どういうことだ?違う。理解が足りない。俺の殴られた跡はどうなっていた。思い出せ。
腹に残った青あざの形を思い出す。拳の形でなく、指の形でもなかった。では、何が近い。どんな形だ?―
リーダーのナイフが円を描くように振り回される。それをボクシングのスウェーで上体だけを後方に反らし躱す。
そして、上体を戻すと同時にパンチを打ち込む。先程と同じく、脇腹に拳を添えて放つ。スウェーの影響で拳が当たる瞬間、ひねり、回転が加えられる。
鍛えられていない薄い腹筋を拳に巻き込みながら。
リーダーの動きが止まり、手からナイフが零れ落ちる。
路地にカランと乾いた金属音と、水の入った革袋が地面に落ちるような音が響く。
リーダーは口から胃の内容物を吐き出しながら、路地の壁によりかかり、ずり落ちていく。
完全に気を失っている。
「今のパンチが?距離も無く、スピードものっていないぞ。なぜ、倒れる。威力は無い筈だ。何が違う。どうやったら、威力が出る。
単に急所に当たった?いや、あんな弱い筋肉でも今打った腹部に気絶させる様な急所はない。何が起きた?―
アニョウはリーダーが持っていたナイフを拾う。ついでにリーダーのベルトに引っ掛けられている鞘も回収する。
安物のナイフだが、何かの時に役立つこともあるだろう。
リーダーのTシャツをめくり、腹部を確かめる。
腹の中央に赤いあざが一つできていた。たった今、アニョウが打ち込んだパンチの跡だ。
「やはり、急所ではない。鳩尾でも臍でもない。その中間だ。だが、拳の形じゃないな。これは円形か?
うん?皮膚が捻じれている?そうか!そうか、そうか、そうか。なるほど。これが最後のピースか。
くくく、待っていろリトル。これを身につけ、リベンジしてやる。」
アニョウは路地を颯爽と出ていく。
もう悩みは無い。リトルの強さの秘密は分かった。あとは、それを己の技に昇華させることだ。
その道のりは遠いかもしれない。だが、今までの様の一方的にやられることは無いだろう。
その自信が確かな足取りに現れていた。
アニョウは、記憶を頼りに目的地へ向かう。距離はある。公共交通機関を使うのが定石だろうが、アニョウに土地勘は無い。
ならば、歩くのみ。歩兵は歩くのが仕事だ。ジャングルと比べれば、街を横断することなど何の苦にもならないのだ。




