44.開眼
アニョウは、他の尾行者の存在をつかねぬまま、街を彷徨った。
行き当たりばったりの移動で、同一人物に会うことはまず有り得ない。だが、尾行者が複数のチームを組んでいれば意味がないことだとは理解している。
それでも尾行者対策を実行したのは、このテストの設問の一つだろうと判断した為だった。
無論、アニョウに複数の尾行をつける意味は無い。大金とは呼べない小金を持ち歩いている人間にすぎない。
それを知っているのは、マフィアの一部のみ。
―はてさて、ここまで尾行対策をすべきだろうか。無駄な行動をしているのではないだろうか。―
とアニョウ自身も考える。
近くの屋台で昼飯と飲み物を調達すると、人混みに紛れて街の中央駅へと向かった。
駅前は、一番人混みが激しく、肩と肩がぶつかり合う。駅のロータリーには原色で塗られた耐用年数を過ぎ去った乗り合いバスが何台も客待ちをしており、ボディに錆が浮いた数十台のタクシーが、タクシー乗り場で駅から吐き出される人を待ち構えていた。
運転手の呼び込みの声がロータリーに響く。客待ちの順番などなく、客と運転手が料金を交渉し、お互いが納得すれば乗車するようだ。
駅は十数分おきに到着する列車から人が零れ落ちる様に降車してくる。
ディーゼル機関車に木製の客車八両が引かれているのが標準編成の様だ。電化はされていない。そのため、客車にエアコンは無く、混みあった車内は蒸し暑さを倍増させていた。
この古く、ノスタルジーを感じさせる列車にアニョウは乗らなければならない。
目的地はここから列車で王都方面へ三時間移動せねばならない。
バスやタクシーでは、三時間では済まない。八時間以上かかるそうだ。道路事情が悪く、先進国の様に都市間は舗装されていない。ゆえに速度を出して走ることはできない。高速道路は王国には存在しない。唯一の例外を除いて。
アニョウは窓口で列車の乗車券を購入し、ホームへと向かう。進行方向と時刻表を確認する。どうやら二十分間隔で出ている様だ。
だが、時間通りに運行されることは稀であり、遅れることが恒常化している。
だが、結局一時間前に来るはずの列車がホームに入ってくるので、遅延しているという印象は抱かない。
その点は、他の利用者も同じ様で遅延に文句を駅員にいう者はいない。
人で溢れかえるホームでアニョウは周囲を見渡す。どうやら尾行者らしき存在は見えない。
もっとも軍人として鍛えられた記憶しか思い出さないアニョウに尾行者を突き止めるようなスキルは持っていない。
諜報員として鍛えられていたのであれば、もっとスマートに尾行者をまくことができただろう。
ホームにゆっくりと流れ込んできた列車が止まるとアニョウと反対側の降車専用ホームへと人を吐き出す。一気に車内の人口密度が下がっていく。
続いて、乗車専用ホームからの乗車が始まる。アニョウは車両の中央よりも端に乗車することを希望した。三時間立ちっぱなしになるが、狭い車内で身動きが取れない方が恐ろしい。その点、扉も何もないデッキであれば、涼しく、何かのアクシデントが発生しても選択肢が多く思えた。
アニョウは、乗車する人に場所を譲り、最後に列車へと乗り込んだ。列車は両端が開放型のデッキとなっており、手すりだけが落下防止の安全装置だった。
乗客は車内へと入っていく。大混雑しているが、それでもデッキに残らず、車内へと入っていく。
全ての窓が開き放されている為、走行中は涼しい風が入るだろうが、体臭と荷物から発する様々匂いが混じりあい、車内に入りたいと思わない。
―どうして、誰もデッキに残らないんだ。俺だけ残っているが、何か不具合があるのか?―
そんなアニョウの疑問は、列車の発進とともにすぐに理解できた。
二本のレールは、同じ幅に並べられているが、高さは統一されておらず、車両が左右に大きく揺れる。カーブに入ると車両の先端部であるデッキは左右に大きく振られ、手すりを持っていないと車両から転落しそうな程に暴れる。
アニョウは、腰を落として四肢を踏ん張り、暴れる列車に耐える。
―なるほど、これは車内に入らないと危険だ。途上国では、インフラが整備されていないのが当たり前か。どうやら、俺の常識は先進国基準の様だ。
ということは、俺の出身は先進国なのか。欧米日のどこかになるのか。ふむ、こんなことで自分の出生に近づけるとは思えなかったな。―
アニョウは、そんなことを考えながら腰のベルトを手すりに通す。これで安全ベルトの代用はできるだろう。
暴れ馬に乗っている様なデッキだが、車内の混雑と人いきれと匂いに耐えるならば、誰もいないデッキを選択する。
列車に揺られ三十分経過したころアニョウは、リトルに格闘戦で連敗を喫する理由の一つにふと気づいた。
―そうか、リズムか。俺はボクシングスタイルでリズムを刻んでリトルに挑んだ。だが、それは相手に攻撃のタイミングを教えることになる。
この列車のように不意な動きに対応するには、どっしりと地面に足を据え、いつでも変化に対応できる構える方が良いのか。
リズムを刻むステップの頂点は、人間が動けない瞬間だ。前後左右すら動けない。その一瞬を狙われれば、攻撃を喰らうしかない。
ああ、くそ!なぜ、すぐに気づかない。俺は馬鹿か。あのステップは狙いどころを教えているだけじゃないか。それに攻撃できるのは着地している瞬間のみ。いつ攻撃来るか分かれば、防ぐのも簡単。ああ、なんてこった。俺は格下と戦って強いと勘違いしていただけじゃないか。
今までの戦い方を一から変えねば。さて、時間はまだある。この移動時間は、己の弱点を考える時間にしよう。―
単なる移動時間が、ひょんなことから己の戦闘スタイルの見直しに繋がると思っていなかった。
このあとアニョウは目的の駅に着くまで試行錯誤を繰り返した。
列車の速度が落ちるころ、ジャングルを抜け、水耕地帯へと入った。まばらだった民家が村となり、町となり、街へとなった。
目的の地方都市は、王都から列車で一時間の距離であり、ベッドタウンとして発展した様だ。
アニョウが解放された地方都市よりも規模は大きいが、雑多感は薄れ、幾分か清潔感が漂っていた。
列車は、民家の隙間を縫う様に走り、立派な駅舎へと吸い込まれていく。駅へと入った瞬間、あれほど暴れていたデッキは静かになり、真っ直ぐ立つことが容易となった。
―王都とここはキチンと整備されているのか。揺れが大きく減ったな。なんだ。この下半身の安定感は…。体が揺れに勝手に反応し、体幹を真っすぐに維持するぞ。…ああ、これがリトルの構えの理由か。下半身に重心を置くことで体幹を安定させる。それだけのことで視界が広い。
ボクシングスタイルの時は、正面のみが視野だったがこれは違う。この広い視野ならば、下からのアッパーや左右からのフックも丸見えだ。手で顔の正面でガードしないのは死角を無くすためか!あの棒立ちに見えた構えは、視野を大きくとり、体幹を安定させるためのものだったのか。
体幹が安定すれば、そこからどのような方向へもスムースに移動できる。
ボクシングスタイルは、一対一で同じスタイルの者と戦うならば問題ない。あとは技術と心が強い者が勝つ。
リトルの構えは、一対多数を考えている。戦場では周囲は全て敵。理に適っている。
そうか。そうなのか。あとは、この構えを己のものに昇華させるだけだな。
待っていろ、リトル。この構えを身につけてみせる。―
列車はホームに滑り込み、アニョウは列車から降り立った。ホームに立った瞬間、今まで見ていた世界と全く違っていた。
正面しか見えていなかった視野は広くなり、上下左右に広がる。
―なんだ、この情報量の多さは。いや、それに上半身が揺れない。どうして、こんなに変わる。
これがカラテなのか。ボクシングとは全く違う。これこそ戦場に向いている。
これはリトルに勝てない。この世界の違いは大きい。早く身につけねば。―
アニョウは、新たな境地に興奮しつつ改札を出た。
たった三時間の乗車が、アニョウの戦い方を見直させた。あとは、どこまで吸収し、実践できるかだった。
アニョウは尾行者の存在を忘れ、更にアニョウとリトルの戦い方の違いを思索するのであった。




