4.入隊
アニョウの顔の包帯は、今日まで巻かれたままだった。ようやく、医者のチーより外しても良いという許可が下りた。
ティハが手鏡を持ってアニョウの前に立つ。妙にそわそわし、ニヤニヤとしたり、身体を左右に揺すり、今か今かと包帯が取れるのを待っていた。アニョウがどんな反応を示すか、楽しみにしていた。
対照的にその横ではチーが無表情で見守っている。医師にとっては日常であり、特別な事ではないのであろう。
―俺は見せ物なのか…。まぁ、娯楽もないし、仕方がないが、くそ、腹立たしいな。―
そんな中、チーはアニョウの顔に巻かれた包帯を外していく。
綺麗な肌が見え、鼻が崩れていたと思えぬ程、鼻筋が真っ直ぐに伸びていた。
目も一重でやや吊り目だが、それが凛々しさを表していた。ところどころに薄らと縫い合わせた跡が見えたが、時間の経過と共に消える様な目立たないものだった。
手鏡に映った顔は、全く見も知らぬ人物だった。
記憶の欠片にも引っ掛からない。
集落に置かれていた古びた雑誌やグラビアにも似た顔は無かった。
―有名人に似ていなくて良かった。それだけで目立つからな。目立つのは勘弁だな。―
鏡の前で何度も何度も角度を変えて己の顔を覗き込むが、その顔が自分のものであるという実感は湧かなかった。
おそらく、本来の顔と似ていないのだろう。ゆえに他人の顔という認識のままなのだろう。
顔に傷は残ったが、気になる程ではなかった。顔が馴染めば、最終的に消えるという診断をもらっていた。
医者のチーが言う通り、そこそこ良い男に仕上がっていた。レジスタンスが目立つのも問題があるだろうし、角度によって男前に見え、正面からは精悍さが漂っていた。
つまり、アニョウは新しい顔が気に入ったわけであった。
―これなら、後日直す必要は無いな。よろしく頼むよ。新顔さん。―
と、アニョウは自分自身の新しい顔へ内心で挨拶をした。
ちなみにティハの意見は、
「70点かな。」
と悩んだ挙句、微妙な点数がついた。高評価でも無く、低評価でも無い。
「それは、良い評価なのか?」
「他の人から見れば、男前かもしれないけど、私の好みじゃないなあ。精悍系じゃなくて、もっと可愛い系が良かったな。」
「ティハの好みに合わせる必要はない。問題無い。」
「ティハ君、そういうことは手術前に言ってくれるかい。それならば、ティハ君の好みに合わせられたのだよ。」
「先生、作られた顔だもん。どんな顔でもいいよ。それに仕上りを知らない方が初めて見る時に面白いもんね。」
「俺の顔はオモチャじゃないんだが…。」
「それは、ああ、すまん。」
なぜか、医者のチーから詫びが入った。それをティハは面白そうに見ていた。
―解せぬ。―
数日後、アニョウは恰幅の良い男に呼び出された。
「ついて来い。」
そう言葉を発すると、集落の中心部へと歩き出した。アニョウが付いてきているかも確認をしない。絶対にアニョウが付いてくるという自信が背中から感じられた。
その男は、アニョウを密林で銃を突きつけ、集落へ拉致してきた男の一人だった。
その男に付いていくと、大きめの粗末な家に入っていった。アニョウは躊躇いつつも男に続いた。
中に入ると大きな机が部屋の中央に置かれ、そこにはこの地域と思われる地図が広げられていた。どうやら、住居ではなく、レジスタンスの指揮所の様であった。
部屋の中央で男は振り返り、逞しい右腕を突き出してきた。
男は三十代後半に見えた。短く刈った黒髪にバンダナを巻き、どうやら、握手を求めている様だった。
「アニョウ。君との出会いは悪かったが、今からは良い関係を築きたい。部隊長のルウィンだ。よろしく頼む。」
伸ばされた右手は、ゴツゴツとし、鍛え上げられた戦士の手だった。
そして、この手は、脳裏に監禁時の尋問と言う名の暴力を思い出させた。
だが、ルウィンも仕事をしただけだ。戦場で記憶喪失だと喚く謎の男がいれば、警戒するのも無理のないことだろう。
―こいつのせいで痛い目にあったが、命を救われたのも事実か…。大人の対応をするべきか。―
アニョウは、一呼吸置き、手を握った。
「よろしく。」
ルウィンの握手は力強かった。こちらの力量を図るためだろうか。だが、アニョウは特段強く握り返すこともせず、平然と受け流した。
―子供の様なことに付き合う必要は無いな。―
その様に冷静に判断しただけだった。
「ほう、俺の握力に平然としている人間は珍しいな。ほとんどの人間が痛がるというのにな。なかなかの握力をアニョウも持っている様だな。これからの働きに期待できそうだ。」
「働き?仕事か?俺は何をすればいい?タダで衣食住を保証されるのは心苦しかったんだ。」
「嘘でも殊勝な心がけだ。なあに、簡単な事だよ。密林を散歩して、かくれんぼして、工作して、時折、銃を撃つだけだ。」
「あ~。つまり、それって前線パトロールだな。
正しく言うと、巡回して、身を隠しつつ、罠を仕掛け、発見されたら銃撃戦を行うってことだろう。」
「ほう。理解が早いな。ティハから『記憶は無いが、地頭は良い』と聞いていたが、本当の様だな。」
「だけども、俺には戦闘経験が無いぞ。」
「記憶が無いだけだろう。AKの分解と組立も一回で覚えたらしいな。
射撃の成績も悪くない、いや、良い腕だと聞いているぞ。
それに障害物競走も余裕だったそうじゃないか。どこかで兵士をしていたのだろう。実戦経験は十分あると考えている。
まあ、どこの所属か気になるが、思い出したかな?」
―ちっ。まだスパイかどうかを疑ってやがるのか…。記憶が無いことは証明できねえからな。仕方ないのか。くそ!―
アニョウは、顔には出さない。何気ない表情で会話を続けた。
「何度も言うが、覚えていない。銃を触ったのは初めてだと思う…。体力があるのは、肉体労働者だったとか…。」
「まあ、今はそれでいい。どちらにしても、アニョウには前線に出てもらう。無駄飯ぐらいは養えない。分かるな。説明がいるか?」
「分かった。だが、俺に人が撃てるなんて思えない。人殺しだぞ。俺にできる訳がない!」
「なぜ、そう思う。俺の勘だが、お前は絶対に人を殺している。そういう目だ。いくら顔が変わろうと目つきは変えられねえよ。
間違いなく、アニョウ。お前は殺人者だ。俺が保証してやる。」
「俺は何も覚えていない。人殺しなんてできるわけがない。」
「くくく。好きに吠えな。ここは、殺すか、殺されるかの二択しかない戦場だ。
政府の犬は殺せ。犬に妻子がいれば犯せ。犬が宝を持っていれば奪え。
政府に鉄槌を!俺の家族にしたことをやりかえす!
アニョウ!ようこそ、地獄の最前線へ。大歓迎するぞ。」
隊長のルウィンは叫ぶ。その目は血走っていた。過去に家族を虐殺されたのだろう。復讐の鬼が立っていた。
―俺には関係ない。この男の過去なんて知らなくていい。
自分の人生も知らないのに、他人の人生まで知りたくない。―
アニョウの感情は、記憶と共に失われたのだろうか。ルウィンの覇気にあてられても涼しい顔をしていた。
翌日、アニョウはルウィン隊の一員として入隊した。いや、入隊するしかなかった。記憶が無く、身分証明書が無いままで生きていくための選択肢が無いのだった。
その隊は、アニョウを密林で保護した部隊であった。
部隊は、ルウィンを隊長とし、何故かアニョウに懐いているティハと尋問で可愛がってくれたミョーとゾーの男二人が部隊を構成していた。
ミョーは、二十代後半の男でネズミを思わせる痩せ型の短身だ。その体の特長を生かし、狭い穴や隙間に罠を仕掛ける。そして優れた聴覚を持ち、待ち伏せを得意とする。
ゾーは、十代後半の男であり、まだあどけなさが残っていた。少年兵の頃から幾多の修羅場をくぐり抜けており、そのあどけなさと対照的に冷静な判断力と果敢な行動力を危険なバランスで併せ持っていた。自分の命に執着がない。まるで安全ピンを抜き、安全レバーを握りしめた手榴弾の様だ。
気を緩めて手を離し、手榴弾を足元に落として自爆するか、冷静に追い詰めてくる敵中に手榴弾を投げ込むかのどちらか、両極端の行動をとりそうだった。
何故かアニョウに懐いているティハは、身体能力が高かった。筋力は皆に劣るが俊敏性、柔軟性が高く。三次元的動きを得意としていた。
「なぜ、俺に懐く?」
一度、アニョウはティハへ直接聞いてみた。
「アニョウは、私を性的な目で見ないし、触れてもこない。過去の事もあまり聞かないし、一定の距離を保とうとしているよね。それがね、居心地がいいんだあ。あと、無神経な男除けになってるのもいいよね。
知ってる?集落で、ティハはアニョウに気があるって噂になってるんだよ。私が男を許す訳が無いのに…。くくく。」
朗らかな笑顔が陰惨な笑顔へと変貌する。
―どうやら、この手の話題は地雷の様だな。気をつけよう。―
ちなみに、内戦前は体操を学んでいたそうだ。スポーツが戦争に活かされるとは悲しい話だ。
だが、過去にもあった話だ。
野球選手が手榴弾投げで活躍した。
乗馬選手が騎兵で活躍した。
そんな話が幾つも転がっている。
最前線へ出る前に部隊の連携確認の訓練を行った時のアニョウの見立てだった。
恐らく、ルウィン隊の戦闘能力は、レジスタンスの中では高い方であろう。
そう言う点では、自分自身の生存率が高くなるはずだ。
あとは隊長ルウィンの指揮能力にかかってくる。こればかりは実戦でなければ判断のしようがない。
アニョウは、幾許かの連携訓練を数日間こなし、最前線のパトロールへと出動した。初陣である。
アニョウが生活する為だけの実戦、殺し合いが唐突に始まった。
その戦いには、理想も理念も復讐も何も存在しなかった。衣食住を確保する為だけの戦争だった。