37.滑空
アニョウは壁の隙間からコンテナを伺う。金属製の黒色の正方形だ。手前の辺から太いワイヤーが伸びており、建物の屋根と繋がっている。
リトルの反応が気になり、ちらりと目をやる。リトルは呆けた顔でコンテナを見ている。
特に反応はしていない。どうやら正気ではなく、コンテナが飛んできたという事実だけを確認した様だ。行動を新たに起こす気は無い様だ。
ここで下手な行動をとることは危険行為でしかない。
コンテナの正体は分からず、何の意図があって、ここに運ばれたのか分からない。
―あのワイヤーは、中に入っている戦闘用ドローンを操作するためのコードなのかもしれない。
それとも…。―
コンテナからカチリと錠前が外れるような音がした。四方の壁が外側へと展開し地面に広がる。天井を構成していた壁はアニョウと反対側の壁と一緒になって地面へと広がった。
四方に残される柱。そして、中央には布袋が一つ。
アニョウが懸念していた戦闘用ドローンが出てくることはなかった。
まだ、コンテナは動く様だ。弓を引き絞る様な音が聞こえる。
ギリギリと締め付けるような音が続き、次の瞬間、バスンという音とともに土煙が舞い上がり、コンテナの姿を隠した。
一瞬、爆発かと思い、アニョウは身をかがめるが、爆風は来ない。それに爆発にしては非常に小さい音で光も出ていない。
土煙が治まると、コンテナの四方に立っていた四本の柱は消え去っていた。
十字架型の鉄板が地面に横たわり、布袋一つが置かれているだけだ。
―これでギミックは終わったのか。―
アニョウは警戒を続けるも五分以上経過しようがこれ以上の変化は無かった。
アニョウは、周囲を探る。
―今の騒動で政府軍に発見された可能性は無いだろうか。―
ジャングルは静まり返り、風に揺れる葉が擦れる音と大河の流れだけが耳に届く。
―なるほど、対岸の誰かも政府軍の動きを確認した上での行動か。そして、夜になるのを待ち、行動を起こしたということか。
ということは俺達がここに到着してからの行動は監視されていたわけか。
あ~あ。リトルの奴、かわいそうに。あの醜態を全部見られていたわけか。対岸の誰かがマフィアであれば、ボスに報告されているだろうな。
ボスの思うがままか。
リトルの心を折る。挫折させる。失敗らしい失敗をしたことが無いリトルが増長せぬ様に心を折る。
自分たちが、これからも使いやすいように。
強すぎる力は、制御しづらい。とくに個の戦闘力では勝てないだろう。
無論、社会的抹殺はマフィアの得意分野だろうが、リトルに効果は無いように思える。そもそも、リトル・スプリングなんて名前は偽名に違いない。
小さい春か、小さなバネなんて名前は聞いたことが無い。
名前を変えて、また別の国で生きていけばいい。リトルならば、それができる力を持っている。
ゆえに心を折る。
わざわざ、密入国したときの方法をしっかりと見せつけて記憶させ、密出国も同じ方法をとると思い込ませる。
そして、命からがら辿り着いてはみたものの、施設はもぬけの殻。脱出方法はない。
政府軍に凌辱されるか、大河に飛び込んで死ぬかの選択肢を突きつける。
マフィアは怖いものだな。たった一人の人間の心を折る為にここまでのことをするなんてな。
余程、ボスのお気に入りの道具なのだろう。
そこまで、時間と人と道具と金を使って調教してでも手元に置いておきたい。そういうことなのだろう。―
アニョウは、今までの状況からそこまでを察した。
では、目の前のコンテナは救出装置なのだろう。アニョウは周囲を警戒しつつ、コンテナへと近づいた。
コンテナへと近づくと消えた四本の柱の行方が分かった。
地面の中だ。柱は頭部を数センチ残し、地面に深々と刺さっていた。
アニョウは、布袋の口を広げ、慎重に中を確認する。革ベルトと滑車が見えた。危険物は無さそうだ。
袋をひっくり返し、コンテナの上に中身をぶちまける。
中身は、安全帯と滑車が三セット入っていた。
それが合図になったのだろうか。視界の端で動き出す物があった。
アニョウは反射的にAK-47を向け、引き金を絞りかける。だが、動いているのはワイヤーだった。弛んでいたワイヤーは対岸へと巻き取られ、テンションがかかり、ピンと張った。
建物の屋根を越えて、対岸へ向かうワイヤー。建物の高さの分、ワイヤーはこちらが高く、対岸は低い。
ここまでお膳立てされれば、マフィアが何をしたいのか嫌でもわかる。
身体に安全帯を巻いて、滑車でワイヤーを滑って来いと言っているのだ。
どうやらコンテナはアンカーと重しを兼ねている様だ。
―なるほど、これが国境を越える手段か。よく考えてある。建物の一部だけ柱が頑丈だったのは、このワイヤーを支える為か。
柱一本を立てるより粗末な漁師小屋に見せかける。これならば、国境警備隊に見つかっても、いや、見つけてもらう前提で建てたか。
おっと、相手がマフィアだと決めつけていたが本当にそうだろうか。
落ち着け。他の相手ではないか。他に誰がこんなことをする。
政府軍はどうか。しない。こんな間接的な罠を仕掛けるより数で抑え込める。
王国軍はどうか。助ける義理も価値も無い。
レジスタンスはどうか。もう、そんな力は残っていない。
結局、マフィアしか心当たりがないか。生き抜くには、この手段に乗るしかない。どんな敵が待っていても殺されることはないだろう。
殺すためにここまで手の込んだ救出作戦を展開しないだろう。
ならば、この誘いに乗ろう。俺は命の恩人であるティハを絶対に助ける。
この唯一の方法を逃す訳にはいかない。-
そう、結論付けたアニョウは安全帯を確認する。切れ目も割れ目も入っていない。正常品だ。腰と腿の三点で固定するタイプだった。これと滑車を接続し、ワイヤーを滑る。滑車にはレバーが付いており、握ればブレーキを掛けられる様だ。
革手袋も用意されている。
あとは、実行するだけだ。アニョウは安全帯を持つとティハの元へと向かった。
アニョウとティハの安全帯の装着は簡単だった。
ティハ自身の心の安定化が進み、意思の疎通が可能になるまで回復していた。ただ、言葉を発することと表情の変化は乏しい。
もうしばらく時間がいる様だ。
手がかかったのは、リトルだった。
「リトル、安全帯を着けろ。着け方が分からないなら立て。俺が着けてやる。」
アニョウの言葉にリトルは反応しない。何もない空間へ焦点を合わせず視線を漂わせている。
「リトル、ボスのお迎えだ。安全帯を着けろ。」
だが、リトルは反応しない。
「ボスという単語に反応すると思ったが、リトルは何と叫んでいた。ああ、そうか。マスターのお迎えだ。」
リトルの体が痙攣する。明らかにマスターの言葉に反応した。
錆びついた機械の様にぎこちなく首をアニョウに向ける。
「マスター?」
「そうだ。マスターのお迎えだ。」
「マスターが来たの?見捨てられてなかった。良かった。良かった。」
リトルは大粒の涙をポロポロこぼしながら、正気に戻った。土気色だった顔に赤みが差していく。
そこからの行動は、早かった。アニョウから状況説明を聞くと手早く安全帯を装着し、屋根に上がる準備を整える。
柱から屋根に上がると、手を伸ばし、ティハを引き上げようとする。
アニョウはティハを抱き上げて、リトルの手を掴ませ、次に肩を足場として貸し、屋根の上へと送り込んだ。
そして、アニョウも柱を伝って屋根へと上がる。
屋根は、葉が覆われているだけで足場としては機能していない。
縁の木材があるところを慎重に歩き、ワイヤーへと辿り着く。
「リトル、先に行け。向こうの顔見知りと話をつけておいてくれ。」
「了解。ではお先に。」
先程まで、呆けていた人間と思えない機敏さでワイヤーを滑空していく。
衝突事故を起こしたくないアニョウは、十分な時間を待つ。
ティハはワイヤー降下などしたことなどないだろう。アニョウとタンデムで下ることにしていた。
アニョウとティハの安全帯を連結し二つの滑車はアニョウがブレーキを操作する。対岸の状況が分からない為、どの様な状況に対応できるようにアニョウが先頭を行く。
「対岸には何が待つことやら。さあ脱出だ。」
そう言うとアニョウとティハは、滑空を始めた。




