表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/27

3.欠片

 拘束は二週間ほどで解かれ、三ヶ月の軟禁生活を経て、アニョウの怪我は、ほぼ治った。だが、顔の包帯は巻かれたままだ。

 軟禁中もアニョウの身柄は調べられていたが、手荒いことはされず、割と紳士的に取扱いされた。しかし、何一つ、新しい記憶は浮かび上がってこなかった。

 記憶発露のトリガーが無かったのだ。

 アニョウの身元は不詳であったが、白であると判断された。

 外部と連絡を取る素振りもなく、集落を調べる行動もなく、無害判定が下された。

 無論、何かスパイ的行為を行なえば即射殺の許可が下りている。これはアニョウには知らされていない。ただ、民間人だと判断し監視対象に移行するとだけ伝えていた。

 レジタンスとしては拘束理由が無くなり、無駄飯を喰らわせるより働かせた方が良いとの判断をしたのであった。

「アニョウ君。君を解放する。好きにしたまえ。まあ、記憶が無い為、何処にも行く当てがないだろう。この集落にて働き、馴染むことをお勧めするよ。

 それに解放したから衣食住の保証はしない。自分の食い扶持は自分で何とかし給え。

 ここで働けば、衣食住は賄えるだろうね。」

 医者であるチーはそう言って、アニョウを診療所から放り出した。


 そして、集落の中で一人の男がポツンと立ち尽くしていた。アニョウだ。

 ―解放か…。解放されたとして、俺はどこに行けばいい。働き口はどうすれば見つかる。いや、その前に俺に何ができる?

 八方塞がりだな。チーの言うことを聞くしかないのか…。衣食住の確保は重要だよな。―

 行く当てのないアニョウは、集落に馴染むことを決意した。

 そして、農作業、力仕事、家事等を手伝い、村に馴染み、無害で役に立つ人間である事をアピールした。

 徐々にその行動により、村民の信頼を勝ち得ていった。今では、集落の一員として迎え入れられ、村内に関しての行動の自由が認められるまでになった。


 同時に村民との会話から、この国の状況、社会情勢などを学び、今後の選択肢を増やす努力を怠らなかった。

 残念なことに学んだことから、アニョウの脳は何一つ記憶の欠片を生み出さなかった。

 重要な記憶の一つでも戻れば、未来の選択に困ることは無かったかもしれない。

 しかし、今後の道行きを選択する為の知恵も知識も持ち合わせてはいなかった。

 この集落に居れば、衣食住に困ることは無い。だが、ここに留まることはレジスタンスへ参加することを意味していた。レジスタンスは人材不足に悩んでいた。戦闘要員が絶対的に不足しているのだ。

 若く、健康であるアニョウが、レジスタンスに勧誘されるのは時間の問題であった。

 この集落に住む限り、その勧誘を断ることはできないであろう。

 ―俺は人殺しをできるのだろうか…。

 俺自身に何の主義主張も無い。現在の境遇に対して不満も無い。反政府活動に興味も無い。

 確かに記憶が無いことは、大きな不安要素だ。だが、どこに行くこともできない。

 身分証が無ければ、仕事に就くこともできない。集落を出ていくことは死活問題だ。

 しかし、このままでは戦場に駆り出されるのは間違いない。戦闘要員は多い程、良いのだろう。

 生きる為に殺し合いをする。人としておかしい。だが、別の視点からは正しい。人は古代より戦い続ける生物なのだ。

 俺はどうすればいいのだ…。―

 そんな葛藤をアニョウは毎日繰り返していた。

 だが、状況はアニョウの葛藤を許すはずが無かった。

 アニョウだけが気づいていない。村民達やレジスタンスには、既定事項だ。

 悩むまでも無く、アニョウの道は定められていたのであった。


 レジスタンスの拠点は、ジャングルの中にあり、木の柱と泥の壁、葉っぱの屋根でできた粗末な小屋が集まった集落であった。人口百人に満たない小さな村だ。

 全員が顔見知りでよそ者が入り込む余地がない狭い社会だ。

 その集落にレジスタンスは拠点の一つを構えていた。ここは最前線から離れた国境付近にあり、傷病兵が送り込まれる治療拠点だという。現在、療養中の兵士は五十名弱を確認した。そして、この拠点の守備兵兼衛生兵は、ティハ達を含め約二十名。本当に医療拠点としてのみ機能をしていた。

 医療チームは、医者のチーを代表に構成されているそうだ。この拠点の守備兵が衛生兵も兼務し、チーを補佐している。日常の看護は村民を雇い入れ、対応していた。

 だが、重傷や重体者が送り込まれてくる事はなかった。

 恐らく、辿り着く前にジャングルの中で息絶えるのだろう。


 アニョウは、療養中の暇つぶしにティハから基本情報を色々と聞き出していた。

 だが、その言葉を鵜呑みにはしていなかった。

 スパイに疑われた身だ。偽の情報を掴まされ、動くのを待っているのかもしれない。そんな考えが浮かんだのだ。

 ―記憶の無い自分には意味のないことだな。―

 すぐにその考えは否定した。

 病院を追い出され、行く当てのないアニョウは、集落の中で一番馴染みのあるティハの家に居候をしていた。

 ティハ小さな小屋に一人暮らしであり、大人一人を居候させるくらいの余裕があった。

 粗末な小屋なので防音も断熱も無い。ガラスも無い為、ほぼ外からは丸見えだ。

 無論、この集落の他の小屋も同じ様な物だ。雨風だけしのげれば良いという造りだ。

 妙齢の男女が一つ屋根の下に暮らすことに反対意見も出るかと思われたが、全くその様な事は無かった。

 アニョウ自身も何故かティハへの欲情はなく、ティハに指一本、自分から触れることはしなかった。

 もっともティハ自身が、無意識に男と距離をとる癖がある為、その小麦色の滑らかな肌に触れることはできない。

「なあ、ティハ。一つ聞きたいんだが、いいか?」

 居候の身の為、夕食の準備を手伝いながらティハに声をかけた。ちなみに夕食は、豆と蛇の煮込み料理だ。捌いた蛇を鍋で焦げぬ様に掻き回し続ける。

「何だい?アニョウ。私の本名かい?それは秘密。全員偽名だからね。政府軍に捕まった時の拷問対策。」

「違う。」

「ああ、私のスリーサイズ?アニョウもそういうの気になるの?やっぱり男だね~。」

 ティハがしなりをつくり、色気を醸し出す。残念なことに尋問と言う名の拷問をティハから受けた身では、ティハの色香に惑うことは無い。美少女であるが、暴力女のイメージが非常に強い。

「興味ない。ここのレジスタンスに名前はあるのか?」

「興味ないって失礼だな。美少女に対してはお世辞にも興味がある振りをすべきだよ。」

「その美少女とやらに殴る蹴るの暴行を加えられたのだが、どうすれば暴力女に好意を持てるんだ?」

「それを言われると私は口を紡ぐしかないよ。」

「で、名前はあるのか?」

「剛毅解放団だよ。」

 ティハはVサインと共に誇らしげに胸を反らす。

 ―この集落の中では、良く育っている方だな。―

 余計な所に目が行ったが、今言われた言葉を反芻する。

「剛毅?意志は固く。挫けないということか。まあ、解りやすいな。」

 ―センスは悪いのではないだろうか。―

 アニョウは本音を隠し、取り敢えず褒めておく。

「でしょう。良い名前だよね。」

 ―本人達が納得しているならば、俺が言うことは無い…。―

 アニョウは渡された野菜を指示された通りに刻む。

「え、それだけ。何か反応は無いの?起源とか、誰が考えたとかさ。」

 傍らでティハが騒ぎ続けるが、アニョウは精神的疲労を感じ適当に相槌を打っていた。


 今日までにアニョウが教わったことをまとめると次の通りだった。

 五年前まで東南アジアにある、この国『カウンジー共和国』は平和だった。

 だが、前触れも無く軍事クーデターが勃発した。たった三日で民主主義政権は倒され、軍事政権の樹立を宣言した。そして、国名も『カウンジー連邦』へと改められた。

 前触れは有った筈なのだ。だが、誰一人として前兆に気づかず、軍部の暴走を見逃してしまった。

 暴走した軍部は、内閣や国会議員を殺害もしくは監禁し、軍事政権の樹立に成功した。

 そして、軍事政権は反抗する少数民族の弾圧と虐殺を開始し、政権の地盤固めを始めた。

 その虐殺に抵抗する為、各地でレジスタンスが個別に結成され、泥沼の内戦へと突入し、現在に至る。

 ただ、軍事政権も一枚岩ではなく、地方軍閥の集合体であり、日々政権中枢を誰が担うかの権力闘争も起きている様だった。

 それがレジスタンスの根絶やしができない原因でもあり、内戦の長期化の原因でもあった。

 このレジスタンス、いや剛毅解放団も他のレジスタンスと共同戦線を張り、軍事政権からの解放と民主主義の復活活動を行っていた。

 これらが、ティハや村民達から聞いた現状だった。


 アニョウのスパイ疑惑は晴れたが、未だに記憶が全く戻らなかった。

 軟禁から解放されたアニョウは自由時間を使い、剛毅解放団の傷病兵達のリハビリ訓練に混じり、自分自身の体力の回復を目指していた。

 二週間の寝たきりと三ヶ月の軟禁生活は、体力の低下を招いているだろうからだ。

 集落を囲むように作られた様々な障害物を乗り越え、何周も走る訓練が今行なわれていた。

 丸太を飛び越え、壁を乗り越え、網を潜り、小川を飛び越え、林立する狭い樹々の隙間をすり抜け、集落を全速力で一周する。

 ―おや、意外にも体力は落ちていないな。体が軽い。思うように動くな。―

 レジスタンス兵に混じり障害物競走を行うが、アニョウの体力は落ちていなかった。

 兵士達は息を切らし、顎が上がり、肩が大きく上下し、息苦しさを身体全身で表していた。

 しかし、アニョウは軽く全身に汗をかき、シャツを素肌に貼り付かせる程度で済んでいた。

 ―これはマズイよな。民間人が元気一杯なのは…。―

 アニョウは地面に腰を下ろして三角座りをし、膝頭に額をつけ、疲労困憊の振りをした。

 ―あれ、何がマズいんだ?別に元気でもいいよな。運動神経が良い奴なんて、何処にでもいるよな。

 だが、一度始めてしまった演技は止められない。少しずつ、体力が付いた様に見せかけて、帳尻を合わそう。それにしてもジャングルの熱気と湿気が煩わしい。―

 アニョウは地面を見ながら、今後の方針を固め、密林の気候へケチをつけた。

「はいはい、へばるの早いよ。さあ、もう一周走れ。敵が背後から撃ってくるぞ。走れ!」

 監督役のティハが大声で兵士達に声をかける。手にはAK-47が構えられている。

 本気で撃つつもりは無いのだろう。トリガーに指はかかっていないし、安全装置も掛けられている。

 だが、ここでごねれば威嚇射撃位はしてくるかもしれない。それほど、ティハの表情は真剣身を帯びていた。

「くそったれ。」

「休ませろ。」

「貰い手ないぞ。」

「鬼っ子。」

「いき遅れるぞ。」

 兵士達が口々に愚痴や悪口を言いながら、走り始める。

 アニョウもそれに続いた。

「誰だ!鬼とか、いき遅れって言った奴は。戻って来い!その口、縫ってやる!」

 まなじりを吊り上げたティハが皆の背後でがなり立てるが、兵士達はもう雑音としか捉えていない。

 訓練は命懸けでしなければならない。全力で集落を一周するのだ。

 何が己の身を戦場で助けてくれるか分からない。この訓練の動きが、生死を分けるかもしれない。ゆえに兵士達は全力で訓練に取り組み、障害物を越えていくのだ。

 ―何かが足りないな。―

 だが、アニョウには、物足りない訓練だった。

 次の瞬間、視界が真っ白に染まった。


 どこか場所は分からない。見たことも無い場所だった。

 広々としたグラウンドは、乾いた赤土に染まっていた。

 そこには様々な形の丸太の障害物と数十本のロープが張り巡らされていた。

 どこかの軍の訓練場だろうか。数十人の若者たちが迷彩服を土塗れにし、駈けずり、時には這いずりまわっていた。

 中年の体格の良い兵士がアサルトライフルM4カービンを腰だめに構える。恐らく教官なのだろう。

「手前らに人権はねえ。この糞共が。糞は糞らしく、地面を這いずり回れ。潜っているロープよりも上に身体を出したら細切れにするぞ。ほら進め進め。

 役立たずはいらん。さっさと退役した方が国の為だ。」

 アニョウは自分自身がロープの下を匍匐前進していることに気が付いた。

 ―俺が、撃たれる方なのか。何だ、この記憶は?―

 アニョウの速度が落ちる。すかさず、M4カービンから掃射音が聞こえ、アニョウの頭上を掠め、衝撃波が通過していく。教官はマガジンを手早く交換する。

 つまり、一弾倉二十発の弾丸が頭上を通過していった。

 5.56mmNATO弾ならば、防弾着を何も着けていないアニョウの身体をズタズタにできたことだろう。

 ―訓練だというのに、殺す気か。―

 アニョウは反射的に匍匐前進の速度を速める。

「そうだ。糞野郎。さっさと下水を流れちまえ。つまったら、即座に磨り潰すぞ。」

 教官は次に別の訓練生に照準を合わせ、M4カービンを掃射した。

 そこで視界が暗転した。


 アニョウはジャングルを走っていた。まるで現実の様な夢だった。アニョウは走りながら白昼夢を見たのだ。

 ―何だ、今のは…。もしかすると、俺の記憶なのか…。

 そうなると、俺は兵士だったのか…。くそ、いつの話だ。

 場所はどこだ。分からない。思い出せない。

 俺が経験したことなのか、だからリアルに感じたのか。―

 アニョウは、何とか今の記憶をさらに明確にしようするが、次のイメージが浮かぶことなく、集落を一周し終えた。

 ゴール後、周囲では、地面に兵士達が倒れ、荒い息で酸素を欲していた。

 だが、アニョウだけが涼しい顔で立ったまま思案に耽っていた。

「あれ、アニョウは元気だね。ジャングルの熱気や湿度もへっちゃらなんだね。じゃ、もう一周行こうか。」

 ポンと笑顔のティハにAKで背中をこづかれた。AKをチラつかせる日焼け美少女の笑顔に言われては走らない訳にはいかない。何せ、目は笑っていない。

「ああ、頑張るよ。」

 顔をひきつらせたアニョウは、何とか言葉を捻り出し、走り出した。

 ―失敗だ。記憶の欠片が戻ったことに意識を取られた。疲労困憊の演技を忘れた。糞っ!―

 アニョウは、自身の失敗に毒づきながら完走を果たすも、ティハは天使の笑顔で更に一周、もう一周と走らせる。

 最終的に五周回らされた。さすがに五周目では息が上がり、肩で息をするまで追い込まれた。だが、地面にへばることはなかった。

 アニョウが余力を残していることをティハに見透かされてしまった。

 この件で、アニョウはタフガイであるというレッテルを周囲から張られてしまった。

 この結果、最前線送りがかなり早くなってしまったのだが、アニョウは気づいていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ