27.挫折
日が沈み、ジャングルを闇が包み込む。
雨季のジャングルはどこもかしこも湿っており、腰を下ろす場所を探すことが難しい。
大木の下の平地を見つけると持ち出した毛布を敷き、アニョウ達は今晩の宿に定めた。
分隊との戦闘場所からは、二十キロ離れている。気は抜けないが、追撃部隊からは逃げ切ったと判断しても良いだろう。
だが、敵である政府軍はジャングルを制圧しようと闊歩している。いつ遭遇するかは分からない状態だ。
ジャングルの猛獣達も敵だ。警戒の気を張り続けなければならない。
アニョウ達が、心から休めるのは国境超えてからだろう。
その国境まであと三十キロにまで迫った。
戦闘や迂回などしなければ、明日か明後日には国境を越えられるだろう。
アニョウは昼の間に敵から仕入れた地図を脳内に広げ、今後の展望を考える。本当は懐中電灯で地図の細かいところまで確認をしたい。
だが、ジャングルの闇の中での明かりは非常に目立つ。敵に己の存在を知らせてしまうだけだ。
―道行きは、リトルの案内で最短ルートを進んでいる。得た地図には、敵である政府軍の制圧地区は記載されていた。
しかし、展開中の部隊は書き込まれていない。このまま、進むにあたり、敵は居るのだろうか?敵の規模は?展開位置は?
いや、そもそも敵とは誰だ。レジスタンスに拾われ、記憶がなく言われるままに戦ってきた。俺に村人を救う。弾圧されている人を解放する。その様な大義は一切ない。ならば、政府軍は敵となりえない。逆に保護を依頼しても良いのではないだろうか。
いや、落ち着け。冷静に考えろ。民間人を虐殺、略奪をする、そんな軍隊がまともなはずが無い。
先進国の軍であれば、軍規も守られ、民間人の保護をしてくれるのだろう。
いや、そうとは限らない。村で暇つぶしに読んだ本には、東南アジア、アフリカ、中東で戦争犯罪を行っている先進国の軍がいた。
軍規も厳しく、憲兵隊がいる軍隊ですら戦争犯罪に走る部隊がある。
ならば、この政府軍に何を期待している。
保護を求めれば、器量の良いティハは兵士共にまわされ、俺は殺される。そうなるのが、確定か…。
恐らくリトルは、派遣元へ帰るだろう。一人でジャングルを越える能力はある。そんな彼女が政府軍に保護を求めることはないな。
いや、それ以前に不法入国者だ。政府軍に下る選択肢は最初からないだろう。―
「先生、考え事ですか?」
リトルがアニョウの顔を覗き込むように接近してくる。
明かりは星空の明かりだけだ。表情を読むには相当近づかなくてはならない。リトルの吐く甘い息が鼻腔をくすぐる。
「ああ、政府軍に保護依頼を出すのが良いのかと考えてしまった。」
「それは悪手ですね。メリットが何もありませんね。私なら止めときます。」
「だろうな。俺もそう決断づけた。当初の予定通り、国境を抜ける。」
「先生。国境は幅五十メートルの河ですよ。今は雨季で増水していますし、渡るには橋を使うしかありません。無論、橋には国境警備隊が居ます。その辺のことは何か考えていますか。」
「国境警備隊の施設に忍び込み、車を調達し、国境を越えるというのはどうか?」
「盗むまでは何とかなるでしょうけど、対岸の隣国の国境警備隊に撃たれますよ。」
「隣国は亡命者の受け入れに否定的なのか?」
「亡命者というより難民扱いです。厄介者扱いで流入されたくないというのが本音です。もっとも、対外的には難民キャンプを形だけ作って、人道支援をしていますという形づくりはしていますね。」
「雨季の増水した川を渡河するのは、自殺行為。急流と大量の水塊に押し流されるだけか。」
「そうですね。」
「打つ手が浮かばんな。さて、どうしたものか。」
「そこで、うちの出番です。」
「聞かせてくれるか。」
「喜んで。」
リトルの話は、単純なことだった。
リトルが所属するグループ、つまり、マフィアの密輸ルートを使うということだった。
川の両岸にマフィアの隠し港があり、秘密裏に船による密輸入を行っているとのことだ。
無論、マフィアが無償で協力するはずはない。そこで集落から略奪された貴金属や宝石を報酬にすることになる。
報酬も用意でき、リトルという窓口もある。確実性の高い計画に聞こえた。
「それは問題ないのか。」
「このルートを使うには、ボスからの条件が一つ。」
「条件?なんだ?」
「秘匿している密輸ルートを明かす訳ですよね。」
「そうだな。」
「だから、身内になれ、だそうです。」
「俺がファミリー入りするメリットが思いつかないな。なぜ、リトルのボスは、俺を欲しがる。」
「さあ。戦闘能力が高く、ボディガードにしたいのじゃないですか?」
「そんなに危険なビジネスなのか?」
「私がガードに付く時は、危険を感じませんでしたけど。」
アニョウはそれを聞いて溜息をつく。
「リトル。お前は今、危険を感じているか?」
「まっさかぁ。素人の集まりに負けたりしませんよ。」
リトルはケロリと答える。
そう、リトルは政府軍に取り囲まれている現状を危険視していなかった。己の力に自信を持つリトルにとって、政府軍は烏合の衆にすぎなかった。
一人で一軍と戦い勝利することを微塵も疑っていなかった。
アニョウも強い。だが、そこまで驕ることはできなかった。
―一人の力には限界がある。
眠気、気のゆるみの波が襲ってくる。そして、物量に勝つことはできない。いつか、疲れ切り、物量の波に圧し潰される。
それが個の力の限界だ。
リトルは若い。それをまだ理解していないのか。そうか、体験をしていないのだな。
あぁ、リトルのボスが俺の元に送り込んだ理由をようやく理解した。
挫折だ。リトルを挫折させたいのだ。今、己の力に驕っている。一人で政府軍という万単位の敵に勝てると勘違いをしている。
敵が俺達の存在を敵として認識していないだけなのだ。
今まで痕跡を残す様なことはしていない。
ゆえに追撃されず楽な逃避行を続けられている。-
暗闇の中、リトルの顔をマジマジと見つめる。肌はきめ細かく、怪我の痕どころか、染み一つすらない。強い紫外線の中、日焼けすらしていない。
―なるほど、負けたことが無いのか。ならば、組手をした時に殺す気で相手をすべきだった…。失敗だ。対等の存在と認識されている。
挫折には程遠い。―
アニョウは、肩によりかかるティハの寝顔を見る。時折、ティハの寝息が頬にかかる。どうやら、数日の逃避行の間に精神の安定が進み、以前より落ち着きを取り戻している。
―俺とリトルをぶつけて負けたところで挫折するだろうか。いや、リトルはしない。実戦じゃない。訓練だから本気じゃなかった。
なら、奴のボスは、どうやって挫折をさせるつもりだ。―
アニョウは思慮の海に沈んでいく。周辺警戒は、リトルがしている。任せて問題は無い。
―リトルが挫折感を味わう条件は何だ。
一対一の組手か。違う。それでは挫折しない。たまたま、偶然などで片付けられる。
遭遇戦か。これも違うな。分隊や小隊規模ならば勝てる。
となると大隊規模との戦闘か。だが、レジスタンスでは大隊規模の戦闘が起きるのは先ず無い。ゲリラ戦が基本戦略だ。戦力差が大きい。大隊戦はレジスタンスから仕掛けられない。政府軍から仕掛けてこない限り発生しない。今、仕掛けられている殲滅戦の様に。―
そこでアニョウは気づいてしまった。
―やられた。そうか。そういうことか。くそ。なぜ、気づかない。昔の俺ならば、すぐに気づいただろう。-
アニョウは奥歯を強く噛み締める。
アニョウが早く気づいていれば、この状態にはならなかった。もっと違う状況を生み出せたのだ。
―待て、昔の俺とは何だ。今自分で思った。どういうことだ。-
次の瞬間、目の前が真っ白になった。




