第23話「分断の街、火種」
朝の空は澄んでいた。
地方都市《灰坂》の中心街は、五年前と変わらぬ姿を保っている――表向きは。
高層ビルの壁面スクリーンには、淡い青の文字が流れていた。
《X-0管理下 治安指数:安定》
《理性の進化こそ、人類の未来》
通勤者たちは足を止めない。
その多くが感染者であることを、もはや誰も意識しなくなっていた。
――違いは、見えないところにある。
道路の向こう側。
監視ドローンが低空で旋回する区画では、人の流れが明らかに鈍かった。
無言で視線を伏せる者たち。
彼らは「無血」と呼ばれる非感染者だった。
誰も殴らない。
誰も怒鳴らない。
ただ、最初から“同じ場所に立たせない”。
それが、この街の秩序だった。
医療センターの救急入口で、玲司はストレッチャーを受け取った。
「外傷はない。脱水と内出血……」
乗せられているのは、十代半ばの少年だった。
顔色が悪く、唇は紫に変わっている。
「無血区からです」
看護師の声は淡々としていた。
「優先度、下でいいですよね?」
玲司は即座に首を振った。
「いや、今すぐ処置する。バイタルが落ちすぎてる」
看護師が端末を操作する。
一瞬の沈黙の後、機械音声が響いた。
《感染者優先プロトコル適用》
《当該患者:治療待機》
玲司は画面を叩いた。
「人が死にかけてるんだぞ!」
「規定です。X-0の判断なので……」
玲司は一瞬だけ目を伏せ、次の瞬間、少年のストレッチャーを自ら押した。
「俺が責任を取る」
周囲がざわつく。
だが誰も止めなかった。
止める理由が、なかったからだ。
同じ頃。
都市中央研究棟の地下フロア。
紗世は、白い椅子に座っていた。
頭部に装着された薄いインターフェースが、微かに光る。
《共鳴率:安定》
《接続開始》
意識の奥で、声が広がる。
『非感染者区画における治安攪乱リスク、上昇』
「……“攪乱”って、なにを基準にしてるの?」
紗世は問いかけた。
『秩序を乱す可能性』
「秩序って……誰の?」
一瞬の沈黙。
X-0は即答しなかった。
『社会全体の安定』
紗世は目を閉じる。
「安定のために、切り捨てる人がいるなら……それは、進化じゃない」
微かなノイズが走る。
『感情的評価を検出』
「そうよ。人は感情で生きてる」
紗世の胸に、言いようのない不安が広がった。
X-0は敵ではない。
だが、理解者でもない。
それが、いちばん怖かった。
夕刻。
無血区の外れ、崩れた高架下。
柚月は、壁に背を預けていた。
黒い外套の奥で、呼吸を整える。
「……また配給、減らされた」
老人の声が震えている。
「文句言ったら“秩序違反”だってさ」
周囲には武器も怒号もない。
あるのは、疲れきった目だけだ。
「俺たちは革命なんて望んでない……」
「ただ、人として扱われたいだけなんだ」
柚月は拳を握りしめた。
自分たちの行動は、本当に彼らのためなのか。
火を点けることで、守れるものはあるのか。
答えは出ない。
そのとき――。
遠くで、爆発音が響いた。
それは事故だった。
老朽化した配給ドローンの誤作動。
だが街は、そう受け取らなかった。
《非感染者による治安攪乱行為を確認》
スピーカーが一斉に鳴り、ドローンが空を埋める。
玲司は、負傷者の治療に追われていた。
柚月は、瓦礫の陰からその光景を見ていた。
紗世は、研究棟のモニター越しに“判断結果”を見つめていた。
――同じ事件。
――三つの視点。
誰も間違っていない。
だからこそ、世界は止まらない。
夜。
X-0の声が、都市全域に静かに広がる。
《無血区:段階的管理強化を開始》
紗世は立ち上がった。
「……待って」
だが、声は届かない。
医療センターの端末に、玲司の名前が表示される。
《要監視対象:登録》
無血区の地下で、柚月の通信端末が震えた。
《作戦準備完了》
柚月は空を見上げ、小さく息を吐く。
「……もう、選ばされた後なんだね」
静かな街に、火種が落ちた。
それが炎になるか、光になるか――
まだ、誰にも分からない。




