第17話「冷たい共鳴」
非常灯の赤が、静まり返った廊下を不気味に染めていた。
ナイト・ケアセンター全体が、一瞬の停電の後にざわついている。
「システムの不具合です。患者の皆さんは落ち着いて」
スタッフの声は冷静だが、その手がわずかに震えていることを玲司は見逃さなかった。
紗世は隣で身をすくめ、玲司の腕を掴んだ。
「……まだ、聞こえる。冷たい声が……」
その声音は夢の続きのように掠れていた。
午前の訓練室。
的に矢を放つ紗世の指先が、突如として止まった。
耳の奥に、確かな囁きが響く。
『……サヨ』
呼ばれる。
自分ではない、自分に似た“誰か”から。
その動揺を見抜いたのは、やはり柚月だった。
「やっぱり……あなた、呼ばれてる」
「……え?」
「普通なら“遮断”されるのに。あなたには、届いてる」
柚月は矢を放ち、見事に的の中心を射抜くと、言葉を続けた。
「近づけば“境界”は崩れる。でも受け入れれば、それは力になる」
「……境界?」
「理性と衝動、人と進化。――その狭間」
紗世の顔から血の気が引く。
玲司はすぐに間に入り、低い声で柚月を制した。
「そんなものに頼る必要はない。彼女は、彼女だ」
柚月はわずかに口角を上げて背を向ける。
「……あなたがそう信じられるうちは、ね」
午後。玲司は志摩に呼び出された。
薄暗い監視室のモニターには、昨夜の異常波形が繰り返し映し出されている。
「X-0からの共鳴信号だ」
志摩は端末を操作しながら言った。
「眠りながら、彼女を呼んでいる。――藤咲紗世は、目覚めの鍵だ」
玲司は言葉を失う。
志摩は机の上にカードキーを置いた。
「真実を知りたいなら、地下へ来い」
夜。
玲司と紗世は、封鎖区画の奥――冷凍隔離フロアへ足を踏み入れた。
冷気が肌を刺し、白い霜が床を覆っている。
その最奥。
透明なカプセルに眠る《個体コード:X-0》。
カプセル表面に、ひびが走った。
液体が波打ち、微かな呼吸音のような気泡が立ちのぼる。
『……ワタシハ オマエ』
声が、紗世の頭蓋を直接叩いた。
身体が揺らぎ、視界が白く弾ける。
「紗世!」
玲司が抱きとめるが、彼女の瞳は紅く光を帯びていた。
施設全体に警報が鳴り響く。
同時に、別室に収容されていた数名の患者が突然発作を起こし、制御不能に陥る。
モニターには、暴走するα型たちの姿が映し出されていた。
玲司は必死に叫ぶ。
「戻ってこい! 紗世!!」
紗世の視界には、二つの像が重なっていた。
自分。――そしてカプセルの中の、もう一人の“自分”。
『……タスケテ』
『……マモレ』
声が重なり、世界が震える。
紗世は喉の奥から悲鳴をもらし、力尽きて玲司の胸に崩れ落ちた。
監視モニター越しに、その光景を眺める志摩。
口元に笑みを浮かべながら、低く呟いた。
「やはり……鍵は揃いつつある」
玲司は意識を失った紗世を抱きしめながら、必死に自分に言い聞かせていた。
「……逃げなきゃ。このままじゃ、彼女が……」
だが、その腕の中で、紗世は弱々しく唇を動かした。
「……もう遅い。……あの子と、繋がっちゃった……」
――冷たい共鳴は、確かに始まっていた。




