第10話「黒い招待状」
「……志摩と申します。民間感染症研究ネットワーク、特異事例対策課の者です」
志摩と名乗るその男は、銀縁の眼鏡越しに玲司を見据えながら、ゆっくりとそう名乗った……
その声音は抑制されているのに、不思議と耳に残る。
「公的には“存在しない部署”かもしれませんが、実際にはこうしてあなたのような“未確認症例の関係者”と接触することが、我々の任務です」
玲司は、志摩が何を言っているのかすぐには理解できなかった。
それでも、彼の発する言葉には不気味なほどの“筋”が通っていた。
「彼女……藤咲紗世さんの症状は、あなたが想像している以上に“進行しています”。
ただし、我々の定義においては、それは“病気”ではく……“進化”です」
玲司の胸がざらついた。
この男は、まるで冷蔵庫の温度を説明するように、人の変化を語っていた。
「我々の組織は、NeoSerumに含まれていた特定成分による、認知・生理機能の再構築を追跡しています。
あなたの叔父、志村貴之博士が最後に残した警告をご存じですね?」
玲司は息を呑んだ。
あのメール、そして資料の断片。それがなぜ彼の目の前のこの男に知られているのか。
志摩は微笑を浮かべたまま、小さなケースを玲司の前に置いた。
開くと、中には黒いカードキーが一枚――そこには“NeoSerum Next-Gen Observation Entry Pass”と記されていた。
「これは“招待状”です。あなたが望むなら、紗世さんの状態を、より詳細に知る機会を提供しましょう。
研究機関の中で、最先端の設備と知識があなたを待っています」
玲司は、沈黙したままカードを見つめた。
「ただし」と志摩は言葉を継いだ。「この選択には責任が伴います。
あなたが関われば、もう日常には戻れない。
私たちが見ているのは、“ポスト・ヒューマン”の未来です。あなたはその入り口に立っている」
志摩の目が、わずかに細められる。
「……どうか、彼女を“被験者”と見るか、“人”と見るか。
あなたの選択に、我々も今後の“立ち位置”を決めます」
それは、交渉だった。
正論を繕いながら、玲司に「選別者」としての役割を突きつけていた。
「それでは、またお会いしましょう。すぐにでも、でも数日後でも構いません。
ただし――紗世さんが“制御不能”にならない限り、ですが」
志摩は丁寧に一礼すると、音もなく背を向けた。
廊下の奥へと消えるその背中を、玲司はただ見送るしかなかった。
手の中には、まだ温もりの残る黒い招待状だけが残されていた。




