8.デストローイ
パーティメンバーと別れたデストは、一人道を歩く。
向かった先は──孤児院。
「あら黒騎士様、いらっしゃい」
「あっ、黒騎士様だー!」「わーいわーい!」「今日も遊んでー!」
『デストローイ』
デストは一通り孤児たちと戯れる。
恐れる様子もなくデストによじ登る子供たち。デストもまるで気にした様子もなく、子供たちのなすがままにしている。
しばらく子供たちを自由に遊ばせたあと、デストは孤児院で最年長の女性に今日稼いだお金の全額を渡す。
「まあまあ。いつも寄付をありがとうございます、黒騎士様」
『デストローイ』
「いつもの部屋ですね、こちらへどうぞ」
デストは案内された部屋へと向かうと、一人きりになったところで首元に隠されたネックレスを取り出す。
ライヴァルトがいたらすぐ気付くであろう、そのネックレスは──彼が持つのと同じ《帰還宝石》であった。
『デストローイ』
デストの呟きに合わせて《帰還宝石》が発動する。
目の前に広がる、桃色の光の輪。
デストは迷わず飛び込んでいった。
──たどり着いたのは、どこか宝物庫のような場所。
美しい宝石や武器や防具が飾られた室内の最奥に、巨大な鎧を設置するための型が鎮座していた。
「お戻りになられましたか」
デストに声をかけたのは、メイド服を着た──おそらくは20歳にも満たない若い侍女。
デストは頷きながら声をかける。
『デストローイ』
「その鎧を着ていては何を話されているかわかりませんよ。なにせ『デストローイ』しか言えない呪いがかかっているのですからね。早く脱いでくださいませ」
侍女に促され、デストはフルフェイスヘルムに手を掛けるとゆっくりと取り外す。
中から零れ落ちる、白銀色に輝く──美しく長い髪。
その姿は──。
◆◇
王立ノブリス・エレガンテ学園。
──そこはバルチナセル王国において、選ばれし貴族や富裕な名家のみが扉を開けることを許された、真に“高貴なる学園”である。
16歳から18歳までの麗しき令嬢たちが集い、優雅なる作法と気品、深き知識と豊かな教養を磨き上げる。
それは単なる学びの場にとどまらず、未来を担う同年代の令嬢たちが互いに絆を結び、華やかなる社交界へと羽ばたくために用意された特別な舞台でもあった。
その学園に、生徒たちの注目と敬愛と羨望を集める一人の生徒がいた。
三大公爵家が一つ、アストライアー公爵家の一輪華。
ローレライン・アマステリア・ティア・アストライアー。
公女姫ローレラインは今年18歳。その美しさから、他の生徒たちから【高貴なる白銀】と呼ばれ敬われていた。
そのローレライン公女は、学園内のカフェテリアに設けられたテラス席にて、ひとり静かに腰を下ろしていた。
やわらかな陽光が彼女の髪を淡く照らし、紅茶の香りとともに周囲の空気までもが気高い雰囲気へと変化しているようであった。
「ああ……ご覧なさい、あの白銀の髪を。まるで月光が人の姿を取ったかのようだわ」
「ローレライン様が微笑むだけで、学園の庭園が花開く気がしませんこと?」
「高貴なる白銀──ロイエ・シルヴェール。その名を呼ぶだけで、胸が高鳴りますわ!」
「同じ空気を吸っているのが信じられないほど……まさしく高嶺の花ですわね」
「高貴なる白銀は、まるで学園そのものの象徴……あのお方がいるからこそ、この場所は輝いていんですわ」
白磁のティーカップを唇に運ぶその仕草は、まるで絵画から抜け出したかのように優美であり、通りかかった生徒たちは息を呑んで立ち止まり、彼女の様子を眺めては感嘆の声を漏らしていた。
「そろそろご帰宅のお時間です」
背後に控えていたメイドがそっと声をかけるとローレラインは静かに顔を上げる。
だが次の瞬間──彼女の手にあった繊細なティーカップがピシリと音を立てて砕け散る。
カップの破片が卓上に散らばり、あまりに突然の出来事にメイドは声を上げた。
「あっ……! ローレラインお嬢様!」
幸いにもローレラインの手が熱いお茶に晒されることは無かった。
気にした様子もなく手に残ったティーカップの耳を静かにテーブルに置く。
「今片付けます。ローレライン様にお怪我はありませんか?」
「……デストローイ」
「何かおっしゃいましたか?」
「いいえ、なにも。わたしくしは大丈夫ですわ。シンシアこそ、割れたカップの破片で手を傷つけないように気をつけてくださいね」
「はい、それよりもあまり簡単に物を壊さないでくださいね。察しがいい人にバレてしまうかもしれませんので」
「……分かっていますわ。本日はもう帰宅しましょう」
ローレラインは静かに席を立ちカフェテリアを後にすると、学園の門前に待ち構えていた送迎の馬車へと歩みを進め乗り込む。
その途中、彼女はふと振り返り、見守る女生徒たちに白百合のごとき微笑みを向けた。
「皆様、ごきげんよう」
その声は澄んだ鐘の音のように響きわたり、一瞬にして人々の心を揺さぶった。
「まぁ……!」「さすが高貴なる白銀様!」「なんという優美さでしょう!」「素敵……!」
女生徒たちは頬を染め、目を潤ませながら、ただその姿を永遠に心へと刻もうとした。
やがて馬車の扉が静かに閉じられる。
残された女生徒たちは、まるで舞台の幕が降りたあとのように──思わずため息を漏らすのであった。
◆
「はぁ……疲れましたわ……」
ローレラインは自室に戻るや否や、重たい裾を払ってベッドへ身を投げ出した。
純白のシーツに広がる白銀色の髪は艶やかで、深いため息が室内の静けさを満たす。
「ローレラインお嬢様、はしたのうございますよ」
「だって本当に疲れたんですもの。……はぁ、力を加減するのはいくつになっても難しいものですわね」
「それでも、ローレライン様はよく頑張っておいでです」
「シンシア……ありがとう。でも、力を抑えて学園生活を送るというのは、思っていた以上に大変なことですわ」
「まあ放っておくとお嬢様のパワーはあらゆる物を破壊してしまいそうですからね」
「まあ酷いですわ、いくらわたくしでもそこまではしなくってよ」
やがてローレラインは静かにベッドから身を起こすと、迷いのない足取りで部屋の奥へと進む。
そこには厚いカーテンに隠された扉があり、彼女が指先で取手をなぞると、魔力に反応して重苦しい音とともにゆるやかに開いていく。
闇に包まれた隠し部屋の中央には、異様な存在感を放つものが鎮座していた。
――真っ黒なフルプレートアーマー。
その鉄の塊は、灯りも差さぬ空気の中で不気味なまでに静かに彼女を待ち構えていた。
「ローレラインお嬢様、何度見ても凄い鎧ですね。アストライヤー公爵家の家宝の一つ『凶狂騎士の黒甲冑』」
「ええ、素晴らしい武具ですわ」
「あらゆる攻撃を弾く強固な鎧。その代償として《超重量》と《言語能力の喪失》を与える呪われた魔宝武具……よくそんなもの装備できますね? 最初お嬢様がこれを着たのを見たとき、あまりの怖さに失神するかと思いましたよ」
「おおげさですわ、シンシア。ですがこれが無いと従兄弟様に外出許可が得られないですからね」
「大切な従姉妹を傷つけないための措置とはいえ……ですがそれを易々と受け入れるお嬢様もまた……」
「シンシア、何か言いまして?」
「いえ、なにも」
メイドであるシンシアが離れたあと、ローレラインはうっとりとした瞳で呪われた黒い鎧をその白い指先で優しく撫でる。
「明日は銀曜日……ふふふ、楽しみですわ」
薄闇に響く笑みは、貴族の微笑というよりも、猛獣が牙を隠しきれずに洩らす喜悦のようであった。
「ああ、早くスッキリ暴れたいですわ……うふふ」
この鎧を纏い、また暴れるのだ。
優雅な仮面を脱ぎ捨て、抑えきれぬ衝動を解き放つために。
──すべては、溜め込んだ破壊衝動を晴らすために。




