「どんな願いでも聞いてやろう」という魔神、別に願いを叶えてくれるわけじゃなかった
金もない、仕事もない、彼女もいない。
こんな絵に描いたようなうだつが上がらない男である俺に、絵に描いたような幸運が舞い込んだ。
道端で怪しい壺を拾った。
それを自宅アパートに持ち帰り、ふざけて「魔神よ、出てこ~い」なんて呼びかけたら、本当に魔神が出てきてしまったのだ。
ターバンを巻いて、髭を生やした、一目で魔神と分かる、実に分かりやすい魔神だった。
そして、期待通りの言葉を吐いてくれた。
「よくぞワシを呼び出した。願いを言え。どんな願いでも聞いてやろう」
俺は歓喜した。
「本当に……どんな願いでも聞いてくれるのか!?」
「ああ、聞いてやろう」
さて、どんな願いを叶えてもらおうか。
何もない俺だが、欲望だけは山ほどある。そして、そんな欲望を叶えるのに最もうってつけなものといえば、やはり金だろう。
金があれば、大抵の願いは叶えられるようになる。好きな物を買えるし、好きな物を食えるし、旅行にも行けるし、金になびく女だっているはずだ。
よし、決めた。
「金だ! 大金をくれ! 俺を億万長者にしてくれ!」
「ふむ、大金が欲しいのだな」
「そうだ!」
すると、魔神は――
「金が欲しいなら、仕事をするべきだな。一生懸命働けば、そのうち貯金もできるだろう。頑張るがよい」
「……へ?」
話は終わってしまった。
「金は!? 出してくれないのか!?」
俺が抗議すると、魔神は眉をひそめる。
「なんでそんなものを出さねばならん。それより、どんな願いでも聞いてやろう」
こう返されてしまう。
俺はおかしさを感じつつ、きっと金銭は出せないんだと自分を納得させ、他の願いを言うことにした。
「だったら可愛い彼女をくれ!」
「彼女か……ならば自分を磨くべきだな。小綺麗にしたり、オシャレをしたり。あとは出会いがなければ彼女はできん。自分から積極的に出会いを求めていくべきだろう」
また終わってしまった。
ちょっと待て、可愛い彼女を出してくれるんじゃないのかよ。
すでに俺の中で結論は固まりつつあったが、まだ諦めてなかった。
「若返りたい!」
「食生活を見直し、それと体力をつけろ」
「頭がよくなりたい!」
「勉強をしろ」
「海外に行きたい!」
「パスポートを取得して、空港に行け」
どんな願いを言っても、アドバイスを返されるだけ。それもそこまで大したアドバイスでもない。俺でも言えるような当たり前のことばかり。
ついに俺は魔神に怒鳴りつけた。
「なんなんだよお前! さっきから願いを言ってるのに、全然叶えてくれないじゃないか!」
「当たり前だ。誰が叶えるなどと言った?」
「へ?」
「ワシは“聞く”と言っただけだ」
俺は愕然とする。
「ちょっと待てよ! 魔神が出てきて、“願いを聞く”って言ったら、普通叶えるって意味だろうが!」
「知るか、ワシは聞いてやるだけだ」
「そ、そんな……」
とんだ期待外れだった。
「だったらもう帰れよ!」
「帰らん」
「なんで!?」
「一度呼び出されたら、しばらくはそやつの元にいなければならないことになっている」
「しばらくっていつまでだよ!」
「さあな……。一年後か、十年後か、百年後か……」
俺はぞっとした。最悪一生つきまとわれるということか。
こんな奴にいつかれてはたまらない。うっとうしいし、プライバシーも何もあったものではない。
「出てけよ! 消えろよ!」
俺は追い払おうとするが、魔神には触れられない。正確には触っても手応えがないのである。
「ワシは出ていかないし、消えもせんぞ」
魔神は威厳たっぷりに告げる。役に立たない癖に貫禄だけはありやがる。
冗談じゃない。
俺はその足で交番に向かった。
自宅アパートから10分ほど歩けば商店街がある。その近くにある交番。この変な魔神を何とかするには国家権力にすがるしかないと考えた。
幸い、交番には中年の警官が一人待機していた。
「おまわりさん!」
「ん?」
「お願いします! こいつを追い払って下さい!」
「こいつ? 誰のことだね?」
「え? いや、俺の横にいるこいつですよ!」
「誰もいないけど……」
すると、魔神が言った。
「あいにくワシは呼び出した人間、つまりお前以外には見えんのだ」
「なにい!?」
「どうかしました?」
「いえ、何でもないです……」
適当にごまかし、そのまま交番を去る。
誰かに頼って追い払うことも出来ないようだ。
その後俺はせめて自分を慰めようと、牛丼屋に寄ってテイクアウトで牛丼を頼み、持ち帰ることにした。
自宅で牛丼を食べようとすると――
「ワシも食いたい」
「お前、飯食うのかよ」
「食わなくても死にはせんが、食いたい」
「ふざけるなよ。願いを叶えてくれない魔神になんか食わせる飯は――」
「食いたい! 食いたい! ワシも食いたぁぁぁぁぁい!」
魔神がわめき始めた。
こんな大声を出されたら、すぐに周辺住民から苦情が来そうだが、それが来ないあたりやはり俺にしか聞こえてないらしい。
「あーもう、分かったよ!」
魔神に牛丼を少し譲ると、箸を上手く使って美味しそうに食べ始めた。
俺からは触れないのに、なんで箸を使い、牛丼を食べることができるのか。
ずるいぞこの魔神、と俺は思った。
***
魔神に出会ってからというもの、俺は変わった。
変わったというより、目が覚めたというのが正しいか。
俺は心のどこかで、『この世には降って湧いてくるような幸運がある』『奇跡がある』と信じていた。
だからそれを期待して、いい加減な生活をしている部分があった。
その期待通り妙な壺を拾って、魔神を呼び出すなんて、世界的に見ても稀であろう幸運に恵まれた俺だったが、その魔神はなんの役にも立たなかった。
それどころか、飯を要求してくる始末。魔神どころか貧乏神だ。
この世にはものすごい幸運だとか、奇跡だとか、そんなのは存在しないと気づいてしまった。
世の中こんなもんだ、と悟ってしまった。
途端に地に足をつけた生き方をしたくなり、無難に職を探し、小さいが会社に入ることができた。
有能とはいえないが無能扱いはされないほどに仕事をこなし、職場で一人の女性社員と出会いを果たした。
俺も彼女も恋愛経験が疎いことが幸いしてか、お互いの短所を見て見ぬふりしつつ、そのままゴールイン。
やがて、長男も生まれた。
ちなみに、魔神はまだいる。
要所要所でアドバイスしてくれることもあるが、「仕事は丁寧にやらねばならんぞ」とか、「女の人は褒めた方がいいぞ」とか、相変わらず一般レベルの助言しかくれない。
しかし、俺も今では魔神がいるのにすっかり慣れてしまった。
一人きりになった時は魔神と雑談を交わすなど、結構いい仲になっている。
俺が妻と愛し合おうなんてムードになった時には、
「ではワシは席を外しておくか。お二人でごゆっくり」
などと余計な気を回してくるので、ちょっと殴りたくなるが。
しかし、俺は満足だった。
無難で平凡だが、絵に描いたような幸せな家庭を手に入れることができた。
そのうち魔神も、家庭サービスを優先しろだとか言って、あまり俺の前に現れなくなった。余計な気を利かせやがって。
今日も俺は会社でどうにか業務をこなす。
そんな時、思わぬ知らせが入る。
「事故……!?」
スマホから聞こえる妻の声は泣きそうだった。泣いていたのかもしれない。
俺の一人息子が小学校の帰りに車にひき逃げされ、救急車で運ばれたというのだ。
ひき逃げした奴はすぐに捕まったが、そんなことはどうでもよかった。
今はとにかく息子が心配だった。
会社を早退し、病院に駆けつけると、医師に告げられた。
「息子さんは意識不明の重体です」
非常に危険な状態で、命を拾っても重篤な障害が残る可能性が高いという。
なんでこんなことに……。
手術が行われる。
俺は待合室で、妻とともに祈る。祈るしかない。
息子よ、どうか無事に帰ってきてくれ。また笑顔を見せてくれ。それが叶うなら俺は、他に何もいらない。
とはいえずっと座っていると気がおかしくなりそうだったので、俺は「飲み物を買ってくる」と席を立つ。
自販機にまっすぐ向かうでもなく、院内を徘徊する。
歩くことで気を紛らわせたかった。動いていないと息子の命も止まってしまう。そんな気がした。
俺はおぼつかない足取りで歩き続ける。
すると、魔神が現れた。久しぶりのことだ。
貫禄あるその姿は、俺をどこかホッとさせた。
魔神はいつになく真剣な表情で、こう言った。
「願いを言え」
「願い……?」
「どんな願いでも聞いてやろう」
これまた久しぶりに聞いたフレーズだった。
魔神なりに俺を励まそうというのだろうか。
魔神も一緒に祈ってくれるなら心強い。助かる確率が1%でも上がるかもしれない。こんなことを思うほど、俺の心は弱っていた。
「頼む……息子を治してくれ! 息子を助けてくれ!」
自分でも情けなくなるぐらい、悲痛な声が出た。
これが息子が死の淵にいる時に父親が出す声か、と思った。
だが、魔神は言った。
「ようやくだな」
「……え?」
「ワシは、本当に心の底から叶えたいという願いしか叶えられんのだ。ようやくその時が来た」
状況を飲み込めていない俺に、魔神が凛々しい表情で告げる。
「今の願い、叶えてやろう!」
まばゆい光が奔る。俺はたまらず目を閉じる。目を開けると、魔神はいなくなっていた。
いくら呼びかけても、返事はない。
どうしてしまったのだろう。
魔神のことも気になるが、今はやはり息子が心配だ。俺は適当に飲み物を買うと、妻の元に戻った。
やがて、手術が終わった。
俺は奇跡を期待していた。そんなものはないととっくに分かっているくせに。
ところが――
「奇跡です。奇跡が起こりました」
なんと息子は助かった。
後遺症は免れないであろうほどの怪我だったのに、みるみる容態が安定しているという。
医師も、こんな事例は初めてだと舌を巻いている。
このままいけば、すぐに退院できるだろうとも伝えられた。
そう、まるで“事故になんか遭わなかった”ように。
俺も妻ももちろん喜んだ。
喜びつつ、俺は魔神に声をかけた。
「これは……お前のおかげなのか? なあ?」
魔神からの返事はなかった。
自宅に戻ると、あの怪しい壺も消えていた。
ショックは少なかった。なぜなら、心のどこかでそうなることを予想していたから。
***
一年後、俺は息子を公園で遊ばせていた。
命に関わる事故に遭ったにもかかわらず、息子はすくすくと育っている。
今の俺にとっては元気な息子の姿が最大の生きがいである。
ベンチで一休みしている俺に、陽気な声が届く。
「おとーさん、滑り台やろー!」
「ああ、やろう」
「じゃあ先に上ってるねー!」
笑顔で滑り台の階段を上っていく息子の姿を見て、俺はつぶやいた。
「願いを聞いてくれてありがとう、魔神……」
完
お読み下さいましてありがとうございました。