恥ずかしいので、遠慮します!
恋愛カテで良いのか……という内容かもしれません。
「無理無理無理!なにあれ!?」
寝室から飛び出した私は、私室と教えてもらった部屋に飛び込んだ。
「お、奥様!?いかがなさいましたか!?」
専属侍女と紹介されたアメリアが、慌てた様子で部屋に入ってきた。
「いかがも何も……は、恥ずかしいことをしてくるじゃない!びっくりした!」
アメリアは、困惑顔だ。状況が飲み込めない侍女を可哀想に思い、しっかりきちんと、説明をする。
「旦那様が、初夜?をするというので寝室に行ったの。それが、ふ、服を脱がそうとしたりして!恥ずかしいので、遠慮したところよ!」
アメリアは先程までの慌てた様子と一変、ぽかんとしている。
「奥様、それはほとんどの場合、当然のことでございますよ?」
その時、ドアがノックされ、少し前まで寝室を共にしていた夫が部屋に入ってくる。
「エヴァ、その、悪かった。まさかエヴァが何も知らないとは思わず……」
エヴァはこの晩、初めて知った。初夜とは、そういう事をすると。そして、淑女教育でほとんどの貴族令嬢はその知識を得て結婚するのだと。
「ごめんなさい……」
ひと通り説明を受けたエヴァは、私室のソファで反省中だ。
「いや、急な婚姻で、お互いを知らないまま、私も色々と確認を怠ったのも悪かった」
夫であるジャックスは、エヴァの頭を撫でる。
「とりあえず、今日は忙しかったし、ゆっくり休みなさい。また明日からのことは夜が明けたら話そう」
そう言ってジャックスはエヴァの私室から出て行った。
「奥様、温かいお飲み物をどうぞ」
アメリアがホットミルクを手渡してくれる。エヴァは両手で包むようにカップを持ち、ゆっくりとした動作で飲む。
エヴァは元は平民だ。母は病気で七歳の時に亡くなった。母の最期は町医者に世話になり、その医者は父親のいないエヴァをそのまま雇った。仕事は病院の掃除や洗濯。一人でなら十分生きていける賃金も払われており、独り身の平民であれば特に不自由はない暮らしが出来ていた。
それが十二歳の時、突然「伯爵」と名乗る人物が来た。町医者と話をつけ、エヴァのことを自分の娘だと言って大きな屋敷に連れ帰った。
そこから、その屋敷で文字の読み書きや、マナーを習い、学校へ通っていたら卒業する十六歳になる年に、結婚が決まったと伯爵に言われた。
十六歳の誕生日翌日に、結婚することになったジャックス・ベイリー公爵によって公爵邸に迎え入れられた。そして、そのまま身を清められドレスを着せられ教会で招待客のいない結婚式を挙げたのだった。
「昨夜は申し訳ありませんでした」
結婚式の翌日、朝食の席でエヴァはジャックスへ謝罪した。ジャックスは驚いた顔をする。
「いや、気にする必要はない。とりあえず、食事を摂ろう」
ジャックスに促されて、エヴァは椅子に座る。長いテーブルで、向かい合う。エヴァは伯爵家の屋敷に入ってからはマナーの勉強のため、食事は指導をされながらか、一人でしか食べていなかった。町医者のところでは昼休憩が一緒になった人と食べていたため、それ以来である。
「食欲がないのか?」
食事を始めないエヴァに、ジャックスが尋ねる。エヴァは、ハッとして、急いで食べ始めた。
「エヴァ、食事が終わったら執務室に来てくれ」
ジャックスはエヴァより先に立ち、食堂から出て行った。エヴァは、隅に控えていた侍女のアメリアを呼び、他の使用人に聞こえないように小声で聞く。
「あの、私も食事をここで止めて、行くべきなのでしょうか?」
アメリアは、優しい笑顔を見せる。
「いえ、奥様のペースでゆっくり食べてください」
エヴァが食事を終えるまでに、ジャックスは執務室でエヴァに関する書類を見直すことにした。
「伯爵と使用人の妾との間に生まれ、すぐに妾と共に伯爵家を出て、伯爵家の支援の元過ごしていたが学校へ通っていないことが判明し、伯爵が慌てて迎えに行ったと。学校に編入出来る状態でも無かったため、家庭教師を付けて何とか読み書きマナーを問題ない程度にさせた、か」
ジャックスはエヴァに対する違和感は何か、昨日からの彼女を思い出していると、側近のイーサンが焦った様子で入室してきた。
「おはようございます。その、アメリアから聞きまして」
エヴァに付けている侍女のアメリアはイーサンの母親だ。イーサンは、昨夜の件について聞いてきたのだろう。
「ああ、別に来てくれなくてもよかったんだが」
「いや来ますよ。主が新婚生活初日にトラブルがあったと聞き慌てて出てきました」
イーサンはジャックスの手元の書類に目を向ける。
「公爵家の方でも調べますか?」
「ああ、色々と違和感がある。都合良い婚姻だったと思っていたが」
ジャックスとエヴァはいわゆる政略結婚だ。
「エヴァの実家、ミッチェル伯爵家は広大な牧場を多数保有している。こちらはその牧場に投資すること、伯爵家は公爵領への農産物の料金を引き下げること、そしてその約束を強く結ぶための婚姻。よくある話だ」
ジャックスはこめかみに手を当て考える。伯爵家で読み書きマナーを学んだという割に、昨夜の取り乱した際はかなり言葉が崩れていた。また朝食の席での緊張した様子、食事中は問題なさそうではあったが、色々と確認しなければならないことがあることは確かなようだ。
部屋の扉がノックされ、イーサンが対応する。奥様です、と告げられ、入室を許可した。
エヴァは緊張しながら、朝食は全て食べ終えた。料理長と名乗る男性のコックがやや頬を強ばらせながらやって来た。
「奥様、味付けや量、食材等にご要望はありますでしょうか」
「いいえ。とても美味しかったです。食べられない物もありません」
コックはホッとした様子で、食べ終えた皿を持って下がっていく。
エヴァは習ったマナー通りに、アメリアが椅子を引いてくれる用意をするのを待って、立ち上がる。
「奥様、そのまま執務室に向かわれますか?」
アメリアにそう聞かれてエヴァは困惑する。マナーを習っては来ているものの、それは食事やダンス、礼の取り方等、この場合はこの動作をするといったものだ。選択肢の選び方は知らないため、この場合は執務室に行く以外の用が思い付かない。アメリアは五十歳前後で優しく接してくれるところから、エヴァは彼女を頼るしかないと結論づける。
「旦那様の執務室に行く前に私がすべきことはありますか?」
アメリアは、少し驚いた様子だが、すぐにいつもの侍女の顔に戻る。
「奥様が気になさるようでしたら、お着替えをされるのもよろしいかと。今のお召し物でも問題はありませんが、婦人によっては、執務室に行く時は書類のインクが付く可能性等を考慮し、執務室へ入る際の衣服を決めている方もおられます」
エヴァは自分の服を見る。上質なドレスだとひと目で分かるものだ。エヴァは伯爵家に入ってからずっと人形になったようだと思っている。好きに動けない服を着せられ、勉強をさせられ、毎日同じようなことを繰り返していた。感情の波がないまま、ここに来たのだ。どんな時にどのようなドレスが相応しいのかも習ったため、この服で十分だと思う。おそらく、執務室でも話をするだけだろうから、このままで構わないはずだ。
「そうなのね。きっと、お話だけでしょうから、このまま向かうわ」
アメリアに案内され、執務室に入る。
「お待たせいたしました、旦那様」
エヴァが淑女の礼をすると、ジャックスは家族なのだから必要ないと言った。エヴァは、礼の取り方も習ってきたが、それがどのタイミングで必要なのかは実はよく理解していなかった。今はジャックスがこの公爵家の当主でエヴァよりも立場的に上だと判断して行ったが、どうも必要なかったらしい。
「そこのソファで話をしようか」
ジャックスは執務を行う机を離れると、エヴァをソファへ促す。
エヴァが座り、アメリアがお茶を用意したところで、ジャックスは話し始めた。
「エヴァ。あなたはその、婚姻についての知識を習得されていないということが昨日分かったが、伯爵家ではどのような教育を受けていたのだろうか」
エヴァは伯爵家での生活を振り返ると、話し始めた。
「文字の読み書きが出来ませんでしたので、まずは文字と文法と単語を習いました」
「学校へ通っていなかったと聞いている。それはなぜ?」
「なぜでしょう?学校へ通う方法を知りませんでした」
「あなたは伯爵と使用人であった母親の間に生まれ、母親に養育されていたと聞いているが、母親はあなたに何も教えなかったのだろうか」
「そうです。母親は七歳の時に亡くなったのですが、六歳の頃には病に罹ってしまいましたので、もしかしたら学校へ通うことや文字の読み書きや計算くらいは教えようと思っていたかもしれません」
ジャックスは驚いた。母親についてはすでに亡くなったとは聞いていたが、七歳の時というのは知らなかった。
「エヴァ、あなたは何歳の頃に伯爵家に戻った?」
「十二歳です」
「それまではどうやって生きてきた?」
「母を看取っていただいた町医者の元で住み込みのお仕事をしていました」
執務室に沈黙が続く。ジャックスの予想は、伯爵家の支援を受けて不自由なく暮らしてはいたが、学校に通うまでの資金援助は無かったというものだった。しかし、エヴァは七歳で母親を亡くしそれ以降は住み込みで働いていたという。働いていれば、食い扶持には困らないが、学校へ通うことは出来ない。予想よりもエヴァを取り巻いていたものが過酷で、ジャックスは言葉を失う。
隅に控えていたイーサンが、何とかこの空気を打破しようと、無作法ではあるが、口を挟むことにした。
「奥様、それでは、奥様は伯爵家にどのようにして迎え入れられたのでしょうか」
「十二歳の時に突然、伯爵と名乗る方が勤め先に来られました。雇い主のお医者様とお話をされて、引き取られたという形です」
「そういえば、そもそもですが、奥様はご自身の父親について何かご存知でしたか?」
「いいえ。母も父親については一言も教えてくれませんでした」
ジャックスとイーサンはエヴァが伯爵家の者でない可能性を考えない訳にはいかなくなった。しかし、ある日突然、伯爵家に娘だと言われ拒否することもできなかっただろうエヴァに、同情する気持ちもある。
「エヴァ、これまで大変だったね。とりあえず、私達はお互いを知っていこう。また執務が一段落したらティータイムを共に過ごしたりしよう」
ジャックスは話を切り上げ、エヴァは部屋を出ていった。
「イーサン、エヴァについて調べるように」
エヴァは十二歳の頃からずっとフワフワとした感覚で生きている。読み書きを教えられ、本を読み、知識を蓄える。しかし、楽しいことも嬉しいこともない。伯爵家の使用人達からは、平民が伯爵家の子供で公爵家にお嫁に行けるだなんてと、なんて幸せな人生でしょうと羨ましく思われていた。しかし、エヴァが幸せを感じていたのは、母と共に過ごしていた頃と、町医者のところで一生懸命働いていた頃のことだ。
部屋に飾られている人形は、エヴァが小さい頃に母に買ってもらったもの。これを見ていると、幸せだった頃を思い出す。伯爵家では汚い人形と言われて棚に仕舞っていた。ここでは出していても何も言われない。
「奥様、刺繍や読書をされますか?」
ぼうっと人形を眺めていると、アメリアに声を掛けられる。伯爵家でも習った。貴族家の奥様は、夫と共に執務をするか、そうでない時にはお茶会などの社交をしたり、刺繍や読書を嗜むと。
エヴァは窓の外を見る。とても良い天気だ。
「庭園の散歩がしたいわ」
アメリアはかしこまりましたと言って、外に出るための服を用意してくれる。庭に出たいというだけで、こんなにも準備が必要なのだ。ごめんねと言いたいが、身分の下の者にそんな言葉を掛けては公爵の威厳に関わるからできない。
大人しく着替えられて、外に出る。外の空気が美味しい。
「一人にしてくれる?」
そう言うと、アメリアは見えないところに行ってくれた。エヴァは色とりどりの花を見る。庭師の小屋に行き、庭師に挨拶をして、鋏を借りる。いくつかの花を選んで花束を作った。ベンチに座って、花の匂いを嗅ぐ。
母は花屋の売り子をしていた。その間、私は近所の子供たちと一緒に遊んでいた。たまに、母に会いたくなって、花屋に行くと、あらあら仕方ない子ね、と言ってぎゅっと抱っこをしてくれて。それに満足してまた遊びに戻っていった。
伯爵家ではずっと屋敷に籠もっていたから、こんなにゆっくりと母を思い出すこともなかった。エヴァの時間は、十二歳の頃に止まって、今やっとまた動き出したような気がしている。
「奥様、日傘を差してもよろしいでしょうか?」
アメリアが日傘を持って現れる。
「いいわ。日に当たりたい気分なの」
日に焼ける肌ははしたないと、伯爵家ではカーテンを閉められた部屋にいた。おかげで、肌は真っ白になったが、自分の体でないように感じていた。
「ねえ、アメリア。私はここに居ていいのかしら?」
執務室での話から、ジャックスをはじめ公爵家の人間がエヴァについて把握していたことと違うことがあったということがエヴァにも何となく分かっていた。
アメリアは、もちろん、奥様なのですからと言った。しかしエヴァは、奥様でなくなったら?と考える。女性が一人で生きていくには、難しい世の中である。しかし、エヴァは伯爵家で得た知識がある。ここを出されても家庭教師や、読み書き計算を活かして事務員なんかで働くのも良いかもしれない。ふと、町医者を訪ねてくる子供たちを思い出した。親切なあの町医者は、貧しい家庭や孤児院へは診察費を取らずに薬代だけで診てあげていた。
アメリアは結婚が決まった時の伯爵から受けた説明を思い出す。公爵夫人の社交に関する費用については、毎月定額を渡される。そしてその費用は個人の資産として認められると。伯爵夫人に、どんな金額なのかを聞くと、高価なドレスが三着は買えると言っていた。エヴァは妾の子だが、伯爵夫人は聞いたことにはきちんと答えてくれる人だったので信用していいだろう。エヴァは、思いついたことを早速実行しようと思う。
「公爵家には孤児院との繋がりはあるかしら?私、慈善事業がしたいわ」
アメリアは、公爵家が寄付をしている孤児院をエヴァに教えた。
「ありがとう。厨房に行くわ」
エヴァは厨房に行き、料理長を見つける。
「クッキーを作りたいの。材料と場所を借りるわ」
アメリアが慌ててエプロンを着けてくれるが、エヴァは構わずにクッキー作りを始める。急いで作るので生地は寝かせずに、スプーンで形を整えていく。焼いている間に、アメリアに着替えを手伝ってもらうことにした。
「動きやすい服はないかしら?走れるくらいの簡素な服は?」
アメリアが他の使用人を連れて衣装部屋を漁るが、なかなか目当の服はないらしい。エヴァは、仕方なく一番安価で簡素な服を出してもらうことにした。
飾りがなく、街にお忍びで出かけるためのワンピースらしい。エヴァは迷わずワンピースに鋏を入れる。アメリアを始め、使用人数人がヒッと声を出す。裾を短くし、縦に裂き、ストールを内側に縫い付ける。そうすれば、裾が広がりやすくなる。
「こんなかんじの、動きやすい服を帰りに買って帰るわ」
そして、何十枚も用意されているハンカチを出す。どれも美しい刺繍が施されている。
「アメリア、確認だけど、ここにある衣装も小物もすべて私個人の物で間違いないわよね?」
「ええ、どれもご実家の伯爵家や、公爵家から奥様への贈り物でございます」
エヴァは刺繍を確認しながらハンカチを十枚ほど選ぶ。
そうしている間に、クッキーが焼け、粗熱も取れたと厨房から知らされる。
エヴァは、クッキーを一枚ずつ紙に包む。そして、クッキーとハンカチ、それから庭から見繕った花束を持って、孤児院に向かった。
「お、奥様が、慈善事業をすると……」
使用人がジャックスの執務室を慌てた様子で訪ねる。
「ああ、いい考えだな。彼女は社交もしたことがないから、夜会前にそういう評判があると良いだろう」
ジャックスは来月の夜会に思いを馳せる。
「それが、もう着替えられて孤児院に向かわれると」
使用人の言葉にジャックスは椅子からガタンと音を立てて立ち上がる。
「どこの孤児院に?まさか、勝手に資産を持ち出すなんてことは……いや、とりあえず会いに行こう」
ジャックスはイーサンと共にエヴァの私室に向かったが。
「これは、何をしていたんだ?」
そこには衣装部屋をひっくり返したような、大量のドレスがばら撒かれたあとを使用人達が片付けている最中だった。
「奥様が目当ての衣装が無かったようで、結局、ご自身でドレスを手直しされて出て行かれました」
「エヴァはどこに?」
「先程、厨房からクッキーが出来たと知らせがありましたので、そちらかと」
ジャックスとイーサンは小走りで厨房に向かうと、すでにクッキーを持って孤児院へ向かったという。
「奥様は、ご自身でお料理をされるのですね。とても慣れた様子でしたよ」
料理長は呑気にそんなことを言っているが、ジャックスとイーサンは慌ててエヴァの馬車を追い掛ける。
「こんにちはー。エヴァお姉さんよー」
エヴァは孤児院の院長に突然の訪問で申し訳ないと断りを入れた。公爵家の紋の入った馬車で行ったためか、すぐに信用され、結婚してすぐに慈善事業を行うエヴァにとても丁寧にお礼を言う。
そして、持ってきたクッキーを子供たちに配ることにしたのだ。
「エバおねーちゃん!ありがとー!」
「おいしーね!おねーちゃんじょうず!」
感謝されたり褒められたりするのは久しぶりな気がして、エヴァも童心に帰る。
「私が作ったのよ!すごいでしょ!」
小さな子供たちの相手をした後、今度はエヴァと近い年齢の子供たちだ。
「クッキーと、ここで刺繍をする子はいるかしら?」
ちらほら、手を挙げる子がいる。
「このハンカチをあげる。これをお手本にしたり、どう刺しているのか研究するといいわ。あと、きれいに取っておけば、いざという時に売ってお金になるの」
刺繍はお金になる。孤児院でも手に職をと、刺繍を教えるところが多い。
「刺繍の糸や針がないなら手紙をちょうだいね。すぐに送ってあげる。その代わり、努力をするのよ」
子供たちはうんうんと頷き、ハンカチを大切そうに持っていく。
エヴァはその様子を見て満足して院長へ声を掛けて馬車へ戻った。
「アメリア、服を買いたいわ」
アメリアは、公爵家と縁のあるドレスショップか、街の平民が使う店のどちらかと聞き、エヴァは迷わずに平民が使う店を選んだ。
エヴァは服を三着選び、ついでに無地のハンカチも数枚買うことにした。公爵家に着いたのは夕方で、孤児院で子供たちと走り回ったエヴァは少し休むことにした。
ジャックスとイーサンは孤児院での光景を見て固まる。
「あれが、エヴァ?」
「奥様のようですね」
子供たちと走り回る姿を見て驚く。公爵邸で見た彼女と別人ではないかと思う程、表情豊かだ。
かと思えば、真面目な顔で、十代の子供たちに刺繍を売れば良いといったような世渡り術まで言い聞かせている。
帰りは街の店で平民の服やハンカチを買い、疲れたらしく帰ってから昼寝をしている。
「アメリア、彼女は何者なんだ?」
エヴァが昼寝をしている間にアメリアは執務室に報告に来た。
「私がしたいからするだけなの、とおっしゃっていました。迷いなくドレスを手直ししたり、クッキーを焼いたりと。一般の貴族令嬢とはかけ離れた行動には間違いありませんが」
エヴァは別に悪いことをしている訳では無いのでアメリアも見守り協力することにしたのである。しかし、公爵夫人としての立ち振る舞いとしてはいかがなものかと言われると、エヴァの行動には目を瞑れないこともある。
ジャックスが頭を抱えていると、イーサンが街からの報告に訪れた。
「奥様について、街の方からは慈善事業に積極的で、街にもお金を落とそうという意志が見られると話題になっていますよ。前公爵夫人は貴族中の貴族といった立ち振る舞いをされる方で、街の平民向けの店を訪れることも、慈善事業に自ら行くことも、ましてや平民と直接話されることもありませんでしたから。平民上がりの嫁にしたのは、それでバランスをとったのだろうと、新聞記者が考察しているようです」
もう新聞屋にまで話がいっているのかと、ジャックスは肩を落とすが、今のところ、良い印象のようで一安心する。ジャックスの母は厳しい人だった。買い物も店に行くよりも商会やドレスショップを邸に呼ぶことの方が多かったという。民は夫人に対して不満はないが、姿の見えない、どこか遠い存在に感じていたのだろう。
「イーサン、引き続き、民の声には気を配っておいてくれ。あと、さすがに走り回るのはやめてもらおう。慈善事業や、街での買い物は許可するが、事前に伝えること、最低限の品位を保った服装でいることが条件だ」
ジャックスの言葉に、イーサンもアメリアも頷く。これが、男爵家や子爵家であれば、お転婆な嫁が来たものだと笑い話で済むかもしれないが、ここは公爵家である。エヴァは平民から公爵夫人へと物語のような出世をしているが、現実は甘くない。ある程度は律してもらわなくてはならないのだ。
「慈善事業に、街での買い物と、疲れただろう」
晩餐の席で、ジャックスがエヴァに話し掛ける。
「はい。ここ数年は外に出る機会もありませんでしたので、休ませていただきました」
「次に出掛けることがあれば、事前に教えてくれないか」
「かしこまりました」
エヴァは朝食の時よりも晴れやかな表情をしているのがジャックスからもよく分かる。
「慈善事業に行くための服がなく、自身で手直しをしたと聞いたのだが」
「はい。子供たちのいる場所に行くには、相応しい服がありませんでしたので。帰りに街で慈善事業に相応しい服を購入しました」
「そうだったのか。ただ、公爵夫人としての品位を忘れないようにとだけ気を付けて欲しい。例えば、子供と遊ぶのは良いが、走ったりなどはあまり人前でするものではない」
ジャックスはさり気なくエヴァの行動に釘を刺すことにしたが、エヴァの表情はサッと曇る。
「走ることは、はしたないことなのでしょうか」
「そうだな。足が見えてしまうし、表情も乱れてしまうだろうから、良くないだろう」
「そうなのですね。無知で申し訳ありません」
ジャックスは少し気まずくなり、さっさと食事を終わらせ、席を立つ。その時、エヴァが一言、食事を先に終えることは許されるのですねと呟いた。
「どういうことだ」
ジャックスは少し苛つく。今日は散々、エヴァに振り回された。貴族らしからぬ行動だ。その一日の最後に、咎めるようなことを言われて黙っていられる訳がなかった。
「私は伯爵家でマナーについて学びました。食事は相手のペースに合わせることや、椅子を引いてもらうまで座っておくこと、食器の音を立てないこと。ただ食べて美味しいと感じるだけではだめだと教えられました。公爵様は私が走ったり表情を乱すことは注意をするのに、私が教えられたような最低限のマナーは守られないことに、私は納得がいきません」
エヴァは散々教えられたマナーと公爵家での違いに付いて行けていなかった。使用人達が息を呑む。
「ここは邸の中で、私には執務もある。私がエヴァに言ったのは民や他の貴族に見られている間のことだ。邸の中ではリラックスして過ごしてもらっていい。私はあなたの今日一日の行動に振り回されたのだから、食事を早く切り上げてもかまわないだろう」
ジャックスはそう言い捨てると、執務室に戻る。
エヴァは、何事もなかったように食事を食べ終え、アメリアを連れて私室に帰った。
「奥様、今晩はいかがされますか?」
アメリアは晩餐の際のやりとりから、あまり刺激はしたくなかったが、準備があるため確認しなくてはならなかった。
「夫婦の寝室というのかしら?一応そちらに向かうわ」
「なんなんだ……」
ジャックスは、執務室で苛立ちを隠せないでいた。イーサンはまだ途中ではあるが、エヴァについての報告をする。
「一応、伯爵家の娘ということは、町医者も確認したようです。どうも、母親が意識があった時に、医者に伝えていたようで、医者もその時の診察の記録に書いて残していたようで見せてもらいました。後で書き足したものではなく、当時書いたもので間違いはありませんでしたよ」
「そうか。どうしたものか」
「今晩はどちらで?」
「さすがに夫婦の寝室には来ないだろう。私室で休む」
エヴァは夫婦の寝室で一人、夜を過ごした。
おそらく、夫は来ないだろう。エヴァは昼寝をしたため、もう少し起きていようと刺繍をすることにした。刺繍は母もしていた。病に倒れ、少しでもお金を稼ぐためにベッドの上でしていたのを、六歳のエヴァは見様見真似で始めたのだ。母が亡くなり、町医者の元で働いていた時も、暇を見つけては刺繍をしていた。まとめて店に売ると、良い小遣い稼ぎになったからだ。今日買った無地のハンカチに刺繍をする。
翌朝、一人で目を覚ますと、呼び鈴を鳴らす。すぐにアメリアが来てくれた。
「アメリアはいつ休んでいるの?」
「私は住み込みですから、奥様が休んでいる時に休んでいますよ。奥様がここの生活に慣れた頃には、もう一人か二人を専属とさせていただいて、交代でさせていただく予定でございます」
エヴァは、なるほどと思いながら、私室に帰る。刺繍はまた寝る前の暇つぶしとして、置いておくことにした。
エヴァはしばらく変わらない生活をしていた。食事の時間はジャックスと共にしてはいるが、当初の予定であったティータイムを共になどということはなく、エヴァは刺繍や読書、庭園の散歩をしたり、たまに慈善事業に出掛けたり、街に出掛けたりと、自由に生活をしていた。
そして、ある日公爵家に関する噂が流れ始めた。イーサンはすぐにジャックスに報告する。
「公爵が、夫人を大切にしていないと」
「どういうことだ」
「奥様が慈善事業をしているのは、公爵家での執務に関わらせてもらえず、することがないからだと。また、十分なお金を渡されずに街で買い物をし、庶民のような服を着ていると」
エヴァのしていることが裏目に出た結果だ。ジャックスはエヴァを呼び出し、注意をする。
「慈善事業は良いことだが限度がある。また品位を忘れないようにということを理解していなかったのか」
二人の間には家族や夫婦といった関係が見えなくなるほど、深い溝が見える。
「私には公爵夫人でいるための素養が備わっていないようですね」
「そうだな」
「私、刺繍などの手に職もありますし、ここを離れても困りませんので、なるべく早めに決断していただきたいところです」
「分かった。離縁、ということでいいな?」
「はい。元々、無理な婚姻でしたから」
やはり、平民に公爵夫人は務まらなかったのだと、公爵家は使用人含め誰もが納得する最後だった。
離縁から数日で、夜会の日となった。ジャックスは一応エヴァにドレスを作っていたが、公爵家の色を使っているものであったので、支払いを上乗せした上でドレスショップに処分をお願いすることになった。公爵家にとっても、おそらくエヴァにとっても、社交に出る前で良かっただろう。
エヴァのドレスに合わせた衣装を一人で着ることになるとは思っていなかったが、直前のことで作り直す時間もなく、仕方ないことだと言い聞かせながら、ジャックスは夜会に向かう。
「男二人で夜会に行くことになるとは思いませんでしたね」
イーサンが馬車の中でそんなことを言っている。
「彼女は伯爵令嬢に戻った訳ですが、いらっしゃると思いますか?」
「これまでエヴァは社交に出たことがない。手に職があるとも言ってたからいないだろうな」
いても、気まずいだけだろうと、口には出さなかったが、王宮が主催する夜会だ。伯爵が次の嫁ぎ先をと言って連れて来る可能性もあるだろう。
「ミッチェル伯爵、この度は意に沿う形にならず申し訳なかった」
夜会でエヴァの実家であるミッチェル伯爵夫妻を見つけ、ジャックスは声を掛ける。爵位の順で、伯爵から公爵に声を掛けることができないためだ。
「いえいえ、こちらの方こそ、やはり貴族としての自覚は数年勉強した程度で備わるものではなかったようで。しかしながら、これも縁と思いますので公爵領への農産物の料金については引続き維持していこうと思います」
「公爵家としても、ミッチェル伯爵領の農産物は質が良く人気ですから、これからも投資させていただきたい」
二人は握手を交わす。離縁した両家を周りの貴族達も様々な思惑のある目で見ていたが、家同士のトラブルでなかった様子を見てなんだといったような雰囲気だ。
「エヴァ嬢は伯爵家でいかがお過ごしだろうか」
「本人の希望で、家庭教師や孤児院での仕事を始めたようです。公爵家にいた時に慈善事業をさせてもらった経験を活かしたいと言うので好きにさせています」
「とても積極的に慈善事業をしてくれて、こちらも感謝しきれない。感謝の言葉を伝えてほしい」
「エヴァもそのように思っているようです。ありがとうございました」
離縁した両家とは思えないような穏やかな会話に、今度は貴族令嬢達が色めき立つ。どうやら、公爵に非があった訳でも、とんでもない嫁だった訳でもないらしいと。ジャックスは若くして公爵家を継ぎ、地盤固めができないままだったこともあり、嫁ぎ先として足踏みをしていた貴族家も多かった。そこへ、広大な牧場を有する伯爵家が庶子を使って名乗りを上げたのだ。ノーマークだったところから、婚姻もとんとん拍子で進んでしまった。しかし、やはり平民として過ごしてきた彼女には荷が重く、両者合意の元、離縁したと。貴族の離縁には様々な憶測が飛び交うものだが、比較的騒がれずに、静かに波は収まっていた。
「おはよう」
エヴァはカーテンを勢いよく開ける。窓を開け、空気を入れ替える。
「今日はいかがされますか?」
「先生のところに行くわ」
エヴァは一人で身支度を済ませて、サンドイッチを作る。厨房は広く、朝食の準備が始まっていたがそこから少しずつ野菜や卵をもらっていく。
サンドイッチをまだ誰も来ていない食堂で食べてしまう。そして、用意していたバスケットを持って駆け足で外に出る。
「先生!おはようございます!」
「ああ、エヴァちゃん。帰ってきたのかい」
初老の町医者は朝早くから開業準備をしていることをエヴァはよく知っている。エヴァは診察室のベッドにシーツを掛けたり、端の窓を開けたりとてきぱき動く。
「エヴァちゃん、公爵家はどうだった?」
「とっても窮屈で辛かったわ」
「だろうねえ。でも、我慢した分をもらえたかい?」
「ええ、ドレスや小物も用意してもらえてたから、いいお金になったわ」
「そりゃよかった」
「先生、もう終わったことだし、どんな依頼だったのか教えてくれてもいいんじゃない?」
「そう言われる頃とは思っていたけど、ちょうど、依頼人が来るよ」
医者がホラと言って裏口を指差す。カチャリと扉が開く。
「あら?あなたは確か、イーサン?だったかしら?」
イーサンはエヴァを見て目を見開く。
「イーサンが依頼人?どんな依頼をしたの?」
イーサンは黙っている。その様子を見て、医者が話し始めた。
「公爵家は先代が病で早期に隠居してしまい、ジャックスは地盤固めをしないまま公爵になってしまった。後ろ盾のない公爵は結婚適齢期になっても中々婚約者が見つからなくてな。そこに目を付けたのがミッチェル伯爵家だった。伯爵家には資金は潤沢にあったが公爵家や王家との繋がりがなかったから公爵家との繋がりができる良い機会だった。公爵家も後ろ盾が欲しかったからな。しかし、公爵家からの資金提供と、伯爵家からの農産物の物価引き下げだけでは心許ない。そこでまずは伯爵家から側近にイーサンを出すことにした。まあ、公爵には伯爵家からとは知られないよう、子爵家の次男坊が就職先を探しているというふうにはしたらしいが」
「あら、イーサンは伯爵家の人だったの」
イーサンは気まずそうに頷くが、医者は構わずに話を続ける。
「それで、イーサンが公爵家を調べたら使用人も若い公爵をナメているところもあったし、民からの評判も良くはなかった。イーサンは使用人の選定からすることになり、侍女が足りないと他の貴族家で乳母をしていた経験もある母親も呼んだりしていたな。民からは公爵家は遠い存在で、まず目にすることもないと、完全にどこか知らない扱いだった。そこで、イーサンは街に出てくるだろう人を嫁にしたかったが、中々見つからない。適任と思っていても、向こうが公爵家に来たがらない。そこで、いったん適当に婚姻を結ばせることにした。この国では半年以内の離縁は一年経てば無かったことに出来るからな。それで、伯爵家の庶子として伯爵家が存在だけ知られていたエヴァを迎えに来た訳だ」
エヴァはなるほどと言う。
「それじゃあ私は離縁をする予定だったの?」
「いや、離縁しなければそれはそれでよかった。ただ、今後貴族間の付き合いなんか難しいだろう。遅かれ早かれというところだな」
確かにそうね、とエヴァは呟き、気まずそうな顔をして佇んでいるイーサンを見る。
「つまり、イーサンは伯爵家の人間として、公爵家に嫁に行ける程度のマナーの教育をするように、先生へ依頼したということ?」
「イーサンから私への依頼は、エヴァをここから出すことと、戻ってくることがあれば元通り雇ってやることだったな」
「そうだったの」
イーサンは申し訳なさそうな顔をして、やっとその口を開く。
「エヴァ嬢のことは伯爵家は存在の把握だけしていた。母親の入院費なんかは伯爵家が密かに先生に渡していたが、エヴァ嬢は何も知らないままだった上に、そのまま雇われていて問題なさそうだったから、定期的に生存確認だけ先生とやりとりしていた。公爵家と縁が出来た時、ちょうどいいと思った。伯爵も、平民として生きてきた娘は必ず街に出る、そして民の公爵家に対するイメージを良くするだろうと。頃合いを見て半年以内に離縁しても、平民育ちには荷が重かったと誰もが納得するし、次に嫁に来る者は、エヴァ嬢のことがあったから全く街に出ない訳にもいかないだろう。節度を持って街にも出る、貴族として育てられた者が来てくれるはずだと」
エヴァが自分の意志でしてきたことは、伯爵もイーサンも予想していたことだったらしい。そう言われてみると、学校に編入でもしていいものだろうに、伯爵家の屋敷に居続けたのも、他の貴族との繋がりが必要なかったからだろう。
「私、十二歳の頃から時が止まったようだったのよ」
エヴァの言葉に、イーサンは頭を下げる。そうだ、と言って医者が話し始めた。
「エヴァは、今伯爵家にいるが、これからどうする?帰ってくるか?」
イーサンとの約束で、エヴァの離縁後は元通り雇うつもりでいた。
「先生、私はけっこう有名人になっちゃったからやめておくわ。伯爵夫妻が、どこか気楽な貴族の後妻とか、商会の妻を探してくれるみたいだから、気ままに待つことにしたわ。伯爵家でも、自由に過ごして良いって言われてるから、今日もここにアッサリ来れたの」
エヴァは街でもよく見られていた。ミッチェル伯爵家の庶子というのも、知れている上にこの町医者は来る者拒まずの精神で経営されているため、貴族がお忍びで受診することもある。ここで働いていても良い思いはしないかもしれないとは思っていたのだ。
伯爵夫妻は、予定通り離縁したエヴァを、屋敷で好きに過ごさせている。平民としてそれなりに順調に生きてきた者を自分達の都合で勉強をさせて婚姻させた。平民には平民なりの生活や人生があることをよく分かっている伯爵夫妻は、エヴァに対して罪悪感もあるようだった。
「じゃあ、先生、それからイーサン。私はこれから刺繍を売ったりハンカチと刺繍糸を買ったりと忙しいから、またね」
エヴァはそう言うと、裏口から軽やかな足取りで出ていった。
残された、医者とイーサン。イーサンがエヴァの気配がなくなったところで、ため息をつく。
「生きる力というか、彼女の行動力にはずっと驚かされています」
「幼い頃から、働いて生きていくしかなかっただけだよ」
「そうですか。そういえば、一つ聞きたいことがありました。彼女、初夜についての知識が全くなかったらしいのですが、先生の入れ知恵ですか?」
医者は眉をぴくりと動かす。
「私は助言しただけだよ。嫌だなと思ったら、恥ずかしいので遠慮しますと言ったら良いと。噂によると、白い結婚だったとな。実行したのだろう。あとは、対話の機会を避けない方が良いとも言っておいた。嫌でも食事は共に、夫婦の寝室には行って、痕跡を残しておくようにと」
医者の言葉に、イーサンは再び深いため息をつく。
「おかしいとは思っていたんですよ。彼女、毎晩寝室で刺繍をしていて、それを使用人達が見て言うんです。奥様は健気に寝室で夫が来るのを待っていると」
医者はハッハッハと笑う。
「エヴァに次の縁談が来た時、もちろん公爵との結婚生活はどうだったか調べられるだろう。使用人達がエヴァに同情的であればいいなと思っただけだ」
「悪知恵が働く嫌な医者だ」
イーサンは、医者に依頼の報酬を渡し、裏口から出ていく。
実は、エヴァが初夜についての知識がなかったのは事実だ。平民として生きていたらそれくらい知っているだろうと、伯爵家も教育の必要性はないと判断した。しかし、エヴァは病院で真面目に働き、言い寄ってくる患者もピシャリと跳ね返していたし、そもそも幼いエヴァに他の看護師達は気を遣っていたから、あまりそういったことに触れさせないようにしていた。エヴァは周りの大人に守られて育っていたのだ。「嫌だなと思ったら、恥ずかしいので遠慮しますと言えばいい」というのも、何のことか分かっていなかったが、当日になって、その事態に遭遇して初めてそういうことと理解したのである。
医者は、エヴァの母親の記録を見る。流行り病だった。彼女が一度だけ言った、エヴァの父親はミッチェル伯爵であるという言葉。彼女が病で働けなくなった後も入院費を払うことができた理由はそこにあった。そして、彼女が寝たきりになってからは伯爵家から寄付という形でお金が渡されていた。エヴァがいない隙を見て、伯爵が見舞いに来ていたことも、エヴァが働き始めた後、伯爵が陰からエヴァの姿を見守ることがあったことも、エヴァは知らないままだ。伯爵はエヴァに勉強をさせて、将来に困らないようにしてあげたかった。やや歪な形だが、伯爵の思惑通りに彼女は教養を手に入れたし、身分違いの所での居心地の悪さも経験して、良い人生経験ができた。きっとエヴァはこれからたくさんの幸せを見つけるだろう。
ありがとうございました。
結ばれないグッドエンドを目指しました。
ジャックスもエヴァも、別々に、幸せになります。
それぞれの続きが思いついたら、いつかまた作品にできたらなと思います。