第七幕: 可哀想な人
「ジュアー。そっちはどう?」
整備された世界樹の内部、入り組んだ蟻の巣のように小部屋がいくつも存在する階層で、私たちはラーア人が残した痕跡を探していた。
「芳しくありません。『神の目』でも確認していますが……この辺りには手を出していないようです」
「そっかー。低い階層だから、そこそこ悪さしてると思ったんだけどな」
ラーアの目的は、世界樹を弱らせること。それも、変異させた異形どもを用いて、内側から攻撃するというなんとも陰湿な方法で行われている。
だが、その蟻型の異形たちを作り出すのには多大な負担がかかるらしく、故に手を伸ばしやすい低層から探りを入れているのだが……結果は未だ伴わず、といった様子だ。
「ふう。低能の癖に小手先の知識だけは豊富なのでしょうか。それとも、想定以上に多くの工作員を動員している?」
世界樹の上層へ向かう、という行為は簡単なように見えてその実かなりハードなものだ。
この低層……人間が利用可能な領域は実際のところあまり広くなく、上層へ進むにつれて環境が厳しくなっていくため、人族が開発した部分は世界樹全体の一厘にも満たないという。
故に上層へ向かうには、空気の確保は勿論のこと、世界樹の出す有毒ガスや天然のトラップへの対策、異形たちへの対処……。更にいえば自ら壁や天井を掘り、道を作らねば進めない場所も多く存在するらしく、そのため多くの労働力と精鋭の術者が必要と言われている。
「まあ、どちらにせよここはハズレだね。一回がっつり上がって、上からちょっとずつ調べていく? 掃除みたいに」
「その方がよろしいでしょう……おや?」
ことん、と固い靴音が出口のほうから微かに聞こえた。二人揃って振り替えると、そこには冒険者とおぼしき人族の男が、黒く染まったナイフを携えてぽつんと一人で立っていた。
「ありゃ、冒険者さん? 依頼を受けてきたのかな?」
何やらルーレリアは立場上世界樹には立ち寄れないらしく、代わりに冒険者協会に蟻等の異形討伐依頼を委託して貢献してくれているのだ。
ここに来るまでもちょくちょく見かけていたので、思ったよりルーレリアは神としてではなく、長老としても信頼を得ているようだ。
「だったら申し訳ないけど、ここには異形はいないよ。私たちはぐいーっと上るから、二、三層先に行けば十分……」
「ああ、すまないな。俺の用事はそれじゃないんだ。もっと金になる依頼を受けてきたもんでね」
「ふーん? ならいいけど」
気のない返事をして、興味の失せた表情で後ろに向き直る。そのまま上の階層に上ろうと、階段の方へ歩みを進め……。
「はい、残念」
「ッ、一!?」
私の首元目掛けて異常なほどのスピードで飛んできた投げナイフが、空間に固定されるようにぴたりと皮膚すれすれで止まり、勢いのなくしたそれを気軽に摘まむ。
常人ならば扱うのが難しいはずの『死』の要素が込められた『キャスト』がご丁寧に二重三重に重ね掛けられており、並大抵の人間ならば掴んだだけでも卒倒してしまうようなまがまがしい気配を漂わせていた。
私の所業に一瞬気を取られていた暗殺者だったが、そこそこ経験を積んでいるのだろう、すぐさま『キャスト』を自分の脚に掛け、こっちを警戒し目を逸らさず勢いよくバックステップする。
同時に空中制御の術式も用いており、応用力、瞬発力ともに優れた術者であることが分かる。なるほど、なかなかやり手を送り込んできたようだ。
だが、敵にとっての誤算にして敗因は、戦力外に見なしていただろうただの従者が、私以上の怪物であったことだろう。
「ああ……『神の目』を使っていたから、私が魔族だと見抜けなかったのでしょうか? でしたらご愁傷さまです。情報を与えぬ依頼主を恨みなさい」
「なっ、は……?」
理解不能に喘ぐ暗殺者が、狼狽した様子で視線を動かす。
確実に逃げられると思っていたのだろう、子猫のように首元をジュアに摘ままれてもなお抵抗ができないほど混乱の度合いが深い。
ジュアがもう片方の手で指を鳴らし、同時に暗殺者が全身の力を抜いて昏倒する。適当に暗殺者を放り出して大地とハグをさせた後、汚ならしいと言わんばかりに掴んでいた方の手を拭った。
「ざっと見たところ、ただの雇われ暗殺者のようです。依頼主はラーアの術師ですね。憐れなことに、『か弱い女子供二人の殺害・再起不能』との依頼内容でここに来たようで」
「そりゃまたご愁傷さまだね。にしても、こっちの居場所がばれてるのは何で? いちいち全部の階層を見てきたのかな?」
「いえ、先刻殺ったラーアの術者の置き土産でしょう。魔法でもって何らかの痕跡を残し、こちらの位置を特定しているようです。まぁ、都合が良いので放置しておきましょうか」
「ああ……釣るんだね? でも、術者ってそんなに近くにいるものなの?」
ジュアの発言を、痺れを切らした術者がなにかしら直接攻撃を仕掛けてくるのを待つ、と解釈したが、それは術者が近くにいるときのみ成り立つ仮定である。そんな私の疑問に「恐らくですが」と前置いてから、
「この術式ならば、強度と隠蔽性に注力しているため、遠隔操作性には優れていないはずです。受け取り手からすれば……そうですね、遠くとも世界樹からあの人族の集落程までの距離にいなければ十分な情報を得られないでしょう。傭兵との連携も考えれば、もう少し縮まるかもしれませんが」
「へえ、そうなんだ。じゃあ、あとは待つだけってことだね」
こくりと頷いたジュアの反応を見届けてから、取り敢えず同じ場所に留まり続けているのも不自然ということで、上層に上がるべく階段のある小部屋へと足を運んだ。
世界樹は分かってる限りでは十七層しかありません。それでも二千メートル近く開拓されてますけれども。
ここで言う上層は十層より上です。凡そ千メートル地点。