第四幕: 世界樹との調停者
「……ルーレリア?」
老婆の名前を聞いたジュアがぴくりと眉を上げ、名前を反芻して何かを思案する。
にこにこと微笑む老婆は、そんなジュアの様子に気づかずに私に歓迎の言葉を向ける。
「なんでも我が村落お抱えの冒険者の命を救ってくれたとかで……いやはや、なんとお礼を申し上げたらよいのか」
「あはは、そんなに畏まらなくてもいいよ。私としても、目の前で死なれるのは目覚めが悪かっただけだしね」
「寛大な言葉、ありがたく拝聴いたします」
ぺこりとお辞儀した老婆に、私はどうしても警戒心を解けないでいた。
というのも、彼女が瞳の奥に秘める青い光――それが『キャスト』由来のものであることは容易に看破できたが、肝心の術式が暴けないのだ。
当然、自分の力量を過信しているわけではない。私はまだ学びはじめの若輩であるし、知らない術式など無数にあるだろう。
だが、要素の看破すらできないのがどうしても気持ちが悪い。
要素というのは『キャスト』を扱う上で最低限必要なものであり、故にジュアに全種類叩き込まれたのだが……目の前のそれは、今まで習ったもののどれにも該当しない。
そんなことが有り得るのか? と、こっそりと『無形』による信号を作り出し、ジュアにも尋ねてみるが、「私にも理解できません。……要注意です」との言葉が返ってきて、いっそう身体を硬くした。
「さて、お礼のほうですが……と、その前に」
言い終わるなり、持っていた杖を力強く地面に打ち付ける。突然の行動に目を丸くしていると、突如背後から悲鳴が聞こえてきた。
ばっと後ろを振り返ると、そこには新人のうち女性の方――名前は忘れたが――が、無数の根っこに絡めとられ、拘束されていた。
「なっ……何を、長老! ご乱心召されたか!?」
ホークが叫ぶが、老婆は気にも留めずに杖で土に線を引く。それに従い根っこが自我を持ったかのように動き始め、新人の首を絞め――。
「……どうして、分かった?」
そう、新人が――いや、なにかが小さく呟いた。
ごき、と自ら首を折り、同時に関節でも外したのだろう、拘束から逃れてから着地する。
その身体はおおよそ人間のものとは思えないほどに折れ曲がり痛んでいるにも関わらず、これが普通だと言わんばかりに生命活動を続けていた。
「ラーアの民ごときが、私の目を欺けると思ったか? 『キャスト』の成り下がりごときで」
言いながら、杖で地面を突き根っこを自在に操作する。新人らしき「なにか」も避けようと俊敏に動き回るが、手数に優れる老婆の術式に再度絡めとられ、先程よりきつく拘束されてしまう。
そこでようやく老婆が瞳の奥の青い光をふっと消し、何かに気づいた様子で「ああ……」と顎に手を当てる。
「お前……見た顔だな。確か、ホークの所の新人か? ……『本人』はどこにやった?」
言われ、元新人が「ははっ」と負け惜しみのように笑い、顔を歪めて、
「喰ったよ。そうだな、強いて言えば『俺が本人』だとも。……残念だったなぁ、『先輩』?」
嫌味たらしく頬を上げ、ホークの方を一瞥する「なにか」。ホークの瞳が動揺に揺れ、「嘘だろ」と掠れた声で独りごちる。
「あァ、可哀想になぁ……。独りで、誰にも気づかれずに、ゆっくりと死んでいく感覚……。信じていた先輩にも、気をかけていた同輩にも最期の言葉を聴かせられずに喰われていく感覚……。お前が気づけていれば、周囲に気を掛けていれば、いくらでも救えただろうに」
「……聴くに耐えませんね」
場のなり行きを静観していたジュアが、眉を潜めて一人呟く。急に何を、と思った次の瞬間、『空間が破裂』した。
「ぎっ、っ――――」
「来世からやり直しなさい、下衆」
老婆の根っこもろとも爆裂した空間に、ジュアが自ら飛び込み相手の肉体を掴む。その手が『キャスト』のものによる漆黒に染まり、そのまま握り潰して『相手の肉体を抹消』した。
「ジュ、ジュア? 何を――」
してるの、と続く間もなく、ジュアが指を鳴らし『キャスト』を発動させる。指先に集まる色は白、時間すらも操れる『無形』の要素だ。
視界を塗りつぶすほどの発光が起こり、思わず目を腕で遮る。暫く光が続いた後、ふっと何事もなかったかのように途切れた。
急激な光にちかちかする目をなんとか慣れさせ、ジュアの方を向く。そこには、なぜかメイド服がほつれてぼろぼろになっているジュアの姿と、もう一人……。
先程ジュアに握り潰されたばかりの新人の女性が、五体満足の身体で横たわっていた。
あまりの急展開に目を白黒させている私たちに構うことなく、ジュアはため息を一つ吐き、
「……一度殺し、中身も殺してから時間を戻して蘇生しました。精神も、その『新人』とやらのままのはずです。……少しばかり、割には合いませんでしたが」
「あ、あの一瞬で……ちなみに、ジュアはなんでそんなにぼろぼろなの?」
とりあえず一番気になっていることを訊くと、またため息を吐いて、
「……時の神です。普通に蘇生してしまうと『スワンプマン』になる危険性があったので、肉体もろとも時間を逆行させようとしたのですが……あいつにとって見過ごせないことだったようで。喧嘩して黙らせました」
「そ、そっか。あんまりよく分かんないけど……えっと、無事ならよかったよ。お疲れさま」
労いの言葉を投げ掛けると、表情こそ変わらないものの雰囲気を和らげて、いつも通りの態度で「ありがとうございます」と礼をする。少し不機嫌そうだったので、その変化にほっとした。
「……すみませんのう、客人に手を煩わせてしまい」
申し訳なさげに眉を寄せて老婆が言う。ジュアが返答として鼻を鳴らすと、よりいっそう眉間の皺を深くして、おずおずといった様子で切り出してくる。
「この場で言うのもなんですが……不埒な輩がこの村落に手を伸ばして来ておるようです。どうか手を貸していただけまいか……あなたたちの目的とやらにも合致しましょう」
老婆の言葉に、先程からずっと気になっていた違和感を、より強く感じた。それは何かと考え、発言を反芻し、見直して――。
「……私たち、おばあさんにここに来た目的、話したっけ?」
私の言葉を皮切りに、老婆の表情が初めて狼狽の色に染まる。続くジュアの言葉で、老婆の表情が完全に固まった。
「先程、時の神と喧嘩しているときに思い出しました。……ルーレリア、その名前は……間違いでなければ、『世界樹との調停者』……生命と空間を司る神のものです。騙りでなければ、ですが」
しばらく何のリアクションもしなかった老婆がふっと諦めたように笑い、口調を崩して「……敵わないな」と呟いた。老婆の姿が一瞬ぶれ、まばたきをした次の瞬間には、ジュアよりも少し小柄で緑髪に白の法衣を纏った神々しい女性が佇んでいた。
「ばれないと思ったんだけどな。久しぶりだね、ジュア。千年ぶりくらいじゃない?」
「私からすれば千年と百年ですがね」
「あはは、なにそれ」
笑い、にこやかな表情のまま私の方を向く。「これが今代の魔王かい?」と誰ともなく尋ねた。
そして佇まいを直し、咳払いをしてから――。
「じゃ、もう一回自己紹介しとこっか。私はルーレリア……生命と空間を司っちゃってる神、その人だよ」
時間の神はよくルール破られるから大変そう。
『スワンプマン』は自己言及のパラドックスです。自分と分子レベルで同一である肉体と精神をもった生命体は、果たして自分と呼べるのか……みたいな。詳しくはググろう。面白いよ。