第一幕: 滅んでしまった世界の過去は
世界は、真綿で首を絞められるようにしてゆっくりと滅んでいった。
「とは言うけどさ……実際、真綿で首を絞められるのってどんな気分なんだろうね」
そう言い、私――リーベリア・アムネスが足元に落ちてきた常磐色の葉っぱをつまみ、くるくると指先で弄ぶ。
「少なくとも、臓腑をナイフでかき混ぜられるよりかはマシな死に方ではないですか? 他殺、という点では救いはありませんけれど」
私の言葉に呼応して、隣のクラシックなメイド服に身を包んだ白髪の美女――ジュアがそう所感を呟く。
ちょっとズレた返答に苦笑を漏らしながら、私は手のひらで、くしゃっと葉っぱを砕く。
「……にしても、これが『百年前の世界樹』かぁ……。なんというか、今とは大きさすら違ったんだね」
首が痛みを覚えるくらい見上げても果が見えない、眼前の堂々たる巨木を見て、ぼそりとこぼす。
「ええ。今でこそああですが、過去は二世界を貫き、調和と安寧をもたらす神々の祝福がどうたらで、かなりの威厳があったそうです。その神々すら世界樹に見切りをつけた理由、というのは若干気になりますね」
ジュアが顎に手を当て、ふむ、と息を吐く。
「ざっと、目標を立てておきましょう。リーベ様にもお教えしましたが、今の神の座についている存在はいわば新任で、この時代の神は創世記より世界を統治してきた『いにしえの神』です。その神々が玉座を受け渡した理由……少なくとも、世界が滅んだきっかけと無関係ではないでしょう」
「つまり、その人達にカチコミをかけるってこと? でも、神様ってそんな簡単に会えるの?」
首をかしげ、幼い頃に父様からしばしば読み聞かせをされた神話を思い出す。
そこに描かれていた存在は、魔王なぞ歯牙にもかけないほどに力強く、傲慢で崇高なものだったように思える。少なくとも、おいそれと会うことはできないようなものであった。
そんな私の想像とは裏腹に、ジュアは気安い様子で「会えますよ」と肯定する。
「神、といえば崇高なように思えますが、結局は『欠陥品でない人間』ですからね。根源が違うわけでもなし、気負うことはありません」
「……え? 神様って人間なの?」
ジュアにとって私の驚きが予想外だったのか、「言ってませんでしたか?」と語尾を上げる。
「……ああ、おそらく捉え方の違いでしょう。リーベ様は『神が人間を創った』とお考えでしょうが、結局は『神が神を作ろうとして失敗した』から人間ができたのです。どちらかといえば、『人間』と呼ばれる種族の根源が神であったということですね」
まあ、ただの言葉遊びですよ、と何でもなさげにそう教えてくれるジュアだったが、正直かなりの衝撃を受けてしまった。いや、たしかに神話通りではあるのだろうか……?
「まあ、せっかくの旅路です。適当に観光でもしつつ神の居城に乗り込みましょうか」
「……ジュア、もしかして楽しんでる?」
「なんのことでしょう?」
飄々と受け流す従者の横顔に少しの喜色を見て、知識中毒者の従者にため息を一つ漏らした。
*
……薄暗い空間の中に、一つの怒号と二つの悲鳴、そしてけたたましく金属が擦れ合う音が響き渡る。
「アレン! フェリス! 左に逸れて遮蔽を利用しろ! 戦えねぇなら互いに支援しつつ後ろに下がってこい!」
怒号を発する赤髪の青年――ホークは、今まさに彼の腕に噛みつかんとしていた二匹の巨大蟻――ラントスを緋色に光る小刀でもって両断した後、バックステップし戦場を俯瞰する。
世界樹の巨大なうろ、狭く暗い視野の中、『キャスト』を使用して現状把握に努める。
「くそがっ」
拡大した視野の中、ろくにラントスの対処もできずに逃げ回っている新人二人の後ろ、こぶし大の蛍のようなモンスターが『キャスト』を使用する予備動作を確認して、舌打ちとともに走り出す。
「『先達』」
ホークがそう『キャスト』のイメージを固めるための呟きを漏らすと、右手に携えていた小刀が青く発光する。
「『展開』!」
がなり、走った勢いを全身で余すことなく利用して小刀を横薙いだ。もはや臨界状態にある蛍の『キャスト』だったが、それが二つの屍体を作る前にホークの放った不可視の刃が蛍の体をずたずたに切り刻む。
「っ、ちゃんと警戒しろ! ランキスだけに目を向けるな、全方向に意識を向けろ!」
ひいい、とまたも情けない悲鳴を漏らしながらも、ホークの指示に従おうという気持ちの現れだろうか、及び腰ながら各々構えをとり、ランキスへ対処しようとする姿勢が見てとれる。
少なくともその心意気は評価できる、と『キャスト』の触媒である小刀を振って術式を霧散させ、未だ迫り来るランキスを体術で捌きながら、二人を柔軟にサポートできるよう様々な術式のイメージを練る。
――ホークは優秀な術者である。現に、こうして新人を二人も抱えつつこのイレギュラー……数百とわき出てくるランキスとそれを後方支援する蛍――ラグナを捌ききれているのは彼の状況把握力、ないしは術者としての手腕がなせる技である。
だが、やはり二つの荷物は彼であっても御することが難しかったのだろう。
「あっ……」
青の長髪を後ろで一結びにした青年……アレンが思わずといったようの声を漏らした。
細腕を食い破るランキスの鋭利な顎、ぱっと咲いた鮮血の花が戦場を彩り、若き才栄の心を乱した。
それだけで、場の雌雄を決するには十分だったのだろう。
気づいたときにはランキスの顎がホークの眼前にも迫っており、それに対応もできないまま準備していた『キャスト』は空に散りああここで無様に無惨に何も成さないまま俺の人生が潰え終わるのかと――――――。
「よいしょー!」
瞬間、目の前のランキスが『歪んだ』。
ぐちゃり、という水音と共に胴体と頭が混ざり合う。鋼鉄とすら張り合うほどの強度を持ったランキスの甲殻が粘土細工のようにぐにゃぐにゃと変形し、瞬く間に肉塊へと成り果てた。
「お見事です。試運転としては最上の結果でしょう」
「えへへ、ありがとう。……危なかったね、人間?」
はっ、と呆然としていた意識を現実へと浮上させる。すぐさま声のした方を振り向くと――。
少なくとも戦場には似つかわしくない幼子と、絶世の美女が、『紅い目』を輝かせて立っていた。
ぞっ、と全身を嫌な感覚が駆け巡り、冷や汗が背中を伝うのがありありと感じられた。
腰が抜けそうになる身体を度胸で押さえつけ、震える喉をなんとか使い物になるように呼吸を整えて、絞り出すようにして声を出す。
「頼む……っ、誰でもいいから、あいつらだけは助けてやってくれ……」
ここへ連れてきたのは俺の責任だ、というホークの自責の念と覚悟の籠った力強い言葉に、しかし返答はなんとも軽々しいものだった。
「別にいいよ。ええと、人間は……こういうとき、何て言うの?」
「朝飯前、一欠片のケーキ、赤子の手を捻るより簡単……などでしょうか」
「あはは、確かに赤ちゃんの手を捻るよりかは心が痛まないもんね。相変わらず言葉繰りでは勝てる気がしないよ」
死線といっても否定できないほどの絶望的な状況の中、雑談のように軽い言葉を交わす二人の女性を見て、ホークはすっと息を吐いた。
彼女らにとってはこんなもの、取るに足らない日常なのだろう、と。
なぜなら、紅い目――畏怖の対象で見られるルビーの目、それは『裏の世界』に住む『超人類』……魔族のものだからだ。
ちなみにリーベ様は現存する唯一の爵位持ち魔族だったりします。衰退したのは人族だけじゃなく魔族もってことですね。