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不穏な日常

 翌朝、ウェヌス・ギルドの主力部隊が帰還したことで都市内は大騒ぎになっていた。

 情報通信の分野を専門に取り扱っているメティス・ギルドの新聞によれば、早くも中堅ギルドの一つが彼らの手で壊滅させられたらしい。

 表向きは違法薬物を密輸していた悪徳ギルドを、正義の味方であるウェヌス・ギルドが治安維持のために潰したという筋書きらしいが、その陳腐なストーリーを信用する者は皆無だった。


「しかし団長、メティス・ギルドの連中はこんな記事を書いて大丈夫なのか? あそこは死神・ギルドが後ろ盾に付いてるらしいけどよ、ウェヌスの化け物どもを怒らせるのは流石にヤバいぜ」


「まあ、メティス・ギルドは真面目で正義感の強い方々ばかりのギルドですからね。死神・ギルドの不祥事などを除けば、書かれている内容は信憑性のあるものばかりです」


 知識の神メティスの名を冠するギルド――メティス・ギルドの発行する新聞は若年層から高齢層まで幅広く読まれている。

 代表取締役を務めているS級ハンターの男エルフが、不正や汚職を何よりも嫌う誠実な冒険者ハンターであり、不確定なゴシップ記事を載せたりすることが殆どないからだ。


『ならず者集団の帰還! ウェヌス・ギルドの闇に迫る!』


『正義を掲げる暴力団に未来はあるのか?』


『ダヴィデ・ガロニュート氏、早くも事件を隠蔽かっ!?』


 老若男女を問わずアヴァロン中の人々が購読しているメティス・ギルドの新聞は、近隣諸国にも大きな影響を与えている。

 ウェヌス・ギルトと潰されたギルドの関係性を調べ上げ、何らかの利権争いによる抗争ではないかと指摘している彼らの記事は、本当に命知らずな内容ばかりであった。


『前々から思ってたんだが……ウェヌスだの死神だの、中二病みたいなギルド名ばかりだな……』


「……言うな」


 異世界の”ニホン”人であるヒコマロの価値観は、この世界の人間とは大きく異なる。

 四百年くらい前の”ニホン”でも独眼竜だの第六天魔王だの、仰々しい二つ名で呼ばれている人物がいたらしいが、彼の生まれた時代では人前で名乗れないほど恥ずかしい中二病ワードだそうだ。


 新聞記事にデカデカと書かれている「黒炎姫」「雷帝」「蟲毒王」「風神」などの二つ名を見て、苦しそうに悲鳴を上げるヒコマロは「痛々しすぎて死ぬわぁ!」と嘆いていた。

 様々な種族の冒険者ハンターたちが写真の中でドヤ顔をしており、見ているだけで恥ずかしくなるそうだ。


「それにしてもよぉ、団長はこれからどうすんだ? 他のギルドみてーに同盟を組んだりしてウェヌスの連中に対抗すんのか?」


「同盟なんて組んでも烏合の衆に成り下がるだけです。その程度でS級ハンターが多数在籍しているウェヌス・ギルドに対抗できるなら苦労はしませんよ」


 荒くれ者ではあるが根は優しいことで定評のある人間族の男――モルドが記事を読みながら頭を捻らせる。

 およそ二十八歳とは思えないほど老けた容貌をしているが、スラム街のゴロツキ集団を纏め上げていた過去を持つ彼は、意外なことにリベルタ・ギルド内でも有数の常識人なのだ。


「なら、鳳凰やインドラなんかの傘下に入るか? 鳳凰・ギルドは上納金がバカ高いらしいが、部下を大切にするギルドだって有名だぜ? しかも、鳳凰のトップは別嬪さんだから一石二鳥だぞ!」


「そういえば、鳳凰・ギルドのトップは天翼族の女性だとか……」


 セレスティア大陸の北東部を拠点として活動している五大ギルドの一つ、鳳凰・ギルドは過去に何度もウェヌス・ギルドと小競り合いをしているらしい。

 今では絶滅が危ぶまれている天翼族と呼ばれる少数民族の女が、その圧倒的なカリスマと強さで纏めている冒険者ギルドだそうだ。


「天翼族は男女ともに容姿端麗な方々ばかりと言われてますからね」


「ああ、純白の翼なんぞ生やしてるもんだから二百年くらい前までは”神の遣い”なんて呼ばれてたらしいな。時の権力者たちにとって天翼族の女を娶ることは一種のステータスだったそうだし、エルフ以上に性奴隷として狙われることも多かったとか」


 大陸北東部のディレル山脈のふもとに暮らしている天翼族は、鳳凰・ギルドの影響下に置かれることで冒険者ハンターや近隣諸国から狙われずに済んでいるそうだ。

 何年か前にウェヌス・ギルドの団長であるダヴィデ・ガロニュートが天翼族の女たちを口説きに行ったらしいが、女癖の悪さで有名な彼が歓迎される筈もなくギルド間での抗争に発展したらしい。


「何でもギルド長のミネルヴァ・クレシェントムーンに愛人契約を持ち掛けたのが逆鱗に触れたとか」


「……命知らずな男ですね」


 奴隷貿易や侵略により絶滅の危機にある天翼族の者たちが、今も生き残れているのは鳳凰・ギルドの代表であるミネルヴァ・クレシェントムーンの庇護下にあるからだ。

 傘下に入った冒険者ギルドからの上納金を使い、ディレル山脈に暮らす仲間たちが快適に過ごせるようインフラ整備に力を注いでいるらしい。


 強く美しいだけでなく、聡明さと人格を兼ね備えたミネルヴァは多くの人々から持て囃されている。

 また、身分や血筋などに関係なく他者と接する良識人らしく、余程の無礼者でもなければ彼女を怒らせることは無いそうだ。

 そのミネルヴァを激昂させたことが切っ掛けで、ダヴィデ・ガロニュートは本格的に民衆から嫌われ始めたらしい。


「ほほほ、お困りですかなぁ~? このアリシア様がお悩み相談に乗ったげるよぉ!」


「……エルネストさん」


「おお、アリシアさんじゃねーか! 丁度いいタイミングだ!」


 昨日、マリアンヌの態度を戒めたばかりのアリシアが何処からともなく現れた。

 着物姿のアリシアが狐耳をピクピクさせながら朗らかな笑みを浮かべている。

 それだけで彼女に好意を寄せているモルドは、みっともなく鼻の下を伸ばしていた。


「あー、悪いんだけどジェミニ君と二人きりにしてくれるかな? お願いモルドっち」


「あ、ああ……そう、だな……」


 好きな相手から見向きもされず、顔を合わせて十秒もしない内に「二人きりにしてほしい」と言われてしまったモルドは実に憐れだった。

 意気消沈した様子で執務室のドアを開け、「はは、ちょっくら外で飲んでくるぜ」と作り笑いを浮かべる彼は、彼女いない歴イコール年齢らしい。


「あはははっ、モルドっちは美味しいお酒をいっぱい知ってるもんね。今度さ、美味しいお店があったら紹介してよ? モルドっちさえ嫌じゃなければ一緒に飲みに行きたいし」


「勿論だともっ!!」


 色っぽい仕草でウインクするアリシアの姿に、モルドの厳つい顔がパアッと明るさを取り戻す。

 なぜ前の職場を辞めさせられたのか分からないぐらい気遣いのできる彼女は、早くもギルド内の男衆を手懐けているようだった。

 いつの間にか彼のパーソナルスペースに侵入していたアリシアが、ほんのりと頬を上気させて言う。


「むふふふ、お姉さんに飲み比べで勝てたら……モルドっちの好きなようにして良いぜよ?」


「……す、好きなように」


 着物の胸元を少しだけ開けたアリシアが、舌先を動かしてペロッと唇を舐め上げる。

 その劣情を掻き立てるような色っぽい仕草に、モルドの喉がゴクッと鈍い音を鳴らす。


「私、お酒が好きなんだよねぇ。だからさ、お酒に強い男性やお酒を奢ってくれる男性が好みなんだ」


「本当かっ!?」


 慣れた様子でモルドの財布の紐を緩ませるアリシアは、前の職場でも男たちに酒を奢らせていたらしい。

 酒の神に愛されているとしか思えないほど豪快な飲みっぷりを披露する彼女は、一度も飲み比べで負けたことがないそうだ。

 しかし、そんなことを知る由もないモルドは「好きなだけ飲ませてやる!」と目の前の歩くザルに対して宣言してしまった。


「うーん、酔い潰れちゃった時のために新しい下着を買っとこうかな。脱がされた時にダサい下着を見られるのも恥ずかしいし」


「し、仕事に行ってくるぜ団長! 美味い酒を飲むためにも稼がないとなぁ!」


「……お気をつけて」


 先程まで飲みに行くと言っていたモルドが、酒代を稼ぐためにメラメラと闘志を燃やし始めた。

 アリシアの異常な飲みっぷりを知らない彼は、目の前の美女がカモを演じているだけの毒蜘蛛であることに気づいていない。

 傍から見れば悪女に貢がされている駄目男そのものだが、それを指摘する勇気は俺には無かった。


「あはははっ、これでタダ酒が飲めるぜよ♪」


「……モルドさんが憐れですね」


 鼻息を荒くしたモルドが出勤日でもないのに採掘チームが乗る魔石バスに乗車し、ダンジョンに向かう様子は憐れだった。

 絶対に勝ち目のない勝負をするために酒代を稼ぐなど、俺には到底無理な話である。


「はぁ……本当に負けたらどうするんですか?」


「その時は約束通りモルドっちに抱かれてあげるよ」


「……」


「あはははっ、そんなに真面目な顔しないでほしいな」


 男嫌いのマリアンヌとは異なり男連中とも積極的にコミュニケーションを取るアリシアは、同じ秘書でありながら男衆から非常に可愛がられていた。

 二日に一回のペースで鼻の下を伸ばした男連中から飲みに誘われ、屋敷内での掃除当番なども彼らが引き受けてくれるらしい。

 屋敷内にいる一部の女団員たちからは「あざとい女」「男に媚びる恥知らず」と白い目で見られているが、当の本人はまったく気にしていないそうだ。


「はっはっは、効率よく生きるためには柔軟な発想が必要なのだよ!」


「間違えたフリをして男湯に入ったり、酔ったフリをして男性陣に抱き着いたりするのは”柔軟”ではなく”狡猾”だと思います……」


 稲荷寿司を食べながら豪快に笑うアリシアに対し、改めて女という生き物の怖さを学んだ俺は大きな溜息を吐く。

 男連中を籠絡するべく酒に酔ったフリをして男湯に入り、そのグラマラスな肉体を余す所なく利用している彼女は、今やリベルタ・ギルド内にいるすべての男団員を手懐けているのだ。


 偶然を装って男団員たちの身体にぶつかり、胸や太腿を触らせることで彼らの警戒心を解き、巧みな話術で男たちの財布の紐を緩めていくのである。

 中にはアリシアの狡猾さに気づいている者もいるが、彼女に騙されるなら本望だとばかりにデレデレしているので、団長である俺としても介入するつもりはなかった。


「貴女もれっきとしたリベルタ・ギルドの団員なんですから、女性陣とも仲良くしてくださいね?」


「うーん、私としては全然構わないんだけどさ……皆のほうが私を嫌ってるからねぇ」


 狐耳をピクピクさせながら緑茶を飲み始めたアリシアは、毎日のように浴びせられる女連中からの冷たい眼差しに「女の嫉妬って粘着質なんだよねぇ」と肩を竦めていた。

 もともと男女間の仲がそれほど良くなかったリベルタ・ギルド内では、団員同士の恋愛など皆無に等しかったのだが、彼女が現れてからは良くも悪くも状況が一変したのだ。


「最初の頃は『ウチの男連中は金も魅力もない馬鹿ばっかり』とか言ってた癖に、男たちが私にばっかり構うと怒るんだから……本当に酷い話だよねぇ」


「……酷い話ですね」


 色っぽい仕草で稲荷寿司を食べるアリシアが「男の子もお稲荷さんも大好き♪」と人差し指に付いた米粒をペロッと舌先で舐め取る。

 男たちの劣情を煽るような言動を熟知している彼女は、己の美貌を利用して都合のいい手駒を増やしているのだ。


「要らないと思っていた物でも他人が欲しがると急に自分も欲しくなる、という摩訶不思議な心理現象をご存知ですか? まさしく今のエルネストさんと他の女性メンバーたちの状況です」


「あはははっ、ジェミニ君は博識だねぇ」


 男たちの視線を釘付けにし、蝶よ花よと愛でられるアリシアの姿は女団員たちの嫉妬心を湧き立たせるのだ。

 仮にリベルタ・ギルドの男連中が何の価値もない有象無象だとしても、その有象無象たちからチヤホヤされる彼女が気に食わないのである。

 縦社会を生きる男に対し、横社会を生きる女たちはアリシアのような「裏切り者」を徹底的に排除しようとする傾向にあるのだ。


「まあ、聡明なエルネストさんなら説明するまでもない話でしょうが……何事も程々にしておいてください」


「相変わらずジェミニ君は優しいね。私がまだ夢見る少女だった十代後半くらいに出会えてたら、本気で好きになってたと思う」


 二つ目の稲荷寿司を食べ始めたアリシアが真面目な顔で言う。

 真面目な話をしたり他人を揶揄ったり、会話の方向性や雰囲気がコロコロと変わるので話に付いていくのが大変である。

 しかし、掴みどころのない彼女のペースに呑まれていては日が暮れてしまう。


「それよりもエルネストさん、少々お聞きしたいことがあります」


「ん? 何かな?」


「昨日、貴女が仰っていた私の魔法に関する話ですよ」


 昨日はマリアンヌを慰めることで手一杯だったので聞けなかったが、俺の能力の正体に感づいた理由は聞いておかなければならない。


「俺が時間操作系の魔法を使える、と仰っていましたよね?」


 K・K(キリング・クリムゾン)の秘密を知っているのはヒコマロと相談役のジルだけであり、他の団員たちには一切話していない。

 何らかの理由によって時飛ばしに気づいたのであれば、今の内にその理由を聞き出しておく必要があるのだ。

 しかし、慈愛に満ちた聖母のごとくニッコリと微笑んだアリシアは――


「むふふふ、ジェミニ君が初めて本性を見せてくれたぜよ♪ これまでずっと一人称が”私”だったのに、今は”俺”って言ったよね?」


 獲物を狙う牝豹のように上唇をペロッと舐め上げた。

 その得体の知れない雰囲気にゾクッと背筋を凍り付かせてしまう俺は、今更ながら己の失態を悟る。


「いつもは冷静沈着で礼儀正しいジェミニ君が、女性の前で”俺”なんて言っちゃうくらい焦ってるのかぁ……ふふふ、ジェミニ君の弱味をゲットだぜ♪」


「……」


「E級ハンターのジェミニ君が上級ダンジョンに潜れるのも、その魔法が関係してるのかな? わざわざ昨日の話を聞き返してきた辺り、図星だったんでしょ?」


「……」


 どうやら思った以上に調べ上げていたらしい。

 今の今まで頭の中で大人しくしていたヒコマロが「油断するな」と警戒を促してくる。

 すぐさま気紋エネルギーで肉体を強化した俺はK・K(キリング・クリムゾン)を出現させる。


「貴女の目的は何でしょうか? 私の能力について探るように指示されたのですか?」


「おいおい、そんな怖い顔しないでおくれよ。私は興味本位でジェミニ君の行動を調べただけで、敵対するつもりは無いし他所のギルドの回し者でもないぜ? カジノ店やダンジョン内での行動をこっそり監視していただけさ」


「口止め料などが欲しいのでしょうか?」


「ねえジェミニ君、お願いだから普段の優しいジェミニ君に戻ってくれない? 私の軽はずみな言動がそもそもの原因なのは分かってるんだけどさ、今のジェミニ君は本当に怖いんだって」


 単なる興味本位で調べただけ、と言い張るアリシアが両手を上げて無抵抗を示す。

 少しだけ顔を強張らせている彼女がピクピクと狐耳を動かしている様子に、毒気を抜かれてしまった俺はK・K(キリング・クリムゾン)を引っ込める。


「私に敵対するつもりはない、と仰いましたが……それを証明できますか?」


「え、えっと……いきなり、証明なんて言われてもねぇ……」


 頬をポリポリと掻くアリシアが気まずそうに視線を泳がせる。

 どうやら本当に何も考えていなかったのか、予想以上に大事になってしまった今の状況に狼狽えているようだった。


「……失礼いたしました。貴女の自由奔放な性格を考えれば、本当にタダの興味本位だったのでしょう。少々取り乱してしまいました」


「ううん、今回は私が悪かったよ。前の職場でも周りの秘密を嗅ぎ回ってさ、最終的にはスパイ扱いされて追い出されたんだよね。生まれつき洞察力には自信があるからさ、他人の秘密を調べるのが楽しくて趣味になっちゃったんだ」


 己の悪癖を謝罪するアリシアが「ごめんね」と頭を下げて謝罪する。

 殺気や悪意は感じないので嘘を吐いている可能性は低いと思うが、用心するに越したことはないだろう。

 K・K(キリング・クリムゾン)の未来予知を使いながら不意打ちを警戒する俺は、取り敢えず話を続けることにした。


「どの程度まで知っているのですか? 無論、私の能力に関しての話です」


「えっと、これは私の推測に過ぎないんだけどね……ジェミニ君の魔法は、数秒間だけ時間を加速させるモノだと思う」


「ほう?」


「……ジェミニ君の近くにいるとさ、食べ始めたばかりの稲荷寿司がいつの間にか食べ終わってたりするし」


 直感と洞察力に優れているアリシアは時飛ばしの正体を何となく掴んでいるようだった。

 さすがに「時間を消し飛ばす」という正解には辿り着かなかったが、K・K(キリング・クリムゾン)の本質的な部分には迫っているようだ。


「一億エクシードでどうですか? 言うまでもなく口止め料のことです」


「い、要らないよ……そんな汚れたお金なんて」


 念には念を入れて口止め料を払おうとする俺に対し、落ち込んだように双眸を伏せたアリシアが受け取りを拒否する。

 脅迫や詐欺まがいの方法で金を手にするのが嫌なのだろう。

 普段は鼻の下を伸ばした男団員たちを利用している癖に、妙なところで不器用な女だった。


「な、なんか本当にごめんね……ほんの冗談のつもりだったんだ」


「いえ、エルネストさんが誠実な方だと分かっただけでも十分な収穫です。お詫びと言っては何ですが、私に出来ることがあれば遠慮なく言ってください」


 本気で警戒していた自分が馬鹿らしくなるが、ひとまずアリシアの人柄を知れただけでも良しとするべきだろう。

 視覚情報を共有しているヒコマロは「念のために探偵を雇って調査させろ」と未だアリシアへの疑惑の目を向けていた。

 しかし、当の彼女はニッコリと微笑んだ後――


「むふふふ、それじゃあ今日からお互いのことを下の名前で呼び合うことにしよっか♪」


 悪戯を思いついた子供のような顔で、断りづらい提案を持ち掛けてきた。

 断りづらい提案を断りづらいタイミングで口にする彼女は「女子会で皆にマウントを取れるぜよ」と右手の親指を立てる。

 そして一時間後、止むを得ずアリシアの要求を呑まされた俺は、男女を問わず全団員から冷たい視線を浴びる羽目になった。




 ☆




 レムリア皇国の南西部。

 富裕層の者たちが暮らす住宅街の一角にて、シリウス・バードウェイは言葉を失っていた。


「お、おいおい……あの落ち零れにいったい何が起きたんだっ!?」


 今から一年ほど前、交友関係にあった友人のディアボルス・ジェミニが送ってきた手紙。

 今朝、祖父の代から仕えている執事のロムスが「坊ちゃま宛ての手紙でございます」と持ってきたソレを開封したシリウスは、受け入れ難い現実にワナワナと肩を震わせる。


「おいロム爺、どういうことだ! ジェミニの野郎がこんなもん送ってきやがったぞ!」


「お、落ち着いてくださいシリウス坊ちゃま……何かの間違いでございましょう!」


 手紙に書かれていたのは友人であるディアボルスが、迷宮都市アヴァロンに着いてから今に至るまでの話だった。

 とうの昔に野垂れ死んだとばかり思っていた幼馴染が数ヶ月ぶりに手紙を寄越し、彼の安否を知ったシリウスは盛大に顔を顰める。


「あ、あいつは最下級のE級ハンターだぞ! 何十人も部下を抱えたり、億単位の金を稼げるような器じゃねえ!」


「単なる貧乏人の見栄でございますよ。あの卑しい貧民が弱肉強食のアヴァロンで生き延びられる筈がありません」


 手紙に同封されていた写真を見て「なけなしの金で役者を揃えたのでしょうな」と失笑するロムスは、ディアボルスが部下の冒険者ハンターたちと並んでいる集合写真にペッと唾を吐き捨てる。

 そしてゴミ箱にソレを放り捨てたロムスは嘲笑する。


「あのような知も才も学歴もない貧民風情が、仲間や部下に慕われて順風満帆な人生を送っている……そんな戯言を信じるおつもりですか?」


「信じる訳ねーだろ! だが、あいつが暮らしてた孤児院には月に百万エクシードもの支援金が送られてるんだ! 俺も最近知ったばかりだが、半年くらい前からジェミニの野郎が送ってるらしい」


 数枚ある写真の中にはエルフ族やドワーフ族、竜人族や亜人族の女たちがディアボルスと腕を組んでいる写真もあり、片田舎に住んでいる彼には縁が無いような光景ばかりだ。

 あまり他種族と交流することのない弱小国の田舎では、決してお目に掛かれないような「都会の女たち」に目を奪われるシリウス。


「ジェミニの奴、写真なんて洒落た物をいったい何処で……っ!」


「だ、誰かからカメラを盗んだのでは? 中流階級の者たちでさえ手が出せない高級品を、あの貧民小僧が買えるとは思えません……」


 大陸各地で大小様々な小競り合いが勃発している現在、中流階級以下の者たちは慢性的な物資不足に悩まされている。

 それ故に酒やタバコといった嗜好品は勿論の事、生活そのものに直接関わらないような物品は生産数自体が少ないのだ。


「最初、孤児院の連中から話を聞かされた時は戯言だと思って聞き流してたが……まさか、本当にジェミニの奴が……」


「シリウス坊ちゃま、冷静になってください。あのような卑しい血筋の若造が成り上がれるほど迷宮都市は甘くありません。そんなことより、由緒あるバードウェイ家の跡取りとして三日後の縁談を成功させなければなりませんぞ?」


 嘘か真か判断が付かない幼馴染からの手紙に顔を顰めるシリウスは、執務机の上に置かれている縁談相手の写真に目を向ける。

 皇国内でも有数の貿易商である父親が手を回し、商売敵であった貿易商の娘との縁談を取り付けたのだ。

 額縁の中にはそれなりに器量の良い娘の写真が収められているのだが、髪型やドレスなどから滲み出る田舎臭さがシリウスの気分を萎えさせてしまう。


(とうの昔に野垂れ死んだとばかり思ってたが、一体全体どういう手品だ……?)


 下級ハンターである幼馴染の成功を知った途端、得体の知れない黒い感情がシリウスの胸の内を埋め尽くす。

 そして写真の中にいる竜人族やエルフ族の美女たちが、卑賤の身である幼馴染の青年と仲睦まじげに肩を寄せ合っている様子に言い様のない不快感を覚えていた。


「縁談を済ませたら今のギルドは辞めるつもりだが、世話になった連中も多いからな……バードウェイ家の嫡男として採掘チームの皆をアヴァロンに連れて行ってやりたい」


「か、観光旅行……でございますか?」


「ああ、皆もジェミニのことを心配してたからな。あいつが本当に上手くやっていけてるのか、友人として心配なのさ。家柄や冒険者ハンターランクは違えど、幼馴染の腐れ縁だからな」


 困惑気味に目をパチパチさせる執事に対し「もし苦労してるようなら手を貸してやるさ」と微笑むシリウスは、何かに取り憑かれたように写真の女たちを凝視していた。

 写真越しにも分かるほどグラマラスな身体つきの竜人や、清楚な雰囲気を漂わせたエルフの少女、愛嬌のある顔立ちをした亜人族の女たち。

 その誰もがレムリア皇国のような田舎にはいない洒落っ気のある女ばかりだった。


「バードウェイ家の次期当主として採掘メンバーの連中には恩返しをしないとな。久しぶりの再会だからジェミニの野郎も喜ぶだろうぜ」


「あのような貧乏人どもと観光旅行など、旦那様が知ったらお嘆きになられますぞ?」


「おいおい、世話になったメンバーたちと親友の様子を見に行くだけだぞ? 二泊三日のアヴァロン観光ツアーを予約しといてくれ」


「……か、畏まりました」


 頭を下げて返事をするロムスの様子など興味がないとばかりに、写真の中にいる竜人族の美女を見つめるシリウス。

 側頭部に生え揃った双角はまさしく竜人の証であり、男心をくすぐるような整った目鼻立ちをしていた。

 その瑞々しい唇には色鮮やかな紅の類が嫌味にならない程度に塗られており、思わず吸い付きたくなってしまうほど魅力的な唇だった。


「……単なる見栄かも知れねーが、見栄なら見栄で親友としてアドバイスの一つくらいしてやらないとな」


 幼馴染の秘書を務めている竜人族の美女を目の当たりにしたシリウスは、父親から手渡された縁談用の額縁に目を向ける。

 そして二枚の写真を交互に見比べる彼は「はぁ……」と眉を顰めた後、気落ちしたように肩を落とす。

 そんなシリウスの様子に「見栄に決まっておりますよ」と顔を顰めるロムスは、言い様のない不安を覚えてしまうのだった。







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