運命の悪戯
改築工事を終えた後、以前とは比較にならないほど快適になったリベルタ・ギルドは順風満帆そのものだった。
団員たちの生活に支障が出ない範囲でダンジョンの攻略権を競り落とし、効率よくB級以下のダンジョンを攻略する。
そして月に一度のペースで歓楽街のカジノに足を運び、億単位の金を稼いでくる。
そんな日々を繰り返しながら勢力拡大を続けてきたリベルタ・ギルドは、今や将来有望な新進ギルドとして名を轟かせていた。
「ボスの能力はギルド内でもオイラしか知らないから情報が洩れる心配は無いだろうけどさ、毎回のようにカジノで大当てしてるから完全にマークされてるよ?」
「もう俺が入店するだけで露骨に嫌な顔をするからな。この前なんて従業員の男たちが俺を取り囲んで堂々と監視してきたし」
アンナお手製のサンドイッチを食べながら医薬品関係の資料に目を通すジルは、ギルド長である俺の身を案じているらしい。
どこへ向かうにしても最低五人は護衛が付いてくる上、あまりにも顔が売れすぎているせいで娼館に通うことも売春婦を買うことも出来ないのだ。
女子供に優しい田舎者の好青年として印象操作をしてきたのは良いが、予想以上に目立ち過ぎてプライバシーを守るのも一苦労なのである。
「そろそろ投資で稼ぐべきじゃない? ダンジョン攻略だけが冒険者ギルドの役目じゃないしさ、医療系ギルドや鍛冶系ギルドみたいに他の分野にも根を張ったほうが安全だと思うよ?」
「十四歳になったばかりの少年とは思えない聡明ぶりだな」
迷宮都市のみならず周辺諸国の物価なども事細かに調査しているジルは、少し前に採掘班から秘書であるマリアンヌの補佐になったのだ。
ギルド内でも頭脳派のジルは意外とマリアンヌの役に立っているらしく、割と良好な関係を築けているらしい。
そして俺の身近に娼婦や売春婦などが寄ってきた場合、必ず報告するように口を酸っぱくして注意を促しているそうだ。
「そんなボスに朗報でぇ~す! 他人の目を気にして娼館を利用できないソコの貴方! たった一つの通話機が有れば、綺麗な女の子たちを派遣してくれるサービスがあります!」
「……何ですと?」
「何と何と、空間移動の魔法を使える冒険者が女の子を指定した場所に移動させてくれるのです! もちろん出張先の宿や隠れ家などに派遣させることも可能であります!」
「よし、そろそろ俺専用の『喋るんです』を購入するか! ジルにも好きなのを一つ買ってやろう! 月々の魔石代はギルドの経費で落としてやるから安心しなさい!」
魔石エネルギーを用いた通信技術を個人がお手軽に利用できるアイテム――『喋るんです』は大ヒット商品である。
好きな時に好きな相手と好きなだけ話せるので、一定以上の収入がある冒険者たちは誰もが愛用しているのだ。
ヒコマロの世界では電気エネルギーを利用した”電話”なるものが利用されていたらしいが、それと似たような物である。
「にしししっ、休日は一人でゆっくりと過ごせるように別宅を借りるのも手だね。酒場にある貼り紙なんかには可愛い子が揃ってるお店の連絡先とかも載ってるぜ!」
「ジル、お前は本当に気が利く男だな。蒸発してしまったご両親の捜索費用も、今後は我がリベルタ・ギルドが出そうじゃないか」
才色兼備のマリアンヌとはまた違った意味で賢いジルは「豊臣秀吉みたいだな」と異世界人のヒコマロが感心するほど機転の利く少年だった。
常に年配者や上司の立場を考えて行動できる上、勝負事においては相手を気分よく勝たせる術に長けているのだ。
そして二ヶ月ほど前に投資で大儲けしたらしい彼は、数字のゼロが幾つも並んだ通帳を見ながら高笑いしていたのである。
「ジル、お前はリベルタ・ギルドの宝だ。俺に出来ることなら何でも相談に乗るから、今後とも仲良くやっていこうじゃないか」
「これでもオイラみたいな子供を拾ってくれたボスには感謝してるんだぜ! お互いの利益のために、持ちつ持たれつの関係で行こうよ!」
スラム街にいた子供たちを学校に通わせたり、浮浪者たちに職を与えたりすることで着々と人脈を築き上げている俺だが、ジルと出会えたのは本当に幸運だったと言えるだろう。
表社会のみならず裏社会の事情にも詳しい彼は、騙し合いの巣窟である迷宮都市アヴァロンを生き抜くための術を教えてくれたのだ。
「暗殺系ハンターには気をつけないと駄目だが、実際に俺のことを暗殺しようとしてる奴って結構いるのか?」
「うん、結構どころか滅茶苦茶いるね。大手ギルドの連中はともかく、中小ギルドの連中は相当ボスのことを疎ましく感じてる筈だよ」
訳も分からず手にしてしまった異世界の漫画の力を駆使して、あらゆる困難を狡賢く乗り越えてきた俺は、それだけ嫉妬や憎悪を向けられているのだろう。
どこの馬の骨とも知れない田舎者の小僧から富と名声を奪われ、我が物顔で街中を歩かれているとなれば当然かも知れない。
ダンジョンの攻略権を巡って競売で負け続けている連中などは特にそうだろう。
「オリハルコンは熱いうちに打て、という言葉があるでしょ? 今の内に各分野への投資をしてさ、ダンジョン攻略以外でも食っていけるようにギルドを改造するべきだと思う」
「まあ、確かにそうだな。あらゆる業界に人脈を築いておけば、結果的に入ってくる情報量も多くなる。暗殺を防げる可能性も高まるし、ダンジョンの攻略権を巡って争う必要も無くなる」
このまま勢力を拡大していけば大手ギルドの冒険者たちと衝突するのは時間の問題だった。
そして万が一、S級ハンターを敵に回してしまえばギルドの存続自体が危うくなるのだ。
「それにセレスティア大陸の五大ギルドとされるウェヌス、インドラ、鳳凰、死神、白竜にだけは目を付けられたくないですしね」
「今の俺では下位のS級ハンターでさえ引き分けに持ち込むのが関の山だろうし、このまま大人しく気紋エネルギーを鍛え続けるべきだろうな」
「体内の”キ”とかいうエネルギーを駆使して身体中の細胞を活性化させるんでしたっけ? 相変わらず訳が分からない力ですね」
側近の秘書であるマリアンヌにさえ教えていない話だが、誰よりも信頼しているジルにだけは包み隠さず話しておいて良かったと今更ながら思う。
単なるE級ハンターに過ぎない俺が何故、上級ハンターや上級モンスターと戦えるのかを知りたがる者は多い。
路地裏で襲われたりハニートラップを仕掛けられたりと、あの手この手で情報を聞き出そうとしてくる輩がいるのだ。
「ま、ボスが能力を使ってカジノで荒稼ぎしてくれれば資金は幾らでも調達できるしね。出禁にされないように注意して稼いでくれよ?」
「その点に関しては安心してくれ。大型ギルドが運営している以上、向こうにも面子というモノがあるからな。俺みたいな田舎者の若造に負けを認めるような真似はしたくないのさ」
すでにカジノ店を任されている中間管理職の支配人たちは「あの悪魔を出禁にしてください」と各々のギルドに嘆願書まで出しているらしい。
利益を根こそぎ奪われてしまえば現場の最高責任者である支配人が責任を負わされ、トカゲの尻尾として切り捨てられるからだ。
しかし、大手ギルドの威信にかけて田舎者のE級ハンターごときに膝を突く訳にはいかないのである。
「現場の連中は気の毒かも知れないが、世の中は弱肉強食で成り立ってるんだ。奪う側になれない奴は奪われる側に居続けるしかないのさ」
「……果たしてボスの冷酷さに気づいてる団員がどれだけ居るやら」
俺の本性を知る唯一の団員として様々な相談に乗ってくれているジルは、このリベルタ・ギルドにおける最重要人物と言っても過言ではない。
気紋エネルギーと幽気紋の力を活用して効率よく成り上がるには、能力を使いこなすための優れた頭脳が必要なのだ。
「小心者の俺に対して本物の器を求められても困るし、十年後くらいを目途に遠い田舎に移り住んで隠居するのも悪くないかもな」
「その時までにボスなしでもギルドが存続できるように事業を拡大しておかないとね」
十四歳の子供に頼りっぱなしの俺は改めて自分の不甲斐なさを自覚させられるが、人それぞれ得手不得手があるのだ。
他人への劣等感に苛まされている暇など今の俺には存在しないのだ。
「よし、息抜きに酒場でも行ってみるか! ジル、お前にも美味いもん奢ってやるぞ!」
「あのさあボス、サングラスとマスクを着用して出掛けるのは不審者そのものだと思うよ? 少し前に冒険者組合の多目的トイレでやらかした冒険者みたいだし」
娼館やソープランドの連絡先を確認するべく酒場に向かおうとする俺だが、盛大に顔を引き攣らせたジルが「ヨシモト・ギルドの美食王かよ」とドン引きしていた。
ヨシモト・ギルドというのは漫才師を育成しながら娯楽を提供している風変わりな冒険者ギルドなのだが、少し前に”美食王”の二つ名を持つ冒険者が不倫問題を起こしたのだ。
「そういや、奥さんはA級ハンターだったらしいな? 美人で性格も良くてスタイルも抜群らしいし」
「うん、奥さんが可哀想だよねぇ。不倫相手の女たちには一回につき一万エクシードしか渡してなかったそうだし」
地位も名誉も失ってしまった美食冒険者の話は巷を騒がせていた。
食に関しても女に関してもグルメな彼は、自宅謹慎を命じられて長い自粛期間に入ったそうだ。
新聞を読みながら口を揃えて”美食王”を非難していた女団員たちの姿を思い出し、結婚は人生の墓場だということを学んだのは今でも記憶に新しい。
「ヨシモト・ギルドのお笑いライブは大人気だったけど、今は美食王の不倫問題が発覚したせいで各方面から非難殺到だしねぇ……」
「妻子を愛する良き父親、というイメージが木っ端微塵に崩れ去ったからな。お笑いライブも活動休止中だし、様々な方面で違約金なんかも凄いとか」
結婚した当初は成功者であるA級ハンター同士ということもあり、大層な話題になったそうだ。
冒険者としての実力はA級かも知れないが、男としての品性がE級だった彼は、今や街中を歩くことさえ困難な状況に陥っているらしい。
「……結婚なんてするモンじゃないな」
「浮気なんてするモンじゃないな、と言わない辺り……ボスも同じ穴の狢だと思うよ?」
ディアボルス・ジェミニという男の醜い部分をしっかりと見抜いているジルが、鋭いツッコミを入れてくる。
だがしかし、男である以上は複数の女を侍らせたいと思うのが本能なのだ。
「まずは魔道通話機を買うのが先だと思うぜ? 連絡先をメモしても連絡できないんじゃ意味がないしね」
「……それもそうだな」
僅か十四歳の少年から馬鹿を見るような目で見られ、居た堪れない気分になってしまう俺は、少し前に団員たちからプレゼントされた外出用のコートを羽織る。
A級ダンジョンに現れるミノタウロスの毛皮から作られた逸品らしく、防水性や耐火性にも優れた最近流行りのコートらしい。
「今日はマリアンヌさんが休暇を取ってますから、アリシアさんに書置きしときます」
「ああ、アリシアには帰りに油揚げでも買ってきてやるか」
マリアンヌの負担を軽減するべく二週間ほど前に雇った狐人族の秘書――アリシア・エルネストに書置きをするジル。
「それにしても、狐人族の連中って本当に油揚げが好きなんですね。まあ、一日に三十枚も食べるのはアリシアさんぐらいでしょうけど」
「別に油揚げくらい何枚食おうと構わないが、美人ばかり雇うのは出来るだけ控えてくれ。何だかんだ言いながらリベルタ・ギルドは容姿を採用基準にしてる、と陰口を叩いてる連中もいるしな」
朝昼晩ともに油揚げを口にする偏食家のアリシアは、まさしく典型的な狐人族である。
マリアンヌに匹敵するほどの敏腕秘書として早くも頭角を現し始めている彼女は、食に対する異常な拘りさえ無ければ文句なしの逸材だった。
「けどさあ、能力と人柄は採用基準を満たしてるのに容姿が優れてるから不採用ってのは差別じゃない?」
「ま、まあ確かに……それも一理あるな」
セレスティア大陸の外にある極東の島国の伝統料理――稲荷寿司を一日に三十個以上も食べる大食い女。
仕事面や人間関係でも優秀な上、抜群のプロポーションを誇る容姿端麗なアリシアは、狐人族の特徴である天然な性格さえ除けば非の打ち所がない女だ。
「しかしな、美人ばかり傍に置いておくと周囲からの視線が痛いんだよ。他所のギルドの連中はマリアンヌとアリシアが俺の愛人だと思ってるみたいだし」
「別に良いんじゃない? アリシアさんもマリアンヌさんと同じA級ハンターだし、実害がある訳じゃないんだからさ、在籍させておけば大きな戦力になると思うよ?」
異世界の漫画に登場する超能力を使い、姑息な手段で荒稼ぎをしている俺を妬んでいる者たちは多い。
俺を失脚させる機会を虎視眈々と窺っている連中は、あの手この手でリベルタ・ギルドを潰そうとしてくる筈だ。
「まあ、仕事面ではきちんと結果を出してくれてる訳だしな。今はダンジョン攻略やカジノ以外でも稼げる方法を確立するのが先決か」
「うーん、やっぱりオイラ以外にも相談に乗ってくれる相手が要るね。ま、どちらにせよ今悩んだところで仕方ないからさ……他の皆にも相談してから決めようぜ?」
身支度を整えたジルが「思考が纏まらない時は息抜きが必要なのさ」と肩を竦める。
そんなジルの態度に思わず苦笑してしまう俺は、一週間ぶりの自由時間を満喫することにした。
街の屋台で美味しい物でも食べれば、憂鬱な気分も少しは晴れることだろう。
☆
夕方、魔石通信機こと魔信機の『喋るんです』を購入した俺は酒場にいた。
最新の加工技術を駆使して製造された魔石プレートを購入し、魔信機の挿入口にカチャリと嵌め込む。
『分かりやすく言えば電池みたいな物か』
「ああ、中の魔力エネルギーが空になったら店頭に持ち込んで、一枚につき三百エクシードで買い取ってもらえるんだ。魔力が無くなっても機械部品のパーツなんかにも加工できるからな」
俺と意識を共有しているヒコマロが魔信機を見ながら「民間人にも普及すれば経済の幅が広がるな」と珍しく真っ当なことを言う。
今の加工技術では魔石プレートの大量生産が難しく、購入できるのは一部の富裕層だけなのだ。
また、魔石を入手するには当然ながらダンジョン内のモンスターを討伐しなければならず、魔力に覚醒していない一般人が買うには敷居が高いのである。
「もっと安価に、もっと手軽に、もっと大量に魔石プレートを買えればなぁ……」
『魔石エネルギーが空になったら電池みたいに充電できないのか? 魔石プレートに冒険者たちの魔力を注ぎ込む、みたいな具合に?』
「俺みたいな学のない人間には分からないけど、魔法学校を卒業した学者たちが何十年も前から研究してるらしいぞ?」
ヒコマロとの会話を聞かれないよう他の客たちから離れた席にいる俺は、魔信機という便利アイテムの存在に感謝する。
魔信機が有ればヒコマロと会話をしていても他の誰かと通話しているように見え、独り言を口にしているとは思われなくなるからだ。
もちろん頭の中だけで会話できれば一番良いのだが、俺からヒコマロへの会話は言葉に出さなければ伝わらないのである。
「そろそろジルも戻ってくるだろうし、話の続きは夜にしよう」
『それは構わないが、娼婦を買う時は身体の主導権を俺にも渡せよ? お前ばかり楽しむのは不公平だしな』
「……分かってる」
人気のない席で黙々と肉料理を食べる俺は、ジルがトイレから戻ってくるのを待つ。
酒場に来るなりクリームメロンソーダを二杯も注文した彼は、腹を下して便意と闘っているのだろう。
普段は生意気なことを言って大人びているジルも、そういうところは年相応の子供なのだと知り、少しだけ安心してしまう。
「ふぅ……やっぱり二杯も頼むんじゃなかった」
「どんなに空腹だろうと腹八分目にしとくのが一番なのさ」
すっきりした表情のジルが「帰りは他の皆に甘味でも買ってく?」と戻ってくるなり苺ケーキを食べ始めた。
名のある冒険者たちが足を運ぶ酒場だけあって、料理の値段は高いが味は絶品なのだ。
酒場で働くウェイトレスたちも美女ばかりであり、彼女たちを口説きにやって来る冒険者も多いらしい。
「ああっ、口いっぱいに広がる甘味が堪りませんなぁ……」
「酒場という割には子供向けのメニューも多いし、どちらかと言えば金持ち専門の料亭って感じだな」
俺の財力を知っているジルは遠慮なくプリンやケーキを注文し続け、テーブルの上にはスイーツの皿が山積みになっていた。
しかし、頭を使う人間ほど甘味を摂取するという話もあるので、日頃お世話になっている彼には気前よくご馳走するべきだろう。
「屋敷の皆にもケーキを買ってくか? 大福や饅頭なんかでも構わないけどさ」
「んんっ、男はともかく女性陣はケーキのほうが喜ぶと思うよ? 今、屋敷に住み込みで働いてるのがオイラたちを含めて三十二人だから……えっ?」
お土産に買っていくスイーツに悩んでいた俺がメニュー表を見ていると、いきなりジルの言葉が途切れた。
口をパクパクさせた彼が酒場に入ってきた冒険者たちに、顔中の筋肉を引き攣らせている。
そして恐る恐るといった様子でこちらに視線を戻したジルは――
「ウェ、ウェヌスだ……ウェヌス・ギルドの連中が来やがった」
迷宮都市アヴァロンにおける最大にして最強の冒険者ギルド――ウェヌス・ギルドの団員たちが来店したことを告げる。
途轍もない魔力を漂わせた大陸最強の冒険者たちの出現に、他の酒場客も盛大に顔を引き攣らせていた。
それから数秒後、顔を青褪めさせた殆どの客がガタッと勢いよく席を立ち、会計を済ませるべくレジに向かい始めた。
「……あいつら、隣国のベスパニア帝国から戻ってきたんだ。ベスパニアの第二皇女がギルドマスターの愛人だからさ、革命派の連中を鎮圧しに行ってたらしい……」
「ジル、因縁を付けられるのは不味い。俺たちも会計を済ませて屋敷に戻るぞ」
即座にジルを黙らせた俺は近くにいた猫人族のウェイトレスを呼び、急かすように会計を頼んだ。
すぐさま事情を察してくれた彼女は「承知いたしましたニャン」と猫語で返事をし、食器を片付け始めた。
もはやレジに並んでいる時間さえ惜しいのか、大半の客が皮袋から金貨を取り出して「釣りは要らねーから取っとけ」と食事分以上の代金を払って逃げていく。
「くははははっ、雑魚どもにしちゃあ身の程を弁えてやがるじゃねーか!」
「まあまあダヴィデさん、弱者には弱者なりの生き方ってのがあるんですよ。あんまり苛めると可哀想ですって」
大陸最強と名高いウェヌス・ギルドの支配者――ダヴィデ・ガロニュートが高笑いする。
彼から発せられる禍々しい魔力を感じ取った竜人族の戦士たちが、冷や汗を掻きながら圧倒されていた。
「噂以上にヤバそうな男だな」
「うん、あれでボスと同じ人間族なんだから笑えない話だよ。小人族に次ぐ最弱の種族だってのに、完全に化け物だね」
帽子を深く被って顔半分を隠した俺とジルは、ウェイトレスの女に「余った分は貴女のチップにしてください」と代金を渡して会計を済ませる。
すると、山積みの金貨を目にした彼女が「裏口にご案内しますニャ」とウェヌス・ギルドの連中と顔を合わせずに済むよう気を利かせてくれた。
「こんなにチップを貰ったのは初めてニャン!」
目を輝かせたウェイトレスが鼻歌を歌いながら俺とジルを裏口に案内する。
先程まで賑わいを見せていた店内がウェヌス・ギルドによる貸し切り状態となってしまったが、逃げ出した客たちの判断は賢明と言えるだろう。
下手に因縁を付けられたが最後、圧倒的な暴力と組織力で物理的にも社会的にも殺されてしまうのだ。
君子危うきに近寄らず、という言葉はまさしく正論である。
根が小心者である俺はそそくさと裏口に向かい、他のウェイトレスたちから生温かい視線を向けられながら酒場を後にする。
だがしかし、ディアボルス・ジェミニという片田舎の若造はすっかり忘れていた。
「そこの少年、私の記憶違いかも知れんが……レムリア皇国で合った覚えはないかね?」
他のS級ハンターたちと稀少アイテムの所有権を巡って争い、口封じのために俺をダンジョン内に廃棄して去ったハイエルフ。
美の化身とも称される金髪碧眼の美女冒険者――イセリア・エリザベート。
そんな女神の皮を被った悪魔が音もなく背後に現れ、俺の思考回路は一瞬で真っ白になってしまった。