小心者と周囲の反応
A級ダンジョンの内部に広がる灼熱の砂漠地帯。
サンドワームの死骸が辺り一面を埋め尽くす中、武器を構えた冒険者たちが刺々しい殺気を迸らせる。
「へへっ、テメェの悪運もここまでだ。観念するんだな糞ガキっ!」
大剣を振り回すA級ハンターの男がニヤッと口角を吊り上げる。
その悪意に満ちた表情は迷宮都市アヴァロンの闇に染まった悪党そのものだ。
二十人以上ものB級ハンターたちに取り囲まれ、その全員から武器を突き付けられている俺は、呆れたように肩を竦める。
「……正気ですか?」
孤立無援の状況下で男たちに正気の沙汰を問う。
ダンジョン内での殺人や強姦、略奪行為などは冒険者にとって最も警戒しなければならない重要な課題である。
一度ゲートが閉じてしまえば、内部で起きた犯罪行為を立証することが出来なくなるからだ。
「黙りやがれ! お前みてーな田舎者のガキに好き勝手されて堪るかってんだ!」
「E級ハンターの分際で俺らの狩場を奪いやがって! 俺はテメェのような成金野郎が死ぬほど嫌いなんだ!」
「都市に来てから半年足らずで巨万の富を稼ぎ、貧しい連中に衣食住を与えるアヴァロンの良心……そんな聖人様が惨めな最期を迎えたとなりゃあ、新聞記事も飛ぶように売れるだろうなぁ!」
迷宮都市アヴァロンに来てから早九ヶ月、異例の速さで成功者の末席に名を連ねた俺は、早くもB級以下の中級ハンターたちから敵意を抱かれ始めていた。
最も費用対効果が優れているとされるB級ダンジョンの攻略権を巡り、幾度となく競売で負け続けたことが気に食わなかったのだろう。
「我がリベルタ・ギルドは組合側のルールに則って攻略権を競り落としているだけです。不満があるなら組合側に直訴すればよろしいのでは?」
「黙れっ! 田舎者の平民風情がほざくなっ!」
大剣を構えたA級ハンターの男が「屁理屈ばかり捏ねやがって!」と怒気を撒き散らす。
リベルタ・ギルドが優良ダンジョンの攻略権を独占している、と非難する中級ハンターたちは非常に多かった。
特にB級ダンジョンは攻略難易度の割には採掘できる鉱石や魔石の質が良く、モンスターから得られる魔石に関しても上質な物が多いのだ。
「そもそもの話、貴方がたのギルドではB級ダンジョンを犠牲者なしで攻略するのは不可能だと思いますよ? 困窮している下級ハンターたちを低賃金で雇い、使い捨ての消耗品にしている劣悪ギルドとして有名ですし」
「ああ? 下級ハンターのゴミ共なんぞ使い潰されるために生まれてきたようなもんだろうが! 俺らが粗大ゴミを有効活用してやってんだよ!」
A級以上のハンターを何人も抱え込んでいる大型ギルドであればA級以上のダンジョンを攻略することも可能だが、それ以外の中小ギルドにはB級ダンジョンまでが攻略できる限界なのだ。
気紋エネルギーによる肉体強化やK・Kの能力を駆使して格上のダンジョンを攻略している俺のほうが異常なのである。
「所得税を誤魔化そうとしたり、ギルドの規模を過少申告して住民税を安くしようとしたり、違法薬物を取り扱って小銭を稼いだり……本当に救いようのない馬鹿ギルドですね」
「……遺言はそれだけか?」
剣や弓、杖を構えた冒険者たちが殺気を迸らせる。
己の器量を客観的に分析できない彼らは、自分たちのギルドが困窮しているのは俺やリベルタ・ギルドのせいだと決め付けているのだろう。
溜め込んできた不満を吐き出すかのように、前衛タイプの冒険者たちが襲い掛かってくる。
「死ねや成金小僧っ!」
「あの世で後悔しやがれ!」
「新参者の分際で調子に乗り過ぎたな糞ガキぃ!」
息を荒くした小悪党たちが斧や長剣を勢いよく振り被る。
その背後では魔法系の冒険者たちが炎や雷、重力系の魔法を放つべく杖を構えていた。
だが、運命が彼らを勝者に選ぶことは決してない。
「K・K! 俺以外の時は消し飛ぶ!」
すぐさま幽気紋を使用する俺は「相変わらず不気味な姿だ」と目の前に出現した真紅の守護霊を見つめる。
そして周囲の砂漠地帯が消し飛び、宇宙を想わせる幻想的な景色に変わる。
『ディアボルス、今のうちにリーダー格のA級ハンターを始末しろ! 頭を潰せば手足の動きは麻痺する! 時飛ばしを解除した直後にK・Kで奴の心臓をブチ抜け!』
「うーん、何だか本当に漫画の主人公になった気分だ……」
対人戦でK・Kを使うのは今回が初めてなので、いつになく興奮したヒコマロが「死んだことを後悔する時間をも与えん!」と意味不明な台詞を口にする。
そして予知能力を使って冒険者たちの未来の軌跡を読む俺は、リーダー格であるA級ハンターの男の背後に回り込む。
そのままK・Kの右腕を大きく振り被らせ、時飛ばしを解除した瞬間に勢いよく男の胸部を貫く。
「ぐごぉばあっ!?」
「冥途の土産に教えてやろう。俺の魔法はこの世界の時を消し飛ばすことが出来るのさ。あらゆる過程は消え去り、結果のみが残るんだ」
K・Kの右腕に胸を貫かれたA級ハンターの男は、自分の身に何が起きたのかさえ分からないうちに絶命した。
そのあまりにも呆気ないA級ハンターの最期に「う、嘘だろ……」と他の冒険者たちが目を剥いて恐怖する。
無論、その致命的な隙を見逃すほどお人好しな俺ではない。
「はははっ、異世界の魔法ってのは最高だな!」
『まあ、厳密に言えば魔法じゃないんだけどな。幽気紋は精神エネルギーである”気”を具現化した力だし』
再びK・Kの時飛ばしを発動させる俺は、遠隔攻撃を得意とする魔法系の冒険者たちを排除していく。
能力を解除した後、次に時飛ばしを発動させるまでには一呼吸の間を置かなければならないからだ。
『そうだ、魔法使いから排除するのは戦闘における基本中の基本だ。次に能力を発動させるまでの間に光学系魔法でレーザー光線なんぞ撃たれたら、人間の反射神経では対応できないからな』
「ああ、それにB級でも雷撃魔法の使い手は沢山いるし……危険な芽は早いうちに摘んでおくか」
腰元のホルダーバッグから硫酸の入った小瓶を取り出し、雷撃系の魔法を放とうとしている魔法系ハンターに向けて投擲する。
いざという時のために部下たちから投擲のコツを教わっていた俺は、やはり持つべきものは人脈であると再認識させられる。
そして近くにいた他の魔法系ハンターの背後に回り込んだ後、先程と同じ要領で相手の胸を貫く。
「おごあぁぐっ!?」
「恨むなら馬鹿な連中にそそのかされた過去の自分を恨んでくれ」
時飛ばしを解除した途端、何の前触れもなく心臓を貫かれた男はゴボゴボと血を吐いて絶命する。
小瓶を投げられた魔法系ハンターのほうは硫酸が目に入ったのか、耳をつんざくような悲鳴を上げて砂漠の上を転げ回っていた。
自分たちの身に何が起きているのかさえ理解できない彼らは、本能的に自分たちの死を悟っているようだった。
「ちなみに貴方がたの画策した今回の暗殺計画なんですけどね、とっくの昔にバレていたんですよ。我がリベルタ・ギルドに恩義のある下級ハンターたちが密告してくれたんです」
「なっ!?」
残りのB級ハンターたちが激しく狼狽える。
自分たちより圧倒的に格下の存在である下級ハンターたちから、裏切られるとは夢にも思わなかったのだろう。
下級ハンターたちを使い捨ての消耗品程度にしか見ていない彼らは、自分たちが恨みを買っていることにさえ気づいていなかったのだ。
「貴方がたのような救いようのない馬鹿がいるお陰で、我がリベルタ・ギルドは仕事が円滑に進んで助かってます。すでにゲートの付近では冒険者組合に雇われたA級ハンターたちが待機してますから、投降する以外に助かる道はないでしょうね」
「は、嵌めやがったなぁっ!?」
「どこまでも卑劣な野郎だっ!」
自分たちの悪事を棚に上げて俺を非難する彼らは、顔を青くして足元にヘナヘナと崩れ落ちる。
一般人の女子供や下級ハンターたちを味方に付けることで、都市内の至る所に調略の根を張り巡らせている俺は独自の情報網を築き上げているのだ。
「もうすぐ組合側の雇った上級ハンターたちが来ますけど、まだ続けますか?」
罠に嵌めるつもりが罠に嵌められ、狩る側から狩られる側に転落した冒険者たちは両手を上げて降伏する。
そして数分後、冒険者組合から派遣された上級ハンターたちに拘束された彼らの悪事は、翌日の新聞記事一面を飾ることになった。
☆
悪徳ギルドの幹部たちを一掃した後、事情聴取を行うべく冒険者組合に呼ばれた俺は、見目麗しい兎人族の受付嬢から手厚い歓待を受けていた。
「さあさあジェミニ様、聴取にご協力いただいたお礼でございます! どんどん召し上がってくださいませ!」
「これはこれは、ご丁寧にありがとうございます」
制服の胸元をこれでもかと緩めた美女――メリューナが「お注ぎいたします」と果実酒を注いでくる。
必要以上に肌を晒しているのは上層部からの指示だろう。
隣に座っているクルーエルが「穢らわしい」と眉間に皺を寄せながら不快感を示し、色目を使うメリューナを睨んでいた。
「うふふ、クルーエル様もどうぞお飲みください」
「結構です! 私にはジェミニ代表をお守りする義務がありますので!」
見事な営業スマイルで酌をするメリューナに対し、辛辣な態度を隠そうともしないクルーエルは、飲食物に毒や媚薬の類が混入していないかを確認していた。
三十年ほど前に親友の一人が毒を飲まされて死に掛けた際、医学知識の無さを痛感させられた彼女は、毒物に対する知識や対処法を二十年以上もかけて学んだらしい。
「……今のところ怪しい物は混入してませんね」
その昔、暗殺拳法の使い手とされる人間族の男から毒の見抜き方を教わったらしいクルーエルは、百種類以上もの毒物を臭いだけで判別できるそうだ。
個人的にその暗殺拳法の使い手とやらが気になったので尋ねてみたのだが、「師匠のことは誰にも言えません」と断られてしまった。
話せる範囲で良いので教えてくれと頼んだら「大戦争で荒廃して土地からやって来た」「指一本でS級ハンターの肉体を爆散させる」「背中に七つの傷がある男」という嘘か真か分からないな話を聞かされたのは今でも記憶に新しい。
どういう訳かクルーエルの話を聞いていたヒコマロが凄まじく怯えていたのだが……。
「あらあら、随分と大切に想われているんですね。未婚の女性に、しかもエルフの方にここまで心配される男性は滅多にいませんわ」
「ははっ、彼女は職務に誠実なだけですよ。優しくて気配りのできる自慢の部下……いえ、仲間ですからね」
頭角を現し始めた将来有望な「金のなる木」を籠絡するべく、二人きりの状況を作りたいのだろう。
男なら誰もが魅了されてしまうような美しい笑顔を浮かべながら、クルーエルに冷たい眼差しを向けているメリューナの姿は”お約束”のモノだった。
それを理解しているクルーエルは組合側から出された飲食物には一切手をつけず、常に警戒を続けているのだ。
「それにしても、リベルタ・ギルドの懐事情は随分と温かいご様子ですね」
「ええ、殆どの団員がE級からC級の冒険者なので納める税金なんかも少ないですし……費用対効果を考えながら経営してますから」
リベルタ・ギルドの景気が良いのは冒険者組合は勿論の事、都市内の様々なギルドに知れ渡っている。
下級ハンターばかりの零細ギルドでありながら、中級レベルのダンジョンを攻略して質の良い鉱石や魔石をどんどん採掘しているからだ。
「リベルタ・ギルドの団員数や団員たちのランクを鑑みれば、良くてC級ダンジョンの攻略が関の山だと他のギルドの方々も仰っておりましたわ。何かダンジョン攻略の秘訣でも有るのでしょうか?」
「基本的にB級やC級のダンジョンは私一人で攻略して、D級やE級のダンジョンは部下たちに任せているだけですよ」
すでに一部の受付嬢たちからは色目を使われ始めているのだが、その例に漏れずメリューナも俺の懐事情に関して興味津々の様子だった。
金を手にした途端に今まで態度の悪かった職員たちがペコペコし始めるのは、正直あまり良い気分ではないのだが、俺が頂点に立つまでは表面上だけでも仲良くしておかなければならない。
「失礼を承知でジェミニ様の過去を調べさせていただきましたが、本当に素晴らしい経歴だと思いましたわ。故郷のレムリア皇国では戦争孤児として苦しい幼少期を過ごしたそうですね」
「ええ、子供の頃は明日の食事にも困ることが多くて大変でした」
ランクの不正登録疑惑が晴れた後も、失った威信を取り戻すために俺の弱味を探り続けていた冒険者組合。
わざわざ俺が過ごした孤児院の関係者にまで事情聴取を行い、魔力を抑える方法や魔力測定器を誤魔化せる方法が有る可能性なども調べていたらしい。
その後、正真正銘のE級ハンターである俺がアヴァロンで活躍している等という話を信用する者は皆無であった為、怪しい詐欺グループと認定されてレムリア皇国の牢獄に入れられたそうだ。
「うふふ、ジェミニ様の故郷にいた方々は本当に見る目がありませんわね。私は一目見た時から『この御方は他の凡庸な方たちとは違う』と確信しておりましたもの」
「は、はぁ……?」
見え見えのお世辞を恥ずかしげもなく口にするメリューナが、瞳を潤ませながら上目遣いで俺の顔を覗き込んでくる。
教養のない田舎者など簡単に誑し込める、という浅はかな思惑が透けて見える言動だった。
そして一呼吸の間を置いた後、ニッコリと微笑んだ彼女は言う。
「僭越ながら、今後はこのメリューナ・グレインめがジェミニ様の担当アドバイザーを務めさせていただく事になりました。尊敬していた方の担当になれて大変嬉しく感じています」
「んなあっ……!?」
「クルーエルさん、落ち着いてください」
あからさまに色仕掛けをしてくる職員が俺の担当になったと知り、クルーエルの美貌が憤怒の色に染まる。
冒険者組合の腐敗ぶりはランク問わず全冒険者が知っていることだが、さすがの俺もここまで露骨すぎるとは思わなかった。
個人的には早急に縁を切りたい連中なのだが、今のリベルタ・ギルドには組合側と事を構えるだけの力が無いので諦めるしかない。
「容姿や学歴、性別などに関係なく犯罪歴の有無や人間性のみを採用基準にしているリベルタ・ギルドの在り方には、私個人も前々から感銘を受けておりました」
「……」
「貧しい子供や女性にも優しく、社会福祉にも力を注いでおられる姿勢は本当に素晴らしいと思いますわ」
「……」
身の毛がよだつ、とはまさしく今のような状況のことを言うのだろう。
少し成功した程度でこうも対応が変わってしまうのは不気味と言わざるを得ない。
金を手にした途端、掌を返したように美女職員を回してくる組合側の対応に、クルーエルの顔が険しく歪んでいた。
「此度のスサノオ・ギルドと月光・ギルドの件につきましても、前々から両ギルドの計画を察知していたとの事ですし……情報収集を怠らない点なども非常に素晴らしいかと」
「……買い被りすぎです」
「ご謙遜なさらないでください。彼らの悪辣な誘いに乗ってダンジョンに入ったのも、最初から最後までジェミニ様のご計画通りだったのですね。どこまでも計算高い御方ですわ」
「あー、そんなに近寄られると飲み辛いので……あの、メリューナさん?」
息を吐くように白々しい褒め言葉を口にするメリューナが、色っぽい仕草で少しずつ距離を詰めてくる。
さり気なく胸や太腿を当ててくるのはハニートラップの一環だろう。
そしてクルーエルの身体からメラメラと闘気が放たれているのは、断じて気のせいなどではない。
くだらない雑談を続けても得られるモノは何一つ無いので、早めに会話を打ち切るべきだろう。
「そういえばクルーエルさん、今日は夕方から会議がありましたよね?」
「はい! 明日の準備もありますし、早めに帰らないと他の皆に怒られちゃいます!」
俺の意図を察したクルーエルが元気よく相槌を打つ。
確かに俺は教養のない世間知らずの田舎者かも知れないが、沈むと分かりきっている泥船に乗るほど愚かな人間ではないのだ。
「メリューナさん、非常に名残惜しいのですが……今日は仕事が控えておりますので」
「えっ? あ、あの……お、お待ちくださいジェミニ様っ!?」
まさか見向きもされないとは思いもしなかったのか、今まで淫靡な雰囲気を醸し出していたメリューナの顔が強張る。
下半身で物を考えている他の男冒険者なら誘惑できたかも知れないが、売春婦を買ったり娼館に足を運べば性欲など幾らでも発散できるのだ。
わざわざ金に汚い冒険者組合の職員などと関わるのは百害あって一利なしである。
「お、お待ちください! でしたら私の連絡先をお渡し致します! いつでも気軽にご連絡ください!」
「承知いたしました……」
「……こうは成りたくないです」
自分の連絡先が記された紙切れを「こんな事をするのはジェミニ様だけですよ?」と手渡してくるメリューナ。
その太々しい態度に「ほぼ間違いなく他の男性にも渡してますね」とクルーエルが呟く。
そして二分後、玄関口に着いた俺はメリューナ以外の受付嬢たちからも連絡先を渡され、掌を返した女たちに辟易させられるのだった。
☆
事情聴取という名のハニートラップを回避した後、歓楽街に向かった俺とクルーエルは買い物を楽しんでいた。
特定の団員のみに肩入れするのは公私混同に繋がるので注意しなければならないが、他の団員たちにも贈り物や食事を奢ったりしているので多少の事なら問題にはならないだろう。
「大変お綺麗ですよ」
「あ、あうぅ……」
滑らかな亜麻色の髪をリボンで結んだクルーエルが、白を基調とした美しいデザインの闘衣に身を包んでいる。
その美しい姿に試着を勧めてきた店員の女までもが目を奪われているのは、さすがエルフ族とでも言うべきだろうか。
恥ずかしそうにモジモジしている彼女は俺や店員の反応を気にしているのか、試着室から一歩も出ようとしなかった。
「はっはっは、あんな綺麗な娘を逃がしちゃ駄目だよ? まあ、アンタは女子供に対して紳士的だから大丈夫だろうけどさ……アタシの親友の娘なんだから結婚するまでは手を出すんじゃないよ?」
「出しませんからご安心ください」
「へっ、変なこと言わないでください! それとジェミニ代表のことはママに絶対言わないでください!」
店の店長である妙齢の女エルフが踏み込んだ話をしてくるが、若い男女が乳繰り合う様子を酒の肴にするタイプらしい。
何でもクルーエルの母の親友らしいが、潔癖症なエルフ族にしては珍しく下世話な話を好む傾向にあるようだ。
「あー、これは完全に独り言なんだけどねぇ……クーちゃんは一週間後まで安全日だから、手を出すなら今の内だろうね」
「ジュリアさん、いくら温厚な私だって怒る時は怒るんですよ?」
額に青筋を浮かべたクルーエルが試着室のカーテンから顔を覗かせる。
C級ハンターとはいえ実践経験も豊富な彼女が放つ殺気は、並みの男であれば腰が引けてしまうほど鋭いモノだった。
が、女店主のジュリア氏はケタケタと下品な笑い声を響かせる。
「あはははっ、そういうお堅いところが若い頃のマリーベルにそっくりだね。アタシが旦那のほうに媚薬を飲ませて……いや、発破を掛けてやらなきゃ今頃クーちゃんは生まれてなかったろうに」
「びっ、びっびっ……びっ、媚薬ぅ~~っ!?」
親友の娘に対して途轍もない爆弾発言をするジュリア氏は、そういう意味でお節介焼きな性格なのだろう。
顔を真っ赤にしたクルーエルが亜麻色の髪をワナワナと震わせ、エルフ特有の長い耳をピクピクさせていた。
「なーに、マリーベルの恋をちょいと後押ししてやっただけさ。闇市で妊娠薬を買ってきてね、気づかれないように食事に混ぜといたのさ」
「にっ、妊娠薬ぅ~~っ!?」
「クルーエルさん、あまり大きな声を出すと他のお客様のご迷惑になります」
何が悲しくて自分の両親の馴れ初め話など聞かされなければならないのだろうか。
しかし、冒険者専用の闘衣を身に着けたクルーエルが、恥ずかしそうに悶々としている様子は実に可憐だった。
以前、アンナの紹介で連れていかれた居酒屋の女将も似たようなタイプのお節介焼きだったが、この女店長は更に酷いようだ。
「はははっ、アンタの所は女子供を大事にするって評判だからね。今後もウチの店をよろしく頼むよ!」
「……このタイミングで話題をすり替えないでください」
「……聞きたくなかったです」
どこまでも図太い性格のジュリア氏はドワーフ族も顔負けの豪快な性格らしい。
あまりデリケートな問題に首を突っ込むのは不味いと判断した俺は、クルーエルが試着している純白の闘衣と金の刺繍が施されたリボンを「ウチの証文で払います」と購入することにした。
「クルーエルさんには日頃からお世話になっていますので、他にも欲しい物があれば言ってください」
「い、いえ……そんな……あの、こんなに高価な物を買っていただく訳には……」
試着室の中で赤面しているクルーエルが気まずそうに視線を逸らす。
値札に書かれている「五十二万エクシード」「現品限り」という部分を気にしているようだった。
ダンジョン攻略やカジノなどで荒稼ぎしている俺からすれば大した金額ではないのだが、中級ハンターである彼女には些か敷居が高いのだろう。
そんなクルーエルの様子を見かねたジュリア氏は「なら、今回はコレも付けるよ」と戸棚の奥から箱を取り出した。
「ララシープの毛で作られた最高級品さ。クーちゃんみたいな女の子には必需品だろう?」
「ちょっ、ジュリアさんっ!?」
「……お客様が少ない時間帯とはいえ、人前で堂々と生理用品を持ってくるのは不味いと思います」
B級以上のダンジョンで極稀に現れる羊系モンスターのララシープは、上質な毛をドロップすることで有名なモンスターだ。
財力のある王侯貴族の女たちなどはララシープの毛で作られた生理用ナプキンを愛用しているので、ドロップ品の羊毛はレアアイテムとして知れ渡っていた。
「毎月ウチの店で買ってくれるお得意様でもあるしね。アンタの生き方は本当に立派だとアタシも思うよ」
「大したことはしてませんよ」
女団員たちが人前で恥を掻かないようギルドの経費で生理用品を購入させている俺は、女冒険者たちから一定の信頼を得ていた。
未だに男尊女卑の風潮が根強く残っているこの世界では、女たちの都合や事情を考えて行動する者は少なく、社会全体が男たちの都合で動いているのだ。
そういった事情もあってか、この世界の女たちの生理事情はあまり芳しくないのである。
貧しい農村などでは生理用品を買えない女たちも大勢おり、月のモノが始まると家族以外の男とは接触を避けるようにしているらしい。
「安価で使い勝手のいい物が開発されれば、もっともっと女性の暮らしも豊かになるんでしょうけどね」
「はん、街中で金を落としてくれるのは大半が男だからね。女たちの生理用品なんざ作っても利益にならないのさ!」
「いや、あの……男の人に生理用品を買ってもらうのは、物凄く恥ずかしいんですけど?」
箱の中に収められた真紅の褌のような物を見ながら、しみじみと話をする俺とジュリア氏。
そんな俺たちの様子に「何ですかこの羞恥プレイはっ!?」と頬を赤らめたクルーエルが叫ぶ。
「そういえば、安い物でも一ヶ月に三万エクシードは掛かるとか……」
「ああ、藁を編んだだけの粗悪品でね。完全にアタシら女を馬鹿にしてるよ!」
「……いい加減にしないと魔法で店を消し飛ばしますよ?」
ご機嫌斜めな様子のクルーエルが唸るような低い声で脅し文句を口にする。
しかし、いやらしい笑みを浮かべたジュリア氏が「凶暴な女の子は嫌われるよ?」と揶揄うと、クルーエルの顔全体がビクンと引き攣った。
そして真面目な顔をした彼女が「ギルドの懐事情は大丈夫なのかい?」と尋ねてくる。
「ウチは商品を買ってくれるなら文句は無いんだけどさ、アンタの所って四十人くらい女がいるんだろう? 毎月のように全員分の生理用品を買い揃えるってのは結構な痛手じゃないのかい?」
「大切な部下たちが人前で恥を掻いてしまうほうが遥かに痛手ですよ。女性の尊厳をお金で守れるなら安いモノです」
リベルタ・ギルドの懐事情を案じるジュリア氏に対し、強引に愛想笑いを浮かべた俺は当たり障りのない返答をする。
女特有のデリケートな問題に対して必要以上に踏み込んだ発言をするのは不味いからだ。
しかし、当のジュリア氏は「ウチの馬鹿亭主とは大違いだ!」と感極まったように目頭を熱くしていた。
「クーちゃん、この坊主を逃がしちゃ駄目だよ! 婚前交渉しても良いから絶対に結婚するんだ! 間違いなく”金のなる木”だよっ!」
「なっ、なあっ、なっなあっ……何を言ってるんですかぁっ!?」
今までにも何度か似たような光景を目の当たりにしたが、利益至上主義の商人であるジュリア氏は一番酷かった。
俺の目の前で堂々と「媚薬と妊娠薬と精力剤もオマケするから頑張るんだよ!」とクルーエルの両手を握り、男女の営みを成功させる秘訣について語り始めるジュリア氏。
『やれやれ、息を吐くように臭い台詞を口にするから面倒事になるんだ。息だけに本当に臭そうな台詞だな』
「……誰が上手いことを言えと言った」
つまらない洒落を口にするヒコマロが「お楽しみの時は交代制だからな?」と念を押すように言ってくる。
目の前では真紅の褌のような生理用ナプキンを持ったジュリア氏が、顔中を真っ赤にしたクルーエルに子作りのテクニックを伝授し始めていた。
この日、屋敷に戻った俺とクルーエルが「今まで何処で何をなさっていたのかお答えください」と買い物袋に入れられていた生理用品を発見した女団員たちに詰め寄られ、根掘り葉掘り尋問されたのは言うまでもない。
忠誠心の塊である秘書のマリアンヌまでもが俺たちに疑惑の目を向け、しばらくの間まったく口を利いてくれなかったのは本当に大変だったとだけ言っておこう。
戦闘シーンは難しいですね