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零細ギルドと田舎者

 迷宮都市アヴァロンの朝は早い。

 規模の大小を問わず様々なギルドの冒険者ハンターたちが街中を行き交う。

 種族や性別、身分の差に関係なく一攫千金を夢見た者たちの姿は、上京したばかりの田舎者には眩し過ぎる光景だった。


「た、大変失礼いたしました! ジェミニ様のご登録情報に誤りはございませんでした!」


 そして美しい黒髪を戦慄かせたエルフの美女が、頭を下げながら謝罪の言葉を叫ぶ。

 厳重な防犯警備が施された保管室の中で、大量の魔石と鉱物が山のように積まれている光景は、ひたすら平身低頭の姿勢を貫く彼女の姿とは対照的だった。


「まあまあ、誰にでも勘違いはありますから。今回の件は致し方のない部分もありますし、お気になさらないでください」


「はっ、はい! 今後とも当組合をよろしくお願い致します!」


 穏便に事を済ませようとする俺の態度にホッと胸を撫で下ろす彼女――クレア・クリュースは穏やかに微笑む。

 名誉棄損で訴えられる可能性も危惧していたのか、目に見えて安堵している彼女の姿は滑稽だった。


「それでは押収された魔石と鉱物を返還していただけますか? もう疑惑は晴れたので特に問題ないと思いますが?」


「勿論でございます! 明日の朝までには当組合の者たちに運ばせますので、もう少々お待ちください!」


 今から一週間前、C級ダンジョンを攻略した俺は冒険者ハンターランクの不正登録を疑われたのである。

 そして今日に至るまで採掘した魔石と鉱物、ドロップアイテムを冒険者組合に押収されていたのだ。

 無論、最低辺のE級ハンターが中堅レベルのダンジョンを攻略しているとなれば、クレアでなくとも何らかの不正を疑うのは当然だろう。


「はははっ、今回の件に関しては不幸な事故だったと思うことに致します。クリュース氏も書類整理や各部署への対応に苦労なされたことでしょうから、今夜はゆっくり休んでください」


「お、お心遣い……ありがとうございます」


 不正疑惑が晴れるまでの間、顔を合わせるたびに「はぁ、これだから田舎者は……」と蔑むような視線を向けてきた彼女は、引き攣った顔で必死に愛想笑いを浮かべていた。

 調査を行う前から俺が不正をしていると決め込んでいたクレアは、鬼の首でも取ったかのように世間知らずな田舎者の不正を暴いてやったと職場内で吹聴していたらしい。

 そして他の組合員たちも彼女と同意見だったのか、その問題行動を咎めようとする者はいなかったそうだ。


「それにしても、アヴァロンの冒険者組合は広くて豪華な造りになってますね。田舎のモノとは大違いです」


「……ご満足いただけましたら幸いです」


 上目遣いで俺の顔を覗き込んでくるクレアが「げ、玄関口まで御見送りいたします」と流麗な仕草で頭を下げる。

 高潔で気位が高いとされるエルフ族の女が、人間の下級ハンターに媚びるなど屈辱の極みだろう。

 昨夜、組合長から直々に呼び出された彼女は三時間にも及ぶ説教を受けたそうだ。


「本日はお越しいただき誠に有難うございました。こちらは私からの細やかな贈り物でございます」


「いえ、そのような物を貰う訳には……」


 懐から封筒を取り出したクレアが「どうぞ」と頬を赤らめながらソレを手渡してくる。

 気まずそうにキョロキョロと視線を泳がせる彼女に対し、僅かな違和感を覚えた俺は封筒の中身を確認する。


「魅惑の妖精園……?」


「……っ」


 妖しげなデザインの紙切れが五枚ほど封入されており、その一枚一枚に『魅惑の妖精園』という店の名前が書かれていた。

 それは迷宮都市アヴァロンの中でも一、二を争うほど有名な高級娼館の名前である。

 容姿端麗なエルフ族の女たちが多数在籍している娼館であり、最低ランクの娼婦たちでさえ一時間で十万エクシードからと言われる上級ハンター御用達の店だ。


「お気持ちは非常に有難いのですが、こういう物は受け取れません」


「そ、そう仰らずに受け取ってください!」


 上級ハンターでさえ予約が無ければ入店できない高級娼館のチケットを、ただの職員に過ぎないクレアが五枚も購入できる筈がない。

 自分たちの不手際を隠蔽したい冒険者組合の上層部が、組織ぐるみで口止め料を渡してきたと考えるほうが自然だろう。


 万が一にも冒険者組合が特定の冒険者ハンターに賄賂を渡したなどという噂が広まれば、組織の立場が危うくなるのは子供でも分かる話だ。

 だからこそ、クレア・クリュースという個人が「自分の意思で勝手に渡した」という形で問題を収めたいのだろう。


「いえいえ、クリュース氏のお気持ちだけで充分です。この一週間、活動できなかった分の補填金も支払われるそうなので特に不満はありません。お気持ちだけ頂戴いたします」


「うっ……!?」


 迷宮都市アヴァロンの冒険者組合ともなれば、周辺諸国の王侯貴族にも顔が利くほどの権力を有している。

 その職員であるクレア自身も世間一般の基準で言えば間違いなくエリートに分類される勝ち組だ。

 そして見目麗しい高学歴の女たちが玉の輿を狙うには、冒険者組合の職員として上級ハンターに気に入られるのが一番の近道なのである。

 あと少しで成功への片道キップが手に入るという段階で、不祥事が発覚して解雇されるのだけは避けたいのだろう。


「それに、そういった物品の受け渡しは良からぬ噂を招きますからね。立ち上げたばかりの零細ギルドとはいえ、組織のトップである私が疑わしい真似をする訳にはいきません」


「そんなっ!?」


 今から二ヶ月前、迷宮都市に着いた翌日に冒険者登録をしに行った時も「担当がおりませんので明日お越しください」と無下に扱われたのは今でも鮮明に思い出せる。

 どうやら担当の受付嬢が有名ギルドの上級ハンターと逢引の約束をしていたらしく、下級ハンターたちへの対応を後回しにしたらしい。

 実力主義の迷宮都市アヴァロンでは日常茶飯事の光景らしいが、今回ばかりは組合員たちの傲慢さが仇になったのだ。


「それでは失礼いたします。クリュース氏もお身体には気をつけてください」


「あっ、お待ちくださいジェミニ様っ!? う、受け取っていただかないと私が解雇され……」


 冒険者組合から賄賂まがいの品物を受け取るなど一個人にはリスクが大き過ぎる。

 冤罪被害者である俺に口止め料を渡さなければクレアの地位が危ないのは理解できるが、確たる証拠もなく俺を不正登録者と決めつけていた彼女の自業自得だろう。

 その美しい顔をサーッと青褪めさせたクレアが「お、お待ちくださいっ!?」と悲痛な叫びを上げるが、俺には何の関係もない。


「はぁ……救いようのない馬鹿女だ」


 両脚に気紋エネルギーを集中させる俺は「今後ともお仕事に励んでください」と笑顔で捨て台詞を残し、三十メートルほど先にある時計塔の屋根に向かって跳躍する。

 あんぐりと口を開けたクレアが「う、嘘でしょ……」と顔中の筋肉を引き攣らせていた。


「ま、これに懲りたら次の職場では勤務態度を改めるんだな」


 二週間後、冒険者組合を解雇されたクレアは口止め料を貰わなかった俺に対する罵詈雑言を叫びながら、逃げるように迷宮都市を去ったらしい。

 容姿や能力に関しては優秀なので都市の中で他の仕事を探すという選択肢もあったらしいが、落ちぶれた元エリート組合員として嘲笑の的にされるのが嫌だったそうだ。

 少し前に十六歳の誕生日を迎えたばかりの俺は、若い頃からの積み重ねが一瞬にして崩れ去るという恐怖を、クレア・クリュースという反面教師から学ぶのだった。





 ☆





「あっ、お帰りなさいボス」


 ドワーフ族の青年が冷えた麦茶を持ちながらギルド長である俺を迎える。

 爽やかな笑顔を浮かべながら「首尾はどうでしたか?」と冒険者組合との示談交渉について尋ねてくる彼は、興味津々に目を輝かせていた。


「愚かな女職員のお陰で組合側を責める口実が手に入ったからな、慰謝料や補填金もたっぷり支払われるぞ。ジルが組合員たちの怠慢ぶりや迷宮都市の法律を詳しく教えてくれたお陰だ」


「うししっ、オイラの父ちゃんは冒険者組合の元職員だからな!」


 心の底から感謝の言葉を口にする俺に対し、「報酬は弾んでくださいよ?」と親指と人差し指で輪っかを作る彼――ジルは屈託のない笑みを浮かべる。

 上京したばかりの俺がスラム街の一角でボロ切れを纏っている彼を見つけ、交渉の果てに採掘要員の一人として雇うことになったのが一ヶ月前のことだ。


「強い者には滅法弱く、弱い者には滅法強い……まさに典型的な小物たちの集まりだったな」


「少し調べればランクの不正登録なんて簡単に判るのにねぇ~。零細ギルドの代表者だし、上京したばかりの田舎者だからボスのことを嘗めてたんだと思いますよ?」


 冒険者組合の腐敗ぶりを熟知しているジルが、赤っ恥を掻かされた組合員たちの滑稽な話に苦笑する。

 どうやらお役所仕事のいい加減さは都会のほうも変わらないらしい。


「まあ、零細ギルドなのに中堅ギルド並みの利益を上げてるからな。見せしめの意味も籠めて罰則金を毟り取るつもりだったんだろうよ」


「これが大陸一と呼ばれるウェヌス・ギルドみたいな超大型ギルドなら、不正や規約違反があっても見て見ぬフリをする癖にね~」


 美神ウェヌスの名を冠したウェヌス・ギルドの存在を忌々しげに語るジルは、冒険者組合に勤めていた父親から彼らの横暴ぶりを毎日のように聞かされていたそうだ。

 容姿の美しい者以外は入団できず、周辺諸国から様々な名目で上納金を受け取り、金と暴力に物を言わせて自分たちに都合のいい法律や組織を作る。

 そんなウェヌス・ギルドの横暴に対して眉を顰めている者は大勢いるのだが、S級ハンターを八人も抱え込んでいる超大型ギルドに表立って逆らえる者はいなかった。


「あそこの団長、ダヴィデ・ガロニュートは極悪非道を絵に描いたような男ですよ。ボスをダンジョン内に置き去りにしたイセリア・エリザベートなんてギルド内では穏健派の良識人です」


「……あれで良識人なのか?」


「あくまでギルド内”では”の話です。力を持った連中なんて種族問わず皆そうなるんですよ」


 今年で十三歳になるジルが「歴史は繰り返されるんです」と草臥れた老人のように肩を落とす。

 彼の父親は他の大型ギルドの不正を告発したせいで、長年勤めていた冒険者組合を解雇されたらしい。

 上級ハンターが多数在籍しているギルドは組合に納める税金の額も多いため、関係の悪化を恐れた組合側が根も葉もない解雇理由をでっち上げたそうだ。


「そういう不正や怠慢、モラルの低さが今回の冤罪騒動を引き起こした訳だ。俺の担当だった女エルフは顔面蒼白になって焦っていたしな」


「はははっ、まあ上級ハンターの男たちにとって迷宮都市の組合員たちを妻にするのは一種のステータスですから。苦労して勝ち取った組合員の地位を失うのは辛いでしょうね」


 玉の輿を目指してアヴァロンの冒険者組合に就職しようとする女は非常に多い。

 そうでなくとも上級ハンターの愛人や妾になれば裕福な暮らしが約束されているのだ。

 財力のある男と結婚したいと願うのは女として当然の話だろう。


「しっかしボスの魔法には驚かされますね。確かK・K(キリング・クリムゾン)でしたっけ? 時間を消し飛ばすとか反則過ぎますよ」


「確かに時間が消し飛んでいる間はどんな攻撃もすり抜けられるから無敵なんだけどさ、俺のほうからも相手に攻撃できないのが唯一の弱点なんだ」


 回復や重力、炎や雷などの魔法を操る冒険者ハンターたちは大勢いる。

 だが、時間を操れる者だけは一人もいないのだ。

 冒険者組合が公表している冒険者ハンターリストには様々な冒険者ハンターたちの情報が記載されており、二週間かけて全ページを読破したのでソレだけは間違いない。


「消し飛んだ時間を認識できるのは俺だけだし、未来予知を使えば大抵の危険は回避できる。だが、ギルドを運営する以上は他の攻撃隊メンバーも必要になってくる。俺の能力を隠しつつ仲間を増やす方法を考えないとな」


「んー、今回の件でオイラたちリベルタ・ギルドは良くも悪くも注目を浴びましたからね……現実的に考えて能力の秘匿は難しいと思います」


 ジルが淹れてくれた麦茶を飲みながら「前途多難だな」と今後の方針について頭を悩ませる俺は、学校教育の重要性を思い知らされていた。

 必要最低限の知識しか持たない俺のような戦争孤児が、一朝一夕で有益な人脈を築くことなど不可能だからだ。


「はぁ、俺も学校に通えていればなぁ……」


「ボス、泣き言を口にするのは敗者の証です。学校なんて行かなくとも人脈や名声は手に入ります。先を見据えて行動する者こそが勝者となるんです!」


 ついつい愚痴を零してしまう俺に対し、双眸をカッと見開いたジルが語気を荒くする。

 野心の塊である彼はヒコマロに負けないくらい上昇志向の強い男なのだ。


『ディアボルス、そのドワーフの言う通りだ。成功者として名を刻むのに学歴や出自は関係ない』


「っ……!?」


 そんな熱血少年の姿に感銘を受けたのか「なかなか気概のある男じゃないか」とヒコマロが会話に割り込んでくる。

 うっかり返事をしてしまいそうになった俺はゴホンと咳払いをして誤魔化す。

 異世界人であるヒコマロの存在を他の人間に知られる訳にはいかないからだ。


「あ、ああ……そうだな、何かあるたびに愚痴を零すのは俺の悪い癖だ。少し休憩したら皆で今後の方針を考えよう」


「はい! 補助金の申請や納税申告書の作成ならオイラに任せてください!」


「……まだ十三歳なのに逞しいな」


 山のように積まれた法律関連の本がジルの作業机を埋め尽くしている。

 子供の頃から英才教育を受けてきた彼は、冒険者組合の職員たちでさえ圧倒されるほどの知識を有しているのだ。

 冒険者ハンターランクの不正登録を疑われた際、組合側から慰謝料を貰えるように知恵を貸してくれたのもジルだった。

 父親の不当解雇さえ無ければスラム街のような場所で乞食に身を落とすこともなく、今でもエリート街道を歩んでいた筈だ。


「俺も勉強しないとな……」


 まだ十三歳の子供から住民税の安い地区や節税の方法を教わっている俺は、前途多難な今後を想いながら深い溜息を漏らすのだった。




 ☆




 夕暮れ時、ダンジョンから帰還した採掘チームが執務室にやって来た。

 不正疑惑が晴れるまでの間、賃金の支払いが滞っていたからだ。

 気性の荒そうなドワーフ族の女が「ほれ、とっとと払って頂戴」と矢継ぎ早に右掌を前に出し、鬼神のごとき鋭い眼光を放つ。

 そしてエルフ族の美女が「もうこれ以上は待てません!」と杖を握りながら重苦しい威圧感を漂わせる。


「わざわざご足労いただき誠に有難うございます。お支払いが滞ってしまい大変申し訳ありませんでした。代表である私が不甲斐ないばかりに御迷惑をお掛けしてしまった事、心よりお詫び申し上げます」


「……そ、そうですか」


 余程の事情がない限り、相手が誰であろうと最大限の礼節をもって接している俺は、下っ端の採掘員たちから一定の評価を得ていた。

 深々と頭を下げて謝罪する俺が金貨の詰まった皮袋を取り出し、「どうぞ、お確かめください」と中身の確認を促す。

 豪快な酒飲みで有名なドワーフ族のアンナは「ふん」と鼻を鳴らし、高潔で誇り高いエルフ族のクルーエルは「失礼しました」と握っていた杖を懐に収める。


「この一週間、現場の方々への支払いが滞ってしまいましたので迷惑料も加味しておきました。足りなければ個別に相談も受け付けますので遠慮なく言ってください」


「……アタシは貰える物さえ貰えれば別に構わないよ」


「こ、こんなに貰えませんっ!? 明らかに迷惑料の域を越えています!」


 リベルタ・ギルドの中で最も優秀なC級ハンターの二人が、気まずそうに視線を逸らす。

 俺が不正登録の濡れ衣を着せられた時点で、ギルドの資産を持ち逃げする可能性などを危惧していたのだろう。


「いえいえ、皆さんのお陰でギルドが運営できるんです。どんな理由があろうと不正を疑われてしまったのは私個人の不徳の致すところですから……他の方々にも同じ料金をお支払い致します」


「……」


「……」


 資産を持ち逃げするどころか一週間分の延滞料金まで支払われ、俺を責める理由が無くなってしまった二人は、自分たちの浅はかな言動を恥じているのだろう。

 この一週間の間、俺が夜逃げをしないよう常に監視の目を光らせていたからだ。

 特にエルフ族の血を引くクルーエルなどは不正や汚職といったモノを激しく嫌悪しており、俺の嫌疑が晴れるまで「前々から怪しいと思ってました」「これだから心根の卑しい人間族は」と事あるごとに俺に対する悪態を吐いていたらしい。


「あ、あの……ジェミニ代表……」


「はい、何でしょう?」


 皮袋を持ったクルーエルが申し訳なさそうに俺の顔を覗き込んでくる。

 そしてこの一週間、調査結果を待たずして俺を不正登録者と決めつけていたことを謝罪し始めた。


「何一つ調べもせずジェミニ代表の名誉を傷つけてしまい、誠に申し訳ございませんでした!」


「はははっ、状況が状況なだけに仕方のない部分もありましたからね。貴女は何一つ悪くありませんよ」


 人間関係を上手く構築するためには、女の取り扱い方にも細心の注意を払わなければならない。

 女という生き物は男に比べて共感能力が高く、理性よりも感情を優先して動く生き物なのだ。

 小難しい理屈や道理を並べ立てるより、情という鎖で縛っておいたほうが後々の為になる。

 そして不利な立場に追いやられた女を必要以上に責め立てるのは、他の女たちをも敵に回してしまう危険性を孕んでいるのだ。


「過去というのは悔やむために存在するのではなく、学ぶために存在するんです。過ぎたことを気にするより未来のことを考えましょう」


「は、はい!」


 申し訳なさそうに目を伏せていたクルーエルが明るさを取り戻す。

 それを見ていたアンナのほうも「へぇ……」と感心したように頷いていた。


「では、他の方々へのお支払いも今のうちに済ませておきましょうか」


「ああ、それなら帰りにアタシが伝えとくよ。ほら、クルーエルも一緒に来な」


「あっ、はい!」


 まるで娘を気遣う母親のようにクルーエルの手を取り、執務室を後にしたアンナは「疑って悪かったね」と去り際に謝罪の言葉を口にした。

 既婚者であるアンナは今年で七歳になる息子がいるそうだが、採掘チームの若い連中からも「ママ」と揶揄われているらしい。


『外見に関しては人間の十代後半の少女と変わらないが、クルーエルは百八十歳を超えてるんだぞ?』


「……心を読まないでくれ」


 俺を介して一部始終を見ていたヒコマロが余計なツッコミを入れてくる。

 長命種族であるエルフたちは他の種族と違い、外見と実年齢が大きく異なるのだ。

 自分の半分も生きていない人間族の若造に雇われるのは心情的にどうなのだろうか?


『肉体年齢と精神年齢の成長スピードも他種族に比べて遅いらしいから気にするな。精神的には同年代だと思うぞ?』


「だから心を読まないでくれ!」


 自分の十倍以上も歳を重ねている”少女”に対し、接し方が分からなくなってしまう俺は取り敢えず敬語を使い続けることにした。

 実るほど頭が下がる稲穂かな、という諺がヒコマロの故郷にはあるらしいが、そういう姿勢を忘れない事こそが成功の秘訣なのだ。


「気紋エネルギーの修行をする時間も必要だし、冒険者組合や他のギルドへの交渉に関しては専門の秘書でも雇ったほうが上手く行きそうだ」


『確かにそうだな。まだ十六歳のお前には荷が重すぎるだろうし、他人の力を借りるのも一つの手だ』


 しっかりとした地盤を固めておかなければ五年後、十年後に苦労するのは目に見えている。

 自分の得意不得意をきちんと理解し、足りない部分を他者に補ってもらうのは組織を纏める上で必要不可欠なのだ。

 そのことを嫌というほど思い知らされた俺は、輝かしい栄光を掴むべく人材探しに奔走するのであった。









異世界のお役所仕事って日本より職務怠慢が凄そうですね

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[良い点] 書き方がうまい! 内容がいい! エルフがいる! [一言] 頑張ってください。 もしよければ僕の作品にアドバイスを……
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