別世界の力
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運命という概念を正しく認識している者がどれだけ世の中にいるだろうか?
すべての物事に因果関係があるのだとすれば、万物の未来はあらかじめ決まっているのかも知れない。
輝かしい栄光を手にした成功者たちが新聞の一面を飾り、中流階級の凡人たちから羨望の眼差しを向けられる。
そんな当たり前の光景を目にするたびに、身体の内側から吐き気を催す邪悪が溢れ出てきそうになる。
「……明らかに俺だけ世界観が違うだろ」
剣や杖、弓を構えた冒険者たちが巨大な竜と対峙する中、草臥れた老人のように肩を落とす俺――ディアボルス・ジェミニは大きな溜息を零す。
「総員に告ぐ! 攻めの陣形を崩すな!」
「了解です!」
「へへっ、我らがリーダー様の指示通りに戦っときゃ勝利は約束されてるようなもんさ!」
有名ギルドの上級ハンターたちが凄まじい魔力を放ちながら巨竜に立ち向かう。
その誰もがB級以上のハンターであり、中堅クラスのダンジョンであれば容易く攻略してしまうような強者たちだ。
魔力を持たない一般人からも最底辺と称されるE級ハンターの俺からすれば、まさしく雲の上の存在である。
「はははっ、採掘チームは危険な目に遭わねーからお気楽だなぁ? 冒険者組合の職員たちもお前らE級ハンターの取り扱いには苦労してるらしいぜ?」
「……っ」
今現在、C級ダンジョンの入り口付近で採掘作業に従事している俺に対して「E級は楽そうだな」と嫌味を口にする班長の男。
中堅ランクの冒険者である彼はD級やE級のハンターたちを特に見下す傾向があり、下級ハンターたちからは忌み嫌われている男だ。
生まれた時から定められている絶対的な上下関係を逆手に取り、自分よりも弱い者たちに高圧的な態度を取る者は大勢いる。
今、俺の目の前にいる彼もその手の類の人間だった。
「まあ、こればかりは運命だと思って潔く受け入れるしかないですね」
「かかかっ、D級やE級の連中は悲しいことを言うねえ!」
関わるだけ時間の無駄だと分かりきっている馬鹿に対し、わざわざ時間を割いてやる余裕はない。
苦虫を嚙み潰したような顔をした下級ハンターたちが「けっ、自分だってC級の落ち零れだろうが!」と小さな声で不満を漏らすが、負の感情を抱き続けるのは心身ともに負担が掛かるのだ。
愚かな人間のために一秒たりとも時間を割きたくない俺は、班長の存在を徹底的に無視して黙々と採掘作業を続ける。
「おいジェミニ、さっさと終わらせて飲みに行こうぜ? 美味い店があるんだよ」
「ん? あ、ああ……そうだな、終わったらパーッと飲むか」
汗まみれの顔をタオルで拭きながら「うししっ、さすがは親友!」と幼馴染のシリウスが屈託のない笑みを浮かべながら言う。
俺より二つほどランクが上のC級ハンターである彼は、採掘チームにおけるムードメーカー的な存在だ。
中堅ランクの冒険者でありながら下級ハンターたちにも分け隔てなく接するシリウスの態度に、心身ともに疲れ果てていた採掘メンバーたちの表情が明るくなる。
「よーし、なら今日は皆で美味いもんでも食いに行こうぜ!」
「良いね良いね! 久々にビールが飲みたい気分だったんだ!」
「はははっ、あんたは毎日飲んでるでしょうが! 歳を取ると物忘れが酷くなるってのは本当だな」
「まったくだぜ」
地方から出稼ぎにやって来た田舎者たちばかりの作業場が、シリウスのお陰で活気を取り戻す。
身嗜みや気配りを必要以上に心掛けている彼は、場の空気を盛り上げる能力にも長けているのだ。
生まれた頃から内気で人付き合いが苦手な傾向にある俺からすれば、本当に羨ましい限りの才能だった。
「おっ、そろそろ決着が付くぞ!」
「ああ、さすがは上級ハンターだな。俺たち低ランクの採掘チームとは大違いだ」
「おいおい、攻撃隊の連中に憧れるのは勝手だが仕事を終わらせてからにしろ!」
中堅レベルのダンジョンとはいえ傷一つ負わずに巨竜を倒してしまった攻撃隊の勇姿を見て、採掘チームのメンバーたちが羨望の眼差しを向ける。
そして鮮やかな凱旋を果たした彼らに対し、媚びるような笑みを浮かべた班長が「お疲れ様でございます!」と揉み手をしながら近寄っていく。
自分より優秀な者に対しては徹底して胡麻を擦るタイプの人間だが、そういう抜け目のない行動が上の連中から好感を得ているのだろう。
上級ハンターたちのお零れに預かり、採掘チームの班長という今の地位を手にした彼は、実に世渡り上手な男であった。
「よーし、今日のノルマは終了だ! 急いで帰宅の準備をするように!」
「はっ! あの愚図どもは早急に帰らせますので、もう少々お待ちください!」
攻撃隊のリーダーを務める男が「後のことは任せるぞ」と班長に告げると、他の攻撃隊メンバーたちと共にバスに乗り込んでいく。
言葉に出さない分だけマシなのかも知れないが、ゴミを見るような目で採掘チームを眺めていた彼らは、必死に働く作業員たちに労いの言葉一つ掛けずに去っていった。
「おいジェミニ、さっさと帰ろうぜ? 今日は皆でパーッと楽しむんだから付き合えよ?」
「あ、ああ……そうだな」
気配りの達人であるシリウスが剣呑とした俺の気配を感じ取ったのか、心配するような顔で「才能なんて人それぞれさ」と慰めの言葉を口にする。
そして採掘用のリュックに腐るほど魔石を詰め込んだメンバーの一人が、青白い光を放つダンジョンゲートを見ながら「明日の夕方までには終わらせないとな」と呟く。
ダンジョンゲートというのはランクに関係なくボスを倒してから二十四時間後に閉じてしまうのだ。
ダンジョン内に取り残された冒険者たちが、どのような末路を迎えるのかは謎に包まれている。
内部に取り残された者たちが帰還したという事例は一度もなく、冒険者組合もダンジョン内の調査を禁じているからだ。
いつ爆発するか分からない爆弾を不特定多数の学者たちに調査させるのは、素人目に見ても不確定要素が大きい。
万が一の事態を考慮した冒険者組合が「触らぬ神に祟りなし」と安全策を取ろうとするのは至極真っ当な話であった。
だが、幸か不幸かE級ハンターである俺だけは知っている――。
『ディアボルス、あの目障りなゴミ共を即刻始末してこい!』
今から二年前、S級ダンジョンの内部に取り残されてしまった俺は思わぬ能力を手にしてしまった。
その代償として異なる人格と共存する羽目になってしまった俺は、頭の中で鳴り響く”ニホンゴ”という言語に心底うんざりさせられる。
『俺の能力を貸し与えてやったんだ! あの程度の連中なんぞ俺の”K・K”を使えば完封できる! 目に物を見せてやれ!』
「お前と俺は知識と記憶を共有してるんだから、言わなくても理解できるだろ? 今はまだ軍資金を貯めている段階なんだ。表舞台に立つのは半年後でも遅くはない」
二年前に稀少なドロップアイテムの所有権を巡り、ダンジョン内で殺し合いを始めたS級ハンターたちの口封じに遭った俺は、惨めに命乞いをすることで”命だけ”は見逃されたのである。
まったく無関係のE級ハンターを殺害することに多少なりとも罪悪感を覚えたのか、相手のS級ハンターは「ダンジョンに残るなら命だけは助けよう」と告げたのだ。
そして大陸一と称される大型ギルドの副団長に対し、逆らうことなど出来る筈もない俺は首を縦に振るしかなかった。
『ダンジョンゲートは時空の歪みから発生するモノ、という研究者たちの意見は正しかった訳だ。俺とお前がこうして出会えたのも何かの”運命”だろうよ』
「とんだ運命だな……」
異世界の”ニホン”という国で交通事故に遭ったらしい彼――ムラキ・ヒコマロは野心の塊である。
事あるごとに頭の中で「俺の能力を使え」「栄光を掴むんだ!」と念仏を唱えるように訴えてくるのだ。
この世界の時間を消し飛ばすという能力に加え、未来を予知する力まで貸し与えてくれたヒコマロには非常に感謝しているのだが、異世界人である彼の能力を使いこなすのは想像以上に大変だった。
『未来を予知した後、自分にとって都合の悪い瞬間だけを”K・K”で消し飛ばすだけだ。そこまで難しい話でもないだろ?』
「時を飛ばしている間は無敵状態だし、どんな攻撃もすり抜けることが可能だって話は馬鹿な俺でも理解できる。そして採掘チームで働く時間をすべて能力の練習時間に充てれば、本来の使い手ではない俺でも満足に使いこなせるだろうさ」
『それなら明日にでもギルドを退職して練習を始めるべきだ! 子供の頃から読んでいた漫画の力を、しかも作中で一番好きなキャラクターの能力を手に入れたんだ! 早く実践で使ってみたい!』
交通事故で亡くなった後、幽霊のように意識だけの状態になってしまったヒコマロは、気づいた時には俺が取り残されたS級ダンジョンの最下層にいたらしい。
そして本人でさえ知らないうちに魔法のような力を手にしていた彼は、ダンジョンの中で絶望していた俺を見つけたそうだ。
「俺たち二人の魂が融合してしまった、という不可解な現象は何となく理解できるんだが……閉鎖されたダンジョンから脱出できた理由が未だに分からん」
『それに関しては俺もさっぱり分からん。異世界人の魂を取り込んでしまったので異物としてダンジョンから弾き出された、という俺の仮説はどうだ?』
重いリュックを背負いながらスタスタと歩き始めた俺は、他のメンバーたちの背中を追うように帰路に就く。
何の論理的根拠もない自論を熱く語るヒコマロが非常に鬱陶しいが、持ちつ持たれつの関係なので多少のことには目を瞑らなければならない。
熱弁する彼の様子にうんざりと顔を顰めながら「うんうん」と適当に相槌を打つ俺は、他の採掘メンバーたちと適度な距離を保ちながら歩を進める。
「ヒコマロ、お前との会話を他の人間に聞かれるのは不味い。話があるなら家に帰ってからにしろ」
『それもそうだな。何も知らない第三者から見ればブツブツと独り言を呟いてる奇人変人だしな』
「はぁ……」
戦争や貧困のない国で生まれたヒコマロは物事を楽観的に考えてしまう癖があり、先を見据えずに行動しようとする己の悪癖にも気づいていないのだ。
人脈や情報、活動資金といった暴力以外の力を軽視しているのは温室育ちの世間知らずであることを如実に示していた。
『ああそうだ、飲みに行く前にこれだけは教えてくれ! お前は例のS級ハンターに復讐する気はあるのか? ほら、あのエルフ族の女……名前はイセリア・エリザベートだったか?』
「復讐できるなら復讐したいとは思うが、実力差を考えれば現実問題として不可能だろうな。しかも、あの女はハイエルフだ。身の回りには常に護衛の部下たちが付いてるから隙が無い」
大陸一の冒険者ギルドとして畏れられているウェヌス・ギルドの副団長、イセリア・エリザベートは生まれながらの”勝者”だった。
容姿端麗なエルフたちの中でも殊更に美しいハイエルフの彼女は、身分も魔力も財力も名声も地位も兼ね備えた成功者の代名詞と言っても過言ではない人物だ。
そんな人物を訴えたところで俺のようなE級ハンターの証言が信用される筈もなく、逆に名誉棄損で訴えられるのが目に見えていた。
「冒険者のランクは冒険者組合にある測定器で調べられるんだ。内包する魔力の量が多ければ多いほど高ランクの冒険者に認定される」
『ああ、そして魔力量をトレーニングなんかで増やすことは不可能なんだろ? もっと魔力があれば俺だって、と採掘チームの連中が毎日のように嘆いてやがるし』
ヒコマロの知識にある少年漫画などでは弱いキャラクターが修行を積むことで急激な成長を遂げたりするのが”お約束”なのだが、現実と漫画はまったくの別物である。
王族であるハイエルフに生まれたイセリア・エリザベートは常に勝者として君臨し、俺のような下級ハンターは死ぬまで底辺を彷徨い続けるのが運命なのだ。
『”人”という漢字は一方の人間がもう一方の人間を常に支え続けなければならない、という人間社会の理不尽を表している……高校の時の国語の担任が言ってたな』
「……さすがに教育現場では不適切な発言じゃないか?」
『それが嫌なら支え続ける側から脱却するために試行錯誤するしかない、とも言ってたけどな』
「まあ、確かに一理あるな……」
異世界人であるヒコマロと肉体を共有している以上、彼の意見にも耳を傾けなければならない。
そして何より、彼の能力である”K・K”を使いこなせれば格上のモンスターを屠ることも可能なのだ。
『剣と魔法のファンタジー世界で一人だけ”幽気紋”を使う冒険者か……くっくっく、実に面白い』
「お前のお陰で”幽気紋”が少しずつ身体に馴染んできたしな。魔力はともかく気紋エネルギーの力はどんどん強くなってるし、鍛え上げればS級ハンターでさえ一蹴できるようになるかもな」
『お前には俺が付いてるから安心しろ! 能力を使いこなせれば上級ダンジョンのモンスターも倒せる。そして稀少な魔石もバンバン転がり込んでくる! 俺と一緒にこの世界の頂点に立とう!』
忌々しいダンジョンから生還を果たして以来、少しずつ鍛錬を積んできた俺はB級ハンターにも引けを取らないほどの実力を身に着けていた。
ヒコマロが愛読していた漫画に登場する”気紋”と呼ばれるエネルギーは鍛えれば鍛えるほど成長するのだ。
「この”気紋エネルギー”と”幽気紋”は便利な力だ。この力を上手く使えば”ニホン”でも成り上がれたかも知れないのにな」
『少し前にも言ったと思うが、俺の世界には魔法だの超能力だのモンスターなんて類のモノは存在しないんだ。なぜ創作物の能力が使えるようになったのかは使い手である俺にも分からん』
科学万能の時代に生まれたヒコマロは宗教や神秘、死後の世界といった概念をまったく信じていないらしい。
今現在の自分が置かれている状況についても単なる偶然に過ぎないと考えているようであり、神や悪魔といった超常の存在を「人間の恐怖心が生み出した幻想に過ぎない」と一笑に付していた。
信仰心の厚い教会関係者などが耳にすれば激昂した挙句、異端認定されても不思議ではないほど不謹慎な発言ではあるが、彼のいた”ニホン”なる国ではソレが当たり前らしい。
「なぜダンジョンから脱出できたのか、なぜ創作物の能力を手に入れてしまったのか、なぜ異世界に来てしまったのか……お前が言うように考えても時間の無駄だな」
『ああ、悩めば悩むほど貴重なトレーニングの時間を失うだけだ。ただ悩んでいるだけの者に成功は訪れないのさ』
引き籠もりの一歩手前のような生活をしていたらしいヒコマロが「経験者は語る」と自嘲気味に言う。
そんな彼のアドバイスを他所に「そろそろバスに乗るぞ」と会話を打ち切ることにした俺は、あと数年で壊れてしまいそうなボロボロの魔石バスに乗り込んだ。
死んだところで幾らでも替えの利く採掘チームの冒険者たちは、移動手段でさえ攻撃隊メンバーの者たちとは天と地ほどの差がある。
『ふふふ、他の連中が剣や杖を持ってモンスターと戦う中、お前だけは異世界の漫画に出てくる超能力を使うんだ……明らかに世界観が違うな』
「……」
割れた窓ガラス越しに外の景色を眺めている俺に対し、楽しそうに声を弾ませたヒコマロが身も蓋もないことを言う。
しかし、物語の主人公のように王道を歩むことができない弱者は、脇道に逸れて邪道を選ぶしかないのだ。
物静かな田舎道をガタガタと揺れながら走行するバスの中で、能力の訓練をするべく”K・K”を使用する俺は、湧き上がる葛藤に苛まされながらギルドの本拠地まで送迎されるのだった。
☆
三時間後、歓楽街の居酒屋にて食事を終えた俺は自宅に向かっていた。
酒好きのドワーフ族でさえ驚くほど豪快な飲みっぷりを披露してくれたシリウスが、酒臭い吐息を零しながらフラフラと夜道を歩いている。
俺が住んでいるアパートの真正面にシリウスの家があるので、必然的に帰る時は一緒になることが多いのだ。
「ジェミニぃ~、明日も遅れないように早寝しろよぉ……おええぇっ!?」
「お前はいつも飲み過ぎなんだよ」
酒の神の化身ではないかと思うくらい酒好きのシリウスが、道端に吐瀉物を吐きながら深呼吸を繰り返す。
C級ハンターである彼は毒物に対する抵抗力も強く、体内に吸収されたアルコールを常人より早く無害化できてしまうらしい。
魔力を持たない一般人より少し回復が早いだけの俺とは違い、シリウスの身体は外見からは想像も付かないほど頑丈なのだ。
「はははっ、それでは我が親友のジェミニくぅ~ん……明日も頑張ろうぜ!」
「はいはい、分かったから家に帰れ」
「おっす! ディアボルス、お前もさっさと寝ろよ!」
「名前で呼ぶな!」
神話に登場する悪神と同じ名前を叫ばれるのは精神的にかなりキツいので、親しい間柄の者たちにも下の名前で呼ばないように言い聞かせている俺は、目の前にある豪邸をチラッと一瞥する。
すると、門の前に立っていた執事服の男がシリウスの姿に気づいた瞬間、畏まったように頭を下げて「お帰りなさいませ」と出迎える。
「どうぞお入りください、シリウス坊ちゃま。それと、あのような貧民風情に関わっていると品位が下がりますぞ」
「そういう言い方すんな! そもそも交友関係で人間の品位が決められて堪るかっての!」
「……」
良くも悪くも自由奔放なシリウスの態度に大きな溜息を零した執事服の男は、アパートに向かう俺をギロッと睨んで「シリウス坊ちゃまに近寄るダニがっ!」と侮蔑の言葉を吐き捨てる。
貧困層の人間は容姿だけでなく心まで卑しい、と常日頃からシリウスに言い聞かせている彼は俺の存在が気に食わないのだ。
片田舎の古臭い価値観に染まりきった老害そのものだが、彼自身もB級ハンターとして活躍していた過去を持つ実力者なので、下手に関わって被害を受けるのは避けたかった。
「人の形をした生ゴミの分際でっ!」
「……」
関わるだけ無駄な生き物だということは火を見るよりも明らかなので、無視することにした俺は急いでアパートに向かう。
どちらにせよ半年後には大陸の南西部にある迷宮都市に行く予定なのだ。
塵芥ほどの価値もない老害のために時間を割くなど、馬鹿らしいにも程がある。
「はぁ……馬鹿と関わると馬鹿が伝染るな」
『この世界の文明レベルから判断するに、あの手の老人は腐るほどいると思うぞ? 俺の国でも百年くらい前までは身分だの家柄だので苦労している奴は大勢いたからな』
ようやく部屋に戻ってきた途端、頭の中でヒコマロが話し掛けてくる。
血筋や財力、身分などがヒコマロの故郷とは比べ物にならないほど重視されているこの世界では、貧民層を蔑視している者は大勢いるのだ。
『機関車やバスなんかは俺の生まれた時代でも普通に使われていたが、魔石を動力源にしているというのが如何にも異世界って感じだな』
「機関車に関しては二十年くらい前に完成したばかりだし、田舎のほうでは今でも馬車を使ってる連中が多いんだぜ? 民度や文明レベル、教育制度なんかもお前の世界に比べて遅れてるしな」
お互いの知識や記憶を共有したい部分のみ任意で共有できる俺たちは、プライバシーを守りながら協力関係を築いているのだ。
異世界のモノとはいえ数学や化学、物理学などの知識を得られるのは俺にとって非常に有益だった。
身寄りのない戦争孤児として十五歳になるまで孤児院にいた俺は、最低限の読み書きや四則演算しか出来ない。
役人や軍人を目指すにしても一定以上の学歴は必要であり、まともな保証人もいない俺には雲の上の存在だった。
『それよりもディアボルス、今後の方針はどうするんだ? 迷宮都市とかいう如何にも胡散臭そうな都市に向かうんだろ? E級ハンターのお前では大した冒険者ギルドには入れないと思うが?』
「迷宮都市は他の都市と違って時空の歪みが非常に多い土地なんだ。低級のダンジョンゲートなら金さえ支払えば攻略する権利を買い取れるのさ」
軍資金を貯め終えた後、次の段階に向けてダンジョン攻略を考える俺は「ちゃんと策は練ってある」とヒコマロに言い聞かせる。
攻略する権利さえ買い取ってしまえば、討伐したモンスターの魔石やドロップアイテムは買い取った権利者に所有権が与えられるのだ。
『なるほどな、今のお前ならB級ハンターとも互角に渡り合えるだろうし……E級やD級ダンジョンを攻略するくらいなら一人でも充分という訳か』
「ああ、ダンジョン内の魔石や鉱石なんかは採掘員を雇っておけば問題ない。モンスターを倒した際にドロップする魔石やアイテムなんかは俺が独占するけどな」
基本的にダンジョン内で採掘される魔石とモンスターからドロップする魔石では、後者のほうが圧倒的に価値が高い。
モンスターからドロップした魔石のほうが高純度の魔力を有しているからだ。
そして採掘チームへの報酬は採掘された魔石や鉱物の40%というのが一般的な相場なので、攻略する実力さえ有れば中流貴族と同等の暮らしが約束されているのである。
『確か冒険者の六割以上がD級やE級ハンターなんだよな? 最上位のS級ハンターともなれば全体の2%程度しかいないとか』
「ああ、大体それくらいの割合だ。ちなみにA級ハンターくらいになると周辺諸国が好待遇で迎え入れてくれるようになる」
何の取り柄もない凡人であろうとA級ハンター並みの魔力があれば、国家の重役になることも可能である。
小規模な国家ではA級ハンターのみで構成された冒険者ギルドが、王族以上の権力を持っているくらいだ。
魔力を持たない一般人からすれば危険極まりない連中ではあるが、飼い慣らしておけば外交の切り札にもなるので多少の横暴は許されているらしい。
『なら気紋エネルギーと幽気紋を使いこなして上級ハンターを襲うのも悪くないな。A級やB級の連中がE級ハンターに襲われたと証言しても信用する奴はいないだろうし』
「……悪党なら考えておく」
相変わらず物騒なことを口にするヒコマロだが、E級ハンターである俺は否定しない。
これまで上級ハンターたちの横暴には一般人も下級ハンターも苦しめられてきたのだ。
何の努力もせず生まれ持った才能のみで圧倒的上位者として君臨する彼らの存在は、武器を振り回して我儘を言う子供と同じだった。
「さて、今日はもう遅いからさ……一時間ほど訓練したら寝ることにするよ」
『ああ、少しずつ消し飛ばせる時間も増えてきたしな。訓練を怠るのは才能をドブに捨てるようなものだ』
物静かな部屋の中で精神エネルギーを集中させる俺は、人の形をした守護霊のようなナニかを出現させる。
俺の視覚を介してソレを見ていたヒコマロは「相変わらず格好いいデザインだ」とお気に入りの漫画家を褒め称えていた。
「なあ、今思ったんだけどさ……冒険者として成功するより漫画家を目指したほうが良いんじゃね?」
『それだけは絶対に許さん! 他の日本人がいたら盗作呼ばわりされるのが目に見えている!』
普段は楽観的なヒコマロが珍しく語気を荒げる。
この男は自分の興味がある物に対しては異常なほどの執着を見せるのだ。
「そういやヒコマロの世界では創作物に関する著作権とかも厳しいんだっけ?」
『ああ、某ネズミ遊園地がソレで荒稼ぎしてるくらいだ。子供たちに夢を与える一方で、大人からは金を奪っていくのさ』
「……ギリギリの発言だな」
異世界の住人である俺には関係ない話だが、何となく危険な香りがするヒコマロの発言に「そろそろ訓練するから」と会話を打ち切ることにした。
おぞましい真紅の化け物がジーッと俺の横顔を見つめているが、使い手に危害を加えることは無いらしい。
それから一時間後、もはや日課となっている”幽気紋”の訓練を終えた俺は「あと半年の辛抱だ」とボロボロの布団に身を投げるのだった。
大抵のアニメや漫画で時間を操る能力ってチートですよね