1-2 邂逅
「今からテストを行う」
講義が始まり、いきなり教授の口から発せられた言葉がそれだった。連絡されていないテストに第三講堂の学生らはざわついて……いない。
えっ、どういうこと? テストだなんて聞いてないんですが。自分よりも前の席に座っているネイサンの姿を見る。魔法工学の授業に関する情報をくれたのが彼なのだ。きっと彼も驚いているはずだ。
半ば期待するつもりで彼を見ると、驚いた様子はない。けれど春だというのにダラダラと汗をかいている。ははあん、分かってしまった。
おそらく彼は『魔法工学の講義が第三講堂に変更になったこと』と『今日はテストが行われること』の二つの情報を手に入れ私に伝えようとしたが、前者はしっかり覚えていたのに、後者を伝えるのを忘れてしまった。まあ、よくあることだ。
一瞬私への妨害かとも考えたが、それなら講義場所変更さえ伝えなければいい。テストすらも受けさせないことできるからだ。それに彼はそんな汚いことをするような男でもない。忘れたと考える方が、彼のどこか抜けた性格とマッチしている。
はあ、と一つだけため息をつく。結局、ネイサンはこういう所で締まらないね。
これを彼の失態として怒ることもできるが、私にはそんな不義理をする気はさらさらない。彼が講義場所変更を教えてくれなければ、そもそもテストすら受けられない所だったし、私に連絡してくれる人がネイサンしかいない方が問題なのだ。
――それにテストがあることを急に伝えられても、点数が取れないほど柔な勉強をしていない。
「それじゃあ配ってくから、プリント渡ったら回答開始な」
制限時間も公平性も皆無な指示をしてくる教授。まあ魔法工学の講義など適当でいいや、とか投げやりに思っているのだろう。
プリントが渡ってきて、問題を解き始める。やはり捻りもクソもない平凡な問題が多い。この程度なら私でも作れてしまう。
しかし周りを見ると、こんな問題ですら悩んでいる学生がいる。理由は単純。学生にも教授にも人気がない講義だからだ。
魔法工学という学問は人間の体に流れている『魔力』を使って既に『術式』が刻まれた魔法道具の作り方、もしくは使い方を研究する学問だ。
その性質上、術式至上主義のこの世界ではあまり発展していない学問体系になる。どうしてかと言うと、他者の術式に魔力を流して使うくらいなら、自分の術式でどうにかするという非効率的な考え方の魔術師があまりにも多いからだ。
私だってこんな学生や教授のやる気が欠如する、レベルの低い講義は受けたくない。だが何せ術式がないため、それを使う以外の講座で必要単位を稼がねばならない。魔力工学の講義はその一環だ。
色々と考えごとをしていても、問題はすぐに解き終わる。大した難問もない。まあ、間違いなく百点満点だろう。
テスト終了の宣告を涼しい顔で待っているのを、苦々しげに眺めているのは教授だ。そんな顔をするくらいなら、テストの難易度を上げた方がよほどいい嫌がらせになると思うが。
先ほどの似非令嬢もそうだが、このカレッジには術式至上主義が蔓延している。全く煩わしい。術式が劣っていても、なかったとしても優秀人物がいる事実をどうして許容できないのか。
「はい、テスト終了。よし、それじゃあテスト回収するぞー」
「えー、教授。早くないっすか?」
どこぞやの男子学生が声を上げる。声には出していないが、そう反発を覚える者は少なくなさそうだ。時計を見ても、まだ二十分くらいしか経っていない。平均未満の学生には少々、シビアな時間設定だ。まあ、不満を言うレベルでもないが。
「うるせぇ。俺が言うことは黙って従え」
二十一世紀にもなって、紋切り型の高慢な態度を見れるとは思わなかった。思わずプッと笑いが吹き出てしまう。それに目敏く反応する教授。
「なんだあ、イングラム」
「いえ、何でもありません」
「ああ? 今、笑ったろ?」
こちらは矛を収めようとしたのに、掘り返すとはどういうことだ。このしつこさ、ひょっとして私が好きなのか? 生徒への恋心は禁断の果実ですよ。
と、これはジョークだとしても、しつこいのは本当。さてどう言葉を返そうか。そこで一つ策を思い付く。
「すいません。笑いました」
「ったく本当に最近の学生は礼儀が……」
「いえ教授にではなく、テストが解けないからと言って、時間を伸ばすことを要求する生徒の低俗さに対して笑ったのです」
教授は鳩が豆鉄砲に食ったようにぽかんとする。自分を馬鹿にしていると思った生意気な学生が自分の味方をしている。急なサイド変更でついていけない様子だ。
先ほどの男子生徒が顔を真っ赤にして睨んでいるが、心底どうでもいい。この程度のテストに時間が足りないと嘆くレベルの低さを嘲るのは本当だから。
やがて教授は裁断を下す。
「……それならいい。ほら、テストを回収するぞ」
クソっと悪態つく男子生徒の声が確かに私の耳に届いた。
*
テスト後の講義は自習だった。テストとそれに関するやり取りを含めても三十分ほどしか経ってないのに、九十分講義の残り六十分を自習に充てるなど時間配分おかしくないか、と疑問に思う。
退屈な魔法工学の講義がもっと退屈になったなと思ってるところで教授が声を上げる。
「よーし。テストの採点終わったから、呼ばれた順番に取りに来い」
その掛け声と共に、順番に生徒の名前を呼んでいる。しばらくペンを動かしながら、その声を聞いていると、ある法則に気づく。
これ、成績が悪い順だ。教授の真意は図りかねるが、今呼ばれている人たちにはあまり頭がいいイメージがないので気づいた。教授も人が悪いな。ちなみにまだ私は呼ばれていない。
「ネイサン=ミルズ」
教授の無機質な声。それに呼応し、ネイサンは立ち上がる。既に講義の出席者の半分以上が呼ばれただろうか。つまり彼は座学オンリーで言えば、中の上か上の下くらいの実力があるということになる。
教授が一瞬、苦虫を噛み潰したような表情をする。ネイサンの術式は大したものではないため、それが関係ないテストでここまで頑張られると困るところがあるだろう。共感できない感性だ。
「シャーロット=イングラム」
ネイサンの名前が呼ばれて大分経ってから、私の名前が呼ばれる。これで最後かな? そんな自信の元、胸を張って教授にプリントを取りに行く。
教授はネイサンの時よりも一層、苦々しげな表情を浮かべている。プリントからちらりと点数が見えた。もちろん百点。術式不顕現でここまで取れてしまって申し訳ないなあ。でもテストが簡単なのがいけない。
せいぜい恭しくテストのプリントを受け取ることにする。
「オスカー=クラーク」
用紙を受け取り席に戻る途中、教授の口から別の学生の名前が呼ばれる。誰だ、オスカー=クラークって。聞き慣れない名前に動揺する。しかも自分の後の順ということは彼もテストが百点ということだ。
一人の男が席を立つ。特徴としては身長が周りと比べても高く、深紅色の髪をオールバックにしているところだろうか。そして一番私の中で強烈な印象を残したのは、その何も期待していないような冷徹な鳶色の瞳だった。
気に入った。何故かその瞳を見た瞬間、そう直感した。
この話で作中が何世紀かが判明していますね。二十一世紀です。つまり現代とだいたい同じ時代です。これは産業革命による機械化の代わりに魔術体系が進歩したので、現代とは別の世界線で世界が展開しているということになります。よって高度な機械は本作品には出てきません。