1-1 卑下
「見て、あれがイングラム嬢よ」
「ああ、あの術式不顕現の」
「父親の威光だけが立派ですわね」
「こんな所にいて、恥ずかしくないのかしら」
私が十七年生きてきて培った教訓のうちの一つにこういうものがある。『腐った蜜柑はどこにでもいる』。もちろんこの将来の貴族層を教育するカレッジ内にも。
腐った蜜柑はそのまま朽ち果てればいいのに、周りにその腐敗を強要するから質が悪い。そうなると誰が腐敗の元凶か、もはやわからない。そんな芋づる式の腐敗をするから、この世界はどこまでも醜悪なのだ。
だがこの世界の基準で言うなら、私の方が腐った蜜柑だと言えるのだろう。同じカレッジである令嬢擬きの言うとおり、私はこの世界で絶対的な評価基準である『術式の優劣』において、そもそも土俵にも上がれていないのだから。
その運命を呪ったことはある。どうして父は魔術師として名を成しているのに、この私は術式不顕現のせいで魔術師にすらなれないのかと。
しかしそれも過去形。今はこの不幸な運命のおかけで、玉の輿を狙う野望が沸々とわき上がっている。術式にこだわって他人を見下したり、自分を卑下しすぎる人生よりはよっぽどいい。
化粧で折角隠した卑しい心根を、意地汚い笑いを浮かべて台無しにしてしまう自称令嬢ら。そいつらを、反骨精神からきっ、と睨みつける。
「なに?」
名前も知らない令嬢たちがざわつく。おそらくこの一瞬でハイコンテクストな会話を終わらせたのだろう。一致した思いは『術式ナシは構うに値しない』といったところだろう。
「あら、どうしたの、イングラム嬢。私達は何も言ってなくってよ」
「そうそう。被害妄想は良くないわ」
曖昧な笑いを浮かべて令嬢たちはその場を去っていく。本当なら思う存分嘲り笑いたい所なのだろうが、私の父のことが頭に過りそうもいかない状態か。
平気で他人を嘲る癖に、当の本人に睨まれて逃げ隠れるとは貴族の卵として恥ずかしくないのだろうか。ノブレス・オブリージュの精神はどこに捨て置いてしまったのか。妙に腹立たしくて、彼女らが去った後もその残像をずっと睨めつけていた。
「あまり怖い顔しない方がいいよ。イングラム嬢」
中庭に出る廊下から呑気そうで鼻につく声が聞こえる。声の主が誰か、そちらを見なくても分かってしまう自分に辟易する。
「なによ、ネイサン。イングラム嬢は気持ち悪いわ」
「ファーストネームで呼ぶのは流石になあ。こっちも紳士でいないといけないことを分かってくれ」
のんびりと窘めるような声音。髪は漆黒で後ろで小さく一つにまとめ、肌はこのあたりの地域ではあまり見ない黄白色。母親が東洋出身らしい。周りからはイケメンとか言われていたが、私にはそこらへんの機微が分からない。そしてカレッジの制服であるローブに身を包んでいる。
彼、ネイサン=ミルズとはもう十数年来の付き合いになる。俗にいう幼なじみになるのだろうが、平野でのうのうと生きてきた羊のような呑気な性格にはいつもイライラさせられる。
だが今はそれ以上にイライラすることがある。
「なによ、私があのクズ令嬢を睨んだり、文句言っちゃ駄目なの? これが喧嘩なら吹っ掛けたのはあっちよ」
「喧嘩なんか絶対にしたら駄目だよ」
「そうでしょうね。私は術式持ってないから、ワンサイドゲームで負けるだろうし」
「そういうことじゃないんだけどなあ」
ネイサンがはあ、とため息をつく。その幼なじみを宥めるのに苦労してます風が気に入らない。だいたい君も術式弱いんだから、彼女らと喧嘩したらおそらく負けるだろうに。
「じゃあ、どういうことよ。はっきり言いなさい、はっきり」
「喧嘩もそうだけど他人を睨んだりしたら、折角の綺麗な顔が荒んでしまうよ」
そんな歯の浮くような言葉を飄々と言い放つこいつは、やっぱりどこかおかしい。並の女性なら間違いなく引くし、この言葉に浮かれるようなら、女の子の永遠の夢から目覚めることができない可哀想な女性だ。
少なくとも私は後者ではないので、ネイサンの甘言に心が揺れ動いたりすることは全くない。
「ったく本当に君は変わってるね」
「それはどちらかと言えば貴女じゃないか?」
「私のどこが変わってるっていうのよ。術式不顕現のことを言ってる?」
「さっきもそうだけどジョークだとしても、自分を卑下するのはやめようよ」
ネイサンにそれとなく窘められる。ぐっ、と言葉が出なくなる。術式不顕現をコンプレックスに思うのは過去形だ。それを心の底から卑下するのも。
でも言葉にすれば、その時の癖がまだ抜けきっていないのがよく分かる。だから本当の意味で自分が自分自身を馬鹿にする悪癖は直っていないのかもしれない。直さねば。
「とにかく変わってるっていうのは貴女の『野望』のことだよ。まあ、何とは言わないけどね」
「これからもそれ、絶対に言うなよ」
「もちろん。分かってるさ」
ネイサンには昔に私が『隔世遺伝』を利用して、玉の輿を狙う計画を教えている。その時はまだ思いつきの状態だったため、この野望が自分にとって、どれくらいクリティカルなものになるかよく分かっていなかった。今なら絶対に誰にも言わない。現にこの計画は彼にしか伝えていない。これからも伝える気はない。
まあ一つ言えることは、彼は私の幼稚で荒唐無稽な野望を聞いて、決して笑ったり、頭ごなしに否定することもなかった。それは私の中では結構な安心材料になっている。
だから、本当に彼を嫌うということは決してない。ふっ、と一つ笑みを浮かべる。
「それで? 話しかけてくるんだから、何か用があるんでしょう?」
「まあ、ただの連絡なんだけどね。次の魔法工学の講義、第三講堂に変更になったから」
「……! そう、教えてくれてありがと」
「うん。それじゃあまたね、シャーロット」
必要なことだけ言い終えるとネイサンはダッシュして、廊下を駆け抜けていく。おそらく仲間のグループに追いつこうとしているのだろう。
私はカレッジ内では一匹狼で通している。他人と馴れ合いなどする気がなく、ただ玉の輿を狙っているので、それならそれでいいのだが、こういう連絡が全くないのは困る。たまに嫌がらせでデマを教えてくることもあるので、教えてくれたことをホイホイ信じることもできない。
そんな中でネイサンの存在は貴重だ。顔を合わせたら何らかの情報をくれたりするし、その情報が作為的な嘘であることは決してない。これは経験則から立証されている。
さて次の講義は魔法工学。正確な情報を活かして第三講堂へ行くことにしよう。
本日二話目投稿です。この話から本格的にストーリーが始動します。自分はあとがきは積極的に使うタイプで舞台設定などをここで話せたらいいなと思います!