ブレ伝世界、一日目3。
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誘導されて入ったその部屋には机が一つ、椅子が二つ。机の上には紙と羽根ペン、インク壷。それだけしかなかった。取調室にしても殺風景な部屋。
なまじ歩いてきた廊下が目に刺さるほどに派手派手しかった為に、その落差に驚いた。廊下だけ豪華なハリボテ仕様とかではあるまいか。心なしか廊下よりも涼しい部屋で、促されるままに椅子を引いて座った。
机の向こう側、正面にハヤテが座る。四天王自ら尋問をするのだろうか。
ふと、ドアを見てぎょっとした。牛頭の筋骨隆々な魔族が斧を持ちながら部屋の中、扉の前で佇んでいる。
口をぱくぱくと開ける私に気付いて、ハヤテがちらりとそっちを見た。
「見張りだ。お前が妙な事をしなければ何もしない」
へえ、そう、ふうん。
何も持っていない私に何が出来るのか。せめて髪が床に付くほど長ければそれを振り回しながら威嚇したり出来たのかもしれない。
急に伸びていたりしないかな。駄目元で触れた髪は局地的暴風の影響でかつてないほどに絡み合い、もう私にはどうする事も出来そうにないほど指を通さなかった。
え、どうしよう。切るのこれ? どこから?
「さて、話を聞かせて貰うぞ」
どうにか髪が抜けないようにほどけないかと格闘していた私に、ハヤテが声を掛けてくる。
右手に持ったペンで紙に何かを書いているが、私は見たことのない字だった。
四天王最弱は風使いで、右利き。どうでもいい事を私も心のメモ帳に書き留める。
「お前の名前は」
「…ちなつ」
「チナツ。あの村の者か」
「違い、ます」
「ではどこから来た? あの村は外界から隔離されている。どうやって来たか言え」
がりがりとペン先の鳴る音が響く。読めないけれども書き方は丁寧で、几帳面なのかしらと思う。一つ答える毎に埋まっていくそれは、聞くまでもなく私の調書なのだろう。
「知りません。気付いたら、あそこに」
「…お前の出身地は」
「…」
言っても分からないだろう。嘘を言っても本当の事を言っても、黙っていても怒られそうだ。
じっとこちらを見るハヤテと目が合う。
「…殺さない?」
「お前の態度次第だ」
態度如何で殺されてしまうのか。レベルアップもくそもない私を手にかけるなんて、きっとこの男にとっては赤子の手を捻るように容易いのだろう。
ただの村人の農夫以下。体力も知力もない、それが私だ。
「…私の生まれた所は、ずっと遠くで」
お腹が空いてきた。いつもならとっくに祖母のご飯を食べて、何ならもう昼食に近い時間になっているだろう。
今日も祖父母はご飯に味噌汁、漬物と目玉焼きで済ませたのだろうか。多分私の分も用意してあるんだろうな。
いつまでも起きてこない私に呆れながらきっと祖母が呼びに来て、もぬけの殻になっている布団を発見したことだろう。
口は悪いけれども優しい祖父と、一見おっとりしているけれど案外厳しい祖母。びっくりしただろうな。
今頃両親に連絡が行っているかもしれない。ターニャに出会ってお茶をご馳走になっていた時にはまだ混乱していたから考えが及ばなかったそこに、出身地を訊かれた事で不意に思い至って鳥肌が立った。
━━私、どうやって帰るの。…帰れるの?
「おい、どうした」
「…か」
人生で初めて殺気を向けられた時にも、強制的に空を飛ばされた時にも出て来なかった感情からのそれ。
生理的なものではなく、私は四天王と向かい合っている今、初めて。情けなくも号泣してしまったのだった。
「帰りたいよう…!!」
一頻り泣いて少し落ち着く。落ち着いたというかトーンダウンと言った方が正しいかもしれない。とりあえず、涙は止まった。
ハヤテは私があまりにも迷子の子供のように泣いたせいで気圧されたのか、何をするでもなくただ椅子に座っていた。
泣き止みました大丈夫です、そう言いたいところだが久方ぶりの号泣に横隔膜が痙攣して、ひっくひっくと勝手にしゃくりあげるのでどうにも話せそうにない。
「…落ち着いたか」
低い声でそう問われ、ひとまず頷く事で意思を示す。
答えないのではない、答えられないのだ。
「…痛い事は、しない。理不尽に傷付ける事はしない、約束する。ただお前が何者なのか教えて欲しい」
静かな声が降りてくる。
存外優しいその声に見上げると、真剣な目でこちらを見ているハヤテと目が合った。
トップに魔王が居て、その下に四天王が居て。きっとこの男も、四天王で最弱と言えど部下も多く居るのだろう。
どこにでも居そうな平凡な人間、に見える魔族の男。どうしてもただの人にしか見えないせいで、私はこの男の前であんなに盛大に号泣したのかと何だか羞恥心が込み上げてきた。
「わた、私、っにも知らな、い」
ただ何者かに喚ばれて来ただけ。魔族が警戒するような何の力もないし、この先勇者がどこで何をしていつ魔王の元に来るのか。有益になり得そうな情報の一つさえ持っていない。
訊かれても、何も答えられない。
生まれた羞恥心を隠すために慌てて口を開くも、横隔膜がまだよまだまだとその痙攣をやめてはくれない。何とも哀れな声が出てしまった。
ハヤテはそんな私を見て眉間に皺を寄せると、がたりと椅子を鳴らして立ち上がった。
「何か持ってきてやる。それではしばらく話せないだろう。すぐ戻る」
見張っていろ、手は出すな。そう牛頭に声を掛けて、ハヤテはこの部屋から出て行ってしまった。
頷いた牛頭と目が合う。え、これと二人きりか。凄い体験。
牛って睫毛長いけど、モンスターにもそれは当てはまるのだろうか。
近くで見る勇気はなかったので、今は牛頭が斜め下を見ていて目が合わないのを良いことに観察を始める。だって、この部屋、何もないから。
「…」
「…」
一言も話さない牛頭と、話せない私。
私のしゃくりあげる音だけが部屋に反響していた。
「…何をしている?」
急に開けられたドアに、ひく、と痙攣で返す。
何もしていない。強いて言うなら暇潰しをしていた。
すぐ戻ると言った言葉通り、ハヤテは五分も経たずに戻ってきてみせた。行儀悪くも椅子の上で体育座りをしていた足をすっと下ろし、居住まいを正す。
待っている間ずっと見詰められていた牛頭は、どこかほっとしたようにハヤテが開けたドアを閉めた。
机の上にハヤテが置いたのは、何の装飾もないシンプルなティーポットとカップ、そして香ばしく焼かれたスコーンの乗った皿だった。
大雑把にざばざばとカップに中身を注ぐ。ターニャの手つきとは違うあまりな男らしさに唖然としてそれを眺める。
どん、と私の前に置かれたそれは溢れそうなほどたっぷり入っていて、湯気をぷかぷかと立ち上らせていた。
「これはどっちも人間領で手に入れた物だ、お前が口にしても問題はない」
ハヤテは自分の分も同じく豪快に注いで、がぶりとそれを飲み始めた。
そうか、魔族と人間は食べる物が違うのか。毒の沼とか障気を放つ植物とか、攻略本でチラ見した魔族領のマップにあったような気がする。紫色の沼があまりにも毒々しい色で印象的だったのだ。
魔族はああいう沼に棲む魚(そもそも魚が生息出来るのか分からないけれど)を食べたりしているのかもしれない。それは私は口にしてはいけないと、思う。湯気を吸っただけで倒れてしまいそうだ。
誘惑に負けてカップに唇を寄せると、それはターニャの家で飲んだものより何だか渋くて薄かった。それでもさっきの号泣で喉がからからになっていた私には、全身に染み入るような、とても優しい味に思えたのだった。




