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ブレ伝世界、五日目2。

やっぱり部屋から出ては駄目なのか。今日幾度目か分からないそれをミノタウロスに投げ掛けてみるけれど、答えは分かりきっていた。上司命令に忠実な牛は首を縦に振る事がない。

落ち着かないまま座ったり部屋をぐるぐる回ったり、寝転がったりしてみるけれど何をしても頭からさっきの三人組の様子が離れないでいた。


ユウマ、魔王、倒したいよね。私やれるかな。

気付かない内に握り込んでいた貫頭衣は皺になっていて、そっと手のひらで伸ばしてみる。

はあ、とため息を吐くと、扉が不意に姿を現した。夕の鐘にはまだ少し早い。


「大人しくしてたか? 暇だったろ、ほったらかしで悪かったな。怪我はしてないか」

「部屋から出てないし、大丈夫」


朝と変わりない姿のハヤテが顔を出して、何だかほっとする。正門での戦闘は門番だけがこなしていたけれど、城外での様子は私には知る術がない。


一度部屋に戻ったハヤテは、がちゃがちゃとトレーを運んできた。私が使った朝と昼の食器を部屋に置いて、新しい物をテーブルに置く。


「今日はもう少し仕事があるから、お前は一人で食ってろ。ミノタウロスも悪いが残業だ」


そう言って慌ただしくハヤテはまた出て行った。すれ違いざまにミノタウロスにジャーキーのような物を預けていって、牛はぺこりと頭を下げていた。

食べるのか? 牛が牛を。しかし牛のジャーキーとは限らないし。

複雑な気持ちで眺めていると、何かあったのかとミノタウロスが首を傾げていた。


「…何でもないよ。ミノタウロスさんも座ろうよ」


少し迷ってソファーに腰を落ち着かせる。ぎぎぎ。聞いた事のない音が鳴って、重いのか。牛だもんなと私はスープの皿を眺めた。














何となく食べる気がしなくて、用意された夕食の湯気が消えていくのをただ見詰めていた。ジャーキーはすっかりミノタウロスの腹の中だ。スープの油が白く浮かんできた頃、またがちゃりと扉が開いた。


「ミノタウロス、悪かったな。上がって良いぞ」


頭を下げて足早にミノタウロスが部屋から出ていく。あれだけでは足りないだろう、食堂がまだ開いていれば良いけれど。


「お帰り」

「おう。…何だ、まだ食ってなかったのか」

「…一緒に食べたかったの」


消え入るような声が出る。力任せに頭を撫でられて、何だかこれにも慣れてきたなと思った。ちょうどいい高さに頭があるのかもしれない。


「悪いけど済ませてきた」

「…そっか」

「済ませてきたけど、付き合ってやるよ」


そう言って部屋に行ったハヤテは、見慣れた酒の瓶と、つまみだろうか、皿に入ったナッツのような物を両手に持って戻ってきた。

二人で食べる夕食がすっかり日常みたいになってしまって、私大丈夫なのかな、とスプーンを握る。


「もったいねえな。今度同じような事があったら温かい内に食っちまえよ」


ナッツを齧りながらちびちびと酒を口に運ぶ。今日はよほど疲れたのか、いつもと違って勢いが悪い。


「…気、遣わせて、ごめん」

「あ?」

「いっつも色々、ごめんね。私何も返せない」


食べながら涙を堪える。

四天王。魔王の配下。人間の敵。

まさか異世界から来たなんて思っていないだろうから、ハヤテにとって私はただの人間で、怪しげな危険分子でしかない。

それなのに優しい。面倒だろうに逐一付き合ってくれている。今だって、昨日だってそうだ。贅沢言ってんじゃねえと切り捨てられても良いだろう。

それでも自腹を切って色々買ってくれて、今日みたいに何かあればまず私の心配をしてくれる。

幾ら仕事と言ったって、…ここまで優しくされては芽生えてはいけない感情が生まれてしまいそうだった。

そう思っている時点で、最早私は手遅れなのに。


あと二日で、残された時間内に魔王を倒して、この厄介者を押し付けられた苦労人とさよならをしなくてはならない。


「…子供が気にする事じゃねえよ。前にも言ったろ」

「…私、そんなに子供?」

「子供だろ」


食って、寝て、泣いて、はしゃぐ。なあ?

グラスを傾けるハヤテは笑っている。その目は柔らかく細められていた。


「ねえ、今日、行きたい」


窓の外を見上げる。相変わらずのどんより黒い空。疲れているだろうから断られるかもしれない。でもこの男はきっと、


「…良いけど、先に飯食っちまえよ」


ほら、やっぱり優しい。













今日も立派な雲海が照らされている。見る者のいない月は前回より少し丸くなっていて、満ちる時期だったのかと考える。しかしまだ満月ではない。


「満月、明日かな。明後日かな?」

「何でそんなに見てえの」

「綺麗だから?」


別に思い入れがある訳ではないけれど、半端に欠けた月よりも真ん丸の月をこんな場所から見られたら、きっとさぞかし美しい景色になるだろう。

ふうん、と答えたハヤテは興味が無さそうだ。そう思ったのに、ぼそりと囁かれる。遮るものがない雲の上では、小さな声だったのにしっかりと私の耳に届いた。


「知ってるか。満月の晩、本気で願うと月が叶えてくれるそうだ」


子供のおまじないみたいな、ロマンチックなような。聞いた事のないそれに首を左右に振ると、柄じゃないと思ったのか何だか嫌そうな顔をされた。おかしくなって、くすくすと笑う。


「初めて聞いた」

「…人間領じゃ言わねえのかな」


見上げるハヤテを地上よりも近い月が白く照らす。ハヤテは何を願うのだろう。


「願った事ある? 叶った?」

「ねえよ。そんな子供みたいな真似」


私が子供だから教えてくれたのか。むっとしながら見上げる月はやっぱり少しだけ欠けている。

息が白く、夜の闇に溶けていった。


「きっとそろそろ満月だよ。また連れてきてね、約束だよ」


この調子なら多分、明日。それならば私も間に合う。

魔王を倒せるように願おう。人間にも魔族にも、均しく調和が取り戻せるように。


明日が満月であるように思いながらそう言うと、不意に肩を抱き寄せられる。何となく顔を見る事が出来ないまま、私たちはただ微笑む月の光を浴びて、雲海に二人佇んでいた。

冷たい空気の中で、触れた肩から伝わる熱だけが驚く位に心地よくて、体が冷えているのだなと思う。

でも、帰ろうとはまだ言いたくなくて。何を話すでもなく、ただこの空気を、雰囲気を、景色をもう少しだけハヤテと一緒に味わっていたかったから。私は少しだけ寒さを堪えて、ハヤテの指先のかたちを意識して肌に記憶させていた。

そろそろ帰るぞと言いそうなハヤテもなかなかその言葉を言わなくて、私と同じ気持ちだったら良いのに。一瞬そう思った。けれど、


(不毛だね)


実ったところで先はない。もし一緒に居られるとすれば、それは私が失敗して世界の歪みを止められなかった時だ。

さよならを言う為だけに出会ったようなものだ。予想外だったのは多分、この男があまりに優しくて、だから、


(どうしようね、本当に)


自覚してしまったものを、私はどうすれば良いのだろう。

ただの女子高生でしかない私のキャパシティなんてとっくに超えていて、どうしたら良いかなんて分からない。

でも今は、私とハヤテしか居ないから。

どすんと思い切り体重を掛けて寄り掛かった私をハヤテが笑って見下ろして、眠いのかよと言いながら頭をぺしりと叩いてくる。声は少し掠れていて、眠いのはそっちじゃないのか、と叩かれた頭をぐりぐりと押し付けた。

ハヤテの匂いがふわりと漂って、跳ねた心臓はもう嬉しいのか苦しいのか私にはさっぱり判別が出来なくなってしまっていた。

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