ブレ伝世界、四日目。
ケンガは最近妙な報告の続いている人間領との境にある場所、要塞都市へと向かったらしい。ハヤテは主に人間領に向かわされているから、その代わり魔界で何かあればそちらに赴くのは別の幹部の誰か。今回はそれがケンガであるという事だった。
魔王の右腕が城を空けても良いのかと訊くと、他の者が居るから特に心配は要らないのだという。
まだ会っていない最後の四天王だろうか。カエンはどうも、大人しくデスクワークをして待っているようには思えなかった。
風、水、火と来て、攻略本情報ならば残るは地だ。本で見た限りでは岩でごつごつの肌だったけれど、カエンのように「これは仮の姿で~」とか言い出すのかもしれない。しかし留守を預かる位なのだからきっと、しっかりした人物なのだろう。地だし。どっしり構えてそう。
午前中はハヤテも仕事を済ませるという事だったので、今日は午後に体力を温存しておこうと昼まではまったりと過ごした。昼の鐘が鳴ってすぐに戻ってきたハヤテに何度も何度も注意を受ける。今日はミノタウロスとはこれでバイバイだ。
「良いか、多分大丈夫だとは思うが確実に安全とは言えない。転移の間は油断するな」
「はい」
「街では決して俺から離れるな。勝手に動くんじゃない。良いか?」
「はい」
「人間を警戒する魔族も居るかもしれない。ローブを渡しておくから、絶対にフードを取るな」
「はい」
「それから…」
よくこんなに思い付くなと感心するほどにくどくどと言われる。まるで初めてのお使いを頼んだお母さんのようだ。ハヤテも一緒に行くんだよね? 不安になってそう訊くと、当たり前だろうと頷かれる。
じゃあそんなに言わなくても。ちゃんと見張っててね、と見上げると、お前が言うなと小突かれてしまった。
「じゃあそろそろ行くけど、絶対に動くなよ」
「うん、ん!?」
密着するように抱き抱えられて、慌てて突っぱねる。しかし幾らも離れなくて、何するのと絞り出すように声を出した。
「何するのって、…まあ、やれば分かる」
その瞬間に景色がぐにゃりと歪んだ。壁と天井と床と、全てが混じり合う。
酷い貧血のような視界に驚いて鼻先にあった黒い何かを掴んだ。嗅ぎ慣れた匂いにハヤテの服だと頭では理解したけれど、ぐるぐる回って確信は持てない。
まるで胃袋がひっくり返ったみたいだ。内臓が大暴れして、今すぐ吐いてしまえと脳みそが指令を出している。
きっとそれは一瞬だったのに、身構える暇もなくコーヒーカップに乗せられたような気分を味わわされた私は気付けば石畳の上で踞っていた。足元がまだぐにゃぐにゃしているみたいで気持ち悪い。
「…大丈夫か?」
気分の悪さを除けばとりあえずは大丈夫だったようだ。渡された水を震える手で受け取って、一息で飲んで瓶を返す。
震えてこそいるけれど、一本も欠けてはいない。足も大丈夫。ぺたぺたと頭を触る。耳も鼻も目も何ともない。バラバラにはならずに済んだようだ。
「てんいやばい」
「やばい」
ぐったりと項垂れる私の耳を喧騒がくすぐる。そうっと頭を起こして辺りを窺うと、賑わう城下町の様子が目に飛び込んできた。
色とりどりの屋台、行き交う人の背中は丸出しで皆セクシー。耳の尖ったお姉さんも、ふわふわの尻尾を揺らして歩く犬頭のお兄さんも、皆日に焼けた背中や揺れ動く羽根を惜し気もなく披露している。
街だ!
落ち着くと同時に上がったテンションに任せて勢いよく立ち上がると、ぐい、とフードを引っ張られてたたらを踏む。
人間とバレてはいけないのでしたね。冷静な目で見下ろしてくるハヤテに頷いて、しっかりとローブに身を包んだ。少し暑いけれど仕方がない。
「服はあっちだ。行くぞ」
迷う事なく歩き出したハヤテに続く。異国情緒溢れる街並みが気になって目移りするけれど、あまりきょろきょろしていてははぐれてしまいそうだ。万が一はぐれた場合を想像して、私はぶるりと震えた。人間が居るぞ、殺すか喰うか。すれ違う魔族が口元から覗かせた牙を見て、そんな台詞を思い浮かべる。
恐ろしい未来が現実とならないように、私はハヤテを見失わないように慌ててぱたぱたと足を動かした。
「いらっしゃいませー」
からんころん、と軽快なベルが鳴る。ハヤテが連れてきてくれた店はこの街では珍しく、背中の隠された服ばかりが並んでいる。ローブの下に隠されている私の着ているものと似た形の服を見付けて、あ、貫頭衣。と思わず声に出してしまった。
ここに来るまでに服屋だけでも様々な店があったけれど、それらをスルーして少し外れのこの場所まで歩いてきたのはきっと、セクシー路線な店にはセクシーな品物しか置いていなかったのだろう。ウインドウショッピングだけでお腹いっぱいになりそうだった。
小ぢんまりとした店内は雑多に品物が並べられて、何だか統一感がない。一応女性向けという括りではあるんだろうけれど、服が置いてある一角の隣には武器のような物ばかりの一角もあるし、怪しげな小瓶が並ぶ棚もある。毒だろうか、回復系なのだろうか。
フードに阻まれて視界が悪い。選びづらかった私はフードを上げたけれど、ハヤテには特に何も言われなかった。店内だからセーフなのだろう。
うろうろと店内を歩いていると、レジの横に目的のコーナーを発見した。下着だ。いや、下着なのかこれは。紐に申し訳程度の布が縫い付けられたそれは、防御力など皆無な代物だ。何だか攻撃力は上がりそう、えっちな意味で。
「下着をお求めですか?」
レジに立っていた店員がにこにこと声を掛けてきて、両手で摘まんで紐を広げていた私は慌ててそれを元に戻した。店員の頭から生えた角越しに、にやにや笑うハヤテと目が合う。
「…ハヤテ、あっち行ってて」
頬に熱が集中したのが分かった。こんなのは趣味ではない。
ハヤテははいはい、と言って店の入り口の方へと向かった。その背中を見送りながら、店員がくすくすと笑う。
「今の、ハヤテ様ですよね。妹様ですか? いくらお兄様でも、下着を選ぶところを見られるのは嫌ですよね」
仲がよろしいんですね。
可愛らしく笑う店員に、そうですねと答える。妹。ハヤテにきょうだいが居ると聞いたことはないけれど、どう見ても人間のようなハヤテがどう見ても人間の私を連れていたら、兄妹に見えるのだろう。訂正をせずに頷いた。
「えっと、ここに出てるのしかないですか?」
「こちらは一応人気商品なので、目に付きやすいようにここに置いてあります。違ったものもありますよ」
人気なのか、これが。直視出来ずに紐の端を見る。付けやすさだけは抜群だろう、結ぶだけだ。
「…下着欲しいんですけど、出来れば違ったものを…」
もじもじとそう告げれば、店員は優しく頷いてくれた。
希望通りのものがどうにか数点見付かり、その中から二つ袋に詰めて貰う。サンダルと貫頭衣が入っていたものと同じ布の袋で、ハヤテはやっぱりこの貫頭衣をここで買ったのかな、と思った。
私が選んだものは流行とかけ離れたデザインだったのか、本当にこれでよろしいのですかと困ったように笑われた。これが良いんです気に入りました、押し切って会計を済ますべくハヤテを呼ぶ。魔族の女性陣の流行は凄まじい。下着要らないんじゃないの、あれ。
店から出た時にはもう気力が削ぎ落とされて、帰りの転移が待っている事を思い出して私は更にぐったりとした気持ちになった。




