ブレ伝世界、三日目。
今日も目覚めはばっちりで、朝食も元気に平らげた。
早速昨日貰った貫頭衣に袖を通す。これ一枚では着られないから、いつものシャツとステテコの上からだ。色味も丈もちぐはぐで相当おかしいだろうけれど、無いものは仕方がない。
貫頭衣、着ない方がマシなのでは? 一瞬そう思ったけれど、折角貰った物だしなと私は洗面所で自分の姿を眺めた。
うーん、カントリー。
ミノタウロス付き、城内ならオーケー。サンダルの紐を調整して、お外に出ようとミノタウロスに声を掛ける。
こくりと頷いたミノタウロスが先陣を切って、私は昨夜ぶりとなる廊下へと足を踏み出した。
分厚い雲に覆われて、顔を隠したままの太陽は光をあまり行き渡らせてくれていない。燭台は昼夜問わずに仕事をしているようだった。
「どこに行こうかな」
とりあえずケンガの居ない場所を目指したい。あとは、魔族に妙に絡まれたりしても嫌だから、出来れば人気のないところに向かいたい。
私の中の気配に気付かれて、またケンガのようにじっとりと責められるのはこりごりだった。
「ミノタウロスさん。あんまり人の居ないとこってどこかな」
ぶもう、と鳴いて、考えてくれているのかぽりぽりと頬を掻く。
人が居なくて、人目もなくて、いい感じのスペースあるとこ。
無茶振りかな、と思いながらそう訊けば、ミノタウロスはぽんと拳で手のひらを叩いた。古典的な動きである。
「ぶもも。ぶもう」
「こっち?」
かっぽかっぽと歩くミノタウロスは、足がそんなに長くもないくせに妙に早い。小走りになって着いていくと、階段を降りてしばし歩いた廊下の先にぽっかり拓けた中庭のような場所があった。
建物と建物の間なのか、日当たりは悪くじめっといている。壁にはカビなのか緑がかった模様が所々に入っているし、存外広いそのスペースには雑草が生え放題だ。
どうだ、えっへん。そんな態度で誇らしげに私を見下ろすミノタウロスに私は頷いた。
「ありがとう、ミノタウロスさん。ばっちりだね」
寛げそうにもないけどね。
汚さないように貫頭衣をそっと脱ぐと、もう毎日見慣れた寝間着姿にまた戻る。
田舎の一軒家の庭ほどのスペース。祖父母宅ならこの辺に畑があって池があって、と思わず思考を巡らせる。
少し、有酸素運動をしよう。
貫頭衣を畳んで床に置いた私は、中庭へと勢いよく踏み込んだ。
この中庭が荒れているとはいえここは一応魔王城だ。それなりに管理されているのか、草むらに懸念していた虫や蛇の姿は見えない。
草は滑りそうだからなるべく転ばないように注意しながら、出来る限り剥き出しの土の上を走るように努める。
ミノタウロスは暇なのだろう、中庭の入り口にちょこんと座って膝を抱えながら、ぐるぐる回る私を目で追っていた。
暇なら一緒に走ろうよ。五周目に差し掛かった時、手を振りながらミノタウロスに視線をやる。無駄な労働はしたくないのか、立派な手を振り返されただけだった。
何周しただろう、息が切れて立ち止まる。ぽたぽたと垂れる汗が気持ち悪いけれど、運動したという気持ちにはなる。
はあはあと呼吸を整えながら膝に手を置いていた私の傍で、かさりと草が踏まれる音がした。
「ミノタウロスさん?」
掠れる声で訊いても返事がない。何か起きたのだろうか、それともジェントルマンなミノタウロスは私を労いに来たのだろうか。
どうにか体を起こして音の正体を見た私の視線の先に居たのは、予想していた筋骨隆々な体ではなく、何だか軽そうな雰囲気の一人の男だった。
「見慣れない顔。あんた誰?」
私こそ訊きたい。
思わずミノタウロスに視線をやると、立ち上がって警戒はしているようだったけれど何だかおろおろしている。
ハヤテの命令で私を見張っているミノタウロスが慌てる相手、…この男はもしかして、ハヤテより偉いの?
ハヤテがどう見ても人間の平凡なお兄ちゃんだとするなら、この謎の男はどう見てもチャラ男だ。オレンジ色の髪から覗いて見える多数のピアスとか、じゃらじゃら付いたアクセサリーは重たくて仕方がなさそう。魔族要素はその尖った耳かな。
向こうも私を観察しているようだ。上から下までじろじろと見られている。
ハヤテより偉いとしたら、四天王の一人? でも、美形なのがケンガで、平凡なのがハヤテ。あとの二人は異形の姿をしていたと記憶している。赤い鬼と、岩の塊。
だとしたらこれは? …まさか、魔王?
ぞくりとして慌てて距離を取る。ミノタウロスにしがみつくと、彼は一つ頷いて私を庇うように一歩前に出た。
「ねえ、俺、質問に答えられないのとか最高にムカつくんだけど。無視しないでくれない?」
私たちを見る男は、今度はミノタウロスに注目しているようだった。
お前、ふーん。片手でピアスを弄りながらにやついた顔をしている。
「ハヤテんとこの牛じゃん。その娘がアレ? ケンガが言ってたやつってこと?」
締まりのない顔で近付いてきた男は、ミノタウロスに回り込んで私の顔を覗いてきた。
髪を掴んで、無理やりに上を向かせられる。
「顔よく見えないから見せろよ。…ふうん」
「…っ、」
「何、痛いの。すげー顔」
面白そうに男が笑う。私は何も面白くない。時々ぶちぶちと抜ける音が聞こえてきて、焦る。禿げてしまう!
「やめ、やめて」
「ハヤテもいちいち厄介事押し付けられて、可哀想な奴」
愉快そうに男がそう言って、私は解放された。全く可哀想とは思っていないだろう声に、この男は何なのかと疑問が湧いてくる。
座り込んだ私を、ミノタウロスがそっと抱えた。
「牛、お前も大変だよなァ。俺んとこ来れば? ハヤテんとこじゃお前も苦労ばっかりだろう」
ぶもう。鼻息荒くミノタウロスがそれに返す。相変わらず私には分からないぶもう語だけれど、ハヤテを馬鹿にするな、と言ったように思えた。
私もミノタウロスの後ろに隠れながら、男を睨み返す。ケンガより、謎のこの男より。ハヤテは顔こそ普通の人間だけれど、とても優しい。こんな魔族たちより、その点ではずっと偉い!
最弱の四天王は、そりゃあ強くないかもしれないけれど、他の四天王にはない優しさを持っているのだ!
「何その目。生意気」
むっとした顔で男が右腕を振ると、さっきまでは何の変哲もなかった男の腕がばきばきと見る間に変化していった。
右腕だけがいやに太く、そして赤い色に変わっていく。
「これ、だっせえから嫌いなんだけど。でもやっぱこれじゃないと暴走しちゃうからさあ」
何の呪文だ。言っている意味が分からなくてミノタウロスを見上げると、だらだらと汗をかいて男の隙を窺っているようだった。
ヤバいの? どうなるの?
「俺、親切だから自己紹介してあげる。四天王の一人のカエン。でー、このかっこいいのは仮の姿」
男━━カエンが右腕を動かす度に、右腕を中心に空気が揺らめいていく。
四天王、赤い肌。あの赤い鬼だろうか。カエン。名前から判断するに、きっと司るのは炎だ。
右腕を振る。ごう、と熱波が私たちに襲い掛かってきて、私はミノタウロスの腕を引っ張った。
カエンは中庭に居る。私たちは廊下へと繋がる中庭の入り口に立っているから、ここで勝ち目のない戦闘を始める位なら逃げた方が良い。
「はは。逃げる気? 別に追わないから好きにしたら」
ちらちらとそちらを見ていたから考えはバレバレで、私はミノタウロスの腕を掴んだまま廊下を走り始めた。疲労が溜まって膝が笑う。けれど転んでいる場合ではない。
振り向いた中庭では、元のサイズに戻した右腕でバイバイをするようにこちらに向かって手を振るカエンの姿があった。
一体何しに来たのさ!




