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ブレ伝世界、二日目、夜2。

足元がよろけて体勢が崩れるけれど、今日はしっかり肩をホールドされているから昨日ほど慌てる事はない。

抱き込まれるように抱えられている私はハヤテの胸元を掴んだ。

城下町の夜景がどんどん離れていく。

みるみる高度を上げる竜はやっぱり透けていて、あまり見ていると足がすくみそうだ。ぎゅうぎゅうに掴んだ自分の手を見ていると、ハヤテの胸が少しへこんだのが分かった。

笑った? 何でこのタイミングで。


「落とさないから、安心しろ」


ぽんぽん、と肩を叩かれて、私は頷いた。ハヤテは私に多分、嘘はつかない。だからきっと、私が暴れなければ絶対落ちない、はず。

でも慣れない高さはやっぱり怖くて、昨日と比べればずっと遅いスピードではあるけれど空を移動するのは心臓に悪い。望んだのは私だけども。

握った服からはふわりとハヤテの部屋の香りがした。やっぱり香水みたいな匂いだ。


雲が迫ってきて、受ける風のせいもあるのか少し息苦しい。急に高度が上がると高山病とかになるんだっけ? 不安になって、ぐいぐいと引っ張る。

どうした、と訊かれた声に、息が苦しいと訴えた。


「…ああ、そうか」


その瞬間に何だか少し暖かい空気に包まれる。私とハヤテの周りの風が収まって、見えないけれど何か遮断されたようだ。小さな結界のようなものだろうか、相変わらず竜は上昇しているけれど服の裾がバタバタするのがなくなって、かなり呼吸がしやすくなった。


「最初からこうしておけば良かったな」


お前、人間だしな。

そう言って進行方向を眺めたハヤテは、もう先程までのようにぐらつく事もないのに私の肩をしっかり掴んだままで、だから私も何も言わずに、ハヤテの服を握り続けていた。













「うわああああ!!」


何かで遮断されていてもやっぱり雲の中はひんやりしていて、視界が悪い。

ハヤテも早く抜けようとしたのかその瞬間は速度を上げたようで、私は目を閉じて抜ける時を待った。

もう良いぞ。その声に恐る恐る瞼を開けた私は、思わず感嘆の声を上げてしまった。

空にぽっかりと浮かんだ月は少しだけ欠けていて、それでも雲を照らしている。

見事なまでの雲海だった。


騒ぐなよ。出発する前に言われたそれを思い出して慌てて口を抑えた私に、笑いながらハヤテが首を振った。


「ここなら多少騒いでも構わない」

「お城の近くが駄目だったってこと?」

「うるさいやつが居るからな。知ってるだろう?」


ミノタウロスならば上司が飛んでいるのを目撃したとしても驚きはするだろうけれど怒る理由がない。だから当てはまらないだろう。消去法であと一人しか居ない。ケンガだ。

確かにあの男は、秩序を乱したとかそういう事を笑顔でねちねち責めてきそうだった。一度しか会ったことはないけれど私の中のイメージはよろしくはない。


「勝手に飛ぶと怒られるの?」

「いや…」


歯切れが悪い返事だ。言いにくい内容なのだろうか、と見上げたけれど目を逸らされる。

これはもしかして、


「…私、外に出ちゃ駄目な感じ?」

「…」


返事がないのはきっと、その通りなのだろう。

ケンガは私を魔王城に閉じ込めて、その上で監視させているのだ。目障りならば追い出してしまえば良いのにそうしないのは、何か起きた時にすぐ対処出来るように。

監視付きでという条件は付くけれど城の中ならば出歩いて良いと言われたのは、「城内ならばすぐにどうにでも出来る」という事だ。


ハヤテはなんというか、人情派なのかな。私がそうして閉じ込められているのを哀れに思うのか、こうして私の望みを聞いてくれている。


「…中間管理職」

「は?」

「苦労してるね、ハヤテ」

「脈絡ねえな」


まあな。頷いたハヤテはやっぱり笑っている。妙にご機嫌だ。私が知らないだけで、もうお酒を飲んでいたりして。


「ちょっとだけ欠けてるの、惜しいね。こんな素敵な場所で満月見られたら最高だったのに」


日本で作られたゲームだからか、月は私の見慣れたものと遜色がない。地上より近いからか眩しいほどの光。


「普通に見られたら良いのに。ハヤテみたいに雲の上まで来られる人しか見られないの、残念だね」

「…前は」

「え?」

「前は、普通に見えていた。人間領と同じくな。ここ最近だ、ずっと雲に覆われているのは」


昼夜問わずにかかるこの雲は、魔力を帯びている。ぼそりとハヤテが呟いて、どういう事なのか訊いてもそれから答えてはくれなかった。


魔界だからそうなのかと思っていたのに、違うのか。魔族のハヤテが口をつぐむ理由。人間領には無くて、魔王城の辺りには視界一面に雲海が広がっている。


━━神の用意した道筋から、この世界はずれ始めています。それが顕著なのは、魔王。あの魔王では、どれだけ勇者ユウマが腕を磨こうとも、太刀打ち出来ないでしょう━━


勇者の証が言っていた言葉を不意に思い出す。

魔王に歪みが生じた結果、こうして空が覆われてしまったのだろうか。


「今、欠け始めたとこ? それとも満月、これから?」


答えてくれないものを詮索しても仕方がない。話題を変えようと呟いたそれには、さあな、と返された。

毎日見ている訳でもないだろう、ハヤテが知っているとは思えなかった。


「また、連れてきて貰っても良い?」

「…ケンガにばれなければな」

「約束ね」


一週間で満ちるだろうか。それとも月は痩せてしまうかな。元の世界に戻ったらきっと、二度とこんな体験は出来ない。

記憶にしっかりと刻み込むように私は雲海を見下ろして、少し冷たい空気をゆっくりと吸い込んだ。













私がくしゃみをしたのを切欠に、私たちは魔王城へと戻った。結界を張られていても伝わるほどの冷たさに、しっかり風呂で温まれよ風邪引くなよと念を押される。

空中散歩でモチベーションの上がった私は、もう少ししたら洗濯機を回しに来てくれと言って、首を傾げながら自室に入るハヤテを見送ってから布団を縛り上げた。特訓の時間だ。


全身を温めるようにぼすんぼすんと殴りかかる。魔王の姿は分からないから、脳裏にケンガの顔を思い浮かべる。あれよりきっと魔王は怖い、ラスボスなのだから。ケンガに怯んでいる場合ではないのだ。

お綺麗な顔を脳内ですっかりぼこぼこにした私は深呼吸をして、拳で額の汗を拭った。


今日もお風呂を沸かすのを忘れてしまった。もう今日もシャワーで良いや、とばさばさと服を脱いで洗濯機に放り投げる。

さっさと浴びてハヤテに洗って貰おう。汗ばんで張り付くうなじを指でかき分けながら、私は浴室へと向かった。


三度目ともなれば石鹸を泡立てるのも上手になる。良い匂いがしたら良かったのに。泡に鼻を近付けながら残念に思う。


そういえば、ハヤテのあの匂いは芳香剤なのだろうか。やっぱり香水なのかな。あれは少し良い匂いだったので、少し分けて貰えないかなとぼんやりと考える。

…いや、匂いの共有って。仲良さ過ぎでしょ。友達でもないんだから。

シャワーで泡を流すと、曇った鏡からこちらを見返す私の顔は何だか半笑いで、だからどういう感情なのよと私は曇りを洗い流した。



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