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ブレ伝世界、一日目、夜3。

固形石鹸を泡立ててどうにか髪を滑らせる。幾分ほぐれてきたそれにほっとして、地肌をがしがしと洗い始めた。

家にあるような素敵なソープセットは無くて、あったのはこの固形石鹸一つ。泡立ちは今一つな癖にネットなんて気の利いたものはなく、手のひらで必死に擦り続ける。それは私の努力を嘲笑うように仕事はしないくせにつるつると滑って、泡をぶちまけながら何度か落下していった。


髪も顔も体もこれ一つ。じゃーん。無意味にポーズをキメながら鏡を見ると、半目の私がつまらなそうにこちらを見返していた。

面白い? いや別に。

虚しく自分と対話しながらコックを捻る。こちらにはトイレ同様魔力は必要ないのか、普通に適温のお湯が出てきた。


流れ落ちる泡を見詰める。私を呼び出した聖なる証はその後全く私に話し掛ける気配はなく、また私が幾ら問い掛けようとも答えを返さない。寝ればまた会えるのだろうか。あの真っ白い空間で。


ざあざあと降ってくるシャワーのお湯は快適だ。感じる温度に魔族も人も関係ないのか、そう思いながら目を閉じて全身で受け止める。浴槽に浸かりたかったけれど、とりあえず今はこれで充分だった。


ざっと全身綺麗になったかな。そう判断して用意していたタオルに手を伸ばす。洗濯機はごうんごうんと音を立てて、立派に仕事をしているようだった。またね、唯一のパンツ。また明日。


ごわごわのシャツとズボン、借り物のそれを直に素肌に着る。これ、返さなくても良いだろうか。いくら私が洗ったとしても、またハヤテが着るのかと思うととても微妙な気持ちになる。何というか恥ずかしい。

魔王を倒したら悪いけど捨てて帰ろう。私はそう決意して洗面所のドアを開けた。


薄暗い照明、ベッドサイドのルームランプ一つが灯されてぼんやりと部屋の中を照らし出している。ハヤテは私がシャワーを浴びている間に部屋に帰ったのか、誰も居なくなっていた。

見張りは良いのかよ。そう思って目を凝らして確認してみると、廊下側もハヤテの部屋側にもドアはなく、脱出不可能な空間となっていた。


「ええー…念入りー…」


ノブが外されたのだろう。撫でた壁はやっぱり壁でしかなく、はあ、とため息が漏れた。

夕飯で使った食器は全て片付けられて、テーブルの上は綺麗になっていた。一人で座ったソファーは広く、暇を潰す物も何もない。昼寝をしてしまった私は眠くもないし、壁にひっそりと置かれてあった本棚を見ても、そこには一つもタイトルの読めるものはなかった。これではただのインテリアだ。


私以外に音を出すものが洗濯機しかなくて、寂しくなった私はそれに近付いてみた。ごうんごうん。座ってもたれ掛かってみたら振動が不快だったのですぐにやめる。

テレビでもあれば良いのに。ぼんやり考えていると、ぷしゅう、と洗濯機が最後の声を出した。どうやら終わったようだ。

取り出してみた服は、脱水機能がいまいちだったのかぽたぽたと水滴を垂らしていた。絞ったり振り回したりして、どうにか干せそうだ、と広げてみる。


「…これで干すの?」


洗面台の横に丸めて置かれた紐を手に取った。ハンガーや物干し竿などの使い慣れた物はなくて、紐にさっきまで着ていた寝間着一式を掛けようと試みる。

黄色いシャツに水色のステテコ。それに黒のパンツがだらりと垂れ下がった。蝶がアクセントになった上下揃いのこの下着は気に入っていたのに、毎日こんな風に洗って酷使していたら帰った頃にはパンツだけ劣化していそうだ。高かったのに。


浴室の壁に出っ張りを見付けて、ここに引っ掛けるのかと判断して紐の端を結んだ。結んでから干せば良かったと少し思う、手を上げていると段々重くなってくる。

どうにか作業を終えてドアを閉める。乾きますように、祈ってから私はソファーへと戻った。


やることはやった。後は寝るだけだ。けれどやはり昼寝が響いていて、全く眠気は訪れない。ぶらぶらと足を揺らしてみる。一日中裸足で歩いていた足は、今朝ハヤテの来訪でターニャと飛び出した時に慌てて走ったせいで、少し傷が出来ていた。シャワーの時にも滲みたそこをそっと撫でる。


「…はー…」


見上げた空には月も星も見えない。真っ黒に見える空に雲がかかっているのか、そもそもこのファンタジー世界にそれがないのか、魔界の中心である魔王城にいるために何らかの影響で見えないのか。

私にとって今が初めて迎える夜だったために判断は出来なかった。


揺らした踵がソファーに当たって、ぼすりぼすりと音を立てた。女子高生、レベルいち。魔王と戦う勇者の適正レベルは幾らなのだろう? 少なくとも一桁でないのは確か。


「…レベルって、どうやったら上がるかな」


私にもそういうレベルという概念が適用されているのかは分からない。けれど、魔王を倒さないと帰宅不可能らしい現状。存在が不透明なレベルというものを意地でも上げて倒しに行かなければならない。しかも一週間で。

試しに唱えたステータスという言葉はただ空気に溶けて消えていった。人前じゃなくて良かったな、と私は一人、頭を抱えた。


ユウマたちのレベルはモンスターをこつこつ倒す事によって、確か最後に私が見た時には全員四十前後になっていたはずだった。最初は犬みたいなモンスターや猿みたいなモンスター。進む度に強くなっていったそれ。

今の自分の居る場所を確認する。魔王城だ。


「…私が倒せるような相手、居なくない?」


ハヤテ、ミノタウロス、ケンガ。経験値を得られそうな今日出会った相手はこの三人だけだった。

四天王が二人、四天王の部下が一人。負け戦どころの話ではない。


どうやって経験値を得たら良いのだ。

何かないかと部屋を見渡した私は、ふと閃いてそこで見付けた物をむんずと掴み取った。













「…ほっ。……ほっ」


私の呼吸の合間に、ぼすりぼすりと柔らかい音が鳴る。

薄暗い部屋に浮かび上がるのは、いびつなシルエットを一心不乱に蹴り続ける女子高生こと私の姿だ。

ふかふかに干された掛け布団をぐるりと纏めて、服を干すのに使った紐は何本か用意されていたからそれで縛って壁に立て掛けた簡易だけれども立派なサンドバッグ。

衝撃ですぐに倒れるそれを、左右平等に蹴りながら私は今日食べたカロリーを消費していた。

武術の心得はない。けれどやらないよりマシかな。そう思って、不恰好なパンチとキックをひたすらに浴びせ続ける。

半乾きだった髪は根元からまたしっとりと濡れ始めてきて、少し気持ちが悪い。シャワーを浴びる前にやれば良かったかもしれない、もう一度浴びた方が良いだろう。


どれだけの時間が経ったのだろうか。時計もないし、唯一それを知る術になっている鐘はもう鳴らない。こんな運動をし慣れていない私はあっという間に息が上がって、膝に手をついて前傾姿勢を取った。

汗が伝って顎から落ちる。喉の渇きを覚えて部屋を見渡したけれど、夕食の時に用意されていた水はとうに片付けられていて、飲めそうなものは何もなかった。


「あれえ…」


最悪洗面所の水を飲む? あれは飲んでも大丈夫なやつ?

酸欠なのか頭が回らなくて、とにかく何か飲みたい一心でハヤテを呼ぼうと考える。解散してから大分経ったから寝ているかもと頭を過ったが、飲み直すと言っていたからもしかしたらまだ起きているかもしれない。

口の中はカラカラで、飲み込む唾すら探せない。これは一大事。私は拳を握り締めて、そっと壁の前に立った。


コンコン。

返事はない。やはり寝ているのだろうか。もう一度ノックをしたが壁の向こうはやはり静かで、何も返してはくれなかった。


「…ハヤテ」


もう一度ノック。するとがたがたと音が聞こえて、壁はやっと姿を変えた。生まれた隙間から光が差し込む。


「…何だ」

「ごめんね、何か飲み物…お酒くさっ!!」


とろんとした顔が覗いて声を掛けた途端に猛烈なアルコール臭さに気付き、私は驚いて一歩後ろに下がった。

これは、お正月や法事で親戚が集まった時の部屋のにおいだ。

父も母もお酒はあまり飲む人ではないし、私はそういう時は年の近い未成年の親戚と避難していたからこんなに至近距離でこのにおいを嗅ぐ事はあまりない。思わず鼻を抑えた私をハヤテはむっとした顔で見下ろしてきた。


「お前が呼ぶから来たんだろ。何だよその態度はよ」

「…びっくりしたんだもん」

「何の用」

「えっと、飲み物欲しくって…」

「あー? ああ、片付けちまってた? 悪い」


がしがしと頭を掻きながらハヤテが部屋に戻る。閉められなかったドアから黙って覗いていると、テーブルから何かを取って持ってくるところだった。


「ほら、水で良いか。…何かお前異常に濡れてないか? その服着て風呂入った?」

「いや、えっと、ちょっと筋トレしてて」

「汗なのかそれ? 頑張りすぎだろ」


ははは、と軽く笑いながらハヤテが瓶を差し出してくる。お酒と一緒に飲んでいたのか、汗をかいた瓶の中身は少し減っていた。別に何も思っていたわけではなかったのに、口は付けてねえよとハヤテがぼそりと呟いた。


「ありがとう」

「もう一回風呂入れば? もう一つ服要るんじゃないのか」

「…お願いします」


また引き返した背中を見つめる。昼間見た服ではなく今私が着ているのと似たような、ゆったりとした服。ハヤテもお風呂に入った後なのか、もう着替えているようだ。

オフモードのハヤテは本当に普通のお兄ちゃんだ。お酒のせいもあってか覇気も何もない、普通に普通のお兄ちゃん。


今度は投げられるのではなく手渡された服を見る。形は今の服とほぼ一緒の、今度は紺のシャツと何だか更にガサガサの黒のズボン。


「お前、髪乾かさなかったのか」

「なにで?」

「…ああ」


ふっと笑って目を逸らしたハヤテは、もう笑っているのを隠す気がないようだった。

魔法ね魔法、はいはい。

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