ブレ伝世界、一日目7。
部屋から出る時は必ずミノタウロスに声を掛けること。逃亡出来るとは思うな。部屋では何をしようと自由。
そう私にしつこく言ってきたハヤテは、ここまでで何か質問はあるかと尋ねてきた。
「時計とか、ある?」
「部屋にはない。鐘が鳴るから、それを聞くと良い。早朝と朝昼夕と、夜の五回鳴る。飯と起きる時間寝る時間の指標にしろ」
ざっくりとした時間だな。
そう思っていると、早速大きな音が外から聞こえてきた。ガオン、ガオン。分かりやすい音だけれどあまり綺麗な音ではない。
「これ? 今は何の鐘?」
「昼だな…」
もうそんな時間か、と吐息のような声が聞こえた。やだこの人、本当にお疲れっぽい。
三食付きの言葉通り、早くもご飯の時間なのだろうか? 少し期待して見上げていると、ため息で返された。
何ですかねその態度は。さっき食ったばっかりだろって事? あれはおやつでしょ、おやつ。
「…待ってろ」
立ち上がったハヤテは、そう言うと入り口ではなくベッドの横に歩いていく。
何かあるのかと見ていると、どこからともなくドアノブを出して壁にくっつけるところだった。何してんの、疲れすぎじゃないの。
声を掛けるのを躊躇っている内に、がちゃりと音がした。━━がちゃり?
「え。ドア?」
さっきまでただの壁にしか見えなかったそこは、いつの間にか扉になってその口を開いていた。瞬きの間に終了したリフォームに驚いていると、お前の逃亡防止だと振り向かれる。
「この扉は隣の部屋と繋がっているが、このノブが無ければ開けられなくなっている。壁に戻るからな。これはお前には持たせられない」
魔法じゃん。
「隣の部屋は何なの?」
「…俺の私室だ」
心底嫌そうにそう言われ、何だか傷付いてきた。そんなに嫌なら部屋変えて下さいよ、私頼んでないし。
「お前がこの部屋を出たい時はミノタウロスに言え。俺に用がある時はミノタウロスに言うか、ここをノックしろ。俺が隣に居る時は対応出来る。いいか、無理矢理来ようとはするなよ」
私の何がそこまで警戒されていると言うのか。壁をぶち破れる訳でなし、そんなに念を押さなくたって良いだろう。
そんな気持ちを飲み込んで、はあい、と返事をした。ハヤテは振り向き振り向き、扉の向こうへと消えた。
扉は閉まるなりその姿を元の壁へと戻してしまった。ドアノブが外されたのだろう、念の入ったことだ。
暇になった私は、とりあえず壁をぺたぺたと触ってみる。やはり普通の平面で、溝も何もない。魔法凄い!
壁を撫でる趣味は特別持ち合わせていないので、そのままミノタウロスをじっと見ながら再びトイレに向かうドアを開けた。今度はトイレに用があるのではなく、その手前の洗面台だ。
「うっわ…」
予想通りぐちゃぐちゃのままの頭と、泣きすぎて瞼が腫れ始めた顔。私もっと可愛かったよね? いや中の上くらいには居たよね? 言い過ぎ? 愕然とした顔は何も返事をしない。とりあえず笑ってみるが、不細工な顔は笑ったとて変わらないままだった。
数枚畳まれて置かれていたタオルを一つ拝借して、濡らして顔に当ててみる。冷やせば少し良くなるかもしれない。
ついでに髪をとかそうと思ったが、櫛は見当たらなかった。残念。
がたごとと物色していると、洗面所のドアがノックされた。ミノタウロスさんだろうか、意外と紳士。
「はーい」
よいこのお返事をして扉を開けると、ふわりとお腹の空くにおいが漂ってきた。ご飯!
テーブルの上には湯気の立つスープとパンと、何の肉か分からないけれども焼かれた何かと、みかんのようなものがドカンと積まれていた。瓶に入った透明の液体もある。水?
「美味しそう!」
ぺたぺたと足を鳴らして走り寄る。テーブルの傍に立ち、相変わらずぶすっとした顔のハヤテがこれを用意してくれたのだろうか。それにしては随分と早かったけれど。
座るなりスプーンを握り締めた私はハッとして、一度それを置いた。今度は忘れてはいけない。
「いただきまーす」
「さっさと食え」
「はーい」
まずはスープから。野菜がごろごろ入ったそれは、食べごたえがあって非常によろしい。野菜から出た出汁だろうか、優しい味がふわりと香る。
パンは少し固かったので、悩んだ末にスープに浸けてみた。これはなかなか良い!
むしゃむしゃと食べる私とは対照的に、ハヤテはただ食べ物が減っていく様を見ているだけだった。というか、
「あれ? 私の分だけ?」
よく見れば全て一人分しか用意されていない。いや、山盛りのみかん(仮)は辛うじて全員分あると言って良いけれど。この人たちみかんしか食べないの? 草食?
「俺は食わん」
「ミノタウロスさんも?」
「…俺たちは、食わん」
「…それって、魔族だから? それとも、」
私と、人間と一緒に食べるのが嫌なだけ?
スプーンを思わず置いてしまう。私が握ったところを清めるようにごしごしと擦っていたハヤテの顔を思い出してしまった。
わーいご飯だ、と上がっていた気持ちはすぐに下がった。私はここに、一緒にご飯を食べてくれる人も居ないんだな。祖父母と囲んだ食卓は昨夜のことだったのに、何だかもうずいぶん前のように感じる。
「…俺たち城に仕える魔族は、城の中に大食堂があるからそこで食うんだ。お前のような人間が食えるものはそこでは出ないから、俺が用意した。それだけだ」
皿に落ちたパンくずを見詰めていると、そんな声がかかった。
企業のようなものなのだろうか。大食堂。日替わりランチとかあったりして。
「だから、俺たちはこの部屋では食わない。食堂に行けば手間もなくすぐに食えるからな」
作る手間、片付ける手間。確かにそれは面倒だ。
ふと考える。━━じゃあ、これはわざわざ、この男が?
「その手間のせいで、お前は俺の預りになったんだがな」
食いながら聞け、そう言われてスプーンを握り直した。
この魔族、ハヤテは、見るからに分かるけれども人間そっくりだ。そっくりというか、どう見ても人間そのもの。そういう種族なのかと思えば違うらしい。両親は魔族らしい魔族(ってどんなの?)の姿をしているそうだ。
見た目によらず力を得たハヤテは、どんどん地位を上げて四天王の一角という場所に立った。出世である。
その出世に著しく貢献したのも、またその容姿だった。
変装の必要もないからボロが出る事もない。ハヤテは人間領での情報収集などの諜報、潜入操作が主な仕事だったらしい。
いつしか気付けば、「人間領に用がある時はハヤテに頼む」という暗黙の了解が出来ていたそうで。人間領で手に入れた食材も備品も、何かに使うかもと大量に持っていたハヤテは、突然現れた怪しい人間の女の世話を一任されてしまった。そういう事だった。
つまり、私の世話だ。
「…それは大変だね。ですね」
「そうだな」
だいぶ取れかけていた敬語を取り繕い、へらりと笑う。
ストレスが多そうだな、と思った私は、せめて残さず食べようと肉にかぶり付いた。めっちゃ硬い。
「これ、ハヤテさんが作ったの?」
「まさか。空間に仕舞っておいた物だ」
「空間」
「皿は俺のだ。壊すなよ」
ユウマを操っていた時、回復薬のみならず槍だの盾だのずいぶん大量に持てるなあと思っていたけど、異次元なポケットみたいなものが魔法を使えれば持てるのかもしれない。
実に便利だ。私も使いたい。異世界に来て初めて真剣に、魔法を使いたいと思った。