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最終章 記録更新

「はい、そこまでー! 休憩に入るぞー!」

 男は坂道の上から、子供達に向かって声を掛けた。

 先程まで坂をごろごろ転がっていた子供達は、「わーい休憩ー!」とはしゃぎながら、男の元へ全力で走っていく。

「せんせー!」

 一番早く辿り着いた男の子が、筋肉質な男の脚を掴む。

「おっ、コウタはいつも速いなぁ」

「うん! 今日もいっぱいお話してね!」

「あっずるいよコウタ! 俺だって!」

 後から来た子供達も、負けじと男の脚にしがみついていく。

「待ってよ、私最近先生とお話ししてないんだから!」

「そんな事言ったら僕の方が話してないもん!」

「ちーがーう、ユミが一番話してないんだもーん!」

「はいはい、皆落ち着いて」

 男は苦笑しながら、子供達の手を優しく払いのけた。彼がその場に座り込むと、子供達はそれを取り囲む様に座る。

「いつも言ってるけど、皆でお話ししような。その方が楽しいぞー」

 彼がそう言うと、子供達も「そうだった」と顔を見合わせた。彼は笑顔でそれを見つめている。

 彼――坂野転は今、地元で子供向けのランドロー教室を開いている。自分を慕ってくれる子供達と共に楽しい毎日を送っていた。

 思えば彼は現役時代、多くのランドローファンから嫌われる存在だった。それに屈せず努力し続けた彼だったが、結局はチュウ選手に負けた事を理由に引退した。

 今だからこそ分かる事が、彼にはある。彼があの時除け者にされていたのは、自分の事にしか熱意を注げない糞人間だったからなのだ。

 ランドロー教室を開き、少しでもたくさんの人にこの競技を楽しんでもらえたらという誠実な気持ちを持った彼は、いつのまにか好かれる人間になっていた。

 現役の時もこうだったら、もっと活躍出来てたのかもな。子供達の笑顔に囲まれながらふとそんな考えがよぎり、彼は苦笑した。


「……あんのぉ」


 その時、上から大人の男の声が降ってきた。坂野は反射的にそちらへ顔を向ける。

 少しばかり年配の、日焼けした男性がそこにいた。頭の所々に白髪が交じっている。

「はい、何か――あっ!?」

 腰を上げたところで、坂野は思い出した。柔らかな笑みを浮かべる、この品の良い紳士の正体を。

 あの伝説の男を。

「高空選手……高空降さん、ですよね?」

「えぇ。よく覚えていて下さいましたねぇ、嬉しいだす」

 坂野は目を見開いた。幼い時に出会い、以後直接の対決さえ無かったものの、ずっと目指してきた男だ。その彼が、目の前にいる。

「ま……またお会い出来て、光栄です!」

「それはおらの方だすよ。いやぁ、君は本当に凄い選手に育ったねぇ。今もこうやってランドローに携わってるなんて、凄いよ」

「いえいえ、ただ好きでやってる事ですし……それはそうと、今日はどうしてこんな所に?」

「うん。それなんだがねぇ」

 高空は子供達を一瞥した。ランドロー界の生きる伝説を目の前に、彼らも驚いている。

 再び高空は、まっすぐな視線を坂野に戻した。

「君と戦いたいんだ」

「え」

「それで今日はここに来た。……すまないねぇ、おらは君と勝負してからでなきゃあ、ランドロー人生に幕を閉じられんみたいだべ」

 心臓の鼓動が早くなる。坂野は拳をぎゅっと握り締めた。

「高空さん……」

「いいかな? この子達の前で、試合をしてもらっても」

 体が熱くなり、腕が震えた。このうえない喜びを感じながら、彼は覚悟を決めた。

「勿論です。受けて立ちましょう」




 坂野は足首を軽く回すと、深く息を吐いた。

 隣には高空がいて、真剣な表情でその先のコースを見つめていた。

 彼との対決は最初で最後。坂野は高ぶる気持ちを抑え、ただ勝つ事だけを考えていた。

 今日はきっと、自分のランドロー人生において一番特別な日になるだろう。

「それでは、そろそろ試合を始めさせていただきます」

 ランドロー教室の中で一番しっかり者のリョウが、緊張した面持ちでそう伝えた。今回は彼がスターターだ。2人の男は、ほぼ同時に地面に膝を付けた。

 ピッと短い笛が鳴り、体を丸めた。そして、長い笛の音と共にその瞬間が訪れた。


 坂野は雄叫びを上げながら、ひたすらに転がり落ちていった。速く、速く、もっと速く――!

 それはあっという間の出来事だった。余計な事をを考えている暇すら無かった。

 気付いた時にはもう、彼は平地にいた。すかさず立ち上がり、周囲を確認する。

 いた。隣で高空が尻餅をついて座り込み、ゼエゼエと息を吐いている。

 どっちだ――どっちが勝ったんだ? 坂野は審判のサエに視線を送った。

 サエは愕然とした様子で目を見開いていたが、坂野の視線に気付くと、はっとして姿勢を正した。

 そして、自慢の大声で宣言した。

「勝者、坂野先生!!」

 子供達からどっと歓声が湧き上がった。高空はほろ苦い笑みを浮かべ、坂野に向かって拍手をした。

 坂野の胸に、じわじわと勝利の実感が広がっていく。

「おめでとう」

 そう言って高空は立ち上がり、坂野の肩をポンポンと叩いた。

 その時、坂野は何十年も前のあの日を思い出した。高空に初めて出会い、いつか彼を超えると密かに誓った日。

「わぁ、凄い勢いだすねぇ」

 坂野目掛けて走り迫る子供達を見て、高空がのんきにそう言った。そして、親しげな目を坂野に向けてくる。

「君は幸せ者だべ。自分が掴んだ幸せは、たっぷり味わえばいい」

 目頭が熱くなる。昔と全く変わらずかっこいい高空と、嬉しそうな子供達の表情を見比べていると、もう駄目だった。涙が溢れて、止まらない。

「先生、凄いよ!」

「おめでとう先生!!」

「2人とも速くてびっくりしたー!」

 坂野の周りを子供達が囲む。高空は彼らの波から抜け出して、坂野に微笑みかけると、去っていった。

「先生めっちゃ泣いてるー!」

「ほんとだ、そんなに嬉しいのー?」

「あぁ……嬉しいさ」

 坂野は涙を拭い、不細工ではあるけれど美しい笑顔を見せた。


「オリンピックレコード、更新だ」






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