敗北
『さぁいよいよ始まりました、2052年夏のオリンピック男子ランドローリング決勝戦! 実況はわたくし、タナカがお送りしてまいります。
解説は元ランドロー選手のタムラさんです。タムラさん、今日は宜しくお願いします』
『よっしくおぇあいしゃーす』
『タムラさん、いよいよ男子ランドローも決勝ですが、注目の選手は誰でしょう?』
『しょーでしゅねー、んー。やっぱあの人でしょ、中国のチュウ・テンチー選手ねー』
『あー……彼は今大会、ドーピング疑惑が浮上している選手ですからね。この舞台に立っているところを見ると、オリンピック委員会の審査などは通過した様ですが……』
『しょういえば、しゃかのがチュウ選手について何か言ってましゅたよ。誰が何しようと、自分がしゅっかりやるだけだって』
『しゅっかり?』
『そ、しゅっかり』
『……あぁ、しっかりね。自分がしっかりやるだけだ、と坂野が言っていたと……ってタムラさん! 坂野の話なんてしないで下さい、視聴率下がるでしょ!?』
『あ、しょうでした。いやー、しゃいきんどうもしゃかのが憎めなくなってきて、ちゅい』
『何言ってんですか。ただでさえ滑舌悪いんだからちゃんと喋ってくれます?』
『ひゃ、はい、しゅみましぇん』
『……さて、間もなく試合が始まりますね』
『うん、皆頑張れ!!』
坂野は自分の目が信じられなかった。
オリンピック決勝戦、終了直後。その結果を伝える液晶画面は、優勝者がチュウ・テンチーである事をこれでもかという程強調していた。
「あ……あ……」
体が震え、立っていられなかった。たまらず膝から崩れ落ちる。
「そんな……違う、これは違うんだ……」
灼熱の太陽の下、会場にいる誰もがチュウを讃え、その場が歓喜で埋め尽くされていく。
次の瞬間、坂野が抱いた感情は――憎しみだった。
「お……おい!! そんな事があって、たまるかよ!」
ふらつく足取りで審判の元へ歩み寄る。
「あいつは、チュウはドーピングしてたんだろ!? だったら失格にして然るべきじゃないか、お前も審判ならちゃんと判断しろよ!」
審判の男は汚い物でも見る様な目で、坂野を睨んだ。
「あたしゃ知らないね。チュウ選手はそのまま出してよしってのがお上の判断だったのさ」
「でもちゃんと検査した訳じゃないんだろ? 俺は知ってるからな!」
「そうかもね。今更何言ったって遅いよ」
「そんな言い訳でズルした奴を金メダリストにするのか!? そんな理由で、本来なら無かったオリンピックレコードを作っていいのか!?」
審判は今にもその場を立ち去りたいという様に足を揺すっている。
「ちゃんと聴け! 奴の不祥事なんかで、ランドローという神聖な競技を汚していい訳無いだろ! いい加減に――」
「あーもっ、うるさいっ!! こんなマイナースポーツどうだっていいだろっ!!」
自分よりハリのある怒鳴り声に、坂野は思わず身を縮こまらせた。
「あんたはいいよな、クズのくせにただ転がってるだけで飯食って。世の中の善良な人間はあんたに構ってる程暇じゃないんだよ。覚えとけ不細工」
吐き捨てる様に言うと、審判は忙しそうにその場を去った。
坂野は黙ってその場に立ち尽くした。一筋の涙が、頬を伝う。
それを拭う力さえ、彼には残されていなかった。