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勉強は「努力」か「才能」か

作者: ちょめ

「勉強ができるのは努力の結果か?才能の寄与か?」


今日はこの問いについて私なりの考えを述べたいと思います!


まず結論から言うと、「才能」がかなりのウエイトを占めているでしょう!

(生まれ育った環境も一応才能に含めさせていただきます)


ひとことに勉強の才能と言っても分かりにくいですが、


「記憶力」

「思考力」

「語学力」

「集中力」


など、様々なパラメータがあって、多くのものが勉強をするのに適した値であると

「勉強ができる」人間になりやすいものです。これ以外の性格的な部分も重要な因子ですね。


私、現在京都大学に通っているのですが、

周りの友達をみていると「異常なほど」先に挙げたような能力値が高いです。

脳みそのスペックが違いすぎて私はついていけません笑


もちろん、彼らも「平均以上」の勉強をしている場合が多いですが、

彼らはそれを「努力」と感じません。

普通の人間が1時間勉強して「つかれたー」と思うところ、

彼らは2時間勉強してやっと「つかれたー」と思うのです。


もともと勉強に関する能力が高いと

自分での学習もスムーズに進みますし、

よく分かるから楽しいですし、

普通の人間と比べて疲労を感じにくいです。


その結果、客観的な数値として勉強時間は多くなっても

「努力」したとは感じない場合が多いのでしょう。


実際に私も「努力」はせずに小、中、高ずっとトップクラスの成績でした!

(もちろん勉強はしてましたよ!!)






さて、世の中には苦しいほどの「努力」を継続できる人間がいくらほどいるでしょうか?

おそらく極々少数でしょう。


結果、もともとの能力値がそのまま序列に現れやすいのです。



私は「勉強ができる人は、才能による寄与を大きく受けている」

という趣旨のことを述べましたが、

「努力」<「才能」と思っているわけではありません。


世の中の現状をみると、

本当に「努力」をしている人が少ないために

「才能」の差が結果に出やすいということを言いたいのです。


東大に行ったあの子も、

クラスで真ん中くらいだったあの子も、

本人の中では同じくらいの「努力度」で勉強していた場合が多いのではないのでしょうか。

(もちろんそれは人それぞれですが!!)


だからこそ、

「努力」によって成績は大きく変動させられます。

多少の「才能」は簡単にひっくり返すことができるのです。





勉強を頑張っている学生のみなさんへ


「泣きそうなくらい勉強したのに平均点しかとれなかった・・・」


いいえ、違います。


「まったく勉強の才能のないあなたが、『努力』をすることで人並みの成績をとれた!」

なのです。


「勉強しすぎて泣いた!」

このくらい努力していれば、上位の成績だったかもしれませね笑


もともとの能力値が違う他人と比較しても、

あなた自身が可哀そうです。


「がんばらなかった場合の自分」

「がんばった今の自分」

その成長を想像してあげましょう。


きっと努力した甲斐を感じられます。

そしたら尚更努力したくなりますね!


そうなればこっちのもんです。

継続した「努力」で

「才能」をぶっとばしてやりましょう!


あぁ眠い。。。


おやすみなさい(/ω\)笑

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