短い幸福の世界
不気味で暗黒が広がっていた世界に強い光が差し込むと明るく輝く世界へと視界を照らす。
太陽が放つ光に昼行性の鳥魔獣が鳴き、森に人里に世界に朝がきたことを伝える。
昨夜は久しぶりの一家団欒を深夜遅くまで満喫したキョクビ達はまだ眠りから目覚める気配が無い。
家族久々に川の字で寝たのだが、真ん中で寝ていたサンミャを眠りながらも愛しの存在を求め抱きしめる大蛇。
更にキョクビも同様に抱き付いてきて甘えたがりは親子お揃いね、と内心嬉しく幸せを噛み締めてサンミャは再度眠りにつく。
両側から抱き付かれて眠っていたが息苦しくなり目覚めてしまったサンミャは、二人を起こさぬ様ゆっくりと愛の締め付けから抜け出す。
時刻を確認しようと居間窓のカーテンを開ければ朝日がサンミャを包み込み、眩しさで思わず目をすぼめる。
太陽はサンサンと森奥地を照らし、見慣れた光景を視界へ映し出す。
太陽はいつもに増して強い光で照らし、森の木々や草といった植物は生き生きと緑豊かに太陽という光の訪れを祝福している様だ。
優しく吹き流れる風に身を揺らせ木々は踊る。
愛しの旦那と息子が身近に居るという幸福の中にいるサンミャの視界には、見慣れ飽きた外の光景が色鮮やかに輝いて見えていた。
「朝ご飯はどうしようかしら」
朝食作りを始めるサンミャの姿は外の木々と共に楽しく踊るようだ。
遅めの朝食を食べ終えたキョクビ達はこの後の予定を打ち合わせ開始する。
「父上と母上が一緒ならどこでも良いです!」
太陽に負けない程に輝く笑顔で言い放ったキョクビの意見に大蛇とサンミャはそれでは困ると笑う。
キョクビの行きたい場所があれば優先的に行こうとしていた大蛇とサンミャは相談する。
「サンミャは良い案あるか?」
森で楽しむ方法は多々あるが体力の無い大蛇は、夕刻には人里に戻らないといけないこともあり長距離移動は避けたいものだ。
「そうですね…。釣り……とか…」
やはりといった反応を見せる大蛇。
新しい釣り糸も頂けましたし、と語尾にハートマークが浮かんでいるのを脳内で想像させる口調で言うサンミャ。
キョクビは釣りなら餌調達は任せて下さい!と今にも外に出そうな勢いである。
「釣りするにも場所が遠いと困るな…」
釣りには興味無いが釣りで魚と真剣勝負しているサンミャの姿は好きな大蛇は、釣りには賛成した。
サンミャは昨日の夕飯となった池ヌシを釣った場所を希望する。
「距離なら問題ありませんわ!私が貴方を抱き抱えて行きます!」
距離の心配をしている大蛇に何の問題も無いと意気込むサンミャの姿は逞しく輝いていた。
それは男として…と渋る旦那に有無を言わせぬと既に大蛇を姫様抱っこしていたサンミャである。
我が妻ながら格好よすぎるサンミャに、自身の体力の無さとヒロインのような扱いを受けた大蛇はもう何かを諦め好きにしてといった様子で手を挙げる。
釣りと決まったと確信したキョクビの姿は既に無かった。
神秘的で美しく、水の透き通る大きな池はいつ訪れても心が洗われるようである。
水底が確認できる水面に映る自分の姿を眺める大蛇。
黒髪は乱れて無いものの、男として何かを無くした表情はどこか乙女の様である。
深いため息をついて水面の自分を眺め続けている大蛇は無事にサンミャのお姫様抱っこでこの地へ来ていた。
「あなた、大丈夫ですか?」
大蛇の心境を知らないサンミャは山猫の脚力による高速移動で酔ったのかと心配している。
大丈夫だと返す姿にそんな気配は微動だに無いと申し訳なさそうに俯く。
そこに釣り餌の小型虫魔獣と木の実を持ってきたキョクビが合流した。
「……父上?母上?」
重い空気を醸し出す両親にどうしたのかと声をかける。
キョクビの声に愛しの妻のみならず我が子にも心配かけてしまったと大蛇が後悔しかけた、その時。池から魚の跳ねる音が響き渡った。
これは大きいと家族全員で瞬時に音のした方へ視線を向ければ、大きな水の波形が広りを見せている。
「さっきのを釣り上げよう」
大蛇の言葉に頷く妻子。
先程までの重い空気から一転し、一つの目標を成し遂げようと意気込む空気へと変わった瞬間である。
「昨日の夕飯で食べた魚はここの池ヌシなのですよね…」
釣り上げ準備作業を進めるサンミャが呟く。
捕ってきた虫と木の実をすり潰し合わせるいった、虫嫌いがこの光景を見たなら悪寒のする作業を平然とこなし餌の調合をしていたキョクビが反応する。
「凄く大きいとは思ってましたが、池ヌシだったのですか!」
池ヌシを釣ったという母に尊敬の眼差しを向けるキョクビ。
嬉しそうに照れるサンミャは、旦那と姫様抱っこしてここに来たという逞しさが想像出来ない可愛らしさだ。
夕飯に魚がやたらと使われていたとは感じていたが、まさか一匹からあの量の料理から生みだされたとは思ってもいなかった大蛇は驚いていた。
「夕飯となった池ヌシはどのくらいの大きさなんだ…?」
恐る恐る疑問を口出す。
サンミャはこのくらいでしたよ、と足元の土に線を引いて5メートルは離れて終わりの線を引く。
予想以上の大きさに愕然としている大蛇にサンミャは追い打ちをかける。
「100キロは軽く超えてましたかね~」
その大きさ重さを結構な距離運んだというサンミャの姿を想像してしまった。
とてつもなく逞しく格好よすぎており、無くしかけていた男としてのプライドは遙か彼方に消えて粉砕する。
再び落ち込む大蛇にキョクビが同情の眼差しで眺めていた。
サンミャの血を引き継いだとはいえ、純粋な山猫に敵わないキョクビは時折母の力強さに完敗しているのだ。
「父上、母上は蛇族からしたら強すぎます…」
そう呟く息子は父の肩に手を置き共に力量の差を痛感する。
会話を聞き取れなかったサンミャは不思議そうな顔で二人に笑みを浮かべていた。
神秘的な大きな池には鳥が魚を食らおうと舞い降りる。
透き通る美しい水を飲みに来る魔獣も集まり、自然界そのものの美しさを創り出していた。
時刻は昼時を少し過ぎている。
釣り達人のサンミャは入れ食いを繰り返していたが、狙いの魚は掠りもしていなかった。
そこそこ釣りの腕があるキョクビも度々釣りあげては逃がすという作業をサンミャと繰り返す。
大蛇はそんな二人を眺めて平穏で静かだが幸せな時間を過ごしていた。
「父上も釣りしましょうよー!」
池の方から声をかけるキョクビに、その前に飯にしようと告げる。
今朝、朝食と共に昼食として弁当も作っていたサンミャの愛妻弁当が楽しみで仕方ないのだ。
大蛇の提案にキョクビの腹の虫が鳴り、両親は笑って昼食にした。
サンミャの愛妻弁当はこの世で一番と心底思う大蛇である。
「ご馳走様でした!父上、早く釣りしましょう!」
弁当箱や籠をを片付け終えたキョクビは早く早くと、両親の手を引き池へ連れ出し歩き出す。
自分よりは小さな手から想像を上回る力が大蛇を引っ張っていく。
大きく力強くなっているキョクビの後ろ姿に嬉しくもあり、いつも傍で見守っていけぬ悔しさを募らせていた。
隣で同じくキョクビに手を引かれるサンミャは嬉しそうに笑っている。
釣りを再開した妻子には魚が次々と釣れては逃がす行為を再び繰り返す。
一方、釣り初心者の大蛇の元へは魚が掛かる様子すら無かった。
餌は同じものを使っており、場所も交代交替で変わるが現状は変わらない。
「何故だ……」
一人だけまだ一匹の魚も釣れない大蛇は悩んでいた。
サンミャやキョクビから観察していた動きを見様見真似で同じ様に動いたが、繰り返しても繰り返しても釣れる気配は一向に来ない。
頭は良いが体で覚える職人技は苦手な大蛇であった。
日が傾き始め、そろそろ森奥地へ戻ろうか考え始める大蛇はまた妻にお姫様抱っこされて戻るのかと落ち込みながら釣りを続行中である。
餌を付け忘れた竿を振り、先端の浮きを池に向かって放り込む。
先程一度だけ魚がヒットしたのだが餌だけ取られてしまっていたのだ。
大蛇が投げた竿の釣り針に大きな気配が近寄る。
気配の主は釣り針に気付かずに通り過ぎようと泳いでいく。
大蛇は竿の浮きが大きく沈んだのを確認すると、同時に強力な力で池に引っ張られるが渾身の踏ん張りを発揮させ陸地に踏みとどまる。
サンミャとキョクビに助けを求めれば二人は即座に大蛇の身を陸へ引っ張り返す。
釣り師の感でサンミャは大蛇から釣り竿を奪うと、池の中で強力な力で引っ張る者との真剣勝負を繰り広げ始める。
釣り竿を奪われると池からの力が消え、キョクビの引っ張る力により後ろに倒れ込む大蛇とキョクビ。
目の前で激しい戦闘を繰り広げるサンミャを呆然と眺めていたが、大物を釣り上げようとしている状況を理解すると応援の言葉を自然と発していた。
釣り竿の先で激しい抵抗を見せる主は水しぶきがを高く巻き上げ、強力な力で逃げようとする姿から相当の大物と容易に想像出来る。
サンミャは釣り師としての血がざわつき大物との争いを楽しんでいた。
しかし、昨日の池ヌシの様に持久戦にも持っていけるほどの時間は無く、夕刻には人里へ戻らないといけない大蛇の事を考え短時間で決着つけようと決心を固めた。
決心が決まったサンミャは、自分の信念である釣りとは真剣勝負という決まり事を一旦しまい込み釣り竿から魔力を伝線させ、気絶させる攻撃をする。
すると激しい抵抗を見せていた大物の姿が池から浮かび上がり、その姿を捉えることができた。
浮かび上がってきたのは池ヌシとは違う種類の魚魔獣であった。
その姿はおたまじゃくしがカエルになる過程で進化した姿に酷似し、丸い胴体に細長く丸尾があり手が生えていた。
池ヌシが居なくなれば池の番人が消え、新たな池ヌシが番人として登場する。
多くの場合は池ヌシの子孫がなるがここの元池ヌシは子孫が居なかったようで、今目の前で伸びている魔獣が新たな池ヌシとなったようだ。
今回の池ヌシは食べれなさそうだな、とガッカリするサンミャを見ている大蛇の顔は引きつっていた。
大物との戦いを楽んでいると思っていたら正しくは瞬殺では無いが、瞬殺したのだ。
強すぎる妻に惚れ直してもいた大蛇である。
一方キョクビは母の魔法攻撃に興味津々で眼を輝かせていた。
妻に再びお姫様抱っこされながら森奥地の自宅へ戻る大蛇にプライド等は無く、むしろこんな格好いい妻に姫様抱っこされ清しい気分であった。
キョクビは後ろから付いてきながら終始ニコニコしていた。
自宅へ戻ると夕陽が空を赤く照らし、楽しい時間の終わりを伝える。
結局池の新たな池ヌシはそのまま池に返した。
食べれなさそうだったのもあるが、再びサンミャと大戦を繰り広げるであろう好敵手として生きさせるのだ。
サンミャは再び池ヌシ攻略への意欲で燃えていた。
「私はそろそろ戻るよ」
大蛇の言葉にサンミャとキョクビは、再び訪れる大蛇の居ない日常に寂しさを覚え大蛇を抱きしめる。
大蛇もまた、会いたくて仕方ない程に恋いこがれる愛しの二人をギュッと抱きしめ返す。
サンミャは大蛇にちょっと待ってと伝えてキョクビを連れて台所に向かっていった。
台所から二人が戻ってきた時には外は暗くなり、夜となっていた。
「お待たせしました~!」
笑顔で大蛇の前に戻って来たサンミャとキョクビの手には、いくつか料理が入った袋が複数あった。
「こっちはカヨリさんに、こっちはショーヒさんで、これはあなたの分です。キョクビと二人で作りました」
日頃世話になっているカヨリとショーヒの分の料理と、大蛇の夕飯が入ってると説明される。
嬉しい贈り物だが、また大荷物抱えて行くのかと内心動揺している大蛇をよそにサンミャは荷物をキョクビに渡して外に出る。
続いてキョクビも外に出ると大蛇を呼ぶ。
まだ何かあるのかと呼ばれる声に向かって歩くと、外で待っていたサンミャが大蛇を再びお姫様抱っこする。
「遅くなったので、森の麓まで送りますねフフッ」
しっかり掴まってと指示され従えば高速で木々の枝を飛び跳ね移動していく。
後ろからはキョクビが荷物を両手にぶら下げで追い掛ける。
星々が輝く夜空に浮かぶ月
月の明かりで桃の美しく長い髪は輝かいていた。
時折こちらの様子を見る美しい顔はいつまで見ても飽きない。
夜行性の黄色い猫瞳は月明かりで妖しく光を放っていて、ただでさえ美しいのに更なる美を与えていた。
心臓が煩い。
男としてのプライドを失った代わりに乙女心を手にしてしまったような感覚がする大蛇であった。