受け入れられない世界
すっかり暗くなった夜の森は静寂そのもので、人里には無い自然の寒さが恐怖心を煽っている。
明かりといえば月明かりのみが頼りで、夜道が見えない昼行生物には近寄ってはならない場所だ。
キョクビが帰宅したのはつい先程で、卵採取や野草採取までは順調にいったものの木の実採取をしようとした際に、虫型魔獣に襲われかけていた。
虫型魔獣が食料としている木の実を、よそ者のキョクビが採っていこうとしたから襲うのは当たり前である。
割れやすい卵を所持していたキョクビはまともに戦うと、卵が割れて台無しになると判断して全力疾走で逃げた。
しかし、食後のデザートは欲しいもので違う木の実を探し採取していたら、すっかり夕日は沈んでしまっていたのだ。
慌てて帰るとサンミャは既に起きていて、池ヌシを裁こうと猫族特有の爪技を繰り広げる為に長い爪を出していた。
何も知らない者がその光景を目の当たりにすれば、手に鋭い長包丁を幾つも指に挟み解剖を図ろうとする恐怖の絵図らとなっている。
「あら、お帰りなさい。遅かったけど大丈夫だった?」
恐怖の絵図はキョクビにとっては日常の光景で、驚く素振りは全く無い。
夕飯に間に合わ無かったらどうしよう、と慌てていたキョクビは夕飯づくりがこれからだと判ると安心して深いため息をついた。
「総合的には大丈夫だったと思われます!」
総合的という言葉に疑問符を浮かべていたサンミャだが、キョクビの満足気な顔と少しボロボロになった格好を見て途中で危険に遭いそうだったと察して納得する。
キョクビの採ってきた食材と池ヌシでサンミャの脳内は、夕飯のレシピ編み出していく。
キョクビは手洗いうがいを終えて、夕飯づくりを手伝おうとやる気で満ち溢れていた。
サンミャが爪技であらゆる食材を理想の形へと切っていく。
サンミャの料理方法によりこの家には包丁が無く、キョクビは基本的に炒めたり盛り付け担当である。
サバイバルナイフはあるが、主に狩りに使われるため料理には適さないものだ。
森へ入り歩き続けること1時間程だが目的地へはまだまだ辿り着かない。
大量に買いすぎた荷物に加え、元々体力の無い大蛇は足取り重く休憩を挟みながらゆっくりと着実に進んでいった。
そんな大蛇の後を付けるリオリの方は、森の静寂がむしろワクワクして冒険気分である。
大蛇に足音で気づかれ無いよう、適度な距離と音を立てぬようゆっくり進んでいる。
そもそも、大蛇の進むスピードが遅く子供のゆっくりとした足取りの進みでも後を付けれる程だ。
商店街で大蛇を見張っていた筈のショーヒは、大蛇を見本にして自分の家族への贈り物を選び始めて夢中に悩んでいた。
ショーヒには女心とは分からないもので、カヨリに似合いそうやアクセサリーや帽子を贈ったらセンス悪っとしかめ面をさせてしまった過去がある。むしろそんな過去しかない。
一緒に暮らす上の2人は両方男の子で趣味が合い、何を贈っても喜んでくれるのだ。
今度こそはガッカリさせまいと、女性店員と相談に相談を重ねて品物を定めていく。
大蛇はその点、相手の好みを記憶して好み外れな物を贈る率が低い上に品定めもそこそこ早い。
ショーヒは大蛇のそういう所を見ると、女心を持っているのでは無いかと思う事がしばしばあったりする。
やっとのことでカヨリへ贈る物を購入し終えた頃には護衛対象の大蛇の姿は商店街には無かったが、行き先は知っているとショーヒは慌てなかった。
まずカヨリへ贈り物を届けに行き、良い反応を貰ってから気分良く森奥地へ様子を見ようと呑気な事を考えていたのだ。
「ショーヒあんた……、大蛇の体力の無さ知ってるでしょ……探してこい!」
カヨリへ贈り物を渡そうとカヨリ宅に訪問し、対面してからの第一声。
大蛇の体力の無さは子供にもしばしば負けることがあり、蛇族でも最下位を争える程である。
普段、常日頃一緒に居るショーヒも痛感しているが、今日の大蛇は違っていて一日中元気だった。
更には土産物は自分一人で行き、そのまま妻子の元へ帰ると聞かなかった程だ。
「いや、でも、大蛇が一人で行くって聞かなかったんだけも…」
カヨリの気迫に押されて口ごもるショーヒ。
それと同時にカヨリの態度に違和感を覚えカヨリの肩に片手をかけた。
「カヨリ、お前何に焦ってるんだ?」
驚くカヨリにショーヒは彼女の綺麗な朱色の瞳に探りを入れる。
瞳は不安と焦りで小刻みに震え、驚きで目を丸く見開いていた。
肩から伝わるショーヒからの久しぶりの体温に落ち着きを取り戻しつつあるカヨリは、リオリが帰って来ないことを告げる。
マジか…と、動揺するショーヒにカヨリは思い当たる場所は探し回ったが見当たらなかった。
すれ違いで家に帰って来てないかと先程帰宅したは良いものの戻ってなかったと続けた。
「可能性は低いけど、もしかしたら大蛇の後つけた可能性もあるかもしれない。お前はここに居ろよ!」
手に持っていたお洒落な紙袋をカヨリに渡し、ショーヒは急いで森へ走って行った。
渡された紙袋の中には、ショーヒが選んだとは到底思えない綺麗な宝石のネックレスと一通の手紙があった。
『カヨリ、いつもありがとうずっと愛してる ショーヒ』
カヨリの瞳には涙が溜まり、涙が頬を伝わっていく。
表向き夫婦のためとはいえ、ショーヒと離婚して大蛇と再婚した形をとったカヨリは後ろめたい気持ちと悲しい気持ちがあったのは事実である。
しかし、ショーヒとは毎日顔を合わせて会話したりして辛い気持ちは無かったが、離婚して以来ショーヒはカヨリに触れて来なかった。
先程の肩に触られた体温の懐かしさでその事を思い出したのだ。
泣き崩れるカヨリの姿に心配して駆け寄るのはショーヒとの一番下の子。
心配する瞳はショーヒに似た目元をしている。
夕飯時を過ぎた時間帯だが、森奥地には食欲そそる良い匂いが漂っていた。
サンミャの釣った池ヌシは見事なお造りやかぶと焼きやから揚げに成り果て、キョクビの持ってきた野草と合わせてムニエルも出来ている。
キョクビの採った卵は素材の旨さを一番感じるシンプルな料理、ゆで卵となった。
目玉焼きにしようか寸前まで悩んでいたのは秘密だ。
残った野草は野菜炒めやサラダとなっている。
料理を作り終えたサンミャとキョクビは順番に風呂に入って身支度したり、お腹の空いたキョクビのつまみ食いにより被害を受けた料理を見栄え良くして誤魔化したりと大蛇の到着を待っていた。
「父上遅いねー…」
つまみ食いしたとはいえ、お腹空いてるキョクビの腹の虫は煩く鳴いている。
きっともう少しよ、とキョクビの煩い腹の虫に微笑んでるサンミャは作りすぎた料理が食べきれるか少し心配していた。
静寂な森を随分と進んできた大蛇とリオリの鼻は、食欲そそる良い匂いが漂っているのを確認する。
かれこれ5時間程歩いて来て、ようやく目的地への到着の知らせにため息が漏れるがもう一踏ん張りと力む大蛇。
通常体力を持つ蛇族の大人で道を完璧に暗記して迷子にならない状態でなら片道3時間程でつく距離だ。
森奥地とあって、道のりは険しい上にどこもかしこも木々が並ぶ似たような光景で、更には今は夜更けという事もあり、そう易々とは辿り着かない所でもある。
体力の素晴らしいショーヒは2時間程で、山猫の血が混じっていて生まれ育った森は庭のようなキョクビは最短で30分程で森奥地の家に辿り着けたりする。
山猫のサンミャについては本気出せば更に短いのだが、普段は散歩がてら歩きながらで2時間掛けている。
まだ5歳程と幼い子供のリオリだが、ここ最近の大蛇への遊んでアピールで鍛えられた体力ほ同年代と比べて有る方だ。
大蛇より体力あるかもしれない、と度々休憩を挟んでは遅い進みの大蛇の後を付けるリオリは度々思う。
嗅覚を刺激する食欲をそそる匂いに反応して、リオリの腹も音をたてる。
幸いにも今はゴールに辿り着くことしか頭に無い、疲れ果てている大蛇の耳には届かなかった。
商店街で買った饅頭は既に食べ終えている。
カヨリの美味しい手料理が頭をよぎり、リオリは悲しくなっていくのである。
夜は更け、より寒さが体を包む。
疲れ果てた体に活を入れ両手の荷物を持つ手に力を入れた。
コンコン、コン、コンコン
ドアを叩く音は独特なリズムを刻んで室内の住民へ来客を知らせる。
この叩き方は大蛇の帰宅ということを知らせる合図であった。
勢いよく開いたドアからは、薄水色の長い髪を揺らして飛び出して大蛇に抱き付こうとするが、荷物を見て止めるキョクビ。
後ろからは髪も容姿も雰囲気も全てが美しく眩しいサンミャが笑顔で出迎えて、キョクビと半分ずつ大蛇が持ってきた荷物を室内へ運んで行った。
一見すれば幸せそのものの家庭の姿である。
大蛇の心底幸せそうな笑顔と、大蛇を出迎えた美しい女性も嬉しそうに微笑み、髪の長い子供はずっと待っていたとばかりに嬉しさを態度で全力で表していた。
木の陰からその場面を見ていたリオリの目には、全てが幻か幻想のようにしか思えなかった。
自分には愛の欠片すら見せない大蛇があの女と子供にはこの上なく幸せそうなのだ。
リオリは心の底から幸せそうな大蛇の姿を見てなお、信じてられずにいる。
現実を受け入れられる年齢ではないのも有るだろう。
それより、自分には向かない愛をサンミャとキョクビに向けていた現実に嫉妬し憎しみを生み憎悪していたのだ。
あの女は美しいがネコの耳をしていた。
子供の方は蛇族の姿をしていたが、瞳が女と同じくネコのように暗闇からは光って見えた。
あのネコ族の女は美しさで父親の大蛇を惑わした魔女
子供の方は蛇の特徴と大蛇を父上と呼んでいた点で、禁忌の子供
父、大蛇は子を作らされた被害者
小学校で入学する前から親に教え込まれるものがある。
異種動物族との婚姻および子を成すこと。
学校に入学してからも定期的に教え込まれ、その理由も説明される。
差別のない友情は良いことだ。
組み合わせによっては、むしろ互いの弱点を補えて魔獣討伐や冒険に役立つ。
しかし、天敵同士では友情が結ばれることは少ない。
動物本能的問題が絡むのだ。
サンミャは魔女
キョクビは重罪禁忌の子供
大蛇は被害者
リオリはそうレッテルを貼った。