安らぎの世界
日光に反射して輝く薄水色の長い髪は風になびかれて空を舞う。
黄色の猫目に映し出されるのは酸味の強い果実ユーズカと、意外と美味な紫色の花の山である。
「いっただきまーす!」
元気な声で採取した食材に感謝の気持ちを込めて、食前の挨拶をするのは禁忌の子供キョクビ。
ムシャムシャと花を食べては美味しそうに頬を片手で支える仕草は可愛らしいものがあるが、男の子だ。
花の味に刺激を求めてユーズカの果実を口へ数滴こぼす。
爽やかだが酸味の強い味が花の控えめで甘い味と良い具合に合わさり、まろやかで美味しい味になる。
この味の組み合わせは母であるサンミャが教えてくれた数多くの組み合わせの一つであった。
母上様々でキョクビは空腹を満たしていく。
再び冒険を楽しんでいたキョクビの視界に赤い夕暮れの光が捉えられ、帰宅する時間と知らせる。
森奥地の自宅からかなりの距離があるが、自然から元気を貰い精神を回復させたキョクビは爽快に木々を飛び移り帰宅を急ぐ。
今朝の異様なキョクビの作り笑顔に恐怖すら感じてしまったサンミャは、力はあれど愛しの我が子を守れていなかった事態に悔やんでいた。
自分の目が届かない場所へ送り出したのが間違えだったのかと自分を責める。
一方で心底楽しそうに過ごしていた姿を思い出しては涙が溢れそうだった。
「何があったのかしら…」
無理には聞かないと自ら決心したが、やはり我が子を異常事態にさせた原因を解明させたい気持ちがサンミャを焦らす。
ガチャッと勢い良くドアが開いたと思うと、キョクビの元気な声が響く。
「母上ただいまー!!……へっ?」
久々に目の当たりにしたキョクビが楽しかったことや嬉しい事があった時の帰宅方法と元気な声にサンミャの瞳からは涙の雫が流れていた。
元々容姿が整い美しい母だが、泣いている姿は更に美しいと自分の母ながらにキョクビは思う。
それと同時に、何故泣いているのか分からない戸惑いであたふたと慌てている。
「母上……?」
子の心配する声に反応してゆっくりと瞬きを繰り返す。
今朝とは別人の様だが、本来の元気なキョクビの姿を見ては本物なのかと確認がてら抱き締める。
トクン、トクンと早めの鼓動は動揺しているのだろう。
抱き締めた体からは確実にサンミャ自身の体へ体温を伝え、伝え返す。
本物と確認すれば、サンミャはそのまま我が子をギュッと抱き締めを強くする。
「母上、ちょっとキツイですって…」
言葉からは嬉しさと戸惑いの感情が混ざっていたが、抵抗は無くむしろ抱き返している。
あぁ、心配掛けちゃったなと実感するキョクビの心は少し辛い。
しばらく抱き合い存在を確認し、落ち着いたサンミャの謝罪から2人は夕飯の支度を開始した。
「母上!えーーーーと、ユーズカの木の実採ってきました!」
学校サボってしまった罪悪感で言葉を濁すが、持って帰ってきた果実を手土産として渡す。
キョクビの行動圏内では手に入らない果実を目にするも、サンミャは優しい微笑みで何も語らずにありがとうと返した。
キョクビの様子から学校に行ってない事を悟るが、言葉を濁した辺りでまだ学校での出来事を話す気は無いと判断出来てしまう。
理由を聞きたい気持ちもあるが、元気を取り戻したキョクビの姿に焦る気持ちは和らいだサンミャである。
「ユーズカの果汁でドレッシング作るわね!美味しいわよ!」
張り切る母の姿にキョクビもまた、安心を手に入れていた。
それ以降、キョクビは学校行く振りして森の未知なる場所を求めて冒険を繰り返す日々へと変化している。
サンミャも学校へ行っていないと悟りながらも、毎日瞳を輝かせて外出するキョクビを送り出していた。
キョクビ達が住む森はとてつもなく広大で、森を囲う様にして様々な蛇族の里が存在している。
父である大蛇が族長を務める一族の里は特に森の範囲が広かった。
妻子は大蛇一族の敷地でも森の最深奥地に住んでいるのだ。
最近の冒険でお気に入りの場所をキョクビは見つけていた。
大蛇族の里と隣里の敷地と丁度境目付近となる、人里からさほど離れてない森の中だが人目に付きにくい場所なのだろうか人の気配が全く無い素敵な草原だ。
木々がそびえ立っている道無き道を歩き続け、開けた場所に出たと思ったら草原だったのだ。
背丈が高めな草花は日光を浴び生き生きと輝きを放ち、吹き抜ける風はたどり着いた者を歓迎の言葉を囁いている様に優しい。
そんな優しい風に草花も同調して優しく揺れる。
草原の少し先を眺めれば泉の姿を捉える事ができた。
泉の水面から輝く光と草花からの輝きは神秘的でいて美しく眩しいが、包み込む空気は優しく暖かい。
サンミャが通う池の神秘的な美しさとは違う美しさを放っていた。
草原にたどり着いたキョクビは早速寝転び自然を堪能する。
空は青く晴天で、背中に当たる草花のクッションはひんやりと冷たいが、木陰の無く直接全身を刺激する日光は暑くて調度良い具合となっている。
空気を吸いこめば植物達の光合成で排出された綺麗な酸素が体内へ入っていくのを感じて身体が喜びに満ちあふれていく。
生き生きと茂る草原の植物と美しい泉から放たれる輝きにマイナスイオンという、自然界究極の癒し空間に心の底からの安らぎを与えてれるだけでなく、身体まで安らぎを得ているのだ。
こんな贅沢は誰も知らないという特別感にも心が踊っていた。
傷心しきっていたキョクビは心身共にこの草原のお陰と言っても過言でも無い程に癒され、本来の元気を取り戻しつつある。
心地良い自然のベッドに太陽という掛け布団で気が抜けていたキョクビはすっかり寝入っていた。
「……む?」
この草原を発見してから初めて聞く人の声にキョクビの意識は現実に戻る。
寝ていたキョクビを覗き込む人物の瞳は紅色で、サラサラな直毛の黒髪が肩辺りをまでの短髪。
前髪が正面向かって右側の目を覆うように伸ばしているようだ。
耳は丸めだが蛇族特有の耳をしていて、歳はキョクビと同世代なのか身長も大して変わらない。
服には良い生地を使われていて、この少年は良いところ育ちなのは気付く人は気付くがキョクビは気付いていない。
むしろ分からないのである。
「貴様…」
起きたキョクビが慌てて距離を取れば、前髪に隠れていない方の紅瞳が睨みを利かせていた。
どうやらキョクビの猫目に反応を示した訳ではなく、何かに怒っている雰囲気だ。
「ぼぼぼぼくはねねねねねでました!!だけでっす!!」
まだ人への恐怖心は癒えていなかったのに加えて、人は来ないと油断して寝て起きた矢先に睨んでくる人が居たという予想外な展開に激しく動揺して、目を回しながら何もしてないと必死に弁解する。
我ながら意味分からない発言をしていると気付いたキョクビは恥ずかしさで赤面して俯く。
「貴様は何に脅えている?」
貴方です。と素直に伝えられないキョクビは目を泳がせながら黒髪の少年をチラチラと見る。
まだ自分と同じくらいだが、将来は絶対イケメンになると確信させる美貌を誇る顔立ちであった。
問いに答える様子が無く、此方を見ながらも異常に脅えているキョクビの姿に何かを悟った少年はそれ以上話かけて来なかった。
「あの、君の名前って……」
落ち着いたのか、少し間を空けてからキョクビが質問に掛かる。
同世代の少年は歳の割には落ち着いていてクールだが表情には影が潜んでおり、キョクビの傷心した心と似たような物を感じて興味を抱いたのだ。
「人の名を尋ねる前に己の名を名乗れと教わらなかったか?」
相変わらず睨みを利かせる瞳に脅えながらも、そういえばそうだったとキョクビは自己紹介を始めようと口を開く。
指摘されたものの、素直に受け入れ自己紹介をしようとする姿を気に入ったのか少年はどこか優しい表情へ変化していた。
「ぼ…俺の名前はキョクビ。君は……?」
同世代の子に格好つけたくなる気持ちが無意識に出ており、自分を俺と呼ぶがむしろ格好悪いのに気付いていない。
突っかかる言葉に無理をしていると勘づき、少年は不思議そうに再び指摘していく。
「……無理に取り繕う必要な無いと思うぞ」
あっ、と呟き赤面するキョクビに少年は面白いのか頬が微かに緩んでいる。
「俺の名は達だが、人前ではセキレイと呼べ」
何で?と質問するキョクビにセキレイと名乗る少年は返答する事無く、歩き出してしまった。
後を追い掛けようとすればセキレイは振り向いてキョクビに告げる。
「俺はこの地が気に入っている。また来る」
う、うんと頷く姿を確認したセキレイはどこかに去って行った。
突風のように突然現れてはまたも突風の様に去っていく不思議な少年セキレイに、キョクビは思考が付いて行けずにいる。
「耳が丸かったけど、何処の子なんだろう……?」
横に細長い蛇族の耳しか見たこと無いキョクビは疑問に思う。
しかし、自分と同じくこの草原が気に入ったというなら何か事情があるのだろうと感じ、考えるのをやめる。
「それより、セキレイくんはちょっと苦手かな…」
人への恐怖心を抱くキョクビにはセキレイの睨みを利かせていた瞳が怖いのだ。
のちにそれは勘違いで、単に目つきが鋭いだけと気付いたのはもう少し後のことである、